第89話 心の闇
ゴードンは、ベッドの上で深く、深く眠るユウの胸に、手を当てたまま……押し黙った。
悲壮な顔をして、ユウをみつめる。
精鋭部隊の制服を着たまま、緩やかに開かれただけの胸元。
息をしやすいように……。
服と肌の合間に当てられたゴードンの手に、ユウの命の鼓動を確かに感じる。
だが一度見た”死”への恐怖は、一般の子供のゴードンには強烈過ぎて、頭を離れることはない。
元気なユウを見て安堵すると共に、こうして発作を起こして倒れる度に、あの時の恐怖が、ぶり返す。
ハルカはその姿を見て、目を伏せた。
伏せた目に映るのは、医務室の床。
この床一面に……ユウの血が、溢れていたのだ……。
一度聞いただけのゴードンの言葉からは、どれほどのものだったか想像するには足りない。
ただ……ハルカが知っている”外”の世界で見た凄惨さと、それほど変わりは無かったのだろう。
一面に溢れる”死”の世界。
それが、すべてユウの”命”だっただけで――
ゴードンもまたハルカと同じく、”死”の世界を知ってしまったのだ。
光輝く未来しか夢見て来なかった、普通の子供であるはずのゴードンが、
ユウという、命の狭間を行き来する”戦場の申し子”によって……。
同じく、”闇”を……”死”を……心に植えてしまった。
――大事に、大事に。
箱庭のような、平和しかない地下施設に、置いて守って来たはずの無垢な子供達の一人であるゴードンは、ユウと関わる事によって”闇”を見てしまった。
”死”は、地下施設にいても、経験する事はあるだろう。
だが戦いによって訪れる”死”は、また別のものだ。
ユウに、友達が出来ない訳……。
ハルカはそれを知っている。
怖いのだ。
ユウが……。
ユウと関わる事で、知ってしまう”恐怖”が……。
ただ”英雄”として、憧れ、心を躍らせているだけなら知る事はない”闇”を。
気付かぬうちに、誰もが避けている。
たった八歳で”精鋭部隊”という大人でさえ、なるのは難しい戦闘のプロフェッショナルに……。
その中でも、飛び抜けた力と戦績を持つユウを、憧れながら、恐れている。
だから必要以上に、近くへ行こうとしない。
”友達”という傍には、寄ろうとしないのだ。
ハルカはすべてを知って、傍にいる。
その位の覚悟がなければ、ユウの”友達”には、なれない。
――ハルカと手を握り合う、親友のレイカ……。
眠るユウの胸に手を押し当てて、必死に生命を感じ取ろうとしているゴードン。
……光しか見て来なかった二人の子供達は、ユウと関わる事によって”闇”を見た。
ユウが、心から望んだ”友達”は
”闇”から、命を懸けて戦い守るユウによって、その”闇”を知ってしまったのだ。
ユウが、それに気が付いた時――
彼は、どうするのだろうか……。
その時は、傍にいる。
誰がいなくなっても、ユウが人を避けようとしても……。
ハルカだけは。
最初から知っていて近付いたのだと、安心させてあげるのだ。
”闇”も”死”も……。
ユウと会う前から知っているから、気にしないで……と。
言ってあげられるのは、ハルカだけ。
「ゴードン、その女の子は誰? 知っているんでしょう?」
眠るユウの傍に、ゴードンと共に、付いて離れない精鋭部隊の制服を着た女の子……。
ユウを、抱き締めていた女の子。
……レイカが一番知りたい事を、ハルカは聞いた。
現実へ引き戻されるように、ゴードンは顔を上げて、ハルカを見る。
この状況の説明は、まだ終わっていない。
「ああ……ごめん。彼女はユリア。サブリーダーにまでなっちゃったユウの付き人だよ、お世話係。リーダーに親衛隊が付いているのと、一緒なんだって」
「……その付き人さんが、なんでユウさまを抱き締めていたの?」
「ユリアはね、ユウの、この発作を抑えられる特別な能力を持っているんだよ。ああやって抱き締めて、ユウの高過ぎる能力値を下げてくれるんだ」
――ユウが死に掛けた一件で、ゴードンは見ている。
リーダーからの輸血を受けながら、
能力値の異常高上昇が止まらないユウを……。
抱き締め、祈りを捧げるユリアが、ユウの命を救ったところを。
今のユウには、なくてはならない存在だ。
しかし抱き締める行為に、違和感があるのも確かだ。
ユリアは頬を染めて、恥ずかしそうにしながら答えた。
「すみません……能力を伝えるターゲットを固定する為に、掴まえて接触していないとうまく伝えられないんです……。まだコントロールが甘くて……」
コントロールが甘いだけなのか、ユウに対する特別な気持ちがあって、しているのか……。
頬を染めながら愛しげに、ベッドの上で眠るユウを見るユリアの仕草と瞳は、恋する乙女にも見えて、能力値を下げる為”だけ”に、抱き締めているのか、どうか……。
これが”ターゲット”がユウでなかったとしても、同じく抱き締めるのか。
本当の所は、誰にも判らなかった。




