Oblivion3 探温―ムカイアワセ―
彼が隣を歩くようになって、気づいたことが2つある。
1つは、周りの目に怯えなくて良くなったこと。独りぼっちはやっぱり目立つ。子猫と並んでいるともっと目立つ。お節介な人たちに捕まりたくなくて、なるべく身体を縮めて足早に歩いていたけれど、彼と歩くことで気づく。隣に誰かいるということは、とても息が楽だ。彼と何を話すか、どう話すか、そういった別の圧力はあるけれど。少なくとも、どこの誰とも知れない第三者の目線に怯えなくてよくなる。……あるいはもしかしたら、その「第三者の目線」は、自分が殻にこもるために作り出した単なる「言い訳」なのかもしれない。
もう1つは。以前から何となく惹きつけられていた彼の表情だった。
敬語を使わずに、名前も呼び捨てにし、自分の中でも違和感を覚えずに彼と話せるようになるまでの道のりは途方もなく長かった、と少なくとも彼女は思っている。彼に言わせれば『予想より早く馴染んだ』とのことだが、待たせている自覚があった彼女にしてみれば、焦りと反省の毎日だったのだ。そうして親しみという峠をようやく越えて見えてきた、微笑を浮かべながらも淡く静かに憂いをにじませる彼の姿。時々は俯かずに彼の顔を見て話せるようになって、その眼差しの多さに気づいた。気づいてしまえば、気になってしまう。いつ、どんなときに、どうして。会話の中から探ろうなんて慣れない真似をしてみて、いや、本当はそんなことをしなくても、彼女はある答えに辿り着いたのだった。
「……どうして、悲しい顔、するの」
答えに辿り着いていながら尋ねてしまったのは、彼の口から、ちゃんと答えが聞きたかったからに他ならない。ずるい。心がぽつりと呟いた。辿り着いた瞬間罪悪感に目眩がしたのに、聞かないでおこうと心に決めたのに、聞いてしまったその理由。彼に答えを聞いて、少しでもその罪悪感を薄めたれたらなんて、なんて都合の良い心理なのだろう。つまるところ、耐えられなかったのだ。
自分の口から零れてしまった言葉に気づいて、彼女は咄嗟に口元に手をやった。当然ながらそんなもので取り消されるわけがなく、しっかり受け取ってしまった彼の目が丸くなっていくのを最後まで見ていられなかった。子猫が金の瞳を僅かに眇めて足下から見上げてくる。やってしまった。
「悲しい顔?」
静かな声が降ってくる。しかたがない。答え合わせの時間だ。小さく頷く。頷いて、言葉を重ねた。辿り着いた答えを、差し出す。
「トーヤ、話していると、時々、してる。優しいのに、悲しくて、寂しい。……私が、覚えて、ないからでしょう?」
「違う」
思いがけず強い語調が返ってきて、彼女の肩が震えた。それがはっきりと伝わったようで頭の上で息をのむ気配がし、やがて彼はもう一度、丁寧に言いなおした。
「違う。みぃのせいじゃない。ただ……」
珍しく言い淀んでいる彼の顔をおそるおそる見上げる。視線を斜めに外して、彼は言葉を探しているようだった。免罪符を渡された彼女が息を潜めて見守る中、彼はゆっくりと言葉を紡いだ。
「みぃと過ごしたあの冬の色々を、思い出として処理しはじめている自分が、嫌なんだと思う」
彼と出会ってから、少しずつ、「あの冬」の話を聞いた。ひょんな偶然で出会ったこと、少しずつ互いを知って仲良くなって、一緒に暮らすようになったこと。過去形で話す彼は、いつも憂いを帯びていた。それを彼女はずっと、心苦しく感じていたのだけれど。
叶うならば、と彼は言う。
「俺はもう一度、みぃの世話を焼いたり甘やかしたり、したいんだよ」
ほんの少しだけ含まれた痛みから、彼女はそっと目を逸らした。もう、十分甘やかしてもらっている、とは言えなかった。今の彼女が言ったところで、彼は満足しない。納得しない。ちゃんと、全てを取り戻した彼女でなければ。




