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第38話『雄一くんは思い悩む』

 夏休み一週目、雄一は自宅で夏休みの課題に取り組んでいた。当初の予定通り、割かし暇な最初の時期の内に大半を終わらせてしまおうという考えだ。単純に早く終わらせた方が楽だという理由もあるが、何よりテスト勉強の際の澄乃の指導がまだ活きている。どうせならそれが色褪せないうちに課題に取り組んだ方が、効率も良くなるだろう。


 無論、澄乃からはある程度の定期的な復習は勧められたので、それも並行して行うつもりではある。


 机の上に広げているのは数学の課題。ついこの間まではただの数字と記号の羅列程度にしか捉えられなかったが、今となってはしっかり意味のある文章のようなものとして認識できている。それも澄乃の指導のおかげであり、彼女には本当に頭が上がらない。


 といっても、澄乃的には雄一の方にこそ世話になっているという認識らしいのだが。そのお礼の一環で遊園地にも誘われたわけだし。


 一度シャーペンを置いて壁の方に視線を送ると、そこには壁からぶら下げたホワイトボードがあり、マグネットで遊園地のチケットが貼り付けられている。


 澄乃との約束は三日後の水曜日に決定した。昨日の夜にその旨がメッセージで送られてきて、当然予定は空いていたので承諾。雄一としても、久々のレジャー施設をそれなりに心待ちにしている。


「…………」


 課題の用紙にカリカリと軽快にシャーペンを走らせる。正直復習レベルの内容なので大して難しくもなく、澄乃印のブーストがかかった状態なら淀みなく進められる。しかし、課題の進行度に比べて雄一の眉間には随分と皺が寄っていた。


 脳内の思考の大半を占めているのは数字と記号――ではなく、三日後に控えた澄乃との外出だ。


(これって……デートってことになるのか……?)


 目下、雄一の頭を思い悩ませているのはその一点だった。


 澄乃と――家族でもない異性と二人っきりでお出かけするのだ。状況だけ見れば、それはデートと呼ばれる行為に分類されるだろう。当然それ相応の恰好というか、身嗜みには気を配った方がいいと思う。


 しかしながら、澄乃が雄一を誘ったのは本人が口にした通り、あくまで日頃のお礼という理由からだ。決してそこには、雄一のことを意識してとかの恋愛的なアレコレは介在しない。


 ……正直誘われた時にちょっと期待してしまった部分はあるのだが、そこは勘違いしてはいけない。善意で申し出てくれた澄乃に対して、それは失礼というものだろう。


 とすれば変に恰好を気にしてしまうと、澄乃にいらぬ心配や誤解を与えてしまう恐れがあるので、普段通りの服装が望ましい。


(でもなあ……)


 なにせ自分の隣を歩くことになるのは、十人中十人――いや、百人中百人が文句無しに美少女だと認めるレベルの人物なのだ。普段の恰好で澄乃に釣り合うかと問われれば、口が裂けても「YES」とは言えない。下手をすればそんな自分が隣を歩くことで、澄乃自体の品格を下げることになるやもしれない。


 そう考えると、やはり身嗜みには最大限気を配った方がいいのだろうか……。


 けど、あまりに意識し過ぎるとそれはそれで変に思われるかも……。


 でも澄乃の隣を歩く以上……。


 …………。


 延々と自問のループばかりが続く。


 これで例えば相手が紗菜だったら、出掛けたことはあるし気心の知れた仲なのでこうも悩むことはない。けれど澄乃とは初めての経験になるので、どうしても考えずにはいられなかった。


「――っと」


 半ば無意識で解いていたのか、気付けば今日の分の課題は終わっていた。最初の方から見直しを始めていく。


 現状抱えている問題もこんな風に答えが出てくれれば楽なのだが、こればっかりは言っても始まらない。しっかり考えて納得のいく答えを出すしかないだろう。


(とりあえずネットサーフィンでもするか)


 答え合わせの片手間でノートPCの電源を入れる。控えめな起動音と共に点灯する画面、そこから先に繋がる世界に答えがあることを、雄一は祈った。


 ――ちなみに見直しの時点で間違いが散見されたので、課題のやり直しを余儀なくされた。













「――んで、ウチにやってきたと?」


 カウンターを挟んだ反対側で頬杖を付いた雅人が呆れるように言葉を漏らす。


 彼の実家である『イヌイスポーツ』――トレーニングウェアやシューズ、テーピング等の各種消耗品が陳列されているその店内で、雄一は友人からの視線に耐えかねてそっぽを向いた。


 忙しいと言ってもさすがに毎日部活ではないようで、本日の雅人は店番を任されているとのこと。私服の上から店名がプリントされたエプロンをかけている。生憎と今は雄一以外の客がいないようなので、レジが設置されたカウンター内でかなり暇そうにしていた。


「ここはスポーツ用品店であって、駆け込み寺じゃねーんだぞ?」


「それは分かってるけど、なんか一人で考えても一向に答えが出ないんだよ。ネットの記事もあんまピンとこないし……」


「ふーん。つーか、だからって俺にアドバイス求めるかね。恋愛経験値で言ったらお前と似たようなもんだぞ?」


「ファッションに関してなら手慣れてるだろ?」


「まあ、お前よりはな」


 微妙にドヤ顔で胸を張った雅人の動きに連動して、耳に付けられたシルバ―アクセが揺れる。ピアスではなく耳たぶに挟むタイプのイヤーカフで、シンプルながらも洒落っ気をプラスしたデザインだ。


 ワックスで整えた髪からも読み取れる通り、雅人は同年代の中でもオシャレに精通している側の人間だ。「スポーツ選手は身嗜みも大事だぜ? その方が映えるからな」というのが本人の談で、元々の見た目の良さを際立たせるように適度な演出を自身に加えている。


 店番中もあって着ている服はラフなものだが、それでも爽やかな好印象を感じさせる出で立ちなのだから驚きだ。


「にしてもお前が白取さんからデートに誘われるとは……いやはや予想外だわー。しっかり青春してるじゃないの、雄一くん」


 言葉の割にあまり驚いてそうに見えないのが引っかかるが、今は些末な問題だ。


「だから、デートってわけじゃ――」


「いーんだよ、この際デートってことで。大事なのはそれに向けてどう準備すればいいかってことだろ?」


「ああ、そうだよ。……やっぱ、新しい服とか買った方がいいと思うか?」


「んー……新しい服ねえ……」


 考え込む素振りを見せた雅人が、ややあってから人差し指をピンと立てる。


「なあ雄一、ファッションにおいて一番大事なことって何だと思う?」


「……清潔感?」


「まあ、そいつも重要なポイントだな。けど一番大事なのは――ずばり、着こなすことだ」


「着こなす……?」


「ああ。いいか、服ってのは着るものであって、着られるものじゃねえ。たとえどんなに洒落てて高級な服であっても、着る本人がそれに見合わなきゃ意味が無い。しっかりと自分なりに着こなしてこそ、初めて服の真価は発揮されるもんだ」


「お、おお」


「新しい服を買うって選択は一概に悪いわけじゃねえ。けど俺から言わせてもらえば、そいつは思い切って印象を変えたい時にこそ取る手段だ。少なくとも今回は適用外だな」


「なるほど……」


「それこそスポーツ用品と同じ、慣れ親しんだものこそ頼りになるってわけだ。別にお前のファッションセンスは悪かねーし、それなりの一張羅が無いってわけでもないだろ? まずはそれで決めりゃいいさ」


 雅人の意見がそこで締めくくられると、雄一はパチパチと両手を叩いて返答した。


「何だその拍手」


「いや、想像以上のアドバイスが来たことに驚いて……ちょっと感動した」


「褒めてんのかバカにしてんのかどっちだ」


 カウンター越しに飛んできた鳩尾狙いのパンチを受け止め、雄一は「悪い悪い」と笑いながら軽く頭を下げる。ネットの意見でも似たようなものは見かけたが、信頼できる人物から直接聞くのとでは訳が違う。


 雅人も本気の一撃ではなかったようで、すぐに笑って拳を引っ込める。次いでその瞳が雄一の身体からその頂点の方へと向けられた。


「今言った通り、服の方は手持ちで良いとして……あとは髪型だな」


「え、俺の髪って変か……?」


「変とまでは言わねえけど……ちょっと野暮ったいな。前髪のせいで目が隠れがちだし、せっかくだからしっかり出した方が印象良いだろ」


 思わず近くにあった姿見に目を向けた。


 確かに雅人の言う通り、長めの前髪からは少し野暮ったい雰囲気が感じられる。こちらもしっかり整えた方がいいだろう。


 それは理解できるのだが。


「髪、かあ……」


 苦虫を噛み潰したような表情が雄一の顔に浮かぶ。


「……なに、お前あの出来損ないの戦闘民族みたいな髪型まだ気にしてんの?」


「ぐっ……! 仕方ないだろ、俺の中だと結構黒歴史なんだよアレは……!」


 ――雄一が中学二年生の頃の話だ。


 当時放送されていた特撮番組のキャラクターに憧れて、その髪型を真似ようと試みた時期がある。


 けれど得てしてああいうものは、プロのメイクやスタイリストがその俳優に合う髪型を吟味して、培った技術で作り上げる一つの芸術作品だ。それをロクな知識も経験も無い子供が再現できるわけもなく……長時間の格闘の末に出来上がったのは、あっちこっちが無秩序に跳ね上がった見るも無残な髪型だった。


 疲労で麻痺した思考は「これはこれで意外とアリじゃね?」という謎の結論に至り、そのまま雅人を始めとした友人たちにお披露目したわけだが……そこから先は思い出したくない。未だに友人の間で笑いの種になっているという事実だけで限界だ。


 若干発症していた中二病が完治したことだけが、唯一の救いである。


 頭を抱えて唸っている雄一を他所に、「しゃーねーな」とため息をついた雅人がポケットからスマホを取り出す。


「雄一、この後暇か?」


「え? ああ、そうだけど……」


「親父がもうちょいで帰ってくるってよ。そしたら店番代わってもらうから、俺の部屋来いよ」


「どういうことだ?」


 困惑する雄一の頭を指差して、雅人がニンマリと笑う。


「か・み・が・た。俺がレクチャーしてやるよ」


「マジか!? 助かる!」


「気にすんな。ちょうど試したい髪型も何個かあるしなー」


「――それ、俺を実験台にしようとしてるだけじゃないのか?」


「……大丈夫だ。最後はちゃんと似合う髪型にしてやるから」


「オイ」


 雅人の鳩尾を狙ったツッコミは、もちろんガードされた。

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