ショート・エール 円
3.5部は、「3部本編後」というより「4部直前」のお話になります。
「じゃあ、説明していくから」
「あ、ちょっと待って、メモしとくから」
ネクタ大陸カンテン地区、カミュ家のリビング。
つまり、マリア=カミュ、旧姓マリア=カンナルコこと私のお姉ちゃんの家。
都合5回目の訪問となるその日も、やっぱり私たちは大量のお土産を担ぎ込んでいた。
ウォル産干し肉の甘口、中辛、辛口と、ミレイユが持たせてくれた自家製の紅肉。
商品用とは別に、レギュラーシリーズを4個ずつと試作品の「ダブルスープ」も4個の計24個を詰め合わせたお土産仕様のカップ麺が1ケース。
他、ネクタでは手に入れにくい動物の革を使った小物をいくつか……。
お父さんと同じ、炎のような色の髪の毛をまとめたお姉ちゃんがホクホク顔で戻ってきたテーブルの上に並ぶのは……つまりは、ほとんどが肉とカップ麺だ。
……いや、わかる。
わかるけれど。
確かに、お肉もカップ麺もおいしいけれど。
私も、作る……いや、製造する側になるまではすごく好きだったけれど。
……でも、お姉ちゃんはハマりすぎじゃないだろうか。
というか、お父さんもお母さんもお義兄さんも、いや、森人全員がカップ麺を好きすぎだ。
最初は月に何度かの稼働で事足りていたはずのウォルの森林工房が、今はほぼカップ麺工場と化してしまっているくらいに、出荷数量が伸びている。
ついには危機感を感じたソーマが、ノクチで「カップじゃないウォル麺」の店を出さないかとイラ商会に相談し、その1ヶ月後にはカミラギノクチで1号店が営業開始、それを目当てにした他の地区からの一時出区申請が相次いで地区間の事務作業がパンクしかけたくらいの大ブームだ。
ちなみに、半月後にはカンテンノクチにも出店することが決まったらしい。
本当によかったと思う。
……カンテンの森人にとってじゃなくて、あの無限、あるいは夢幻麺茹で地獄から解放されるソーマたちが、だけど。
そして、今から私が説明するものも、そんなお姉ちゃんの声に応えて彼が作ってくれたものだ。
「……で、これがスープの素なのね?」
「そう」
発端は、2ヶ月前に届いたお姉ちゃんからの手紙だった。
『カップ麺を食べた後の残り汁で野菜を茹でると、おいしいよね!』
……その文面を聞かされたときのソーマの表情は、ウォルを作った当時のサーヴェラたちの「水路の水を飲みゃいいじゃん」という発言を耳にしたときのそれに似ていた。
実際、水の大精霊だからなのか別の世界の人間だからなのか異常な綺麗好きである彼からしたら、お姉ちゃんの行動は論外だったのだろう。
何となくそれを察した私も、その日はずっと気まずかったのを覚えている。
……で、それに対する彼の行動がコレだ。
「使い方はカップ麺と同じ感じで、お湯を入れるだけ。
中に入ってるこのスプーンで1杯取り出してこっちの容器に入れて、この線までお湯を入れる。
後から火を入れるなら、別に水でもいい」
「全部、同じ分量でいいの?」
「うん、好みで調節してもいいけど。
スープとして飲めるように作ってあるからそのままでもいいし、少し濃いめにして野菜を煮込んでもおいしい」
「ふぅん……、……あ、おいしい……」
カップ麺のスープから、料理のベースとなるよういくつかの材料を減らしたもの。
フラク、ヤギ、グリッド、ハネトをベースにした4種類を少しずつ味見しながら、お姉ちゃんはうんうんと頷いている。
「ウォル……というかカイランだと、薄めに作って離乳食にしたりもする」
「あぁ、なるほど」
さらに、私がそうつけ足すとその瞳は左の方へと流れた。
それを追いかけて右を向いた先では、床の上であぐらをかいている黒いコロモ姿のソーマの……若干悲しそうな横顔が見える。
「そうですか……、そっちの方が好きですか…………」
なぜか敬語……個人的にはあまりいい思い出のないそれを零しながら、残念そうに見下ろすその視線の先には……。
「う?」
ソーマの膝の中で編籠を抱える、リリアの笑顔があった。
リリア=カミュ。
お義兄さんことユリアン=カミュとお姉ちゃんマリア=カミュの間に去年生まれた、カミュ家の長女。
それぞれの実家においても初孫で、もちろん私にとっても彼にとっても初めての姪。
そして、離乳も順調に進み先月には伝い歩きをマスターした、天下無敵の1歳児。
「リリさん、……メインはこっちなんですけどね」
「えいー!」
天下の『魔王』を椅子にしながらその問いかけを無視したリリアの興味は、再び小さい両手で抱きつく編籠の方に戻る。
肩を落としながらも苦笑いするソーマは、仕方なく右手に持っていた赤いボールを床に置いた。
チリン、と小さく鈴の音がするものの、リリアはやっぱり見向きもしない。
ウサギの皮を丁寧になめした後、カラフルに色づけ。
布をしっかり、ただし柔らかさは残るように巻いた塊を中に入れてできるのは、ネクタではなかなか手に入らない本革製の子供用ボール。
しかも、鈴だったり鳴袋だったりを中心に仕込んだ大小8色のこのセットは、ソーマがウォルポートの職人に特注した、可愛い姪っ子への渾身のプレゼントだ。
……だけど、そんな大人の事情も1歳児には関係ない。
お姉ちゃんへの挨拶もそこそこにリリアの下に馳せ参じた彼を待っていたのは、ボールではなくそれを入れていた編籠、しかもカンテンノクチで荷物を整理するために買ったただの容れ物の方に食いつかれるという、残酷な結果だった。
「ごめんね、ソーマ君。
せっかく持ってきてくれたのに」
「いえ……、……まぁ、子供がこういうものだというのはわかっているので」
そんな無慈悲な天使に毎日振り回されているお姉ちゃんも力なく笑うけれど、実際、彼の言う通り私たちも子供がそういうものだということは充分に思い知っている。
これでも、ウォルで千人単位の子供の面倒を見て、その子供たちが親になるために必要な教育のカリキュラムを策定しているのだ。
モニターとしてその授業や研修を一通り受けている私も彼も、今更ショックを受けたりはしない。
子供の相手をする大人には、その気まぐれを楽しめるくらいの度量が必要なのだ。
「……まう?」
「……『まう』?」
事実、そんなことを思っている内にリリアの興味は編籠から瞬間移動していた。
体を半回転させてソーマの左足によじ登ったリリアは、倒れないよう彼に支えられたままジッと叔父……だとはわかっていないと思うけれど、その顔を凝視している。
お姉ちゃんより少し色の薄い朱色の髪の下、お義兄さんと同じ赤みがかかった紫色の瞳が見つめているのは、若干緊張した表情のソーマの……顔?
メイプルの葉のように小さな手は、一切の遠慮もなく当代の水の大精霊に伸ばされ……。
「痛痛痛!」
「まう! まうー!!」
手近にあった、左の耳を掴む!
「痛……ぅぇあーーーー!?!?」
そして、引き寄せて……噛みつく!
「ちょ、こら! リリ!!」
「まう……むうぅーーーー!!!!」
「えぇ……?」
「……っ、っ……、っ!」
慌てて駆け寄るお姉ちゃんと、お姉ちゃんに引き剥がされるリリアと、それでも自分の耳を掴もうと伸びてくる小さな手を怯えた表情で見上げるソーマと……、……そんな夫の姿を見て必死で笑いをこらえる私。
どうやら、森人のそれとは違う彼の、人間の丸い耳が気になったらしい。
「丸がいいなら、ボールでいいだろ……」
普段、私の耳を玩具にする罰が当たったんじゃない?
涎まみれの耳を押さえたまま呆然とつぶやく彼に、私は心の中で爆笑した。




