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第16話『オリエンテーション開幕』

 六月中旬、オリエンテーション当日。


 前日は雨が降ったことで開催が危ぶまれたが、その雨も夜には止み、今日は朝から澄み渡る青空が広がっている。頬を撫でる風は爽やかで気持ちよく、気温も申し分なし。血気盛んな今年の夏も雨のおかげで頭が冷えたのか、随分と過ごしやすい気候だ。


 まさに、絶好のスポーツ日和と言えよう。


 そんなわけで雄一たち小山高校二年の生徒は、予定通り大型公園内フィールドアスレチック場でのオリエンテーション――クラス対抗スポーツ大会に勤しんでいた。


 現在行われているのは男子100m徒競走。ランニングコースの一部分を利用しており、終盤にはL字に曲がるコーナーが配置されているコース構成だ。最後の瀬戸際となるそのコーナーにいち早く飛び込めるかが、勝負の肝と言えるだろう。


 雄一と澄乃は実行委員として、ゴール地点での記録係を行っている。ゴールに到着した生徒の一位から三位までを順位付けし、それを用紙に記録。あとはスタート地点にいる実行委員にトランシーバーで報告して、その者が順位を発表する。


 一位から三位までには順位に応じたポイントが与えられ、最終的にそれを総合計したポイントでクラス順位を決定し、上位クラスに景品が与えられるという流れだ。


 次のレースの開始を待つ中、雄一は同じ記録係である澄乃を横目で盗み見る。


「――――んー」


 そよ風が運んでくる爽やかな空気を一身に感じて、軽く体を伸ばす澄乃。綺麗な銀髪がさらさらとなびき、日差しを浴びてうっすら透けているように見えて幻想的だ。上半身を反らすように伸びをしているせいで、体操服の下の豊かな膨らみが突き出される形になり、たいへん眼福――ではなく、目に毒な光景だ。


 半袖の体操服に、下は丈の長いジャージという何の変哲もない恰好なのに、どこか扇情的に見えてしまうのはなぜだろうか。きっとジャージの上を腰の部分で縛っているせいで、体の凹凸がはっきりしているからではないだろうか。


(って冷静に何考えてんだ俺は)


 邪な考えをツッコミの勢いで頭の外に追いやりつつ、雄一は澄乃の表情に目を細めた。


 目を閉じて穏やかな陽気に口元を綻ばせた、絵になる笑顔。先日垣間見た陰を感じさせる色は、そこには無かった。


 とりあえず元気そうだ。


 あの表情の理由は気にはなるものの、恐らくそこから先は澄乃のプライベートに関わる、かなりデリケートな問題になるはず。気安く踏み込みわけにはいかない。


 変に後を引いていないだけ良しとしよう。


「――んう? どうかした、英河くん?」


 視線に気付いた澄乃が首を傾げる。


「いや、気持ち良さそうにしてるなあって」


「あはは、だって、今日は本当に天気が良いからねー」


 手でひさしを作って空を見上げる澄乃。真っ青で広大なキャンバスには太陽と、空の青を際立たせるような白い雲が浮かんでいる。雲一つない青空というのも好きだけれど、ある程度は雲のある方が風情があって良いというのが雄一の個人的な意見だ。


「確かになあ。こんな日はそこら辺にレジャーシートでも敷いて、好きなだけ昼寝したい気分だ」


「あ、それ良いね。すごく安眠できそう」


 想像してふにゃりと頬を緩める澄乃につられて、雄一も笑みを漏らす。とはいえ、実行委員の仕事中だ。いつまでもゆるゆるムードでいるわけにはいかない。


 遠くで鳴ったパンという乾いた音に、雄一は意識を切り替えた。


 今のはレースの開始を告げるスターターピストルの音であり、あと十数秒もすればそこのコーナーから参加生徒が躍り出てくるはずだ。自分たちの仕事はそれをしっかりと見届けること。


 横の澄乃も意識の切り替えは済んだらしく、真剣な眼差しをコーナーの方に向けていた。


 段々と聞こえてくる、走者がアスファルトを蹴り付ける足音。クラスから一人ずつの計九人が一度に走っているわけだから、その騒がしさも一入ひとしおだ。


 やがて雄一と澄乃の前に飛び出してきたのは、爽やかな気候をその身に受けて、健康的な汗を散らす走者一同――


 ――――ではなくて。


「ウゥゥゥオォォォルアアアァァァッ!!」


「どけどけどきやがれぇぇええええッ!」


「一位は俺のモンだァァァァァァァッ!!」


 ――恐ろしいほど鬼気迫る表情をした、一位という座を死に物狂いで獲らんとする狩人の群れであった。


 狩人というよりは、長い飢餓状態の後でようやくエサを見つけた肉食動物と言った方が正しいかもしれない。


 そんなヒトと呼べるかちょっと怪しい集団がゴールを通り過ぎる様を、雄一と澄乃はひどく達観とした目で眺め、機械的な動作で記録用紙に順位を記入する。お互いの結果が相違ないことを確認し合うと、雄一は首からぶら下げていたトランシーバーの電源ボタンを押し込んだ。


「一位から順に四組、一組、七組」


『りょーかい』


 受け手から返事が返ってくると、少しの間を置いた後にスタート地点の方から歓声が聞こえてくる。待機している生徒たちに今のレースの結果が発表されたのだろう。


 湧き上がる歓声ははっきり言って尋常でない。プチ体育祭どころかガチ体育祭、いや、この盛り上がり方はそれ以上と言ってもいいレベルだ。


 一位を獲って「ッシャオラァ!」と拳を握り締める者や、逆に三位にあと一歩届かず「クソガァァァアアッ!」と喚く者から目を逸らしながら、雄一はぼそっと呟いた。


「どうしてこうなった……」

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