M7-2
「ご説明を、当代」
「なぜ、あのような力を隠しておられたのか」
「我が主はなぜあそこまで力を奪われねばならなかったのか」
「ご説明を、当代」
「あのような力、制御できておられるのか」
「制御できぬのなら、どうなさるおつもりか」
「ご説明を、当代」
「……煩いの」
ぼそりと呟いた声を拾った従者たちから、一層声高な非難が上がる。その様子を遠巻きに眺めながら、渦中の姫の従者である彼は極力気配を消し、その場を後にした。先程まで、あれを引き受けていたのは彼である。何度同じことを言っても引き下がらず、ほとほと嫌気が差していた所に当代が現れた。役者交代を意図したであろうその登場に、ありがたく乗らせてもらうことにする。
「彗姫にちょっかいをかけたのはあちらの方で、これは明らかに自業自得だろうに。どこにこちらが責められる理由があるのか」
流石に彼とて独り愚痴らねば気が済まない。侮られたと憤慨すべきはこちらだろうに、綺麗に棚に上げるとは主従揃って良い性格をしている。
「まったく、余計なことをしてくれる」
彼にしては珍しく舌打ちをしながら廊下を渡る。これで、他の雪神たちに彼女の力を、その危険性を、隠し通せなくなった。他の後継者たちが、その周囲が、目をつけないわけがない。もし、当代が彼女を制御できなくなりつつあると知られたら。彼女の力は神界や人界のパワーバランスを揺るがせかねないものであると知られたら。……もし、あの人間の男が彼女の制御装置になり得ると、知られたら。
「東の三の姫はおそらく、動くことはない。あの方は、当代の意を汲める。南の二の姫は危険視されるだろうが、ひとまず様子を見られるはず。問題は……」
ふ、と従者の足が止まった。さらさらと衣擦れの音が近づいてくる。脇に寄って膝を折り畏まった彼の前で、その音も、話し声も、ピタリと止んだ。目を閉じて、ゆっくりと呼吸をする。
「あらぁ、ちょうど、探していましたのよ」
「……四の姫様が私のような端者に、一体どのようなご用でしょうか」
「聡明な貴方なら、おわかりではなくて?」
「お褒めいただき、光栄です」
「お上手だこと」
鋭く張られた琴線の上で、空々しい応酬が交わされる。
「貴方の主は、お元気?」
「変わりなく」
「今日もお気に入りの殿方のところかしら」
「昨日の詫びがしたいと」
「真面目なこと。私も見習うべきかしら。同じ、後継者として」
踏み込んできた。落とした頭の下で、目を細める。背中を一筋、氷片が滑っていった。
「多くの神が1人の人間の前に姿を現しては、人界の調和が崩れるでしょう」
「貴方の主は、良いの?」
「我が主も承知の上。近く引き上げます故」
「そう? ずいぶんと、入れ込んでいるようなのだけれど。どの掟を選ばれるのでしょうねぇ。記憶を消すのか、それとも」
歌うように口にするその言葉の端々から、探られているのを感じる。彼の全言全意が、試されている。
「あぁ、でも、そうねぇ。そんなにも素敵な殿方ならば、記憶を消してしまうのは、惜しいかしら。やっぱり一度、お会いしてみたいわ」
「お戯れを。後ろに控えております従者たちが嫉妬に狂っては敵いませぬ」
「あら、それもそうねぇ。目移りをしてこの者たちが離れてしまっては、私は生きてはいけませんもの」
姫様、そろそろ。急に話題に放り込まれた従者の1人が、わざとらしく咳をして促す。さらり、と衣擦れの音と共に、くすくすと軽やかな笑い声が降ってきた。
「ねぇ。貴方は、やはり来てくれないのかしら」
「それこそ、嫉妬の的はご遠慮いたしたく」
「つれない方ねぇ」
ひらり、と衣の裾が翻って視界から消える。続く数名の足音をやり過ごして、ようやっと彼は立ち上がって背筋を伸ばした。体中に酸素が行き渡り、やがて大きなため息となって空中に吐き出される。振り返って一行を見送るその視線は、いつになく険しい。
よくわかった。西の四の姫は、やはりあの青年の価値に、気づいている。そして彼女は、絶対にこちらの意を汲まない。
数日後、雪解けの神との間に取り決めがなされ、正式に冬の終わりが定まった。同時に、中央を担う一の姫、南を担う二の姫に当代より指令が下る。
曰く、五の姫に代わり北を統治せよ。
「当代!」
主を本殿から屋敷まで送り届けるなり、従者は急ぎとって返した。廊下を無礼にならない程度に駆け、面会の要請もそこそこに執務部屋に滑り込む。文机に頬杖をついた当代は、既に来室を見越していたようだった。
「どういうおつもりですか。今彗姫をあれから離しては!」
「わかっておる。だが、雪神として、北の統治が消えることがどれだけ調和を欠くことか、ぬしにわからぬはずがあるまい」
「しかし!」
「経緯はどうあれ、五の姫の力を必要以上に奪ったのはあれじゃ。責は負わせねばならぬ。でなければ、五の姫の従者が黙ってはおらぬじゃろう。下手に庇えば、何をしでかすかわからぬ」
淡々とした物言いに反し、当代の表情は珍しく深い苦みに満ちている。見てしまっては、従者もこれ以上言い募ることはできなかった。
「……ですが、私では」
「そうじゃの。四の姫はぬしよりずっと強く狡猾じゃ」
ただ1つの音もなく、空間だけが冷えてゆく。冷気が重く淀み、身動き1つせず目を伏せる二柱を埋めてゆく。部屋中を満たし、息すらも凍らせるようなその中で。カツン、と、指先を文机に打ち付ける音が、審判の音の如く響き渡った。
「潮時じゃの」
「はい」
双方の目が合う。冷静にして冷淡、冷酷とすら言われる、雪の神の本質を表すその表情を、互いの前に晒す。
「あれが望んで受け入れることが最善であり、あの童が望んで差し出すことが次善であったが、どちらも叶わぬなら、我らが動く」
全ては、我らが次代のために。
「雪神としての本分を、果たすとしよう」




