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第四十話 異界の足音


「思ってたより厄介なことになってるかもね」


 屋根から戻ったディランに、ディーナが言った。

 魔物との戦闘で荒れ果てた部屋は、小人や直立した猫がせっせと片付けている最中である。ディーナの使い魔たちだ。


「というと?」


 ディーナは壁に顎先を向けた。そこには、帝都の遠景を描いた見事な絵画が飾られていたが――。


「これは」


 上空から俯瞰ふかんした帝都の風景画は、インクをぶちまけたように黒く染まっていた。

 もちろん、元からこのような絵だったわけではない。自然界の魔力や呪力、超自然の影響を計測するディーナ特製の魔術器アークであった。


「帝都全体が瘴気に包まれつつあるね。このままだと、マジで魔界に飲み込まれるぞ」

「むう……まだ、『星』に六人の魔術師の魂は捧げられていないのでは?」


 ディランは唸った。死鬼が殺害した魔術師はまだ四人のはずだ。


「『光』はともかく、『闇』魔術師は私以外にも何人かいるからな。もうばらされてるかもしれん」

「……例えばあのセオドール殿も闇の属性持ちだったな」

「今帝都にいる『光』は十三皇女のイルゼだけだ。皇女を守りつつ、『星』を破壊しな」


 ディーナは簡単に言った。『光』属性についていえば、ユーリアの全種適正を考えると二人存在することになる。が、もし先ほどの死鬼や、その背後にいる(かも知れない)者がユーリアを狙ったとしても……《ユーリアなら心配いらんしな。かえって手間が省けるくらいだ》と、ディランは考えていた。

 その上、これまでの話だとイルゼ皇女の元に『星』が存在する可能性は高い。であれば。


「そうですな。私は皇女の屋敷へ向かいます」

「ああ、ちょっと待て」

「は?」


 ディーナはディランを放置してまた階下に行ってしまった。

 すでに日は傾きかけている。夜になり、貴族区画への門は閉ざされれば衛兵といえど簡単には通行できない。ディランはじりじりと闇魔術師が戻るのを待った。


「お、これこれ! ほら、やるよ」

「こ、これは」


 半刻も待たせて戻ってきたディーナは、両手いっぱいの布袋をディランに渡した。袋自体、細かい刺繍が施された高級な品で……何やら甘い香りが漂ってきた。


「あんた、娘ができたんだろ? 喰わせてやりな。カサレア菓子店の新作だよ」

「お菓子かっ!? いや有難いけど!」


 にひひ、と。妖艶な美貌に童女のような笑みを浮かべたディーナ。ついでのように、ディランの前に黒瑪瑙くろめのうをはめ込んだ首飾りを突き出した。


「私の魔力をたっぷり詰め込んだ護符だ。敵にぶつけて良し、身代わりにして良しの超高給品だぜ」

「……有難く、借りておきます」

「くきき。あんたの娘、魔術師学院の生徒なんだろ? 娘の同級生の美少年の一人も紹介しろよな」

「……ええ」



 『美が付かない少年』にしか心当たりがないのに頷いたディランは、急いで監獄島を離れた。




 監獄島まで渡るのに使った小舟の船頭を急かし、港についたときには夕闇が迫っていた。

 港湾務めの役人に馬を借りたとしても、閉門時間までに皇女の屋敷にたどり着けるがギリギリだろう。《いざとなったら城壁越えか……》


「あ、いたいた!」

「ディランのおっさん!」


 馬の背に鞍を乗せるディランに、声をかける者たちがいた。労働者の簡素な服を着込み、作業の垢で薄汚れた十数人の男。


「お前らか。元気そうだな」

「……ま、まあな」


 十日ほど前、スラム街でディランに絡み、ぶちのめされたあの若者たちだった。ディランは、強制労働の刑を終えた彼らに港湾で荷運びの仕事を斡旋していたのである。

 もちろん、最初は反抗し逃げ出そうとしたものもいた。そういう若者には、有無を言わさぬ鉄拳制裁で『説得』してきた。

 その効果あってか、ここ数日は真面目に労働に励んでいたようだ。荒んでいた若者たちの表情には、活気が戻ってきていた。


「このまま真面目に頑張れよ」

「……う、うん」

「へへへ。こいつ、給料もらう時に涙ぐんでたんだぜ」

「てめっ。言うなよ! ……ご苦労さん、とか言われながら金受け取るなんて、初めてだったからな……」


 照れくさそうに笑う若者たちを、ディランは『うむうむ』という顔で見ていた。このまま彼らをシュトーノ爺さんの屋台へ連れて行きたくなるが、今はそれどころではない。


「今度、美味い飯を奢ってやる。ちょっと急ぐんでな……いやちょっとまてよ」

「な、何だよ」

「お前ら最近、町でおかしいことを見たり聞いたりしてないか?」


 ディランの質問に、若者たちは「あるある!」「そのことを話そうとしたんだぜ!」と、激しく反応した。

 出るわ出るわ。

 『歩いているうちに見知らぬ通りに迷い込んでいた』『見たことのない生き物に弁当を奪われた』『スラムの住人の頭に角が生えている』『植木の葉に食いつかれた』『水がめから青白い手首が伸びてきた』……。

 一つ一つなら、気のせい、見間違い、疲れてるですむことだ。だが、これだけ積もれば異常事態であることは分かるのだろう。


「だからよ、何かちょっとおかしいんじゃねえかって」

「衛兵たちは何か知ってるんじゃねえか?」


 不安そうに問い詰める若者たちに、ディランは言う。


「大丈夫だ。私たちが何とかする。お前たちは、できるだけ一人になるな。何かおかしなことがあっても、心を強くもって笑い飛ばせ」

「お、おう……」

「そんなんで良いのか……?」

「本当に危険になったら、いつでも衛兵司令部か詰め所に来い。分かったな?」

「わ、分かったよ……」


 若者たちの肩を強く叩き、ディランは馬を駆った。

 イルゼ皇女の屋敷へ、急がねばならない。


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