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日月星辰



「くそっ、絶対にこの辺りなんだ。

それまでは、持っていたんだ…」



キャラバンを率いる男が今は単身で砂漠を歩いているのには、理由があった。やんごとない理由であり、人によればくだらないと断ずる理由が。


日に当てられ、砂の中できらりと光るものを見つけ、砂に足を取られながらも走り、転がり込むように拾う。安堵しながら、ぱかりと開ける。それは妻と子の姿が入ったロケットだった。今は亡き、両者の写真が入った。


急いで走り、汗だくのままに今来た道を必死に引き換えす。車輪の跡がまだ残る内に戻らなけば風に吹かれた砂が今来た道を隠す。何よりこの場に長居すれば、自分も妻子のもとに行くことになるだろうから。キャラバン毎にあの忌々しい大蛇の、餌食となって。



「…ん」


通りすがりの男がそうして、いる時のこと。

倒れている少女を見つけた。

どこかの行き倒れだろうか、この辺りでは見ない格好。どこかの圧政から逃げ出して、そのまま死んだのだろうか。何にせよ、まだ年端もいかない少女が砂漠に倒れているということに良い事情があろうはずがない。


「…可哀想に。

長居する訳にはいかないが、少しは…」



男は、折角だと。簡素に弔ってやろうとした。

そうして近づき。異変に気がついた。



「……生きてる……嘘だろ!?

いや、なんでもいい!しっかりしろ!何が起きてるかわかるか!?君、どこから来たんだ!」



息をしている。

瑞々しさを、保っている。

その顔付きに、まだ生命を保っていた。

本当になぜ生きているのか?

疑問に思ったが、生きているに越した事は無い。そして男は急いでその子供をおぶって、その場から離れた。


意識は、朦朧としていた。

質問にも、答えられはしない。

ただ、ほんの少し。

うめくように口から漏れ出る言葉。




「ぐ…れん…」


「どこじゃ……」



うわごとのように、そう呟くのみで。






……




黄色い砂が景色を埋め尽くす周囲。

そんな中でも人は生きている。

生きて、集落を紡いでいた。

小さな、小さな寄せ合いだけれど、そこに交易で糊口を凌ぐ者たちがいた。また、厄介なものを拾ってきたと言うものも、中にはいたが、男は気にしなかった。



ごぐ、ごぐと、豪快に水を飲み干して。

そうして前にある粗食をしかし平らげて。

銀髪の少女は、ふうと一息を吐いた。



「ぷはあ!…いやあ、助かったぞ御仁。だがすまぬな。何か恩返しをしてやりたいが…妾には今、何もしてやることもできん。手持ちも無ければ、時間も無い」



男が驚いたのは、その少女の目を覚ましてからの老人じみた態度と、話し方について。そしてただ真似事をしているのでもなく、その眼光も全ても、堂に入ってるのだから。

内心そうびっくりとしながら、会話を、する。



「なに、何か見返りが欲しくて助けたわけじゃない。

……それにしても、きみはどうして倒れてたんだ。故郷はどこだ?何か理由があるのかい」


「ああ、うむ。

恥ずかしい話だが…探し人をしててだな。丸二年くらい泣き腫らしてからそうしてる場合じゃないと、五年ほど休みなく走り続けて探したんだが…何にせよ、引きこもってたこともあり、この國が広すぎることもあり。到底見つけることはできず、結局はあの有様よ」




男には何の話をしているのだか、わからなかった。正味、童の妄言と思い、うんうんと聞き流していた。



「まあ、なんだ。

何か理由があってあそこにいたんだろう?もし良ければここで少しゆっくりしていきなさい」


「………ふうん。邪なる心も無し、か。かかか。御仁よ、あんたは底抜けのお人好しじゃのう。気に入った。『あいつ』を思い出す」


「あいつ?」


「ふん、婆ぁの独り言よ。

にしても弱ったな。妾は直ぐにでも起とうと思っていたんだが、御仁のような者に助けられちゃ流石に恩返しをしなきゃ気が済まん。…なにか、力仕事でも──」



瞬間。

ごごぉんと、地ならしがあった。


ばっと、外を見る男。

その顔は、さあと青ざめていた。



『……出てこぉい!隠していても、分かるぞ!

誰か、新しい奴が居座っているだろう!

匂う、匂う!おれに寄越せ、献上しろ!さもなくばまたお前らの家族を殺してやるぞ、ぶあはははははは!』



外からは、びりびりと響くそんな品のない声。

少女は窓からちらりと外を見た。

他の人どもも、がたがたと震えて首を垂れ下げている。


なるほど、通りで活気が無い。

全員がやつれていた。それはただ、物資の少なさではなく人以外が行う傲慢な支配による精神への圧力故だったか。




「……いいか、きみ。退がっていろ。

絶対にこの家から出るんじゃ──」


「あらよっと」



窓から、そのままひょいも身を乗り出し、出ていく少女。さらりとたなびく銀の髪が、男を呆然とさせて止める声も間に合わなかった。



「か、いい感じに恩返しが出来そうだ。

そこから出てくるなよ、御仁よう?」



そう不敵に微笑んでから。すう、と吸い。

「喝」と、一声に叫ぶ。

先の下品な口上よりも更に大きく。

そして透き通った声だった。



先の支配をしてると思われる声の主は、砂漠の中から生えている大樹のような蛇。何かで力を手に入れ、そして知識もなまじ手に入れて支配と力を振るうことに快感を覚えているような、そんな者だった。



『新しい獲物はお前か、娘。

…なんだ、匂うな。何か嫌な匂いだ。

お前、何処から来た』



「げ、そんなに臭うか?

困ったのう、確かに水浴びもしとらんかも」


『まあいい。

お前、ここの者じゃないな。

なら、おれに喰われろ。

ここはおれの縄張りなんだ。おれ以外の全ては、おれに献上をしろ。命か、食い物のどれかでな』



「……いや、ほんとはな。

謝んなきゃあならん。先の御仁にも…

お前にもな、若造」



会話などくだらない。こんな低俗なものと交わす言葉もないと言わんばかりに、少女は言われた言葉の全てを無視した。

そうして代わりに、手前勝手な謝罪を始める。

その、ぞくりとするような老境の眼。

ぎらぎらと光を弾く銀の髪を、揺らして。



「なあに。あいつが妾の元から力まで返してから去っていって、最初は悲しくて、寂しくて、泣きじゃくっていたんだがの。もう死んだろかってくらいだったんだが…」


「……なんだか段々、腹が立ってきてな。

だからこれは、ただの憂さ晴らしよ。

この妾の、八つ当たりに巻き込む事。

先に謝っておこうぞ、若造?」




そうして仙女は、それを始めた。

戦いでも、八つ当たりと評されるべきでもない。

蹂躙。次点で、殺戮と評されるものを。




「かか、あっはははははは!

やはりたまにはいいのう!弱い者苛めもなあ!」



その場にいる全てが、何が起きているか分からなかった。見ていた民たちも、される蛇も。それをしている少女以外は。

閃光のように通り過ぎていく旅に、分厚い鱗で覆われた筈の巨体が紙のようにずぱり、ずぱりと切り裂かれていく。黄色い血が撒き散らされても、その返り血すら少女を一度も捉えられない。


だんだんと斬撃音も止み。

代わりに、打撲音が聞こえてくる。

ごり、どぼ、というような内部に染み渡る音。

一撃一撃に、大蛇は悶絶した。



「さあ、さあびす、だ。

当てられたら、と思ってるだろう?

ならば、当ててみたらどうだ?」


本当に、避けようともせず。

その巨大な牙が少女の胴体を貫いた事もあった。

だがただ微笑うのみで、何も変わらなかった。



「惜しい、惜しい。もうちょい右をやれば、一回くらいは殺せたかもなあ?九回の内の、一回くらいはなっ!」



べきり、と蹴りあげ二本ともに牙もへし折り、それでようやく大蛇は倒れることを許された。

端正なる顔は、痛ぶる嗜虐心に歪んでいた。



その光景を見てへたり、と座り込み。

集落に住まう人々はそれをただ震えて見ていた。

支配からの脱却への歓喜はや歓声はそこにはない。

先の青ざめよりもっと、もっと、恐ろしく。あいつは何を拾ってきてしまったのだ、と。



ぐしゃ、と裸足の足で蛇の首を踏み潰す。

小さな小さな、十もいかないほどの少女の足だ。だから何度も何度も、何百回も繰り返し潰していた。途中からは飽きたかのように、あくびをしながら。



『た、たすけ、やめて、やめて!

なんで、なんでおれがこんな…!

九つ、魂、九の、尾!あ、あああああ…!なんで、あんたみたいなものが、こんな場に……』




「なんで、だ?たすけてだ?いやだのう、最近の若いのは話を聞いてなくて」



「これはな。ただの、やつあたりなんだよ」




ぶち。

命の一線が切れる音が、その踏み付けと共にした。



「…ちい。もう死んだか?

なんだよ、しょぼいのう。おんなじ蛇でもあのやまの足元にも及ばんな。ま、残りの苛々はあんの糞阿呆馬鹿弟子にぶつける事とするか…」



「ん。ああ、御仁よ。

もう出てきて大丈夫だぞ。もう殺した」



びくり。

男はがたがたと震えてその場から動けずにいた。心配をして、家の中から駆け出して、そうしてその殺戮の一部始終を見ていた、少女を助けた男。



「か、か、か。そう怯える事は無い!お主らにゃ何にもしないよ。んな事したらそれこそ『あいつ』にも嫌われるだろうしな」



それは、裏返せば、その『あいつ』とやらが望むのならばやるような言い方ではないか。そう、思ったが口にする事は到底叶わない。




「そんじゃ、恩返しもしたことだ。

妾は行こうかの。壮健でなーっ!御仁よ!」



ぶんぶんと手を振るい、叫ぶその見姿は、やはり普通の少女のようにも見えて。だのに先の殺戮が残した、服の端と頬についたままの蛇の血と、それよりも真っ赤な眼が、ぎくりと心を震わせる。


行く、といった。

何処に行くのだろう。

それも、聞けはしなかった。



…男は、その夜より魘されることとなる。

自分は、とんでもないものを拾い上げてしまったのではないか?

もしかすれば、この世を滅ぼしかねないほどの何かを、あの場で生かしてしまったのではないだろうか?

ただ、がたがたと震える口は、一言だけ発す。

一言だけ、を。



「……羅刹…」




そう呟いた刹那、一際強く風が吹いた。

黄砂と血風を巻き上げて、その銀の髪をした羅刹女の顔をくっきりと、照覧するかのようだった。


羅倶叉の、いくらか気の晴れたような顔。

その眼の深い所に、深淵のような黒があった。

全てを飲み込まんとする、黒いまなこだった。


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