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第51話『愛情』

「お待たせしましたー」


 部屋着のジャージに着替えてベッドの上で待つこと約四十分。軽快な声と共にキッチンから現れた澄乃は、大振りな土鍋を折り畳みテーブルの上に置いた。去年の冬に友人と鍋パして以来、流しの下に放置されていた土鍋が日の目を見ている。食材なり調理器具なりキッチンにあるものは好きに使っていいと伝えてあったが、よもやここまで手が込んだものが出来上がるとは思わなかった。


 心中で軽く驚いている雄一を余所に、一度キッチンに戻ってお玉やお椀を持ってきた澄乃が土鍋の蓋に手をかける。ふきん越しに掴んだ手が蓋を持ち上げるや否や、ほわっと沸き立つ白い湯気。次いで出汁の香りが鼻腔をくすぐり、雄一は誘われるように土鍋の中を覗き込んだ。


(あ、これ絶対美味いヤツ)


 一目でそう確信してしまうほどの出来栄えだった。


 料理のベースは卵とじの雑炊で、食べやすさを考慮してか、小さ目に切り刻まれた豚肉やネギが加えられている。だし汁のお陰で全体的に薄く色付き、ところどころに点在する卵の黄色、そして料理そのものの完成度も相まって、黄金色こがねいろに輝いている錯覚すら覚えてしまう。


「白取、料理うまいんだな……」


「ふふっ、言ったでしょ? お料理には自信あるって」


 上手いと美味い、二つの意味を込めて賛辞の言葉を送ると、澄乃は照れ臭そうに表情を綻ばせた。味に関しての是非はまだ問えないものの、食べなくともこれが美味であることは間違いない。見た目と匂いだけでもそれは断言できた。


 ぼちぼちだったはずの食欲が急に燃え上がり、雄一は姿勢を正してお椀によそわれる雑炊を見つめる。


「本当はしっかり出汁を取りたかったんだけどね。あまり待たせちゃうと悪いから、だしの素使っちゃった」


「いや、十分だろ……」


 自らの不手際を恥じるように澄乃は言うが、雄一はそんなことを微塵も感じていない。むしろ一時間足らずでこれほどの一品を完成させてる時点で驚嘆に値する。


「はい、英河くん」


 主役である米とその他具材がバランス良くよそわれた雑炊が差し出され、雄一は礼を言って受け取ろうと手を伸ばす。その矢先、澄乃が「あ」と声を上げ、何かを企むような笑みを浮かべた。


「ね、どうせだったら……食べさせてあげよっか? あーんって」


「いいって……! そこまで弱ってないっての……!」


「なーんだ、残念」


 まるで本当に残念がるように肩を落とす澄乃に、雄一はため息を吐く。大変魅力的な誘いではあったが、そういうのは将来できるであろう恋人相手に取っといて欲しい。きっと諸手を挙げて喜んでくれるはずだ。


 一抹のもったいなさを感じつつ、澄乃からお椀とスプーンを受け取って早速掬った。ほわほわと湯気の立つ雑炊を息を吹いて冷ましてから、期待を込めて口に運ぶ。


「うっま……!」


 率直な感想が漏れた。


 見た目通り、いや、それ以上の衝撃が雄一の味覚を揺さぶる。衝動に突き動かされるままに二口目、三口目と口にすれば、その度に手作りの優しい味が身体に染み渡っていった。


 濃くも薄くもないドンピシャの味わいはもちろん、しっかり煮込まれたことによって染み出た米の甘味と調味料で整えられた塩気が抜群に調和。疲労回復に良いとされる豚肉からも旨味が溢れ、それがまた米と絡み合って食欲を高めていく。


 この威力たるや、ハートを弓矢で射貫かれるどころの騒ぎではない。弓矢どころか大口径スナイパーライフルを至近距離でぶっ放されるぐらいの破壊力であり、お椀一杯分を食べ切る頃にはすっかり澄乃の手料理に魅了されてしまっていた。


「お代わり、いる?」


 雄一の食べっぷりを嬉しそうに眺めていた澄乃が手を差し出す。返事の代わりに空になったお椀をその手に乗せると、澄乃はさらに笑みを深めて追加の雑炊をよそった。


「えっと、一応二人分作ったつもりだから、私も食べていいかな? お昼まだだったし」


「むしろ是非――って作ってない俺が言うのも変だけど、とにかく食べてくれ。作ってもらっておいて、俺だけ美味しい想いしちゃ申し訳ない」


「ふふっ、英河くんのお口にあって何よりです」


 もう一つのお椀に雑炊をよそい、澄乃は「いただきます」と手を合わせてからスプーンを手に取る。


 そういえば「いただきます」を言ってなかったことに今さら気付いた雄一は、二杯目の雑炊を前にして遅蒔きながら手を合わせた。それだけこの一品に意識が奪われていた、ということなのだろう。


 澄乃は蕾のような唇でふーふーと雑炊を冷まして口に運び、しっかりと咀嚼してから中身を飲み込む。その拍子にこくりと動いた白い喉元が、微妙に艶めかしい。


 そんな澄乃から目を逸らして、雄一も二杯目の雑炊に取り掛かった。やはり美味い。


「にしても、本当に美味いな……。これ、どうやって作ったんだ?」


「え? んー……どう、と言われても……特別なことはしてないよ? 調味料の配分とかは多少アレンジしたけど、レシピ自体はよくあるものだと思うし」


「マジか。何か秘伝のタレとか隠されてるのかと」


「あはは、私そんなの持ってないよー」


「それだけ美味いって話だよ。いや、ほんと、調和というか何というか……とにかく美味い。めっちゃ美味い」


「無理してグルメリポートみたいなこと言わなくても大丈夫だよ? そうやって英河くんに美味しいって言ってもらえるだけで……私はすごく嬉しいから」


 頬を朱色に染めて、澄乃はふんわりとした笑顔を浮かべる。向けられた藍色の瞳に思わず言葉を失ってしまい、それを隠すように雄一は雑炊をかき込んだ。


 何か言おうにも気の利いた台詞は思い付かず、結局また「美味い」という言葉だけを口にする。そんな拙い褒め言葉でも、澄乃は笑みを深めて「ありがとっ」と返してくれた。


 何だろう。


 澄乃の笑顔が、今までとは違う気がする。具体的に何がどうとは言えないのだが、とにかくこれまで見てきた笑顔とは何かが違うのだ。


 何というか、雰囲気がより柔らかくなったというか……?


 どれだけ考えてもしっくりくる言葉が浮かんでこなくて、雄一はそこで考えるのを諦めた。料理の感想もそうだが、どうやら自分には文才というものが無いらしい。


「まぁ、あれだ、何かコツとかあったら教えてくれよ。参考にしたいし」


「だから特別なことしてないってばー。――あっ、でも、強いて言うなら……」


「強いて言うなら?」


 そこから先の言葉に期待して澄乃を見ると、彼女はわざとらしく首を傾げた。


「――さて、一体何でしょう?」


 答えをはぐらかしているのは、明白だった。


「えー、教えてくれたっていいだろ」


「ダメです。企業秘密」


「いや、企業じゃなくて個人だろうが」


「じゃあ、乙女の秘密ということで」


「うわずっる。自分から思わせ振りな発言した癖に」


「ふふっ、ごめんなさい。お詫びにお代わりどうですか?」


「お詫び関係無しで下さい」


「はーい。……いっぱい食べてくれるのは嬉しいけど、あまり食べ過ぎないでね? 風邪引いてるんだから」


「それだけ美味いんだから仕方ないだろ?」


「えへへ、ありがとっ」


 結局、味の秘訣は聞けずじまい。


 それでも雄一にとって、風邪という不運をおざなっても余りあるほどの、幸福な時間を過ごすことができた。

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