8-3
従者の身体が滑らかに傾く。初撃が逸れたと認めるなり膝下に狙いを変え、青年は参道の木立へと走りながら3、4発を撃ち込んだ。射程内を保ちつつ相手の間合いからは常に離れることが、銃使いの鉄則。間合いに持ち込まれれば銃はただの頼りない防具にしかならない。軽い音と共に銃弾が雪へと埋まっていく。木陰に転がり込んで1回転し、飛び起きるなり体勢を整えたその一瞬、標的を見失った。
「っ上か!」
「ふっ!」
抜き身の太刀を腰の辺りで溜めた従者が、斜め上空から突進してくる。居合いの如く横になぎ払われた太刀が風刃を生み、周囲の雪を吹き飛ばした。雪幕を突き抜けて刃が迫る寸前、横っ飛びに飛んで転がり着地の隙を狙って引き金を引く。
「残弾を、気にしなくて良いのは、助かるな!」
太刀が甲高く鳴り銃弾が全て弾き飛ばされる。それでも射撃の手を休めず参道を横切り、対の木陰に滑り込む。低姿勢から撃ち込んだ1発を従者が太刀で弾いた直後、追撃の1発が着物を裂いて腕を掠めていった。傷口から雪の結晶が零れていく。その様子を瞬時見て取り、従者は太刀を右下に構え腰を落とし、出した左足に力を溜めた。
「傷をつけるとは、なかなか」
呟くなり重心を前傾させ、溜めた左足で雪を蹴る。
「!」
青年も咄嗟に踵を返し、弾幕を張りながら参道を一気に駆け抜ける。その弾幕を全て避けきり、雪の上を弧を描きながら瞬く間に切迫して、右下の浅葱色が閃く。
「は!」
「っ!」
金属同士がぶつかり合い火花が弾ける。寸前で銃を盾に太刀を受け止めた青年は、しかしその重さと勢いを流せずに吹き飛ばされた。数m空を切り幹に背中を叩きつけられる。脳が揺さぶられ背中が悲鳴を上げ、体中の空気が出口を求めて暴れまわる。幹から弾かれた勢いのままにごふり、とそれらを口から吐き出して、青年は雪の上に片膝をついた。僅かにぶれる視界の隅に影が差す。落ちた右手を気合いで持ち上げ、その影の主に拳銃を向ける。しかし。
直後斬撃音と共に、その拳銃が宙を舞った。従者の斜め後ろへ飛び、2人の視界から消える。固く握っていたはずの青年の右手は、肘から先が綺麗に消え去っていた。白い光の粒が吹きこぼれては消えていく。崩れ落ちた青年のその前で、従者が振り抜いた太刀をくるり回して構えを改めた。
「侮っていました。もう少し早く決着するかと」
「……これでも、2年ほど、戦力として、重宝されてたんで、な!」
器用に手元を狙った蹴り上げは難なく交わされ、逆に足首に柄を強か打ち付けられて雪に沈む。転がった身体が見る間に雪に塗れる。肩に圧力がかかり、仰向けにされた。灰色の天上を斑に染めて雪が深々と落ちてくる。髪に、頬に、身体中に、触れたまま溶けることもない。その中で、片足で彼の左肩を踏んだ従者が、静かに太刀の切っ先を真下に向けた。狙いは、あの日と同じ、胸。
「それでは」
「……あぁ」
背中に制止の悲鳴がぶつかる。ずいぶん低い位置から届くそれに、僅か従者の瞳が揺れた。けれども、両腕は淀みなくあがり、柄を握る手に力がこもる。両者の視線が交差する。
「あとは、任せます」
刹那。
絶叫と共に銃声が轟き、氷雪の銃弾が背後から従者の胸を突き破った。
「なんじゃ、落ち着かぬやつじゃの」
早朝から鳥居の前を行き来していると、背後から心底呆れ果てた声が掛けられた。跪こうとして、やめる。こうも頻繁に顔を合わせているのに、いちいちそれをやられるのは面倒だ、と言われたのは、もう1年ほど前のことだ。
「焦らずとも門は開く。あやつは人界で元気にやっておる。三季の神から何の連絡もなかったであろう?」
「わかって、おりますが」
これから自分がすることに、らしくもなく緊張している。
「ぬしの場合は、その慇懃な言葉遣いを出さないことが最大の難関じゃの」
カラコロと笑われて、失礼は承知で恨みがましげな目を向ける。普段の言葉遣いでは彼女の記憶に早々齟齬が出るから、と、敬語禁止令を出されたのは記憶に新しい。あの青年にも物申したい気分であった。雪神の後継に何と無礼な物言いをしていたのか。無論、自分が一番難儀したが故の八つ当たりである。
ずず、と重く低い音が響く。雪の季節が、始まる。
「凍夜。覚悟は出来たか」
「は」
「彼」に成り済まして彼女の記憶を蘇らせ、「彼」として彼女を連れて戻ってくること。それが、自分に課せられた最後の任務。戻ってきた彼女の中の「彼」の記憶を、当代が完全に書き換える。そうなれば当然「彼」に成り済ました「凍夜」の存在も、彼女の中から消える。残るのは「トーヤ」だったもの。だから、彼女の中の「凍夜」と共に、自分自身の記憶も葬って欲しいと、当代に頼んだ。新参者の「従者」が、神界のことに精通しているわけがない。取り繕えどいずれ必ずボロが出る。それならばいっそ、完全に。
「ぬしが生まれ変わるのは、2度目か」
「覚えておりませんが、そのようです」
くつくつと喉の奥で笑いながら、因果なものじゃのう、と当代が呟く。
「元人間のぬしが、人間のふりをして人界に降り、もう一度眷属として生まれ直すことになるとは」
「ですが」
そっと胸に手を当てる。
「記憶が全くなくとも、それでも私の中には、彗姫への深い畏敬の念が、唯一の主と定めた情が、確かに存在しておりました」
雪神の眷属として生まれ、初めて彼女に見えた時の、突き上げるような興奮と確信を忘れたことはない。それがどこからくるのかわからなかったが、わからないことなど、些細なこと。だから胸を張って、こう言える。
「ですから、きっと次の『私』も、私と変わらず誇りと情を胸に、彼女に仕えることでしょう。ならば、本望です」
「そうか」
従者の鏡じゃのう。心なししみじみとそう言って、何を思ったか当代はふと口調を改めた。
「2つ、心に留め置くが良い」
「? はい」
「1つ。あれの傍に子猫がおる。守り代わりに置いたやつじゃ。放っておけ」
「は」
「2つ」
そこで、当代の薄紫の瞳が鋭く光った。身を引き締める思いで、待つ。薄い唇がゆっくりと開く。
「もしあれが本当の記憶を取り戻した時は……ぬしには最悪、捨て駒となってもらうやもしれぬ」
何とも珍しく少し渋い顔をしている当代に、逆にこちらが冷静になれた。
「それは、彗姫の礎になりますか」
「無論じゃ」
即答に、安堵した。
「ならばそれも、本望です」
「ほんに全く、髄の奥まで従者の鏡じゃ」
「彗姫限定です」
「であるからこそ、ここまで信を置いてきたのじゃからの」
さりげないその言葉に、無礼とわかりつつ穴が空くほどその横顔を凝視した。今日は随分と大判振る舞いである。明日は花見ができるかもしれない。
「なんじゃその顔は」
「いえ」
途端、ばし、と背中を強く叩かれた。
「い!」
「扉が開いた」
見晴るかす、己が主の住まう町。
「行ってこい、凍夜」
「は!」
胸から噴き出す雪の結晶をゆっくりと見下ろして、従者は刹那目を閉じ、小さく笑んだ。
そう、本望だ。
太刀がその手を離れ、青年の向こう側の雪に刺さって倒れる。
左肩を押さえていた足が、重心を失いずるりと滑った。膝が折れて上体が傾く。
雪煙をあげ、その長身が雪に沈んだ。




