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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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ショート・エール 嵐の前日 後編

「……つまり、先代の大精霊が死した際に最も近くにいた生き物が、次の大精霊になるということ……だったのですね?」


無論、本来であればご生前の内のご指名が望ましかったが、先代様はもうそれも不可能になっておられた。

……とはいえ、この形でのご継承に何か問題があるわけでもない。

我ら兄弟姉妹は、当代様に忠節を尽くすのみ」


「「……」」


サリガシア3王都の1つ、ヴァルニラ。

『毒』のネイ家が治める大陸最南西の港町、そのほぼ中心部に位置する冒険者ギルドの地下に広がる隠し部屋の中では、思考と思索が渦巻くが故の重苦しい沈黙が広がっていた。

地下ゆえに日の光が入らない暗黒の中、テーブルに12個、円状に並べられた火属性【灯火ライト】を込めた魔具の光が、席に着き、その後ろに控える全員の顔に濃い陰影を作りだす。


ガエンが死に、エレニアが土の大精霊になった。


『ホワイトクロー』としてその報告をオーランド支部長、あるいは『大獣キマイラ』の九番モンを束ねるオーランド戦支長に伝えた翌々日。

ネイ家の本宮ほんきゅうを臨むヴァルニラ支部の地下室には、11名の戦支長と11名の戦支、そして1人の土の上位精霊が顔を揃えていた。


「そういうわけでウチも、……当然『爪』の陣営も何かを隠していたわけではないですニャ。

これでご納得いただけますか、ネハン様?」


「……そうですね、失礼いたしました」


『服従の日』以後、そして『大獣キマイラ』結成以後に各都市の中心部に設けられた、一部の戦支以外は存在を知らない地下室。

土属性魔導【創構グラクト】で作られた黒の空間にしつらえられたやはり黒だけの正十二角形のテーブルを挟んで、私の前に座るエレニアはほぼ正面に座るネハン様に真摯な瞳を向けた。


ネハン=ネイ=ネステスト。

このヴァルニラ、そして『毒』のネイ家の最長老で、後ろに立つネイリングの曾祖母。

血筋だけではなく約25万という現存の獣人ビースト最高の魔力をもってサリガシア南西部を治めてきた、生ける伝説。

6年前にほとんどの子供と孫を失ったが故に齢100に到達して再度王の座に就くこととなり、そして『大獣キマイラ六番ネイの戦支長を務めることともなった『猛毒の母』は、エレニアに向けてごく柔和な笑みを返していた。


王たる者、無論頭は下げない。

年齢のため髪が抜け落ちた頭に純緑の長い頭巾を被り、それでも年齢を感じさせない黄色い瞳を炯々と輝かせる『毒の王』の視線はそのままエレニアの後ろに立つ私、『牙の王』に仕えるアネモネの瞳を射ぬき、さらにその傍ら。

すなわち、私の左隣で跪礼姿勢をとったままの、部屋やテーブルと同じ黒い色と質感の人物の頭頂部に向けられる。


土の上位精霊筆頭、アレキサンドラ。

サリガシアの大地と同じ黒い土で象られたその顔には、瞳の部分に赤と青、黄色と緑、そして白と紫、黒の7色の宝石が光っている。

7つ目、としか言いようのない相貌を伏せたままの上位精霊は、まるで水の大精霊であるソーマと水の上位精霊筆頭であるシムカの関係をそのまま再現するかのように、エレニアにはべっていた。


「ナガラ様も、よろしいですかな?

ここではあくまでも『大獣キマイラ』としての話をするべきだと、私も思いますんで……」


「……無論だ」


部屋にいるもう1人の王にオーランドが軽い調子で断り、エレニアの右隣に座っていた『牙の王』がそれに重々しく頷く。

それは、もうこの場ではこの話題。

すなわち、『爪』に属するエレニアが大精霊となった経緯の追及をしないという、それぞれの王意の確認でもあった。

















国内国外を問わず、以後一切の戦争行為の禁止。

港湾及び各都市間の移動、都市内での活動に伴う人間種族以外への一律課税。

上記2項を監視し、また徴税を担当するエルダロン兵の常駐。


6年前の『服従の日』、きゅうを壊し、殺すだけ殺したフリーダがさっさと帰った翌々日。

顔の引きつった風竜ハイアによって伝えられたエルダロン皇国からの命令は、私たちの矜持を全否定するものだった。


入国に際して税金を取られ、入都にゅうとに際して税金を取られ、出都しゅっとに際して税金を取られ、出国に際して税金を取られる。

店で食事をしても、買い物をしても、ギルドで手続きをしても、宿に泊まっても税金を取られる。

寒すぎて人間では滞在できない北部の一部地域を除いて、獣人ビーストは『声姫』に財を送るための家畜になり下がった。


両親を、妻と子供を、子供と孫を。

王と歴史、誇りを奪われたサリガシアの、それが新たな日常だった。





その中で生まれたのが、『大獣キマイラ』だ。


かつて創世の前の時代に存在したという、神話における怪物。

後にいくつかの獣人ビーストの家名の元ともなった12の名前、それを冠する12の頭で世界を喰らったという姿なき獣。

その12の頭がつかさどったという、いくさの要素。

すなわち。


工作と潜入を司る、一番エマ

守護と回復を司る、二番シオ

攻撃と制圧を司る、三番テイ

盗聴と籠絡を司る、四番ラブ

殲滅と支配を司る、五番ディオ

暗殺と隠蔽を司る、六番ネイ

輸送と支援を司る、七番ホー

諜報と懐柔を司る、八番シー

思考と参謀を司る、九番モン

狙撃と監視を司る、十番ビー

追跡と追撃を司る、十一番ドー

吶喊とっかんと特攻を司る、十二番ワイ


ネイ家のネハン様が提唱し、『金色こんじき』と『赤土あかつち』と『黒』、3王都のギルド支部長を介して残る2王家に打診されたこの地下組織は、そんな獣人ビーストの屈辱的な日常を支える黒い大地の中で産声を上げ……。

そして、あの『声姫』の喉元を狙わんと、その力を蓄えていた。

















「それで……エレニアが大精霊になった事実は、どこまで隠せるやろか?」


この場にいない「爪の王」を除く2人の王が黙ったところで口火を切ったのは、オーランドの右隣の席、八番シーの戦支長であるルルだった。

ルル=フォン=ティティ。

かつて『毒』の陣営で軍師として采配を振るった『金色』のオーランドと並び称される、『爪』の『描戦びょうせん』。

まだ30に届かない年齢でありながら、戦時中はその策だけで軽く数千人を殺しているとされる希代の女軍師は、山吹色の長髪からのぞく三角形の耳を細い指で掻きながら、背もたれに挟んでいた巨大な筆のような尻尾をワサワサと動かした。

北東部の小国であるナゴン出身者独特のなまりを持った声は、隣のオーランドと……そして、その後ろに立つ恰幅のいい影に向けられている。


「吾輩も、それを考えていた。

エルダロンの『声姫』もだが、カイランの『魔王』もネクタの『最古』も黙ってはいないだろう。

……エレニア、自陣片カードはどうしたのだ?」


ポプラ=ポー=フィリップス。

『描戦』のルルに対して『牙』の『画場がじょう』と謳われる中年の大軍師は、まるで太鼓か袋のように立派な腹をさすりながらもはや公称となりつつあるソーマの二つ名を口にした。

前から後ろまで毛先を一直線に切り揃えた、小ぶりなキノコを思わせる髪型に、目の周りの濃いクマと鼻の下のちょび髭。

しかし、そのユーモラスな外見とは裏腹に『毒』と『爪』の兵から最も恐れられ、あのオーランドが自身の右腕に選んだ天才策士は、決してあたたかくはない茶色の瞳をエレニアに送った。


「アトロスに捨ててきたニャ」


「ハハッ、よく気付いたなぁ!」


その視線に、私の前のエレニアがニヤりと笑う。

本人が魔力を流し込む度に強制的に最新の状態に更新されてしまう、オリハルコンの身分証明書。

それを常人が踏み入れぬ雪山に投棄してきたと笑うエレニアに、ポプラの前に座っていたオーランドは短い笑いを発していた。


「……お陰で、ヴァルニラに入るときが大変だったけどな」


「たるづめでのけんもんやぶりは、だいせいれいのおいえげい……」


「ネイリング、アレって結構トラウマになりますよぉ……」


「……まぁニャ」


それに続いてぼやいてしまった私の声に、ネハン様の後ろに控えていたネイリングと四番ラブの席の後ろに立っていたブランカが反応する。

リーカンへのミレイユの持ち込みを思い出しての、無邪気な笑い。

アリスの逆鱗に触れたときのことを思い出しての、苦笑い。

特にブランカの言葉に反応して、エレニアも渋い顔を浮かべていた。


……樽詰め。

経験したくもないが、どうやら予想以上にキツいらしいな。


「じゃったら、エレニアに適当な身分の自陣片カードを渡してやらねばならんのう!

ハゲよ、用意できるじゃろうの!?」


そんな、ヴァルニラへの密入都に話が及んで少しだけ緩んだ空気の室内に、怒鳴り声に近い大声が飛ぶ。

五番ディオの戦支長、キリ=サラン=マーカス。

あるいは『赤土』と呼んだ方が、冒険者には伝わりやすいだろう。

サラン家の者特有の目の周りの赤い鱗に【灯火ライト】の光をテラテラと反射させながら、60を超えた老人のものとは思えぬ音量がその大きな口から放たれた。


ハゲ、と称されて赤い顔を歪ませたオーランドと同じく、現役のAクラス冒険者にして冒険者ギルド支部長。

サリガシア3王都の1つ、『牙』のイー家が治めるベストラのそれを預かる長。

その立場でありながら、自身が冒険者に順守させるべき最も基本的なルールをかいくぐろうとするダークレッドの瞳には、一切の遠慮も悪気もなかった。


「どうせ、エルダロン兵に我々の種族の正確な見分けなんてできません。

そちらの元気老人の言う通り、似通った年齢と家の者の自陣片カードをあてがえばいいでしょう。

……とはいえ5、6万程度の魔力の表示は必要でしょうから、ヴァルニラに良いものがないのであればこちらで探します。

他のシィ家の方にお借りする、という手もありますからね」


そこに、やはり遠慮はないが悪気のある単語が含まれた文言がエレニアの左隣、二番シオの戦支長から差し込まれる。

体の中心に響くような低音でありながら、非常に聞き取りやすく張りのある壮年男性の声。

ケイナス=シオ=ペイン。

もしくは『金色』と『赤土』に並ぶ、『黒』。

オーランドとキリと同様『爪』の王都であるコトロードのギルド支部を束ねるケイナスは、その浅黒い肌と額から突き出した2本の短い角という強面に似合わない、非常に紳士的で見かけ上は丁寧な言葉を紡いだ。


自陣片カード

そこに記された情報は、そのまま本人の実力を表したものだ。

直接触れて魔力を流し込むことで更新されるその情報を基に、魔導士は周囲から評価される。

また、鍵穴に合う鍵は1本しかないように、その更新は本人の魔力でなければ行われない。


この特性を逆用したのが他人名義の自陣片カードの使用、要するに「成り済まし」だ。

それこそ都市に入れない赤字レッドがよく使う手段であり……、当然ながらバレれば世界のどこにおいても違法となる危険な行為である。


が、大精霊となったエレニアにとって、そしてそのエレニアを擁する『大獣キマイラ』にとって、今はその優先順位が逆転している。

おそらくは世界3位以上に食い込むのであろうエレニアの魔力量を、このタイミングで世界に喧伝することの方が。

そして、それを『声姫』と『魔王』に知られることの方が、よほど危険なのだ。


ある意味で、今のサリガシアに対するフリーダの支配が。

その命を受けたエルダロン兵の監視が高圧的でありながらも決して徹底されていないのは、サリガシアに力がないとわかっているからだ。


別に、いつでも滅ぼせる。

決起されたとて、簡単に皆殺しにできる。

よって、監視は適当でもいい。

……そんな、屈辱的な評価。


しかし。

その屈辱的な評価こそが、『大獣キマイラ』の誕生と成長を許し。

寒すぎるが故にエルダロン兵が駐留していなかった、霊山アトロスでのガエンの死に気付かず。

土の大精霊、エレニアの密かな誕生を見逃す結果に繋がっているのだ。


まだ充分な戦力が整っていない現状で、もしもこの事実が白日の下に晒されれば、ソーマはともかくとして『声姫』は確実に来る。

エレニアも、『大獣キマイラ』も、獣人ビーストも、サリガシアも、今度こそ滅ぼされるだろう。

それだけは、避けなければならない。

身分詐称程度で赤字レッド化する危険性など、天秤に載せる意味すらもなかった。


それに……、隠さなければならない理由はこれだけではない。


「それでー、大精霊と寝れば魔力が移る、というのは本当なんですかー?」


『金色』、『赤土』、『黒』。

冒険者にとっては最も有名であろう3名の獣人ビーストが作り出した空気を、ひどく下世話で間延びした声が粉砕する。

ナンシー=ラブ=ジャミング。

わずか24歳にして四番ラブの戦支長を務める、後ろに立つブランカの異父姉妹いふしまいだ。

……サリガシアでもあまり聞かないこの血縁用語が、ラブ家の気性を物語っている気はする。


「だったらエレニアー、とりあえず今晩から明後日の夕方まで付き合ってほしいですー」


「……」


「「……」」


が、大精霊も王を含むこの場の全員を沈黙させたナンシーは、その中でも規格外だ。

これまでに関係した男女、噂では実に2千人以上。

所属する『爪』の陣営はもちろん、敵対していた『牙』に『毒』、果ては王家の人間とも口にできない付き合いがあったと囁かれる、『描戦』や『紫電』とは別の意味での女傑。

その生き方のあまりの華やかさと艶やかさから付いた二つ名が『うたげ』という、まさしくラブ家家訓である「多交たこう」の体現者だ。


ただし、ナンシーはその生き方と同じ程度には、強者としても名が知られている。

鉄扇てっせん片手の大跳躍と、ベッド以外でも敵軍の将を血眼にさせる実力。

3陣営の名だたる英雄から戦支長に推されたのは、決して伊達ではない。

女として最も嫌いな人種ではあれど、戦者としては私も尊敬していた。


「あの、すみません。

……一応、血を飲んでも魔力は移るらしいのでそっちの方が効率的かと……ヒィッ、す、すみません!」


その長い銀髪と白く長い耳、ルビーのような赤い瞳の苛立ちを受けて、おずおずと発言したイングラムが反射的に謝罪する。

十一番ドーの戦支長、ウルスラの背後に立つイングラム=シィ=ヤムティア、私たち『ホワイトクロー』と入れ替わりでキスカと共に先頃までウォルに滞在していた彼女は、室内の全員からの注目を受けて半泣きになっていた。

……ちなみに彼女は、エレニアと同じシィ家の出身だ。


「落ち着くであります、イングラム」


それを右隣から慰める、ノエミア。

父であり十番ビーの戦支長であるヨンク=イゴン=レイモンドの副官としてピシリと直立していたノエミア=イゴン=ヨンク、……私の親友は、イングラムの気弱そうな黄緑色の瞳を睨み、続く発言を促した。


「あの……」


「ウォルポートの住人たちからの聞き取りによれば、『魔王』の血を与えられた子供は数週間で上位精霊との契約が可能なレベルの高位魔導士になれるそうです。

ただ、ヴァルニラにて行なったAクラス魔導士と一般市民数組での実験では上昇幅数百程度と実用的な効果は得られませんでしたので、それこそ大精霊クラスの魔力がないと不可能なのでしょう。

また、そのわずかな上昇幅においても魔導士と市民の魔力値、血の量を揃えたにもかかわらず無視できない誤差が発生しています。

自陣片カード登録されたウォルの子供たちの魔力の差も合わせて考えると、血のやり取りにも相性があるか…………あるいは、我々が知らなかっただけで、実は魔力というものには血統や資質による限界、うつわのようなものがある可能性が高いかと」


しかし、その視線の圧力に理路整然と応えたのは、そのイングラムの前に座っていたウルスラ=ファン=オムレットだ。


「……尚、性交渉の方が1回あたりの上昇量は大きいようですが、対象の絶対数を考えた際には非効率と言わざるを得ません」


その髪色から、『紫電しでん』と称される『毒』の陣営を代表する若き女将軍。

……あるいは、チョーカ帝国の港湾都市ビスタを拠点に幾度もウォルを訪れていた『パープルブラッド』のリーダーは、髪と同じ色の瞳で全員を見回しながら、最後には四番ラブの戦支長に視線を合わせて報告を結ぶ。


「……だそうだニャ。

ナンシー戦支長、体を張ったご提案については謹んでお断りさせていただくニャ」


平穏は、どうしても人の心を緩ませる。

私たちがいた頃なら決して聞き出す事はできなかっただろう情報をあっさりと仕入れてきたウルスラとイングラムの視線に、ナンシーは本当に残念そうな溜息をつき、エレニアは引きつった笑みを浮かべていた。


「ならばニアよ、日々限界まで血を搾れ。

我ら全員、可能な限り強くならねばならぬ」


そして、その反対に人の心を固くするのが憤怒だ。


空席となっている、三番テイの戦支長の席。

その後ろに立つ戦支から上がった声は、エレニアを「ニア」と愛称で呼ぶ親密さとはかけ離れた冷たさと熱さに満ちていた。

ジンジャー=シィ=ケット。

8つ年上の、エレニアの異母兄だ。


「殿下のために、その血を捧げよ」


短く切ったエレニアと同じオレンジ色の髪に、人間の耳と同じ位置にある茶色い毛におおわれた大きな耳。

暖かい太陽を、そして冷たい金属を想わせる金色の瞳も、エレニアと同じそれだ。

現『爪の王』ソリオン様の近衛にして、幼馴染。

シィ家随一とされる爪術の冴えから、エル家に次ぐ者という意味を込めて『二爪にのつめ』の名を先代のエリオット王から与えられた、『爪』の陣営最強の男。


「わかってるニャ、ジンにい


「その忠節、『二爪』に勝る」。

同時に、そんな流行り言葉ができるくらいのエル家への厚い忠義で知られたエレニアの兄は、しかし肉親のそれとは思えぬ言葉を妹に投げつけた。

その言葉には本気しかないと、その場にいる全員が悟っている。

が、それも含めて理解しているだろうエレニアは、同じく兄妹だからこそ呼べる愛称でジンジャーに苦笑を返した。

なぜなら。


大精霊からの魔力の移譲による、『大獣キマイラ』全体の戦力の底上げ。


これは、ガエン存命時から数えられていた、私たちの戦略の1つだからだ。

過去の文献における魔人ダークスの【吸魔血成ヴァンピング】や、高位魔導士の結婚による妻子の魔力上昇。

ヒントはあってもその上昇量から確実視されてはいなかった軍備増強、魔力の移譲による高位魔導士化の有用性を実証したのは、他ならぬ『魔王の最愛』だった。

ソーマの寵愛を受けていまや世界3位、木の大精霊フォーリアルの契約者にまで上り詰めた『至座の月光』……すなわちアリスの存在が、私たち獣人ビーストくらい期待を抱かせる引き金となっていた。


……無論、私もエレニアの友として、この戦術を好意的に思っているわけではない。

『服従の日』より前の戦場でこれを聞いたならば、なんと卑しい外道の策かと憤慨したことだろう。

だが『声姫』に勝つためには、道の内も外もない。

倫理を踏み砕いた先にしか勝利がないならば、砕くしかないのだ。


何としても、勝たなければならない。

それが、「戦い」なのだから。


「とはいえ、鎮痛に造血、止血に回復、それに血の源になるメシ……。

大獣キマイラ』全員を超決戦級にするまでに、どれほどの霊墨イリスと物資がいることやら……。

シジマよ、責任重大だからなぁ?」


「ええ、わかっておりますとも」


そのことを全員が理解し尽くしているからこその、落ち着き。

それを体現するようにオーランドがぼやき、七番ホーを束ねるシジマ戦支長が頷いたところで、ジンジャーはようやくエレニアから視線を外した。





「それで、勝てるのか?」


そこに、声。

弱まり始めた【灯火ライト】の光の中で響いたその声に、私は反射的に居住まいを正した。


「身内に大精霊を擁し、上位精霊と霊竜を収め、我らが全員決戦級を超える戦者になったとして……。

それで、我らはあの『声姫』に勝てるのか?」


3王の中では唯一、『服従の日』以前から在位し続ける『牙の王』。

ナガラ=イー=パイトス陛下。

大槍おおやり』と讃じられたサマー将軍を背に十二番ワイの戦支長の席に座る巨大な影が、その場の全員を睥睨する。

3メートル近い重壮な体躯と、無数のピアスで飾り立てられた大きく平らな耳。

撫でつけられた灰色の髪と広い額の下、深い知性を感じさせる黒い瞳が静かに瞬く。


妻と子。

6年前にその全員を失い、自身も生死の境を彷徨った壮年の王は、深淵を想わせる声で全員に問いかけ、エレニアの瞳を見つめていた。


「「……」」


エレニアと黙したままのアレキサンドラを除く、私たち20名が触れられなかった問いをナガラ陛下は厳かに問いかける。

ソリオン殿下と、ネハン様と、そしてこの場にいる全員と同じく。


かけがえのない者を、奪われたからこそ。


だからこそ、確かめなければならないその問いに。


「無理ですニャ」


「「……!!!?」」


当代の土の大精霊は、あっさりと否定の言葉を返した。





「大精霊となったからこそ、わかりますニャ」


あるいは気色ばみ、あるいは瞳を見開き、あるいは押し黙り、あるいは表情を凍てつかせた21名に、エレニアは苦笑いを向けていた。


「今のウチでは、フリーダどころかソーマにも勝てませんニャ。

……あの大波を見て恐怖しか感じられなかったアイツの魔力が、当時500万半ば……。

ウチは、多分その半分程度ですニャ。

むしろ、それ以上の魔力をただの人間の身で抱くフリーダの異常さを実感しているところですニャー」


上位者だからこそ、改めて理解できる世界がある。

感覚でしかわからなかった領域に到達できたからこそ、その正確で残酷な隔たりを知ることができる。


どこかお道化たようなエレニアの瞳に浮かぶ光は、そんな悲哀と達観に満ちていた。


……勝てない。


それを理解できたからこそ、エレニアは微笑みを浮かべていた。

















だが、だからこそ。


「……3年ニャ」


勝てないことを理解できたからこそ、エレニアはわらっていた。


「当面はアイツらとの……ミレイユも含めたウォルとの協力関係の構築を続けるしかないニャー。

共闘するにしろ、敵対するにしろ……そっちの方が何かとやりやすくなるニャ」


一番エマの戦支長としての言葉と共に、どこか遠くを見ていた視線がテーブルの上。

灯火ライト】と共に並べられていた、その魔具に注がれる。

歪んだようなその瞳の金色に、小さな紫色の光が映り込んでいた。


「その3年で、ウチは強くなるニャ。

自分にできることを把握して、大精霊としての力を鍛えるニャ」


それは、『大獣キマイラ』結成に際して。

ナガラ陛下が提供した、『牙』のイー家に伝わる1対の国宝。


「もちろんジン兄の言う通り、全員に血を捧げるニャ。

もっと、もっと、ウチらは強くならなければならないニャ。

……その上で」


時空を捻じ曲げ、善悪を問わず願いを叶える。

希望と絶望を召喚する、外道の結晶。


「さらなる味方も、必要ニャ」





立体陣形晶キューブ





限られた文献にだけ伝わるその2個の紫の魔法具を、エレニアは微笑を浮かべながら眺めていた。


「ニャハハ……、……さあ、3年後ニャ。

フリーダ……」


勝つためならば、倫理を砕く。


「……覚悟しておけ」


土の大精霊となったエレニアの静かな声は、大地の闇の中に消えていった。

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