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ゆきけしき  作者: 燈真
Memory6 転身ーヨリソウココロー
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Memory6 転身ーヨリソウココロー

 朝議が終わり本殿の廊下を歩きながら、彼は隣に並ぶ存在を、非常に不躾ながらまじまじと見つめていた。背中で揺れる銀の蝶帯。白銀のつむじ。青の曼珠沙華。彼の主が落ち着かなげに先を急いでいた。精一杯外側を歩こうとしているのは、周囲から遠慮なく投げられる視線から逃れようとしてのことだろう。内側を歩く彼はさしずめ盾である。とはいえ、彼女が朝議に参列するなど、仮に一言も発しなかったとしても、かつてない珍事。こちらを見るなという方が無茶な話だ。彼だって、今朝彼女がそれを言い出した時、真面目に体調不良を心配したほどだ。明日は一斉に雪が溶けるかも知れない、とさえ思った。

「え、と」

 不意に小さな声が彼の耳を打った。

「それで、どこ?」

 見下ろせば、上目でこちらをうかがう主の姿。彼は一つため息を吐いた。この場で彼だけが知っている。彼女が何もなく朝議に参加することなどありえない。

『お願い、が、あるの』

 朝発せられたそれに、あぁやっぱり、と脱力した記憶が蘇る。言わば交換条件というやつだ。

『朝議のあと、書庫に、連れて行って欲しい』

 なぜ、と問うた彼に対し、彼女はきゅ、と唇を強く結んだ。出てきたのは、ただ一言。

『どうしても、知りたいこと、あるの』

「あちらの角を曲がって、その左奥です」

 連れ立っていき、入り口で手続きをし、夕方迎えに来ることを約束して別れる。無駄に腕まくりをしながら書棚の間に隠れていく彼女を見送り、従者はぽつりと呟いた。

「……何を企んでいるのやら……」

 そしてその懸念は、なかなかに満足げな顔で書庫から出てきた彼女を前に、いっそう強くなったのであった。

 

 朝議に出がてら書庫に引きこもり、さんざん知識を詰め込んで3日。決意を固めた彼女は人界へと向かった。家々の屋根に粉雪をまぶしながら飛んで青年の家の近くで地に降り立つ。人に見られないよう、怪しまれないように物陰に隠れ、呼吸を整えた。

 目を瞑り、脳内に1つの器を思い浮かべる。全身に広げ、包み、馴染ませ、身体の組織をゆっくりと変えていく。周りの温度が徐々に下がり、反対に自分の身体が熱を持つ。手足の指先までその熱が巡ったのを感じて、彼女は目を開いた。身体がぽかぽかする以外、異常は感じない。顔の前に広げた両手は、知っているものよりも赤みが差している。目の端に映った黒いものをつまみ上げてみると、それは白銀だったはずの自分の髪の毛。口元がゆっくり弧を描き、彼女は握った両の拳を小さく引いた。

 もう一度物陰から左右を見、何食わぬ顔をして抜け出すと、改めて彼の家の前に立つ。大きく深呼吸し、来たらこれを押せ、と言い含められた玄関隣のボタンを、少し震える指で押した。中でピンポーン、と音が鳴り、ややあって中から足音が近づいてくる。鼓動が忙しなく耳を打つ。硝子の向こうで影が少し止まり、そして。

「おー、ちゃんと覚えて」

 戸からのぞいた彼の顔が強ばった。目だけが、彼女の頭のてっぺんから爪先までゆっくりと動く。たっぷり2往復し、2、3度口を中途半端に動かして、それから、それはそれは静かに、戸を閉めた。

「え、あの、ちょ」

「家違いですお帰りください」

「あ、の、ちが、ちがわな、わ、私、その」

 戸にしがみついてみても、軽く叩いてみても、一寸たりとも開きはしない。固めてきた決意と少しの期待が、空気が抜けてみるみる萎んでいく。手が硝子を滑り、しゃがんだ膝の下、石畳の上にしなだれた。そのまま膝を抱えて額を押しつけると、しょぼくれた言葉たちがぐるぐると脳裏を回る。ただ、驚いて欲しかっただけなのに。

 頭上の空気がゆるり、と動いた気がした。わずかに耳に届く、カラカラという音。

「……人ん家の前でしゃがみこむな。何かあったと思われるだろうが」

 ため息交じりの声が降ってきて、おそるおそる見上げてみると、どことなくばつの悪そうな眼差しが自分を見下ろしていた。かと思うと、ふい、と逸らされる。

「とりあえず、入れ。それで、頼むから、その格好の説明をしてくれ」

「お、どろいた?」

 立ち上がりざまに尋ねると、彼はがしがしとその後ろ頭を掻くと、無造作に手を伸ばした。いつもなら止まるそれが、今日は止まらない。反射的に一歩引き下がろうとした寸前、頭をがしり、と掴まれた。

「!?」

そのまま確かめるように、にしてはいささか荒々しく、ぐりぐりとかいぐられる。かと思うと、ぱっと離され、彼は踵を返しさっさと三和土にあがってしまった。乱れてしまった髪を押さえながら唖然と見送る。掴まれたところが、じわじわと熱を持つ。けれどそれは焼け爛れるような熱さからはほど遠い、どこか心地よささえ感じるような温かみで。

 これが、人間に触れられた、人間の体温。

「さっさと入れ。家が冷える」

「は、はい!」

 慌てて敷居をまたぎ戸を閉め草履を脱ぐ。すぐ右、壁に掛かった鏡がチラリと光った。その向こうで、自分と同じ顔の娘がこちらを見つめている。赤みがかった頬、漆黒の髪、そして茶褐色の瞳。これが、人間に化けた自分自身。ぐらついている簪をその場で差し直すと、さっさと茶の間に入っていった彼の後を追いかけた。

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