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ゆきけしき  作者: 燈真
8 その想いに名をつけるならば
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8 その想いに名をつけるならば

「のう、(わっぱ)

 闇の中を艶やかな声音がこちらに渡ってくる。

「賭けをせぬか?」

 ―賭、け?

「童はあれと今一度の逢瀬を望んでおるのじゃろう?」

 途端去来する想いで心が哀切を叫ぶ。

 美祐月(みゆづき)。美祐月。

 この想いも命も魂も全部やると、決めていたのに。

 おかえりとただいまを言い合って、それから沢山話をして、その終わりに全てを差し出そうと、決めていたのに。

「もう一度、逢わせてやろうか」

 その歌うような問いかけが心底癪に障る。

 ―ふざけるな。そっちの都合で奪ったくせに

「童が急に西に行くなどと言うから、仕方なくのう」

 仕方なく、で殺されたのか。衝動的に迫り上がる感情を、辛うじて押しとどめる。飄々と告げる言葉の真実味など当てにならない。真に受けるだけこちらの意志が消耗する。

 ―何を、どう賭ける

「あれは恐らくこの地に留まる。故に、1年間猶予をやろう。我は童から全てを奪う。人として生きてきた記憶も生も全てじゃ」

 そして、という声とともに、ほんのりと丸い光が灯り闇を漂う。

「童にずっとくっついておったこの魂を仮初の器とし、あれの傍に置いてやろう」

 ―ずっと、くっついていた?

 まじまじと見つめているうちに、それにぼんやりと耳が生え尻尾が生え。あぁ、と知らず息が零れた。

 ―そんなとこに、いたのか

「本来よりも縮まるが、まぁやむを得ぬ。童は今日より子猫となれ。もしもこの1年で、あれの真名を取り戻すことができたのならば、童の望みを叶えるだけの時間をやろう」

 ―できなければ?

「童にとり最悪の事態を言うならば、あれは童の存在を忘れたまま、童と気づかずその命と魂を食らうこととなるの」

 どうする? その声音はどこまでも道楽味を帯びていて、彼を苛立たせる。

 ―どっちをとっても、あんたには旨味しかないな

「当たり前ではないか。神との賭けはそういうものじゃ」

 依然おぼろげな猫の形で彷徨うその光に、躊躇なく意識の手を伸ばす。選択肢など、はなから1つしかない。

 ―その賭け、乗った

 途端に伸ばした手を恐ろしいほどの力で引かれた。光がすぐ眼前まで近づき ―そこで、彼の意識は途切れた。


 閃光が雪に吸われて散った後、子猫が倒れていたはずの場所には若い男が片膝をついていた。鳶色の髪が風に揺れ、黒のジャケットと深緑のカーゴパンツが冴えた雪に映える。肩の辺りに宿った小さな光に気づき、そっと掌を寄せた。

「ありがとな、朔」

 その掌に柔らかく擦り寄ると、それは光の尾を引きながら名残惜しげに彼の周りをぐるりと巡り、瞬く間に天上に駆け上がっていった。

 愛惜の情を乗せて見上げていたその瞳が、すい、と向きを変える。参道の先で立ち尽くしている彼女を認めるなり、膝に力を入れ立ちあがった。

「美祐月」

 情も深く呼ばれたその真名に、彼女の足はひとりでに動き出す。1歩2歩、その先はもう数えていられない。まろぶように駆け出して、あっという間に残った彼との距離を縮めた。

晃琉(みつる)!」

 ほんの1歩の距離を残したところで、自分が雪姫の姿のままであったことを思い出す。これでは抱きつけない。たたらを踏んだ彼女が人の形をとる、そのほんの一瞬前。彼が、1歩を踏み出した。

「!!」

 ジャケットの硬い感触と、その奥から伝わる熱に慄く。けれど。

「……え」

 その胸元から、背中と後ろ頭を囲う腕や手から、馴染んだ温かさが沁みてくる。それは本来ならば、人身を取っていなければ感じることのできない温もりのはずで。

「晃、琉?」

 頬が乗せられていた頭をずらし見上げれば、困惑の情を満面に宿した彼女をその瞳に映し、彼もまた、困ったような、申し訳ないような笑みを浮かべて、見おろした。

「悪かった、美祐月」

 ざわりと胸が騒ぐ。

「あの家で、この姿で、待っていると約束したのに」

 晩冬の風がどう、と木々を揺さぶった。青の曼珠沙華が髪の上でしゃらりと甲高く鳴る、その中で。

「―生きて、出迎えてやれなくて、ごめんな」

 彼女の最後の記憶が、蘇った。

「……う、そ」

 愕然と見上げたその瞳から、ぼろぼろと涙が溢れては結晶となって零れていく。この姿で抱きしめられているという事実が、彼女を奈落へと突き落す。

「あんたの所の大将 ―当代の刹梛伎(せつなぎ)と賭けをしてな。さしずめ今の俺は、魂が人身取ってるようなもんだ」

 温かな指の先が眦を辿って結晶を払ってくれる。人身を取った自分がいつもぼろ泣きしていた時にしてくれていたように。けれど、彼が払うのは絶対に、水滴でなければならなかった。

「どうして」

 くしゃくしゃに顔を歪めて、彼女はその胸元に縋り付く。どうして、彼女を抱きしめられるくらい、冷たくなってしまったのだ。どうして、魂だけなんて不安定な存在になってしまったのだ。あの人の身で感じる温もりが、彼の生の証が、何よりも好きだったのに。

 死者を蘇らせることは、神をもってしても不可能だ。輪廻を司る神はあれど、それは転生。元の存在とは全くの別人になるということ。だからもう、「彼に生きていてほしい」という彼女の願いは、永遠に叶わない。

「何に……誰に」

 彼の命は、奪われてしまったのか。

「知りたいですか、彗姫」

 不意に、後ろから声がかかった。もう1人、彼女が誰よりも知る存在。ずっとずっと、記憶の奥底に隠れていた、神界でたった1人の、彼女の理解者。

「……凍夜(トーヤ)

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