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ゆきけしき  作者: 燈真
Memory7 刻限―ソノヤクソクハ―
52/69

M7-4

残虐な場面が含まれます。ご注意ください。


 引き戸を引いて、鍵を掛ける。卒業式が終わり次第その足で帰るから、荷物も最低限1日分。振り返れば降りしきる雪の中、なお輝く白銀の髪をなびかせて、この3日を共に過ごした神がいる。白藍の瞳が陰りを帯びて見え、青年は肩を竦めて歩み寄った。

「何て顔しているんだ」

「……行きたく、ない」

 少しだけ膨らませた頬を突いてやろうかという想いに駆られたが、あいにくその姿に彼は触れられない。

「それなら、揃ってボイコットでもするか」

「ぼい?」

「サボって、どっか行くか」

 それは、半ば本気の誘いだった。彼にとっても、卒業式は正直どうでも良い。ただ世話になった場所に、体裁を整え別れを告げに行くだけの場所で、思い入れも何もない。彼女はしばらく唸って、しかし首を横に振った。

「一緒に、頑張る」

 そう、彼女はそういう神だ。だから彼も、覚悟を決めたのだ。

「帰ってきたら、目一杯甘やかしてやる」

 う、と言葉に詰まり、彼女の目が泳ぐ。頬が一転仄かに赤みを帯びる。ここ3日間でようやく見せた、彼女の変化。その姿を見るために、彼がどれだけ慣れない想いを注ぎ、またどれだけ理性を総動員したかを、彼女は知るよしもない。

 と、白銀の髪が一瞬にして黒く染まった。胸の辺りに頭突きをくらい、1,2歩よろめく。コートの向こう、柔らかな存在がしがみついている。

「絶対、会いに来る」

「あぁ」

「約束」

「あぁ」

 片腕を背中に、もう片腕を肩に回し、後ろ頭をそっと押さえる。この温もりが、この腕の中の存在だけが、彼の導であり、明日だった。まだ、もっととごねる感情を宥めすかして、ようやく身体を引き剥がす。照れたように少し笑った彼女が、トントン、と2歩下がる。指先に僅か絡んだ髪が、白銀に色を変えするりと解けた。

「いってらっしゃい、 」

 それは、全くの不意打ちだった。返す言葉を見失ったまま、柔らかい目で見上げてくる彼女を見つめ返す。胸の奥からじわじわと零れ出すものがある。一度天を仰いで、彼は努めて掠れないように、それを送った。

「行ってきます、 」

 それから、今更ながら気づくこと。

「逆だろう」

「そう?」

 まぁ良いか、と2人顔を見合わせ笑う。

「あんたが帰ってきたら、『おかえり』って言ってやるよ」

「うん。『ただいま』を、待ってて」

 ふわり宙に浮いた彼女は、一度小さく手を振って、雪の空に羽ばたいて消えていった。すっかり消えてしまうまで見送って、彼もまた、踵を返す。雪をざくざく踏みながら、駅へと向かう。ほんの少し前までは思うだけで憂鬱極まりなかったこの道のりを、今はずいぶんと楽に歩ける。理由は、言うまでもない。その姿を、声を、名前を思い出すだけで、きっとどこにでも行ける。耐えられる。

 帰ってきたら、掃除をして、スーパーで買い物をしよう。彼女の気に入っていたまんじゅうを買い、茶を入れて、何日でも良い、ゆっくりと待つのだ。きっと律儀に玄関のチャイムを鳴らしてくるだろうから、出迎えて、今度は自分が言ってやるのだ。「おかえり」と。それからこたつを囲んで、他愛のない話をして、たくさん甘やかして、それから、決めてきたことを言おう。

 俺は、あんたに


 ずるり、と、胸から生えたものが、思考の全てを貫いた。雪明かりを受け薄ら鈍く浅葱色を放つ、切っ先の尖ったそれは、太刀。

「は」

 こふ、と口からこぼれたものは、ただの真っ白な吐息だけ。体温が見る間に下がり、体中の血液が凍り付くような感覚に襲われる。

「申し訳ありません」

 耳元で淡々と囁くその声を、知っている。

「て、め」

「彗姫のため、その命、魂、我々がいただきます」

 背中から胸を貫いたそれに、凄まじい勢いで体中の気が吸われていくのがわかる。とても立っていられず、雪の中に倒れ込む。背中に太刀を突き立てられたまま、暗くなっていく視界の隅で、彼は歯を食いしばった。

「ざ、け、るな」

 まだ、まだ駄目だ。まだ、自分は大事なことを伝えていない。ここで奪われるわけにはいかない。彼女以外に、この命を、魂を、持って行かれるなんて、冗談ではない。それなのに、必死にかき集める自身の生命力が、手の隙間から零れて吸い寄せられ、消えていく。

 咆哮が、喉を突き破り迸った。もう思うように動かないその手で刃を握り、少しずつ少しずつ、抜いていく。貫かれた時には感じなかった痛みが、命の摩擦が、余計なことをするなと訴え暴れ回る。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 青い曼珠沙華が煌めく。白銀の髪がふわり広がる。銀の蝶を羽ばたかせ、白皙の手を差し伸べて、白藍の瞳が柔らかく、笑う。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 渾身の力で、引き抜いた。音もなく雪上に倒れる太刀の手前、力を失った手がパタリと落ちて、雪に埋まる。

「ー 」

 想いを1つの名に乗せる。

 それが、最期だった。


 動かなくなった青年の背後で、従者はただじっと、立ち尽くしていた。ややあってゆっくりと腰をかがめ、自身の太刀を拾い上げる。随分と重く感じるそれを握って初めて、自分の手が震えていることを知った。咆哮が、小さく呟かれた名前が、耳から離れない。

 不意に背後から、名前を呼ばれた。

「……当代」

「なんじゃ、そのふぬけた顔は」

 言い放つと、当代は表情1つ変えずに従者の横をすり抜けて、青年の顔の傍らに膝をついた。その頬に触れてしばし。つ、と上げた顔を、従者の方に向けた。

「この童の魂は我が回収する故、先に帰っておれ。少し野暮用ができた」

「……は」

 瑠璃紺の鞘に収めた太刀を手に、従者は音もなく消える。見送ってから、当代は再び青年の骸に手を乗せ、うっそりと笑った。

「……のう、童。もう一度、あやつに会いたいか」

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