第22話『始まりの日②』
限界が来るのは、思いの外早かった。
特別に病院で寝泊まりさせてもらって、両親のお見舞いを繰り返す毎日。人口呼吸器に繋がれたままベッドに横たわる二人は、一向に目を覚ます気配がない。
それを見てまた妹が泣き出すものだから、その身体を抱き寄せて何度も頭を撫でた。大丈夫だと、まるで壊れかけのラジカセみたいに同じ言葉だけを必死に繰り返した。
――実際、自分は壊れかけていたのだろう。
妹の恐怖や不安は、雄一が慰めることで一時的でも和らいだかもしれない。
なら自分は? 一体誰が助けてくれる?
そもそも、妹が感じている恐怖や不安を、同じ両親を持つ雄一が感じていないはずがなかったのだ。
けれど妹の手前、それを表に出すわけにはいかない。出してしまったら、きっと自分より弱い妹は余計に暗闇に墜ちていってしまう。それだけは避けなければならなかった。
雄一が一人耐えることで、歪でも現状を維持することができる。ならばやることは決まっている。自分の内に眠る恐怖や不安に蓋をして、心は冷たく閉ざして、麻痺させて、その分の熱を温もりに変えて妹に与えてやる。
そうやって、ただ耐えるしかなかった。
もちろん病院側もそんな自分たちを気にかけてはくれたし、その気になれば、カウンセリングを担当をしてくれた医師に、雄一自身の胸中を打ち明けることだってできた。
でもその医師は、雄一だけでなく妹のカウンセリングも担当していて、もし打ち明けてしまったら何かの拍子に妹に伝わるかもしれない。そう思うと、言葉が出てこなかった。
結局誰に曝け出すこともできないまま、ただ漫然と両親の様子を見守る毎日が続いた。
そもそも今がどういう状態なのか、医学的知識の無い雄一には分かりもしなかった。順調に回復に向かっているのか、それとも緩やかに死への下り坂を転がり落ちているだけなのか。何度か近くにいる看護師に訊いてみたことはあるが「大丈夫、すぐに良くなるからね」という当たり障りのない答えしか返ってこない。
いつまで経っても肝心なことは何一つ分からなかった。
そう、分からないことだらけだったのだ。
両親がいつ目を覚ましてくれるかが分からない。
これから先、自分と妹がどうなるかが分からない。
自分が今、本当は何をすべきなのかが分からない。
その答えを誰に求めればいいかも分からない。
分からない。分からない。分からない。分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない――。
そんな中でも、泣いている妹を慰めることだけは投げ出さなかった。だってそれが――唯一できることだったから。
気付いてみれば何てことはない。縋りついてくる妹を支えるなどと言っておきながら、縋っているのは雄一も同じだったのだ。自分に役目があって、そのことに尽力していれば言い訳がついた。両親に対して何もしてやれない、自分の無力さから目を背けることができた。
だから必死に妹を支えた。ゴールの見えない――そもそもあるかも分からない、そんなマラソンを延々と走り続けた。
たぶん、そう遠くない内に、自分の壊れる予感はしていた。走るだけの体力が尽きるか、両足が使い物にならなくなるか、それともその両方か。
だからといって何かが変えられるわけもなく、同じ毎日を繰り返すだけ。
そんな時に――雄一はあの人に出会った。
「ヒーローショー?」
背負われた澄乃からの疑問に、雄一は頷いて答える。
「そ、病院内の敷地で臨時のヒーローショーが行われたんだよ。ほら、あるだろ、ずっと入院してる子供たちを元気付けるために、ヒーローが訪問してくるってヤツ」
雄一の両親が入院している病院にやって来たのは、そういったボランティアを主に活動している団体だったらしい。元々その病院は規模が大きく、小児科にも多くの入院患者がいた。その患者である子供たちを励ますための来訪だった。
「じゃあ、英河くんはそのショーを観に行って、そこで元気付けられて、同じようなヒーローに憧れるようになったってこと?」
「いや、実は俺……ショー自体は観に行かなかったんだよ」
「え」
顔を見なくとも、澄乃がぽかんとしているのが手に取るように分かる。
それはそうだ。今の話の流れだったら、澄乃の言う通りの展開になると思うのが普通だろう。
「もちろん病院の人たちには勧められたんたけど、その時の俺、なんかもう色々と投げやりになってて、体調が悪いって嘘ついて部屋に引きこもってたんだ」
代わりに妹には勧めて、看護師の人に連れて行ってもらった。雄一の支えもあって比較的その日は精神が安定していた妹は、気晴らしになればと思ってショーを行う中庭に出て行ってくれた。
その頃の限界が近付きつつあった雄一は、とにかく一人になれる時間は欲しかったのだ。
遠くからショーの歓声やサウンドが聞こえる中、一人室内で、それこそ両親と同じようにろくに動きもせずにベッドに横たわっていた。その内にショーの音声すら煩わしくなってきて、部屋から抜け出して適当に散歩をすることにした。
「とにかく一人で静かになれる場所に行きたかったからさ、普段は行かないような、病院の奥の方まで進んだんだよ」
当てもなく、ただ人気のなさそうな場所に当たりをつけて進んでいった。それ以外はほとんど適当に道を決めていたので……“そこ”に辿り着いたのは、本当にただの偶然だった。
「病院の裏手の……それこそ今のここみたいに、ジメっとした場所だったかなあ」
当時の記憶を思い出すように、雄一は周囲を見回す。
「そこにさ、一人のヒーローがいたんだよ――休憩中の」
「……え、きゅ、休憩中……?」
「そ、休憩中。だからマスク外して横に置いてあって、スーツも上半身は完全に脱いでて、いわゆる中の人丸見え状態」
幼稚園ぐらいの小さい子供が見ようものなら、夢をぶち壊しにされること間違いなしの光景だったろう。
生憎と雄一は、その頃には現実と夢の区別ぐらいは付くようになっていたので、そんな中途半端なヒーローを前にしても「へー、こんな感じで脱げるんだ」としか思わなかった。
だが、相手はそうもいかなかった。
なにせ子供である雄一に、一番見られてはいけない現場を見られてしまったのだ。
雄一を目にした途端分かりやすいぐらいに慌てふためき、飲んでいたスポーツドリンクを天に向かって盛大に吹き出していた。もう本当、いっそ惚れ惚れするぐらいに綺麗に広がる見事な吹き出し方だったなと、雄一は澄乃に説明しながらしみじみと思い出す。
「なんかもう、その慌てようがホント可笑しくてさ、気付いたら笑いが止まらなくて……そんでもって……いつの間にか泣き出してた」
気の抜けた姿を見たから、だったのだろう。事故の後に目覚めてからその時まで、雄一はずっと強がってばかりいた。妹を支えるため、胸の奥底に隠した恐怖や不安を悟らせないため、常に自分を律して緊張の糸を張り続けた。
きっと、その場にいたのがしっかりとスーツを着込んだヒーローだったら、自分もこんな風に強くあらねばと思って、泣き出すことはなかっただろう。
けれどそれとは正反対の、ぶっちゃけ情けない姿を見て、張り詰めていた緊張の糸が解けてしまった。一度解けてしまえばあとは流されるがまま、崩壊したダムのように、雄一の瞳からは今まで貯め込んでいた分の涙がとめどなく溢れ出すこととなった。
そんな雄一を見て、子供の夢も壊してしまったと、半分ヒーローが顔面を蒼白にさせていたのも致し方ないことだった。




