明かされたもの
新たにやって来たのは四人。
カイン・ロシュフータとキース・ロシュフータ。
この二人の事はクロエだって憶えている。流石に忘れるわけがない。
キースと知り合い、そうしてそこからカインとの縁がつながった。
彼とは婚約をしていたが、しかし自分が事故に遭った事でその婚約もなかった事になったとポーラから聞いている。
もう、会う事もないだろうと思っていた相手。
四年が経過した、という事実をクロエはまだどこか完全に認識できていなかったように思う。
確かに少しだけ大人びたポーラを見てしまえば、そうなのだな、とは思うのだけれど。
鏡に映る自分の姿を見ても、よくわからなかったのだ。
長い間眠ったままだったから、自分の姿を見ても年をとったというよりは、貧相になったな、としか思わなかった。知らない間に四年も経っていたと言われても、中身はその四年という時間が抜け落ちている。
けれどこうして、カインを見てようやく。
あぁ、それだけの時間が経っていたのか、とクロエはようやく理解したと言える。
記憶にあった彼よりも、すっかりと大人になってしまった。
記憶の中のカインが素敵じゃなかったわけではないけれど、あの時以上に素敵になっている。
こんな状況でそんな場合じゃないとわかっていても、思わず見惚れてしまった。
同時に、胸が少しだけ痛む。
婚約者でなくなったのなら、既に彼には違う女性が妻としているのだろう。
頭でそうわかっていても、それでも胸は痛んだ。
あの家から出るためだけに、カインの妻になろうとしていたのは事実だ。
けれども、カインは優しかった。クロエが不幸な結婚をすると両親に思い込ませるために悪辣な男であると思われるよう振舞ったりもしていたけれど、それだって家の事情を知った上で、カインがクロエのためにしていた事で。
両親の目がない場所ではそんな態度を取らなかったし、何より優しかった。今まで人との向き合い方をわかっていなかった面もあって、時々そういう部分が出てしまった事もあるけれど。
優秀なくせに、案外不器用な一面があるのだなと、そんな部分も可愛いわ――なんて。
クロエの中で育っていた恋心は、しかし行き場を失ってしまったけれど。
日々の暮らしに慣れるために必死でそれどころではなかったのだ。
それに、平民になったのならもう彼と会う事だってないだろう。
そう思っていたから、胸の中にあった恋心は傷の一つになってしまったとしても、それでも綺麗な思い出のままであるはずだった。
「――ぁ……」
けれどもこうして会う事になってしまって。
当時の思い出と一緒に、カインへの気持ちがあふれ出す。
気付いた時にはクロエの瞳からはぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちていた。
当時はそこまで自覚していなかった。
確かにカインの事を好ましく思っていたのは否定しないが、こんな風に、再会した瞬間もう結ばれる事はないのだと思い知った途端泣くような事になる程彼の事を想っていたとはクロエにとって思ってもみなかった。
いつか、それを実感する日が来たかもしれない。
けれどカインに会う事もないままだったなら、事実を事実として認識してそうしてやはり綺麗な思い出のまま風化させていくはずだった。
「もう、殿方が大勢で詰めよれば恐ろしくもなりましょう。ほら、もっと分散して! 離れて!
大丈夫ですよクロエ、決して貴方の事を傷つける事にはなりませんからね」
おぉよしよし、とばかりにシャルロットが幼子をあやすようにぎゅっと抱きしめた。
「むぎゅ」
自分でも突然泣き出してしまった事にどうしようかと思っていたが、豊満な胸がクロエの顔面を圧迫したことでびっくりして涙も止まる。ついでに呼吸も止まりそう。
けれども相手は公爵夫人。息がくるしいからと突き放すような真似はしたら不敬よね……と頭の一部の冷静な部分がそう考えてしまって、でもやっぱりちょっと息苦しいのでクロエの腕は彷徨うように助けを求めていた。
何も知らない第三者が見れば、一体どういう状況だと突っ込んだに違いない。
「シャルロット」
「なんですか」
「いやその、クロエ嬢の呼吸が止まりそうな気がするんだが」
「……あら?」
とりあえずアルベルトの指摘によって、シャルロットがクロエを窒息死させる事態だけは免れた。
あとちょっと遅かったらクロエの腕は力尽きたように落ちていたかもしれない。
――カインたちと一緒にやって来た残りの二人のうち一人はクロエも知っている人物だった。
ヒューゴ・レザード。
ポーラの婚約者だった男だ。
そして、ポーラが爵位を売った相手。
その隣にいたのはクロエの知らない少年だが、しかしなんとなく察する。
「そちらは、もしかして……」
「あぁ、憶えているかな?」
「いえ、ただ……」
先程のような展開であるのなら、とセオドアを見れば一同大体察したのだろう。
あぁそうだ、とアルベルトが頷いてみせた。
「そうだね。彼はモーリス。
モーリス・レザード。
ヒューゴの弟で、そしてあの事故現場にいた」
ぱち、と瞳を瞬いたクロエに、モーリスは深々と礼をした。
既に平民であるという自覚があるので、思わず頭を上げて下さい……! と悲鳴じみた声が出てしまった。
だって、たとえ爵位が低かろうとも今現在モーリスは男爵令息か、ポーラから買った爵位でもって子爵令息になっているはずなのだから。
貴族が平民に頭を下げる、なんて。
いくら非公式な場とはいえ、流石に問題があるのではないかとしか思えなかったのだ。
思わず周囲を見回す。
カインとキース。
二人は双子なので学生時代よく間違われて、それでキースは辟易していた。
けれども今は、確かに顔立ちは同じだけれど髪型が異なり、また服装も違うので見分けがつかないという事はない。
ヒューゴも四年が経過している事もあって、クロエの記憶の中のヒューゴよりも成長していた。
セオドアとモーリスに関しては、成長期でもあるのだから見覚えがないと思うくらいに変わっていても何もおかしな話ではない。
クロエにとってはつい最近のような気もしていたが、それでもしっかりと時間は流れていた。
その事実になんだかクロエ一人だけ取り残されたような気分になる。
「それで、だ。クロエ嬢」
「あの、私はもう貴族ではないのでそのように呼ぶ必要は……」
「それだ」
「え……?」
アルベルトが困ったように眉を下げる。
「きみは平民ではない」
「え?」
そんなはずは……と言おうとして、しかしアルベルトが言葉を続けようとしていたのを察して口を噤む。
「そもそもの話、ポーラも平民ではないんだ」
「……一体、どういう事ですか……?」
そう言われても、ではなんだというのか。
ポーラの話ではフィーリス子爵家を売り飛ばす形で得た金でクロエの入院費用を賄っていたはずだ。
そうでなければ、ヒューゴの実家にまで迷惑をかけ続けていつまでもクロエが目覚めなかった場合諦める事もできず、きっと財産を食いつぶしてしまうかもしれないから、と。
まとまった金を得て、クロエが目覚めるまでに、五年の歳月が経過しても目覚めなければ区切りとして諦めるつもりだったとポーラは確かに語っている。
だからこそクロエだって思い悩んだ事もあったのだ。
それなら、このままあと一年目が覚めなければ。
いっそそうなっていれば、ポーラはクロエというお荷物を抱え込む必要なんてなかったのではないか……と。
意識が戻ったところで、残された財産などそうあるわけでもない。
ポーラは働いているし、クロエもじきに仕事を見つけなければならないけれど、クロエが一人でも生きていけると思えるまでポーラはきっと安心しない。
そうしていつまでもポーラが自由になれないのではないか……と思えば思うだけ、いっそ自分は死んでいた方が良かったのではないか、とふと思う事もあったのだ。
今でも時々、何の脈絡もなくそう思ってしまう。
口に出せばポーラは否定して、もう二度とそんな事を言わないでと言うだろうから言葉にしないけれど、それでも時々、夜中にふと目が覚めてしまった時だとか、夕暮れ空をふと見上げた瞬間だとかに。
どうして生きているんだろう……?
そんな風に考えるつもりなんてなくても、よぎるのである。
考えないようにしていても、本当に自分の思いもよらない瞬間にふっと、影が差すように。
四年で目覚めたとはいえ、既に半年が経過している。爵位を売った事で得た金は、クロエの生活を支えるために使われている。
あとどれくらい残されているのかはわからないが、尽きたとしてそれでもまだクロエが独り立ちできないようならきっとポーラは自分が働いて得た金銭を使うだろうことは想像がついてしまう。
だからこそ、少しでも早くクロエも一人で生活できるまでにならなければいけないのだが……
クロエもポーラも平民になどなっておらず、未だ貴族としての籍があるというのなら。
では、今までクロエが入院していた間の費用は一体どこから出たものになるのか。
「あの時のポーラ嬢はとにかく思いつめていたからね……
聞く耳持ってくれなかったから、こういう形に持ち込みはしたけれど。
二人は今もまだフィーリスの家名を持ったままだ。
それについて、説明しようと思う。どうか落ち着いて聞いてほしい」
そう言われてしまえば、クロエは言われるままに黙って聞くしかない。
神妙な顔をして姿勢を正したクロエに、まずはどこから話すべきか……なんて言いつつも、アルベルトはセオドアとモーリスへ視線を向けた。
「まず、この二人は友人なんだ。
公爵家と男爵家、となれば接点はなさそうだろう?
けれど、レザード家は本来商人として貴族たちと関わっていた。
そして我がデュッセン家もレザード家の商会と取引をしていてね。その繋がりで弟はモーリスという友人を得たというわけだ」
友人、と言われた事に驚きはなかった。
友人でもないのに二人、貴族街で一緒に行動をしていたと言われるよりは普通に納得できる。
知り合った経緯も、なんとなく理解はできた。
身分こそ違っても、二人はきっと気が合ったのだろう。
あの日、事故に遭ったあの時、確かにクロエは二人を見て仲が良いのだなと思ったのだから。
「こうしてクロエ嬢は今目覚めたわけだが、本来ならば死んでいてもおかしくはなかった。
それはつまり、この二人だってそうだ。
もしあの時庇われなければ。
どちらか一人、或いは二人ともが死んでいたかもしれない。
そういう意味ではクロエ嬢は我が弟の命の恩人であり」
「うちの弟の恩人でもあるわけだ」
アルベルトの言葉にヒューゴが続ける。
そうしてセオドアとモーリスが、とても申し訳なさそうな顔をして、あの時助けてくれてありがとう、と述べるものだから。
「……世間って案外狭いのね……」
クロエはどう言葉をかけるのが適切なのかわからず、思わずそんな言葉を口に出していた。
あの時は確か、着ている服装から身分差がありそうだなとは思っていた。
決して当時のモーリスが着ていた服がみすぼらしいというわけではなかったが、それでもクロエの目から見ても差はあった。
しかしそんな事すら気にしていないように二人は楽しそうに語らっていたから、クロエもつい微笑ましくその様子を眺めていたのだ。それは、憶えている。
もし。
もしもの話だ。
もし、この二人がそこまで楽しそうにしていなければ。
きっとクロエは視線を向けても特に何も思わなかっただろうし、そうなればあの時咄嗟に庇おうと動いていたかもわからない。
印象に残ったから。
だから、動いた。
そうでなければ、確かにあの時暴走した馬と激突していたのはきっとこの二人だったのだろう。
アルベルトは言う。
二人が慌てて病院へ運ぶように手配して、慌てて家に帰って事の顛末を伝えてきたのだと。
どちらにとっても命の恩人で、お互いにとっての友人を助けてくれたような存在だ。
それも、年頃の令嬢。
とんでもない事になってしまった、と思いながらもそれでもセオドアもモーリスも家族に助けてほしいと訴えたのである。
公爵家にとって当時、跡継ぎはアルベルトであってもセオドアを軽んじていたわけではない。アルベルトにとってもセオドアは大切な家族であり、それは両親にとっても同じだった。
息子が死んでいたかもしれない、という事実に肝を冷やし、同時にそれを助けてくれた相手に感謝もした。
だからこそ、公爵家はクロエを預けた病院に即座に赴き最大限手厚い対応をするようにと言いつけ、金についても心配するなと医師に伝えていたのである。
モーリスも同様だった。
男ばかりとはいえモーリスは末っ子で兄たちからだけではなく、両親にだって大事にされていた。
貴族になったとはいえ、どうせなったばかりの新しい歴史も何もあったもんじゃない家だ。相手の身分だとかそんなものは気にせず好きな相手を見つけろ、と父に言われていたようなモーリスは、しかしいかにも貴族のお嬢さんといった相手に庇われて命を救われた。
どう考えたって、あの時助けられるべきだったのは友人である公爵令息のセオドアであって、その次に身分があったのは新興男爵家の令息になったモーリスなどではなく、きっと助けてくれた令嬢だ。
犠牲になるべきだったのはきっと自分だったはずなのに……とモーリスは家族に切々と訴え病院へと駆け込んだ。
モーリスの命の恩人だ。
金はいくらでも出すからどうか助けてやってくれ!
そう、病院側に申し出たのである。
「えぇと……では」
「そうだね、きみが眠り続けていた四年間、かかった費用は公爵家とレザード商会とで払っているんだ」
「では、ポーラは」
「そこなんだよ」
まるで頭が痛い、と言いたそうな表情でアルベルトは溜息を吐いた。
「目覚めてまだ半年しかたっていないけれど、クロエ嬢、きみに頼みがあるんだ」
「頼み……ですか」
一体何だろう。困惑しつつもこの状況ではクロエに与えられた選択肢など決まりきっている。
頷く以外、果たして何ができただろうか。




