第302話 雨
シークエン砦。
ルンド郡を攻める部隊の総指揮を任されている、エレノアは塔の上に登り、敵のいるルンド郡方面を一直線に見つめていた。
「エレノア殿。出陣はまだしないのですか?」
彼女の後ろからバンバが話しかけた。
エレノアは、兵にいつでも出陣できるように、準備を万全にしておけと指示し、その通り兵の準備は完璧に整っていたが、まだ出陣の合図を出していなかった。
「敵の準備が整う前に攻めるのが上策かと思われますが。かつて常勝無敗を誇った名将グロッタも、迅速な行動で敵が準備を整える前に攻め込み、次々と勝利を収めておったようですが」
「バンバ殿。飛行船というものを敵が使った際、勝ち目はあると思いますか?」
エレノアはバンバの質問に答えず、逆に質問をした。
「ないというわけではないですが……なかなか厳しい戦になると思われますよ」
「でしょうね。飛行船は空中から攻撃魔法を放ってくるらしいですね。そして、敵にはミーシアン最強の魔法兵がいる。もし、食らったら被害は甚大でしょう。大軍で攻め込むならまだ耐えれますが、高々二万の兵では一瞬で蹴散らされます」
「……百戦百勝の戦女神をしても、勝てぬ相手だと?」
「そうは言っておりません」
エレノアはそう言いながら、ルンド郡の方をじっと睨んだ。
「私には眼があります。戦の勝利を手繰り寄せる眼が。その眼が、どうすれば戦に勝てるかを教えてくれる」
「……!」
「それはどういうことですか?」
「……ふふふ、どういう意味でしょうかね?」
エレノアは挑発するように笑みを浮かべてそう言った。
「まさかあなたも……邪竜眼の持ち主ということですか?」
「邪竜……なんですかそれは」
「私の隠されし能力です。多くは語れません」
「はぁ……」
そこそこ有能だと思ったが、意外と変な男だとエレノアは困惑する。
すると突然、エレノアの視界が赤みがかる。数秒ほどして元に戻った。
「来ましたね」
「……何がですか?」
エレノアの呟きに、バンバが困惑しながら返答した。
その直後、小雨がぽつりぽつりと降り始めた。
「雨……ですな」
「……なるほどそういうことですか」
雨を見て、エレノアがそう言った。
「飛行船という反則レベルの兵器を敵が持っている場合、それが飛べない状況で戦を仕掛ければいい」
「……もしかして、雨が降っている時は飛べないと?」
「まあ、この程度の雨では飛べるかもしれません。ただ、雨が強くなり、さらに風なども強く吹いてきたらどうですかね?」
「それは飛べないかもしれませんな」
バンバがそう返答すると、エレノアは動き始めた。
「バンバ殿、今すぐ兵たちに出陣の合図を送ってください」
「い、今ですか? 雨足が強くなると確信が!?」
「はい。間違いないです」
「根拠は?」
「私の眼がそう言っているからですよ」
エレノアはそう言い残し、塔を降りて、兵たちに出陣の号令を送った。
○
あれから戦の準備を迅速に進め、迎撃の準備は整った。
ルンド郡北の、パラダイル州との国境付近にある、『グラット砦』に兵と飛行船を配備。
私はルンド城にて待機。前線の様子を見て、援軍のため出陣する構えでいた。ロセル以外の家臣たちは、グラット砦に行き前線で指示をしていた。ロセルは後方から戦の顛末を見守り、的確な指示を出すのが役目だった。
側近としてファムも近くにメイド姿でいる。何か至急指示を飛ばさなければいけない時は、彼に行ってもらうつもりだ。
何事もなく、グラット砦で敵を迎撃できれば、このまま戦は終わるだろう。出来れば、そうなって欲しかった。
「雨か……」
敵の動きを待っていたが中々来ない。
そんな中で、雨がポツリポツリと降り出してきた。
今、ミーシアンは雨季ではある。
日本の梅雨ほどはっきりとした雨季があるというわけではなく、ちょっと雨の日が多くなるかな? 程度ではあるが。
基本、雨は攻め側に不利には働く。
雨の時は機動力が大きく削がれる。まともに動いて戦えるのは、精鋭の兵のみだ。
城を攻めたりする場合は、基本は大軍で攻め込むが、大半の兵が使い物にならなくなるリスクがある。
奇襲なども成功しやすくなり、少数精鋭の部隊に奇襲を受けて、大軍が壊滅するということもあり得る話である。
日本で言うと、桶狭間の戦いとかが有名だろうか。
基本、雨の日は危険すぎるので、攻め側は行軍を止める。
今回もこんなタイミングで攻め込んでこないとは思うのだが……
気がかりなのは、雨がひどいと飛行船が使えないという点だ。
今程度の雨ならば飛ぼうと思えば飛べる。ただ、雨がひどくなると危なくなるから、実際に飛ばせないのだが。
もしだが、敵が飛行船の弱点を見抜き、今攻撃を仕掛けてきたら、結構やばいかもしれない。
「アルス……一旦飛行船をルンド城に戻すよう命令を出した方がいいかもしれない」
ロセルが私にそう進言した。
「……なぜだ」
「今、この状況でグラット砦が狙われた場合、飛行船が飛ばせなくなってしまう。それで負けたら飛行船を失ってしまう。下手したら、敵に奪われて使われる可能性もある。どうせ飛べないなら、グラット砦に置いておく意味もないし、念のため輸送しておいた方がいい」
「しかし、もし晴れたら飛行船があれば勝てる戦に、負けるという結果になりかねないぞ」
「ルンド城からグラット砦は、そこまで距離はないし、ルンド城からでも飛行船で援護はできるよ。まあ、行軍してくる敵に、飛行船で攻撃できないのはちょっと問題だけど」
「うむ……」
「もしグラット砦で負けても、飛行船さえあれば、すぐに取り返せる。飛行船を無駄に失ってしまうのが、最悪展開だからここは一旦引かせるべきだと思う」
考えすぎのような気もするが、ロセルとしてはネガティブな要素をなるべく消したいんだろう。
ロセルは軍師としてだいぶ成長した。
ただ知恵があるというだけではなく、敵の動きや負けないような立ち回りを、しっかりと考えられるようになっている気がする。
ここは軍師であるロセルを信用しよう。
「分かった。急いで指示を出そう。ファム、頼んだ」
「承知した」
ファムは急いで、飛行船を撤退させる指示を出しに行った。
その約1時間後くらいだった。
「敵軍が出陣してきました! 全軍でグラット砦に向かってきています! 総指揮でエレノアが自ら先頭に立って、兵を率いているようです!」
「動いたか……!」
敵軍に遂に動きがあったようだ。
動いたからといって、まずはここから指示を送ることはない。
指示は現場にいるリーツが全て担当する。
「……やはりきたか……まあ、リーツ先生が指揮をしてるし、シャーロット姉さんもいる。普通にやれば撃退できると思うけど」
ロセルは浮かない顔を浮かべながら、そう呟いた。
数日後。
グラット砦が落とされ、自軍の兵が敗退し、ルンド城へと撤退してきているという報告が入った。




