ショート・エール 赤の評点
「ふふふ、それでは今回の『教材』を紹介しますわー」
ウォルの本体である村から森の中を北へしばらく歩いた後に、突然広がる大荒野そのものの光景。
10キロ四方の剥き出しの地面をあえてそのまま残したこのスペースは、魔法や大規模戦闘の訓練に使うための演習場。
アンゼリカ、ヨーキ、ネル、ニア、ランティア、ロザリア、タニヤ、ルーイー、ガラ、それにオレことサーヴェラの『十姉弟』を筆頭とした、11歳以上の兄弟姉妹たち全員。
半円に座ったオレたちの前で、先生はいつも通りの笑顔で左手を差し出した。
「……ミレイユ、何も聞いてないんだが?」
「当然ですわー、何も言っておりませんので」
その真っ白な手の先、黒い爪が指している先にいるのは、同じく黒い目を細くしているにーちゃん。
明らかに不愉快そうな『黒衣の虐殺者』の視線を受けてもいつも通り……いや、いつも以上に愉しそうに笑ってられるのは、この世界でも先生だけだと思う。
「今日の講義での旦那様の役割は講師ではなく、あくまでも『教材』です。
加えて言えば、事前に何も説明しない方がより意味のある学習になると考えました。
この子たちの主として、ご協力をいただけますね?」
「……わかった」
そして、説き伏せられるのも。
少し首を傾けた先生に、少しだけ黙った後にーちゃんは目を閉じた。
「何よりですわー、では早速」
その顔面を、先生が。
「「!!!?」」
思いっきり、殴る!?
「ふふふ、やはりこうなりますか……」
だけど、吹き飛んだのはにーちゃんの顔じゃなくて先生の腕の方だった。
唖然としているオレたちに向き直る先生の右腕は、肘から先がない。
その部分はにーちゃんを殴った瞬間に破裂して、白い灰みたいな粉になって飛び散っている。
肘の断面からは血じゃなくて、その粉が少し流れ落ちただけだった。
「……流石に、説明しろよ?」
一方で、自分の腕が砕けるほどの威力で殴られた相手。
すなわちにーちゃんの方はそこから微動だにせず、薄い氷越しに先生を睨みつけていた。
【氷鎧凍装】。
当代の水の大精霊たるソーマ=カンナルコにだけ許された、おそらくは世界最強の防御術。
そんな、文字通り『氷』の視線を向けられた先生は……。
「さて、それではここで皆さんに質問ですわー。
今のわたくしからの攻撃に対する旦那様の行動は……ふふふ、率直に言って『最悪に近い失敗』なのですけれど、理由は何でしょうか?」
「……」
それを平然と無視して、やっぱりいつも通り笑っていた。
いつの間にか元に戻っている右の拳でトン、トンと自分の左の掌を叩く先生。
その姿をヒントにして、アンゼリカが最初に答えに辿り着く。
「……攻撃に当たったから、ですか?」
「その通りですわー。
より正しく言うならば、防御したから、ですね」
「……」
ここでようやく赤い瞳が笑いかけると、氷の中の黒い瞳は面白くなさそうに遠くへと向いた。
「皆さんも自分の手でもう片方の手を叩いてみればわかると思いますが、どんなに軽く叩いても叩かれた方には0ではない力が、ダメージが伝わります。
それを敢えて真正面から受け入れるメリットは、基本的にどこにもありません。
しかも、触れられることで毒や魔法の何かしらの効果を受ける危険もあります。
咄嗟に防御するというのは、攻撃に対する行動としては最悪に近い判断なのですわー」
ちなみに『最悪』なのは防御に失敗して攻撃が直撃することです、と続けた後に、先生の右手はまた拳の形になる。
「今日の講義内容は、『戦いに勝つための最善の行動とは何か』です。
わたくしは、いずれ大人となり自分以外にも守るべきものができる皆さんに体術や武器術、魔法といった戦うための技術を教えてはいます。
ただ、それはあくまでも何かを守るために必要な手段なのであって、使うこと自体が第一の目的なのではありません。
それを実感してもらうための、今日の講義と『教材』なのですわー」
「……」
そのまま、今度はゆっくり突き出された先生の右手を、にーちゃんもゆっくり体を捻ってやり過ごした。
「はい、正解ですわー。
攻撃に対しては可能な限り回避を選択して、そのまま次の行動に繋げてください。
……自分の防御力に自信があるからと、最初から回避する努力を放棄しないように」
一層苦い顔になったにーちゃんから腕を戻しながら、先生はオレたちの方へ向き直る。
「ですが、ここでさらに考えてほしいのは、攻撃されたという状況になる前にどういう行動を取るべきか、です。
相手に攻撃という主導権を握られてしまっているが故に、こちらは回避か防御の2択を迫られるわけですから……」
「先に攻撃する?」
「ガーラン君、正解ですわー」
ヨーキの隣からこぼれた声に、先生は笑顔で応えた。
「「!」」
そのまま、にーちゃんの方へ向こうとした先生の首元には、いつの間にか氷の切っ先が添えられている。
「……このように先に攻撃することで、逆に相手には回避か防御を強いることができるわけですね。
ふふふ……流石は、旦那様です」
もちろん、これはにーちゃんの意趣返しだろう。
無詠唱どころかノータイムで作った氷の長剣を握っているにーちゃんは、表情こそ動いていないけれど明らかに目は笑っている。
逆に先生は笑顔だけど、その目は全然笑ってない。
「では、ここからさらに考えてみましょう。
相手より先に攻撃した方がいいとしても、それを回避なり防御なりされればまた相手のターンとなり、攻撃されるリスクが出てきます。
なら、こうして相手が攻撃できる範囲の中で行動を起こすよりも……、……相手からの攻撃が届かない所から一方的に先制攻撃を加えた方がいいとは思いませんか?」
いや、笑った。
「旦那様、あちらに200メートルほど移動していただけますか?
この子たちが、危険ですので」
「……お前なぁ」
「講義ですので」
「……」
「講義ですので」
「……学問や教育を理由にすれば、人は何をしてもいいわけじゃないぞ」
「何かを守るためには、他の何かを守らないという選択も必要。
これもまた、人の世の真理ではありませんか?」
「……」
本当に嫌そうな顔をしてから、にーちゃんはその笑顔が指す方へ歩き出す。
この後に何をされるのかわかっているからだろう、【氷鎧凍装】が少し分厚くなっている気がした。
「少し話を戻しますが、攻撃するなら誰かの援護をもらうというのも良い作戦だと思いますわー。
1人から殴りかかられるよりも、2人から囲まれる方が対処は難しいですよね?
もちろん、攻撃側の人数が増えれば増えるほど、防御側の手間はそれに比例していきます。
近距離でも遠距離でも変わらない、これも戦いにおける真理の1つですわー」
その背中に手を振りながら、先生が言葉だけで補足した。
それは当然だろうと素直に思えるから、オレたちはうんうんと頷く。
……まー、仮にオレたち全員でにーちゃんを囲んでも、全方位から氷で射撃されて終わりだとは思うけれど。
多分……両手両足を。
「さて、ではここからさらに踏み込んでみましょう」
多分、同じ想像に行き着いたオレたちを、先生の声が呼び戻す。
「誰かの援護をもらってもいいなら、その誰かに攻撃を任せた方が楽だと思いませんか?」
「「!?」」
同時に、かなり小さくなったにーちゃんの右手側で緑色が爆発した。
草……、……いや、ウィリオンか!
棘や毒こそないけれど、人間程度なら簡単に絞め殺すネクタ大陸の食獣植物。
頭も胴体も足もあってないような、蔦が絡み合った犬みたいな魔物。
クラスとしてはDだから、訓練した騎士や魔導士なら勝てるレベルではある。
「「……」」
ただし、数が少なければ。
にーちゃんを飲み込んだ緑色の群れは、どう見ても百や千で済む数じゃない。
何もなかった荒野から突然噴き出したウィリオンはまるで波のように拡がって、その全てがにーちゃんがいたところに押し寄せている。
下手をすれば万に届く食獣植物の、数の暴力。
【神座乃召喚】。
ネクタ最奥の森の中を闊歩する食獣植物たちを魔力の許す限り召喚する、神域の顕現。
条件が揃えば竜さえも捕食するような恐怖を軍勢として使役する、木属性魔導の頂点。
それを使えるのは、ウォルで、というかこの世界でただ1人。
「今回のもう1人の『講師』、アリスさんですわー」
数を重視してウィリオンだけで統一された緑の波濤の後ろ、森から演習場へ入ってきたのは瑠璃色がかった銀色の髪。
木の大精霊フォーリアルの杖を手にしたねーちゃんの姿に、『双緑』夫妻やガラ、ミスティといった木属性魔導士たちは身を乗り出した。
『至座の月光』。
この二つ名が比喩でも何でもなくただの事実なんだと、オレたちは再認識させられる。
「さて、では本日最後の質問ですわー」
そんな感嘆に、先生の愉しそうな声が混ざった。
「どうして、アリスさんはまだ無事なのでしょうか?」
「「……」」
一瞬、意味がわからなかったのは、オレだけじゃないと思う。
ただ、一拍おいてから全員が気がついた。
そう、ねーちゃんが『至座の月光』だろうと、にーちゃんには意味がないんだ。
ねーちゃんよりにーちゃんの方の魔力が高い以上、【氷鎧凍装】を突破されることはないんだから。
それに、ねーちゃんがいるのは完全ににーちゃんの領域内だ。
それこそ手足なりを撃ち抜いて術者のねーちゃんを行動不能にすれば、【神座乃召喚】も終わらせられる。
というか、にーちゃんならあの大軍でも正面から押し流せるだろう。
つまり、にーちゃんがウィリオンに呑み込まれたままなのは、にーちゃんが何もできないからじゃない。
何も、しようとしてないだけだからだ。
……とは、言っても。
「まー、にーちゃんがねーちゃんを怪我させるわけないもんね……」
「その通り。
サーヴェラ君の言う通り、アリスさんがまだ無事なのはアリスさんが『至座の月光』だからなのではなく、『魔王の最愛』であるからです。
旦那様にとっては絶対に傷をつけたくない、安直に攻撃ができない存在ですね。
逆から見れば、アリスさんはそこに立っているだけであの旦那様の攻撃を完封できる、絶対の存在なのですわー」
思わず口を突いたオレの苦笑いに、先生は穏やかな笑みで頷いた。
「もう一度言いますが、『手段』は『目的』ではないのです。
『敵を倒す』というのは、『戦いに勝つ』という目的を達成するための、あくまでも手段の1つに過ぎません。
敵を倒すという行動自体が必要ないならば、防御も回避も攻撃も誰かの援軍もやはり必要のない行動となるわけですから」
その赤い瞳は、ウィリオンの山の中心から湧き上がる膨大な量の水を眺めている。
「逆に、どれだけ強かったとしてもどれだけ差があったとしても、敵がいればその必要のなかったはずの行動や力が必要になってしまうのですわー。
……ですから、皆さんはどれだけ強くなったとしても、敵を作らない努力を、理解されるための努力を怠ってはいけません」
地響きのような水音にも負けない声には、少しだけ皮膚を焼くような鋭さがあった。
「理解し合うことができれば、敵として倒すべきだったその人は自分の背中や心を支えてくれる最高の味方になってくれるかもしれません。
少なくとも、戦いに至る前に話し合うことくらいはできるでしょうし、戦いに臨むことを躊躇させることもできるようになるでしょう。
……もちろん、それでも戦わざるを得ないことはありますけどね」
その痛みは、先生が小さく笑ったことで錯覚のように消える。
山のように立ち昇った水の中では、ウィリオンがジタバタと藻掻いていた。
同時に、ねーちゃんを囲むように水の壁が伸び上がる。
「戦いに勝つために、もちろん強さは必要です」
ほとんどのウィリオンが水の中に封じ込められたのを見て、先生は「状況終了」の【花火弾】を打ち上げた。
一拍おいてウィリオンは動かなくなり、水もゆっくりと消えていく。
「ですが、強いだけでは駄目なのですわー」
講義の終了を告げた先生は、何かに困ったような笑顔でその光景を見つめていた。




