第76話 異変
向こうから、ハルカがやって来る。
まっすぐに伸びた通路の向こう側……お菓子を作った帰りなのか、クッキーが入った小さな袋を持っていた。
一緒に居たレイカが、ユウに気付いてハルカの後ろへ身を隠すようにする。
下を向いて……ユウとゴードンとは逆の壁際に、身を擦り付けるようにして。
ハルカも気付いて、気まずい顔をした。勿論ゴードンも……。
ユウから隠れるように、ハルカへしがみ付くレイカ……ゴードンは、ユウを見る。特に何も変わった様子を見られないユウは、そのまま歩いて行く――……。
ユウを恐れて精神を病んでしまったレイカ……今もまだ、ユウが怖いようで怯えた目をしている。
そのレイカを大事に思うユウは――……。
ゴードンは、三日間謹慎の最後の日のユウを思い出す……。
レイカを想い、辛く苦しそうにしていたユウ……。
一番大切な人に……一番守りたい人に拒絶された――守りたいのに、苦しめているのは自分なんだと――まるで泣き顔のように苦笑した、あの日のユウを……思い出す――……。
複雑な顔をして、気まずい気持ちで歩き進んで行く、ハルカとゴードン……直接関わっているユウとレイカの二人よりも、気が気でない面持ちだ。
ふと……擦れ違い際――……通路中央部を歩いていた、ユウとハルカが微かに接触してしまったのか……ハルカが持っていたクッキーの袋を落としてしまった。
「……あ……」
足を止め、固まったように落としたクッキーの袋を見るハルカを横目に、ユウはそのクッキーの袋を拾い上げる。
「ごめんね、当たったかな?」
微笑んで、さり気なくクッキーの袋をハルカへ渡し、他には何も言わずにユウは歩き去って行く。
何事もなかったように……レイカに気付きもしないかのように――……。
ゴードンはユウと一緒に歩きながら、固唾を飲んで見守っていた。
「ユウさま!!」
少し歩いた先で、ユウを呼び止めるハルカの声に、ユウは振り向く。
「ユウさま……レイカに、……その、なにか言ってあげて…………」
「…………なにを?」
ハルカを見るユウのその目は、……冷たい……瞳……。
「……え……?」
……――時間が……凍り付いていく――……
「なんでも……良いの……」
「なにも言う事はない」
立ち尽くし、言葉を失ったハルカを残して、ユウは去って行く。
ゴードンも言葉がなかった。いくらなんでも…………。
通路を曲がって、ハルカとレイカの姿が見えなくなった所でゴードンはなにかを言おうと口を開きかけた。ゴードンがなにかを言う前に、ハルカが走って来て、追い付くように通路の角で叫んだ。
「ユウさま……酷いよ! そんな態度、取るなんて……!!」
涙が出そうなほど哀し気な顔をして、ハルカは訴えていた。
ユウはそれを見て、少し困った顔をする。
「……よく判らないけど……ごめんね? キミ、名前は?」
「……え? ハ……ハルカ…………」
「ハルカ……覚えておく、またね」
いつもの優しい微笑みをハルカに残して、ユウはその場から去って行く。
何も特別な事はなかったように……足取りも何も、変わる事無く。
「……ユウさま……?」
食堂でいつもの固形物を食べながら、ゴードンは向かいに座ったユウをじっと見続けていた。睨むように見続けるゴードンに気付いて、ユウは軽く首を傾けて覗き込むようにして聞く。
「……なに?」
少しの間、目と目を合わせ続ける……怖い位に真剣な表情をして見続けるゴードンに、なにか怒られるような事をした覚えのないユウは不思議そうな顔をする。
目をぱちくりと瞬きを繰り返してから、視線を外した。
「プリン、美味しい」
食堂に出るようになったデザートのプリン……ユウは小さくスプーンで突きながら、その甘さと美味しさに舌鼓を打つ。ユウは結構、甘い物が好きなようで、にこやかな笑顔を見せている。
……なにかオカシイぞ……。
どうしてレイカと顔を合わせたのに、プリンでこんなに屈託なく笑えるんだ。
それに……さっきの…………。
なにか嫌な予感がして堪らないゴードンは、ひたすらユウを凝視する。
睨み付けるように……強く見続ける眼力で、ユウの心の底が見えればいいのに……。
あれだけ辛そうに……哀しそうにしていたユウが、レイカと会って暗い表情の一つも見せない訳がない。ユウはいつも言葉には出さないが、顔には割とすぐに出る。意外とポーカーフェイスは出来ていない。
ゴードンが知るユウなら……今頃こんな穏やかにしている筈がない。
一緒にいるのが心苦しくなる程、掛ける言葉がない程に暗く沈んで、むしろ食堂へなど来ずに仕事へ邁進しているだろう。
そして無理をするまで仕事漬けになって……また倒れるのだ。
だけど目の前にいるユウは、プリンで心から喜んだ笑顔を見せている。
はっ……とした顔をして、ゴードンはある一つの可能性を見出した。
……もしかして……もう、レイカの事は、どうでも良いのか……!?
一度、死に掛けて……なにか思うところがあったのかもしれない。
最近のユウは少し変だ。リーダーといがみ合って喧嘩はするわ、”掟”には従わないわ、ゴードンだけとはいえ愚痴はこぼすわ、……割と表情、豊かだし……。
普通の子供の姿といえば、そうなんだが……その”普通”じゃないのがユウだ。
そしてまさかとは思うが、死の淵より生還してから、ずっと付きっきりでユウのお世話をしている可愛い女の子がいる――ユリアだ。
ユウの戦場での姿を垣間見て、恐れ戦き拒絶して、挙句に精神を病んでしまうレイカなんかより……ユウのすべてを知っても、そのすべてを受け入れ……傍にいられる実働部隊所属の――いや、同じ精鋭部隊所属のユリアの方が……ユウにとっても、良くなったとか……!?
不意に思いついた勝手な想像に、ゴードンは驚愕の表情を見せる。
大きく口を開いて、目を見開いて、ユウを見ている。
いや……いや……待てよ……?
あるかもしれないけど、そうじゃなくて……じゃあ、だったら……さっきのは…………。
先程から怖い顔をしてみたり、驚きの表情で止まっていたりと百面相をしているゴードンに、ユウは怪訝な顔を見せて不思議そうにゴードンを見ていた。
なにを考えているのか詠むのは簡単だったが、こうして見ているだけでも……ちょっと、面白かった。
「こらぁ、ユウ! こんな所にいやがった!!」
突然大声を出してリーダーが食堂へ入って来た。
怒り露わに、足早でユウへと近付いて来る。
「執務室へ戻って来いって言っただろ! お前、サブリーダーを何だと思っているんだ!」
「食事、終わったら行くよ……?」
「余裕かましてるんじゃねぇ! 今すぐ戻れ!」
プリンの最後の一口を残したユウを有無を言わさず一掴みにして、リーダーはユウを小脇に抱えて瞬間移動で消えて行った。
目の前の突然の出来事に、ゴードンは絶句する。
「きゃ~~ユウ様、サブリーダーになったって、本当だったんだ!」
「すご~~い、流石ユウ様!」
「夢の精鋭部隊にいて~、凛々しき我が英雄で~、権威のサブリーダーだなんて……ユウ様、凄過ぎ!」
「きゃ~~ファンクラブ、作っちゃおうかな~~!」
ユウのサブリーダー任命は、組織図には既に組み込まれていたが一般にはまだ周知されておらず、噂だけが飛び交っていたようだ。
ゴードンは一般だが、そういう情報は他人へは漏らさない。
浮き足立った周囲の歓喜の声に、ゴードンは机に肘をついて、ユウが先程まで座っていた椅子を見て……溜息をつく。
ユウがこれを聞いたら、どう思うのだろう……。
…………全部、嫌がっているのに。




