Oblivion4 覚醒―ソノチカイヲ―
夜の散歩の帰り、塀の上に飛び乗ると小さな平屋が目に入る。雪に紛れ夜闇に溶け込みひっそり佇むその中で、縁側の向こう側、1部屋だけ浮き出た、まぁるい灯り。その灯りを見る度に、子猫は自分の中にも同じようなものが灯るのを感じる。あれは、彼女の灯り。大事な大事な自分の主の、優しい灯り。だから自分はいつだって、あれを目指して帰るのだ。それで彼女の柔らかくて温かな膝の上でまどろむ。彼女はいつも笑って言うのだ。
「朔鬼は温かいね」
当たり前でしょ、と彼は心の中で呟く。いつもあの灯りを、分けてもらっているのだから。
塀から飛び降り庭を抜けて尻尾を一振り、縁側に飛び乗る。敷いてある雑巾の上で何度か足踏みしてから前足でちょいちょい、と引き戸を閉めると、ただいまぁ、と声を上げながら細く空いた障子を抜けて畳を踏んだ。障子を閉めるのも忘れない辺り、我ながらできた猫である。
おかえりぃ、という声は明らかに生返事で、机の上に両肘をついた彼の主は、片手にペンを持って何やら考え事の最中だった。
「何やってるの?」
膝の上に乗り、前足を机の上に乗せるとお腹と机の間からにょ、と顔を出す。一枚の紙の上に、縦横に文字が散乱していた。
「記憶をね、まとめようかな、と、頑張ってはいるんだけど……」
頭の上でため息が1つ。と思うと、子猫の耳の間にコツ、と固いものが当たった。そのまますりすりと動く。多分、これは彼女の顎だ。
「一緒に、暮らしていたのは間違いないの」
ペン先でいくつか指したのは、この家でのことや、外に出かけた時のことと思われる言動の記憶。共にご飯を作ったこと。その日にあった他愛もない話。買い物に出かけた先での小さな出来事。
「じゃぁやっぱり、ここはあいつの家なんだ」
「うん……多分」
その歯切れの悪い物言いに引っかかった。
「多分?」
「……記憶が断片的すぎて。肝心な顔も名前も、思い出せないの」
光景だけは、言葉だけは鮮明に思い出せるのに、相手の顔はいつも濃霧に覆われたよう。名前を呼ぶべきところも、そこだけふ、と音が消えるのだという。
「トーヤは去年の冬に出会って、冬の間一緒にいたって言っていたでしょう? でも、この記憶じゃ全然足りない」
「……何でだろう」
記憶を取り戻すことには少し慣れてきたものの、昨日辺りから青年と話しても1つ2つも思い出せなくなってきているという。正直、打ち止めの感があった。
「段階があるのかなぁ。もういくつか鍵があって、見つけたら先に進める、みたいな」
「……私の記憶はダンジョン型……」
最近バイト先の古書店で見つけた異世界冒険ものの小説にはまっている彼女は、そう言って大きなため息をついた。
「鍵の在処がノーヒントなのが辛い……」
「……相当はまってるね」
「うん。……何か、懐かしい感じがして」
はた、と首を傾げた。
「それって、読んだことがあるってこと?」
「……多分?」
「あいつは、その本を知ってるのかな」
「どうかなぁ。聞いたこと、ない」
「訊いてみれば?」
「……うん」
やっぱり、この声から不安が消えないうちは、奴を家に上げる訳にはいかない。机に顎をつけながら、子猫もこっそり息をついた。




