第65話『小さな嫉妬心』
花火大会当日。神社へ向かう道を多くの人が通り過ぎていく中、とある店舗の店先に雄一と雅人はいた。
「今年はずいぶんと人が多いなー。チラシ見た感じ、出店の数も去年より増えてんじゃねぇの?」
「……そうだな」
「あれだな、こう人が多いとはぐれないように気を付けないとな」
「……ああ」
「花火まで時間あるし、神社に着いたらまず腹ごしらえから始めっか?」
「……おう」
「…………」
「…………」
「心配せんでもおかしくないっての」
「うっせ」
ぽんぽんと肩を叩く雅人からの生暖かい視線に耐えかねて、雄一は鼻を鳴らす。
両者ともその体躯を包むのは浴衣である。雅人は紺、雄一は明るめの灰色を基調としていて、特別柄も入っていないシンプルな色合いのものだ。普通に持ち合わせの私服で来るつもりだったのに、なぜこんな格好をすることになったのか。
今日の午前中のことを振り返り、雄一は手持無沙汰に浴衣の帯の位置を直した。
――事の起こりは、花火大会の連絡用のグループチャットに投下された、紗菜の一言だった。
『どうせなら皆で浴衣でも着ない?』
なんでも神社の近くにレンタル浴衣の店があるらしく、そこの店主と演劇部の顧問が親しい間柄なのだと。そのツテでちょっとオマケされた価格で浴衣を借りられるらしいので、せっかくだから利用しようということだ。
提案の割にはすでに決定事項かのように話が進んでいき、あれよあれよという間に四人全員とも浴衣を借りることが決定した。確かに割とお財布にも優しい値段だったので文句は無いのだが、何やら策略めいたなもの感じずにはいられなかった雄一である。
ということで約一時間前、件のレンタルショップに集合した四人は店のスタッフ主導の下で着付けを開始、一足先に終えた男子二人は店の前で待っているのが現状だ。
「お前なぁ、そんなそわそわしてると逆に似合ってないように見えるぞ。もっとどーんと構えろっての」
「うっせ。浴衣着るのなんて初めてなんだから仕方ないだろ」
「そんなん言ったら、俺も初めてなんだけどねぇ」
やれやれ、と言わんばかりにため息をつく雅人。
初めての割にはやけに堂に入った佇まいで、先ほどから道行く女性にチラチラと視線を送られている。相変わらずのイケメン具合だ。
「ってもあれか、お前がそわそわしてんのはもっと別の理由か」
見透かされたような雅人の言葉に、思わずぐっと呻いてしまう。指摘通り、さっきから雄一の心が浮足立っている原因は自分の恰好云々の話ではない。
これから来るであろう一人の少女の浴衣姿――それが気になって気になって仕方がないのだ。
当然の話ではあるが、着替えの際は男女別に分けられてしまったので、一体全体どういった仕上がりになっているかが分からない。焦ったところで着付けが早く終わるわけもないのは理解しているが、それでも早く見てみたいという欲求がどうしようもなく湧き上がってくる。
「きっと綺麗なんだろうなー、白取さんの浴衣姿」
あからさまに煽ってくる雅人をじろりと睨むも、気にする様子もなくカラカラと笑うばかりだ。
「つーかこの前の遊園地デートではどうだったんだよ? 白取さんの私服姿可愛かった?」
「まぁ、可愛かったと思う」
「ほーう。写真とかねぇの?」
「……無いな、そんなもんは」
「あっ、その反応絶対あるな! 大人しく俺にも見せろ! 髪のセットに付き合ってやった対価を要求する!」
「何が対価だ散々人を実験台にしたくせに! 俺結構いじくり回されたからな!?」
浴衣とのコーディネートも考えた巾着袋、それに手を伸ばしてくる雅人の手を手刀で叩き落とす。しばらくそうして攻防戦を続けていると、ようやく背後の引き戸がカラカラと音を立てて開いた。
「何ぎゃーぎゃー騒いでるの君たち」
呆れたような紗菜の呟きと、それに隠れて聞こえるくすくすとした笑い声。
振り返った先で視界に映った人物に――雄一の意識は一瞬で奪われた。
「お待たせ。浴衣は初めてなんだけど……どうかな?」
そう言って照れ臭そうに笑う澄乃の姿は、まさに完成された日本の美を体現していた。
下地は濃紺、各所で花を咲かせている紫陽花は白と薄紫のグラデーションで彩られている。桃色の帯と合わさることで、落ち着きの中にも華やかさを感じる装いだ。長い銀髪は簪で結い上げられているようで、先の方にはこれまた小さい紫陽花が装飾されている。
一見暗めかと思われた濃紺色も、対照的な澄乃の銀髪と白磁のような肌を際立たせる形となり、これを選んだ人物のセンスの良さが垣間見える。さすがはプロの見立てだ。
「綺麗、だと思う」
そんな言葉が雄一の口をついて出た。相も変わらず大した語彙力のない褒め言葉だが、澄乃は頬を染めて「ありがとう」と柔らかく返してくれる。
横の雅人も雄一の言葉に同意するように頷いた。
「いや、ホント。俺、制服と体操着以外の白取さん見るのって初めてだけど、すっげぇ綺麗だよ」
「ありがとう。乾くんも様になってて……うん、よく似合ってる」
「お、サンキュー」
和気あいあいとお互いを褒め合う美男美女。とても絵になる光景だが、気付けば微かにムッとしている自分に雄一は気付いた。
バレない内にそっとため息をついておく。
雅人が似合っているのは自分だって認めている。それなのに、よりにもよって親友相手に嫉妬心を覚えてしまうなんて、一体何をやっているんだか。
こんなにも器量の狭い男だったのかと自己嫌悪していると、「もしもーし」と勢い良く挙がる手が。視線を向けた先にいた紗菜は、雄一と違い分かりやすく不満を表に出していた。
「いや分かるよ? 私だって澄乃の浴衣姿は綺麗だと思うから、君たちの気持ちは分からんでもないよ? でもさ、そろそろ私の方にも目を向けてくれていいんじゃない?」
どうやら置いてけぼりにされたことが不服なようで、同年代に比べて大人びている彼女にしては珍しく、年相応に頬を膨らませている。
紗菜の浴衣は白地に赤い蓮の花柄のもの。こちらも髪色との調和を考えたのか、ポニーテールにまとめた明るい栗色の髪がよく映えていた。
「すまん。よく似合ってる」
「さすが紗菜様。よっ、日本一!」
「なんか適当だなぁ……」
じとーっと目を細める紗菜には、二人揃って苦笑で返しておく。澄乃も同じように苦笑を浮かべつつ、宥めるように紗菜の肩に手を置いた。
「大丈夫大丈夫、紗菜ちゃんも綺麗だよ」
「うぅぅ、私の味方は澄乃だけだよー」
しくしくと澄乃の肩に顔を埋める紗菜。ちょっとだけたじろいだ澄乃だが、すぐに頭に手を置いて「よしよし」とあやし始めている。なんと母性溢れる行為だろうか。
「おい、あいつ絶対泣いてないぞ」
「いつものことじゃねぇか」
母性の無駄使いにツッコミの一つもいれたくなるが、美少女二人が仲良くしている様はそれはそれで絵になるのでしばらくそっとしておく。
「さて、いつまでもくっちゃべってないで、そろそろ行こうか」
満足したのか、パッと顔を上げた紗菜が神社の方を指差した。やはりウソ泣きだ。
とはいえ紗菜の意見はもっともなので特に口を挟むことなく、四人は人の波に合流するように歩き出した。
そんな中、少しだけ足取りが覚束ない澄乃に雄一は目を向ける。
「大丈夫か? 下駄だとちょっと歩き辛いだろ」
「んー……慣れるまで少しかかると思うけど、たぶん大丈夫」
「そっか。時間はあるし、ゆっくりでいいからな?」
「うん。心配してくれてありがとう」
微笑む澄乃に「気にすんな」と返し、先ほどよりいくらか歩調を緩めて澄乃の隣に並ぶ。すると何かを思い付いた澄乃が、くいっと袖を引っ張って「英河くん」と呼びかけてきた。
歩くのはそのままに、少しだけ澄乃の方に身体を傾けると、口許に手を当てた彼女が耳元に顔を寄せる。
「浴衣姿、カッコいいよ」
そんな可愛らしい囁きに、雄一の心臓は一段と大きく跳ねた。
歩調を緩め、前を歩く二人からそれとなく距離を取る雅人と紗菜。
「雄一どうだった?」
「白取さんの浴衣姿早く見たいオーラがめっちゃ溢れてた。そっちは?」
「雄一に褒めてもらいたいオーラがすんごい溢れてた」
「……なぁ、さっさと二人きりにしてやった方がいいんじゃねぇの?」
「まぁ、おいおいね。お互い、浴衣姿にもう少し慣れてからの方がいいと思うし」
「りょーかい。……一応確認するけどよ、あいつら付き合ってるわけじゃないんだよな?」
「少なくとも私の知る限りでは」
「マジかよ……」
「ホントにね……」




