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「……全く、とんだ世話を掛けよって。この不良娘が」
立ち上がる気配に泣き濡れた顔を上げると、太刀を拾った当代が静かに見下ろしていた。
「当、代」
あなたは、もしや。
口を開き掛けた彼女の鼻先に、太刀の切っ先が向けられた。
「継承の儀は、まだ終わってはおらぬ。仕切り直しじゃ、我が後継。その力、次代として、正しく示せ」
ぐい、と目元を拭い、そっと胸の上を押さえた。目を閉じれば、黄金色に燃える灯が見える。大丈夫だと、声が聞こえた。己の名を呼ぶ声が、大好きな温もりが、身体中を巡る。
ゆっくりと開いた瞳は、もうかつての白藍ではなく。足下の拳銃を拾い上げ、黄金色の瞳が真っ直ぐに当代を見つめた。
「良い面構えじゃ」
心から満足げに笑い、当代はトン、ふわりと雪を蹴った。背後に5歩ほど大きく跳び離れ、雪色の羽織をはためかせて音もなく降り立つ。上段に構えた太刀の下で、薄紫の瞳が細く光った。
拳銃を握った右手に、左手を重ねてしっかりと握る。ゆっくりと目の高さまで持ち上げ、右足を少し後ろに下げた。黄金の瞳が照準を定める。
キンと凍った空気が、舞い落ちる雪を受け止め凜と鳴る。結晶を象る氷像が、納められた先代たちの記憶が、2柱の神を声もなく見守る。白樺の梢が耐えかねて、ふるり震えて柔らかな雪を地に落とす。
刹那。
「ふ!」
「く!」
当代が太刀を振り下ろし、後継がその引き金を引いた。銃口から躍り出た氷雪弾が、白銀の螺旋の尾を引き一直線に空を駆け出す。煽られた雪が螺旋が生み出す風に織り込まれ、いつしか渦巻く吹雪となる。威力を増した氷雪の弾は神速で空気を貫き、丁度中央で、当代の放った氷雪の刃とぶつかり合った。爆風に地の雪が深々と抉れる。双方の弾に、刃に、吹雪に込められた神気が互いを押し合い荒れ狂う。裂かんとする刃と、貫かんとする銃弾が擦れ合って甲高い音を立てた。衝撃が白銀の螺旋を伝い、主の腕を震わせる。当代の顔の横、衝撃をいなすべく、また更に力を加えるべく霞に構えた太刀の先が、相手の神圧に鳴動する。
歯を食いしばりながら、銃を握る彼女は両足を踏ん張った。胸の奥で黄金の炎が燃え上がる。大丈夫だと、言われている。1つずつ鍵を外すように、力を解放していく。意識の片隅、暗闇がゆらりと手を伸ばすのが見えた。けれどもう、囁きすら聞こえない。温かな波動が満ちて揺蕩い、追い払う。最後の鍵をぱちりと外し投げ捨てて、彼女は両腕に全力を集めた。未だ刃と鬩ぎ合いを続ける銃弾の、螺旋の根元が大きく解けて膨れあがる。いつしか純白の光を放ち、彼女の上体を隠すほどになったそれを、しっかと螺旋の軌道の先へと狙い定めた。彼女の周りの雪が神気に煽られ渦を巻き、白銀の髪が舞い上がる。青い曼珠沙華がしゃらしゃらと鳴り、銀の蝶が大きく羽ばたいた。
大丈夫。もう、怖くない。
「はぁぁぁぁぁ!」
銃口の先で純白の光が凝縮し、細かに震え回転する。生じた風が更なる螺旋を描き、雪を招く。最高潮に達した瞬間、彼女は渾身の力で引き金を引いた。
「は!!」
轟音が白樺の間を駆け抜ける。解放された光が螺旋の道を飲み込みながら雪を散らし、氷雪の弾に衝突する。そのまま勢い衰えることなく氷雪の刃に食らいつき、たちまちに粉砕した。銀の粉が飛び散り雪明かりに光る、その最中。
咆哮を上げながら突進した光弾が、当代を飲み込んだ。
はらはらと、雪が零れる。
傍らに座り込んだ後継を見上げて、白銀の世界に埋もれた当代はゆるりと口元を持ち上げた。
「泣き虫は、変わらぬか」
感覚を失いつつある左手で雪中を探り、見つけたものを握ってゆっくりと持ち上げる。
「これは、ぬしのものじゃ。次の代まで、しっかり繋げ」
浅葱色の太刀を両手で受け取り腕に抱えると、彼女は己の手でぐいぐいと目元を拭った。雪を吹きかけた手を、しっかりと握って頷く。黄金色の瞳は今だ揺れるが、涙の膜が目尻を越えることはない。
「ぬしには当代としての力が宿る。『記憶』を頼れ。全てがそこにある。我も、そこにおる」
「はい」
「他の姫も使えぬことはない。存分にこき使ってやれ。無論、四の姫もじゃ。灸を据える役は、ぬしに任せる。それが筋じゃからの」
握った手の先から、僅かな情報が流れ込む。その事実に大きく揺らぎ立ち上がった暗い感情を、黄金の炎が宥めるように包んだ。良いんだと、言っているようだった。瞳によぎった情が消えていくのを見て、当代はほう、と息を吐いた。身体中から立ち上る雪の結晶が、淡い光を放つ。
「しかと継ぎ、しかと栄えよ、9代目。ぬしの在位は、おそらく長い。冷静で冷淡で、冷酷とも言われる雪神の、その刹梛伎として、威厳のもとに君臨せよ」
「……はい」
首肯した彼女の額に、ふと爪の先が当てられた。次の瞬間、小気味よい音と共に弾かれる。
「たっ!?」
額を押さえて目を丸くする彼女の前で、思い切り弾いてやった当代がケラケラと笑う。
「硬い顔をするでない。奪う神。育む神。ぬしはその両方の顔を併せ持つことができる。そのことを、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
その笑みが、弾いた指が、さらさらと雪と化してゆく。風に乗ってゆらり舞いながら、六花の氷像へと吸い込まれていく。
「さらばじゃ。美祐月」
薄紫の瞳が細められる。その情をしっかり受け取って、深く深く、頷いた。
「さようなら……氷織母様」
高笑いのような声と共に、ざぁっと当代の身体が崩れ、風に乗って舞い上がる。白樺に囲まれた雪原をぐるりと一巡りすると、己の後継にしゅるりと戯れ、青の曼珠沙華を鳴らして離れていく。最後の一欠片が氷像に吸い込まれると、白紫の光がそこに宿り、たちまち天へと駆け上った。花火の如くパァンと弾け、本殿へ、雪神界へ降り注ぐ。
『継承の儀は、成った』
朗々とした声が響き渡った。
そして、幾度目かの冬を迎える。
大鳥居の門が開く。遠く山の中腹にそびえる目にも鮮やかな朱色に向け、老猫が小さく鳴いた。




