第40話『言葉甘め羞恥マシマシ』
注文したアイスコーヒー片手に二階席に上がると、澄乃の姿はすぐに見つかった。窓際の席に腰掛けてドリンクに口を付ける様はそれだけで絵になり、窓から差し込む陽光に彼女の銀髪が照らされて、それ自体がほのかに光を放っているかのように思える。
軽く周囲を見回すと、他の客――特に異性からの視線の大半は澄乃に注がれていた。こうして周囲の反応も含めて俯瞰的に観察してみると、澄乃がどれだけ魅力的な容姿を持ち合わせているかがよく分かる。
もっとも彼女の場合、外見だけでなく内面もしっかり魅力的なのだが。
一枚の絵画を連想させる、静謐な雰囲気を纏った澄乃に声をかけることに躊躇いを覚えつつ、雄一は「お待たせ」と言って対面の席に座った。
――周囲からの視線に若干刺々しいものが混じったように感じるが、そこはまあ、絶世の美少女と触れ合えることの対価と捉えよう。
「えっと、その……、とりあえず、おはようございます」
「……おはようございます」
どこか気まずそうに頭を下げる澄乃に倣い、雄一も続いて頭を下げる。そうして互いに顔を上げたところで、どちらからともなく笑い出した。
「ぷっ……! ふ、ふふっ……まだ一時間前なのに、英河くん来るの早すぎるよー」
「ははっ、その台詞、自分に跳ね返るってこと分かって言ってるのか?」
「私はほら、誘った側なんだし、礼儀として早く来ることは当たり前だから?」
「それで一時間前に来るってどんな礼儀だよ。さすがに張り切りすぎなんじゃないのか?」
「はい、私もその台詞、そのまま英河くんにお返ししまーす」
宙でデコピンをするように指を弾いた澄乃に、雄一は両の手の平を向けて防御の構え。とりとめのない攻防に二人でまた笑い合ったところで、澄乃が「そういえば」と言葉を漏らす。
「髪型、いつもと違うんだね」
「ん? ああ……まあ、せっかくだしな……」
後ろに流した前髪を指先で弄る。普段と大幅に違うわけなので気付かれるのは当然なのだが、いざ指摘されると微妙に恥ずかしい。当初の懸念通り、やっぱり変に意識していると思われただろうか……?
「もしかして、変か……?」
「う、ううん、全然そんなことは……! むしろ……」
中途半端に言葉を切った澄乃がやんわりと頬を染める。
「……カッコ良いと思うよ? 私は、好き」
「…………さんきゅ」
そんな言葉を絞り出すので精一杯だった。
恥ずかしいのか伏し目がちで、そのせいで上目遣いになった瞳と朱色に染まった頬の組み合わせは凶悪だ。おまけに甘さすら感じる声音で「好き」なんて言われた日には、とてもじゃないが平静なんて保っていられない。
熱でゆだりそうになる思考を冷却するために、氷たっぷりのアイスコーヒーをストローで強く吸い上げる。ガムシロップを入れなくて正解だった。
「白取もな……」
「え?」
「いや、髪とか服……良く似合ってると思うぞ……?」
「あ、ありがとう……」
反撃とばかりに澄乃を褒めてみると、シミ一つない彼女の白い肌にさらに赤みが差した。我ながらもう少し気の利いた言い回しをできないものかと思ったが、効果のほどは十分だったようだ。褒め言葉を口にした気恥ずかしさで、こちらも余計にダメージを負った気はするが。
羞恥で顔を俯かせる澄乃を良いことに、雄一は改めて彼女の姿を盗み見る。
トップスは白のオフショルダー。普段は隠されたデコルテの部分が曝されて、形の良い鎖骨周りがよく見える。下は水色のシフォンスカートで、膝丈の裾から引き締まりながらも女性らしい柔らかさを感じさせる素足が伸びていた。日頃から着用していることの多い黒ストッキングも、さすがに夏の暑さの前ではお役御免のようだ。
特に目を引いたのは髪型。綺麗に整えられているのはいつものことだが、今日はストレートではなく左右を結ってある。ツインテール――いや、ツーサイドアップと言った方が正確か。普段の真っ直ぐなストレートも良いが、ひと手間加えた髪型も本当によく似合っていた。
澄乃も自分のように、「せっかくだから」という理由でお洒落してきてくれたのだろうか。
――そうだったら、嬉しい。
『どう考えてもこれからカレシとデートだっつーの』
先ほどたまたま聞いた言葉が頭の中に流れてきて、勘違いしてはいけないと分かっているのに頬に熱が集まるのを止められない。それをかき消すためにアイスコーヒーを飲み続けるものだから、どうにも澄乃にかける言葉が出てくれなかった。
「そ、それにしても早く来たのはともかく、お店まで被っちゃうなんてびっくりだよねっ」
微妙な沈黙に耐え切れなくなったのはお互い様のようで、澄乃が強引に話題を切り替える。ありがたい助け船に雄一も乗ることにした。
「確かに。駅前なんだし、他にいくらでも店あるもんなー。つってもアレだろ、白取も改札のところで配ってたクーポンに釣られたんじゃないか?」
「あはは、正解。じゃあ英河くんも貰ってたんだ?」
「ああ。お互いまんまとハマったわけだな」
「私はどちらかと言うと、クーポンに描いてあった“コレ”に釣られたかな?」
澄乃はそう言って、プラスチックのカップに入ったキャラメルフラペチーノを目線の高さに持ち上げる。透明な容器の中で、薄茶色の液体とその上のホイップクリームが緩やかに揺れた。
「どうだ、限定商品の味のほどは?」
「うん、甘くて美味しいっ。英河くんも注文すれば良かったのに」
「俺、あんまり甘いのはなぁ……」
「苦手なの?」
「苦手ってほどではないけど……どっちかって言うと甘さ控えめの方が好きだな。特に個人的にそういうの、最初の一口二口は良いんだけど、途中からくどくなって最後まで飲み切れないんだよ」
「そうなんだ。じゃあ一口だけ飲んでみる? 美味しいよ?」
「え」
澄乃が何気なく差し出してきたストローの先に視線が奪われる。
当然そこは、ついさっきまで彼女が口を付けていたわけで……このまま言われるがままの行動を取ると、いわゆる間接キスの状態になるわけだが。
(いいのか……?)
雄一としては全然悪い気はしないのだが、澄乃的にはアリなのだろうか。それとも自分が意識し過ぎているだけ……?
(あ、違ったっぽい)
単純にそこまで考えていなかっただけらしい。
雄一の戸惑う様子に最初は不思議そうに首を傾げていた澄乃も、ややあってから自分の行動の意味を正しく理解したのか、首元から段々と朱色が昇ってくる。話題の切り替えで少しは落ち付いたと思ったのに、またもや羞恥がぶり返してきたようだ。
けれど一度差し出してしまった手前、引っ込めるわけにもいかないのか、頬を真っ赤に染めながらもストローの先は雄一の方に向けられたままだった。
……そもそも善意で差し出してくれた以上、応じないのも無作法というものだろう。
そんな言い訳を脳内に並べながら、雄一は意を決して姿勢を前に傾けると、小刻みに震えるストローの先を口で含んだ。一瞬、澄乃がビクッと震えるのがストロー越しに伝わってきたが、あえて意識の外に追いやって中身を吸い上げる。
口の中に広がる冷たい液体――少しほろ苦さを感じつつも、何故だか無性に甘くて甘くて仕方がない。
一口分飲んでから口を離すと、きゅっと結ばれた澄乃の唇が目に入る。
小振りで、血色が良くて、リップを塗っているのか艶めいた薄ピンク色のそれは、どこか瑞々しい果実のようで……もし味わえるのなら、きっととびっきりの甘さを与えてくれるような……。
「――――ッ!?」
自分がとんでもないことを考えていることに気付いた雄一は、慌てて姿勢を戻した。心臓がばくばくと脈打って落ち着かない。
もしかして不埒な想像をしたことに気付かれたかと澄乃を伺うと、彼女は彼女でそっぽを向いていた。気付かれなかったのはありがたいが、髪の隙間から真っ赤に染まった耳が見え隠れしていて、それはそれで目のやり場に困る。
「……美味かった。……ありがとう」
「……どういたしまして」
せめて礼だけはきっちりと述べて、雄一は再びアイスコーヒーに口を付けた。
――おかしい、ガムシロップは入れてないはずなのに。
それからしばらく挙動不審だった二人だが、澄乃が「ちょ、ちょっと予定より早いけど、もうそろそろでバスが出るから行こうよ」というのを皮切りに店を後にした。
片付けの際、少し残っているフラペチーノの中身が気になったが、なんだかさらなる墓穴を掘る気がしたので追求はしなかった。
クーラーの効いた涼しい店内から出ると、待ってましたと言わんばかりに強い日差しが襲いかかる。
雄一が空を見上げて目を細めていると、少し遅れて出てきた澄乃が何かを被るのが見て取れた。
「あれ……? 白取、それって……」
「あ、気付いた?」
どこかしてやったりといった笑みを浮かべる澄乃。彼女の頭には、サイドからレースのリボンが垂れた青色のベレー帽が置かれていた。
二人でオリエンテーションの買い出しに赴いた際、立ち寄ったアパレルショップで澄乃が購入した――雄一が選んだ、あの帽子だった。
「英河くんが選んでくれたんだし、最初のお披露目も英河くんが良いかなって思って」
澄乃は一度帽子を手に取ると、見せつけるようにくるりと回して、再び被り直す。そうしてまた恥ずかしそうに頬を染めると――
「似合う、かな?」
夏の日差しにも負けない満面の笑顔を浮かべた。
「……似合ってるぞ」
――全く。
今日はまだ、始まったばかりだというのに。
自分は何回、悶えることになるんだろうか……。




