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ゆきけしき  作者: 燈真
8 その想いに名をつけるならば
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8-2

 彼女の唯一の従者が参道をゆるりと歩いてくる。桔梗色の着流しを纏ったすらりと高い体躯。白髪は1つに結ばれ、藍色に染まった毛先が風に遊ばれる。前髪に縁取られた端正な顔の中心で、深い藍色の瞳が鋭く細められた。片手は紐で吊した瑠璃色の太刀鞘に添えられている。直前まで人間の姿で柔和に微笑んでいた彼とは、まるで別人。

「凍夜、どうして」

 どうしてずっと、彼のふりをしていたのか。どうして、彼の死因を知っているのか。どうして、その太刀を刷いているのか。……どうして、その太刀から知っている命の気配がするのか。

「私も、当代の賭けの駒ですから」

 平然と答えながらなおも歩み続け、数m手前でふと立ち止まる。彼女の前に黒のジャケットが進み出で、その行く手を阻んでいた。思わず腕を掴むと、その上に宥めるように手が乗った。

「あんたに役者の素質があったとは、知らなかったな」

「お褒めいただき光栄です。私も、あなたは当代に回収されたものと、思っておりました」

「どうもそっちの大将は気紛れが過ぎる」

「これは耳が痛い」

 互いに口元こそ笑んでいるものの、視線は刃すら萎縮する鋭さをはらんでいる。

「それを、返してもらいたい」

 先に動いた青年が指したのは、従者の腰に吊された太刀。

「まだそこにあるんだろう? ー俺の、命が」

 後ろで、ひゅ、と息を吸う音が聞こえた。振り返ると、空いた片手で口元を押さえ、絶句している彼女の姿。

「……どういう、こと」

 よろりと1歩踏み出して、彼に並ぶ。

「凍夜……?」

 もう1歩前に出ようとして、膝が崩れる。掴まれた腕ごと巻き込まれかけ、彼が咄嗟に抱き留めた。その腕にしがみつきながら、揺れる視界の中従者を見つめる。その静かな面差しが、ずっと見守ってくれていた瞳が、遠い。

「……嘘でしょう?」

「本当です」

 ぴしゃりと目の前に叩きつけられたそれに、反応できない。

「彼の命を奪ったのは、私です。この太刀で胸を貫き、吸い取りました」

 熱した鉄棒で殴られ刺され焼かれるような心地に、目の前が真っ赤に染まった。

「何て、ことを……!!」

 血を吐くように言葉を叩きつける。

「私は、ちゃんと決めていたのに! 生きていて欲しいって、晃琉を巻き込みたくないって! だから、だから、次会ったときに、き、記憶を、消そうって……!」

 支える彼の腕が僅かに強張ったことに、彼女は気づかない。滂沱の涙はその端から雪に変わり、鳴きながら風に掠われていく。

「彗姫」

 掠われ流れてきた結晶を手で払う従者は、どこまでも冷静さを失わない。

「姫の願いは、決断は、遅すぎたのです」

 冷淡にして冷酷とすら言われる雪神一族の、末席に名を連ねるに相応しい声音で、従者は主を打ちのめす。

「あれほど申し上げたでしょう。それを、どうするおつもりかと。あまり深入りするなと。あなたが躊躇う間に、躊躇わない者もいるのですよ」

「もういいだろう」

 震える彼女を抱き留める腕に一度力を込め、青年は凪いだ瞳で従者をみやる。

「決断を鈍ったのは、俺だって同じだ。責めるなら俺にしておけ」

「もとよりそのつもりです」

 浅葱色の刀身が瑠璃の鞘からスラリと解き放たれ、雪明かりに鈍く光る。

「当代の命により、今度こそ魂を回収させていただきます」

「凍夜!?」

 愕然と叫んだ彼女の手から、彼の腕がするりと抜ける。支えを失い座り込んだ彼女の頭が、柔らかく撫でられた。

「晃、琉?」

 2度軽く叩いて、その温もりが離れていく。見上げるとその手の向こう、一瞬和らげた瞳と出会う。

「大丈夫だ、美祐月」

 瞬時にキリと表情を引き締めて、青年は抜き身の刃と対峙する。

「昨今の神は平気で約束を反故にするんだな」

「さて、何のことでしょう」

「先が知れるって話だ」

 ジャケットの内側から取り出したものを見て、彼女の目は見開かれ、従者の目は細められた。

「晃琉、それ」

「置き土産だろうな」

 くるくると器用に回してみせるそれは、漆黒の拳銃。銃口から撃鉄を結ぶラインが金色に鈍く光る。羽根のように軽いが、生前持っていたものとは違い銃弾が飛び出す本物。グリップを握り撃鉄を起こして引き金に指を掛け、腕を軽く伸ばして照準を定めた。

「あいつがくれたんだ、使わないわけにはいかないだろう」

 照星の先で、従者が太刀を鳴らして構える。

「曲がりなりにも神の末席に連なる者に、力技をかけると?」

「一方的に奪っていった奴に、懇切丁寧に『返してください』と頭を下げて交渉なんざできるわけがないだろう」

 引き金に掛けた指に、じわりと力が込もった。あの時は不意討ちだったけれど、今度はそうはいかない。

「願いの邪魔をしたあんたを、許さない」

「ま、待って!」

 2度ほど雪の中に手を埋めながら、彼女はどうにか2人の間に転がり込む。

「やめて、晃琉、凍夜も、やめて!」

 結果なんてとうに見えている。そんな理不尽な争いをする意味がわからない。

「晃琉は、私が、私、が」

 従者に向かって言いながら、必死に思考を走らせる。彼がこのような強硬手段に出るようになったきっかけ。そして、邪魔された彼の願い。こうなってしまった以上、自分がきちんと、選ばなければならない。

「晃琉は、私が、私の手で、ー私たちの、眷属に、するから」

 途端に胸の奥が締め上げられるように痛み、唇を噛んで俯いた。肉体からは離れてしまったけれど、吸い取られた命が太刀に詰まっている。魂も傷1つ負わずにそこにある。ならば、その命を糧に彼を眷属にしよう。そうすれば、彼とずっと一緒にいられる ーその彼が、人間の時の記憶を全て失っているとしても。

「だから、その太刀を、ちょうだい。凍夜」

 絞り出した声の先を沈黙が巡る。ややあって、鞘と鍔が触れる音がした。ほ、と肩の力を抜き、振り返りながら顔を上げたその先。

「美祐月」

 未だ銃を降ろさない、彼の姿があった。

「美祐月、悪い」

 愕然と強張った顔を向ける彼女に、彼は決然とした眼差しを向ける。

「俺はそんなこと、望んでいない」

 途端、彼女の足下の雪が風をはらんで舞い上がった。あっという間に彼女を囲み、風雪の檻となって浮き上がる。参道の樹木と並ぶ高さまで持ち上げられた彼女の瞳が、こちらに両手を伸ばした従者の姿を映した。

「凍、夜」

「万が一にも、攻撃の余波に巻き込まれてしまわれるわけには参りませんので」

 背筋が粟立った。

「だめ! 凍夜、お願い、やめて、降ろして!」

 悲鳴の下で再び太刀を抜いた従者が、再び照準を定めた彼と向き合う。

「あんた、本当に良い役者だな」

 いっそ感心すら滲ませたその声に、従者は少し目を見張り、それから苦笑を頬に乗せた。

「ー彗姫の、ためですから」

 これから起こるであろうことなど、どうってことはない。

「あんたたちと俺の利害は、多分一致している」

「えぇ」

 初めて対峙した時。5の姫が彼を襲った時。そして彼の命を奪ったその時。従者は確かに、彼の『願い』を感じた。無論当代は言うまでもない。故にここにこうして、再び立ちはだかった

「惜しかったな。あんたたちが強引な手段さえ取らなければ、俺はもっと穏やかにその手の上で転がってやったのに」

「えぇ、私も残念です。できることなら、彗姫を悲しませる手段は取りたくなかった」

 ふ、と風の色が変わる。空気が少しだけ温度を上げた。春の足音が、微かに聞こえてくる。

「始めようか」

「始めましょう」

 パァン、と鋭い音が参道を駆け抜けた。

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