O5-3
翌日の昼に縁側へとやってきた老猫から、件の暴漢が凍死体となって発見されていた話を聞いた。何か酷く恐ろしい物を見たかのような形相で事切れていたらしく、一時騒然となったが、警察は結局心臓発作ということで処理したのだとか。
「みゅうじゃないよ」
思わず黙り込んだ彼女に、子猫はきっぱりと言い放った。
「みゅうはちゃんと止まった。僕が止めた。だから、みゅうは殺していない」
「でも」
「冬場の寒さを甘く見た結果だよ。自業自得だ。立派な正当防衛だ」
「過剰防衛なんじゃ」
「だとしても、みゅうは命を奪っていない。そして警察は殺人と見ていない。もう誰も被害には遭わない。みゅうが気に病むことはないよ」
それでも彼女は痛みをこらえる顔をする。言いながら子猫もわかっていた。こんなちっぽけな慰めで、彼女を救えるとは思っていない。
「卑怯かもしれないけれど、みゅう、天秤にかけて考えてよ。みゅうが追いこんでくれたから、僕が助かった。あいつの命より、僕の命の確保を優先してくれた。みゅうはその選択を、間違いだと思っている?」
彼女は項垂れたまま頭を振った。彼女だってわかっている。何度同じ場面に遭遇しても、することは変わらない。それでも、痛みを拭えないのが、彼女だから。
「もし、みゅうがそれでもって思うなら、僕も同罪だ。みゅうと同じものを僕も背負う」
「朔鬼」
「にゃぁ」
「ほら、セン爺も気にするなって」
「……あり、がと」
いつものように躊躇いなく手を伸ばしかけ、気づいて止める。子猫もつい待ってしまった自分に気づき、互いに苦笑いを交わした。まだしばらく、慣れそうにない。
老猫を見送り、縁側の戸を閉めようとした、その時。何かが落ちる音がした。
「……みぃ?」
男性の声が2人の耳朶を打ち、動きを凍らせる。動悸を抑えて振り向くと、雪が敷かれた庭の隣、玄関口のところに青年が立ち尽くしていた。足下にバッグが転がっている。どう、して。頭上から彼女の吐息が落ちてくる。
「……みぃ、なのか」
「っ!!」
彼の足がこちらへと一歩踏み出したその瞬間、彼女は踵を返した。茶の間に飛び込み音を立てて襖を閉める。
「みぃ!」
足音はなおも遠ざかり、おそらく家の奥、台所の方へと消えていった。そして、子猫は。
「み」
「来るな!!」
後を追って庭を横切り、縁側へと近づく彼の前に躍り出、立ち塞がった。低くうなり声を上げ、牙を剥いて、威嚇する。青年の足が止まった。
「今、みゅうはあんたに会えない。会いたくない。だから、帰って」
知っている。子猫の言葉は、この青年には伝わらない。それでも、子猫はここで彼を止めなくてはならない。
青年は戸惑ったように瞳を揺らし、こちらを見下ろしてくる。それでも、さらに一歩、こちらに踏み出してきた。
「……通してくれないか。俺は、みぃと話がしたい」
「断る!」
青年の目が、す、と細められる。その奥で僅かに苛立ちの焔が燃える。
「一応、ここは俺の家なんだが」
言外にどけと言われて、子猫は吼えた。
「確かにここは、もともとあんたの家かも知れない。でも、今は、今この瞬間は、ここはみゅうと僕の家だ! 僕たちだけの家だ! 僕の縄張りで、僕の守る家だ! 僕の大事なみゅうが嫌だと言ってるんだ! あんたが土足で踏み入って彼女に触れることは、絶対に許さない!」
踏み出した足を引いたのを尻目に、なおも彼の顔を睨みつける。いつでも飛びかかれるように姿勢を低くし、爪を見せて威嚇を続ける。やがて、彼がす、と膝を折った。子猫の目線と同じ高さに、顔がある。青年は首の後ろを掻くと、大きく息を吐いた。
「わかった」
静かな声が子猫の耳を打つ。
「そんなに嫌なら、今日は引く。また、そうだな、明後日くらいに来る。あれじゃ多分買い物にも行けていないだろうから、代わりに買ってくる」
少しだけ威嚇を解いた子猫を、しかし青年は解放しなかった。むしろしっかりと目を合わせ、ゆっくりと細めていく。
「なぁ、小さな騎士」
「……何」
向けられる瞳の鋭さに、子猫は初めて、たじろいだ。そこを逃さず、彼はそれを放つ。
「守るだけじゃ、死ぬだけだぞ」
「……え」
「俺は、みぃのあの姿を知っている。あれが何なのか、みぃの正体も、全部知っている。だから、次来たときは、絶対、話をするから」
固まる子猫に構わず立ち上がると、青年は踵を返し庭を去って行った。
彼が完全に見えなくなるのを確認し、更にそれからしばらくそこに留まって、子猫はようやく構えを解いた。どっと疲れがのしかかり、縁側に転がる。まだ怪我が治りきっていないのに、少々無茶をした自覚がある。おかげで身体中が痛かった。顎を床につけたまま、青年が残していった白い足跡を眺める。
『守るだけじゃ、死ぬだけだぞ』
『俺は、全部知っている』
「……なんだよ」
たまらず爪で床を引っ掻いた。あとで彼女に怒られるかも知れないが、せずにはいられなかった。猫は泣かない。鳴くだけだ。だけど無性に泣きたかった。彼女の現状を打破する鍵は、全部あの青年が持っている。ならば、会わせないわけにはいかなかった。
襖をちょいちょい、と前足で開け、するりと入り込んで器用に閉める。茶の間を抜けて台所に向かうと、その奥、隠れるように彼女が膝を抱えていた。
「帰ったよ」
「……見られちゃった」
「あー、うん」
「……何か、言ってた?」
「……みぃのそれ、知っているって」
「え」
がばり、と顔を上げた彼女の目に、ほんの僅か光が灯るのが見えて、子猫は静かに嘆息した。
「明後日、もう一度来るってさ。ご丁寧に、買い物もしてきてくれるって」
「……そ、か」
再び膝の間に頭を埋めるも、先程のような悲壮感は感じられない。子猫はもう一度深いため息を吐くと、パタン、と一つ、尻尾を振った。




