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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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ショート・エール 嵐の前日 中編

「2人の結婚式、見ておきたかったですねぇ」


「……」


「……ああ、そうだな」


カイランやエルダロンで使われているものと比べれば数倍の量の革が使われ、靴底には金属の鋲も打たれている耐雪ブーツ。

材料であるコーソンの皮そのものである灰色のその重厚な脛が雪に埋もれ、そしてまた雪の中から持ち上げられる。

そんな足元の規則的な光景から、私はブランカの声に応じて視線を右に向けた。


「アリスの花嫁姿を見て、ソーマさんがどんな顔をしたのか興味ありますぅ」


「……まぁ、な」


「……」


ふもとのチチブから半日以上歩き続けた私たちの視界に映る光景は、とうに見上げるものから見下ろすものへと変わっている。

遠景の棘のように映る針葉樹林の影から視線の標高をそのまま上にずらせば、サリガシア大陸特有の黒い岩肌で構成された山々の鋭い稜線。

それが年中融けることのない万年雪とそれを降らせる鉛色の雲に紛れて鈍色に溶け合う、物悲ものがなしい景色が広がっていた。

遠くで何かの生き物の鳴き声のように響く冷たいおろしと、3足のブーツが雪を踏み潰して圧縮するサクサクという音。

息を吸い込んだ、鼻が痛い。


同時にアルコールと香辛料の匂いしかしない呼気を白く変えながら、私はヴァルニラのギルド支部でそこに記されていた日付から1ヶ月半後に見ることとなった、ソーマとアリスの結婚式の招待状……。

エルダロンのフランドリスで現地のフィン分隊と合流していた頃に終わっていたらしい、『最古の大精霊』さえ巻き込んでの2人の変化に思いを馳せた。


普段の傲岸不遜で冷然とした口調とは正反対と言ってもいい、丁寧で儀礼的な文章をしたためていたソーマ。

普段のクールな口調そのままの簡潔な文章でありながら、そこからは隠しきれない喜びと幸せが滲み出ていたアリス。

凍てつきながらも決してそれだけではなかった黒い瞳と、優しさと哀しさを同居させていた緑色の瞳。


……それを遮る形で、同じく酒臭い息を吐きながら真っ赤に充血した瞳がこちらを覗き込む。


「結婚と言えばぁ……、その後アネモネの方は何か面白い話はないんですかぁ?」


「ない。

……というか、ずっと一緒だったんだから知ってるだろう?」


「……」


サリガシアに戻り、その後2ヶ月を冒険者としてフランドリスで過ごして、さらに1ヶ月。

エレニア、ブランカ、そして私ことアネモネで構成される『ホワイトクロー』……。

……あるいは、『大獣キマイラ特任合番とくにんごうばん・エレニア分隊』は今、サリガシア大陸最北の地にいた。


大獣キマイラ』結成以後各隊が輪番で定期的に行っている、土の大精霊の状況の確認。

これが、今回の私たちの任務だ。

ちなみに、もう1人のメンバーであるネイリングはチチブに残って情報収集の別任務に当たっている。

耐寒能力に難のあるネイ家の者に雪山登山は命取りになりかねないため、3人だけで行動している現状は必然の結果だった。


草原を駆け岩山を跳ねるヤギのように雪原を走り雪山で遊ぶ、ゴシップの毛を幾重にも織り込んだ防寒下着と防寒着。

同じくゴシップの毛でできた長袖長ズボンと、ルルカスの皮を丁寧になめして雪の水分をねるために油を塗りこめた耐雪服をその上から着込み。

コーソンから仕立てた分厚い革製の手袋とブーツ、そしてマント。


コーソンやゴシップの肉を大量の香辛料で漬け込んだ後に干した、紅肉フェゴン

砂糖よりも甘く凍結状態でも硬くならない、甘芋アデル

その甘芋アデルから醸造した酒を蒸留と氷結を繰り返して飲用可能の限界まで度数を高めた、氷火酒インドラ

そして、荷物の大半を占める火属性の霊墨イリス


モノトーンの景色に対抗するためにモノトーンの極地装備で牛のように着膨れ、常に何かを口に入れて体を温め続ける。

そうしなければ遭難の前に凍死しかねないほどに、この霊山アトロスの寒さは厳しい。

脆弱な人間や森人エルフでは登るどころか近づくことさえ不可能な、極寒の魔境なのだ。


「流石、ブレないアネねえさんですぅ」


「黙れ、色情狂!」


「『多夫多妻たふたさい多交多産たこうたざん』はラブ家の獣性プライドですぅ」


「……それを笑顔で誇れるお前らのことが、私はいまだに理解できんよ……」


「……」


その魔境の雪道でからさと暑さで熱くなった溜息をやはり白くさせながら、私はブランカのニコニコとした表情をにらみつける。

束ねた金色の髪……枯れ草の色に近いそれと、灰色の分厚いフードに開けた穴から後ろに伸びた、周囲の景色と同じ色の長い耳。

サクサクという音と共にピョコピョコと揺れているそれの根元では、かれこれ3年の付き合いになる笑顔がフワフワとほころんでいる。

ただ、「悪意がないから悪くない」というのは子供の道理に過ぎないことを、この奔放な同僚は理解できているのだろうか?


……尚、念のために言っておくと、私とブランカがこうして会話を繰り返しているのは、寒さとアルコールで昇華してしまいそうになる意識をはっきりと保っておくためでもある。

人間や森人エルフに比べれば別格の体力を誇る獣人ビーストと言えど、サリガシア最北の霊山は常のままでは踏破できないのだ。


「……」


その中において、このパーティーのリーダーであり一番エマの私に関して言えば直属の隊長でもあるエレニアは、ほとんど黙ったままだった。


「……」


先頭に立って未踏の雪道に轍を付け続け、時折吹きすさぶ雪風をやり過ごすときも黙って立ち止まるだけだ。

普段のおちゃらけた様子やどこか道化じみた振舞いを一切見せない金色の瞳には、どこか金属質の冷たい輝きが宿っていた。


「……」


霊山の寒さにも氷火酒インドラの酔いにも揺るがない、その視線。



「「……」」


そこに込められた感情が、……ガエン。

このアトロスの頂上で眠り続ける土の大精霊に向けられる……、……決して敬意ではないそれであることを知っている私とブランカは互いに、充血した、何とも言えない瞳を交換し合った。
















その全てが、戦い。


私たち獣人ビーストの、サリガシアの歴史はその一言に集約される。

創世……、歴史書やそれに類する文献、各地に遺る壁画や言い伝えによれば、今から2千年以上前だとされるその世界の始まりの時点で私たち獣人ビーストは既にサリガシアの雪の中での暮らしを送り……そして、既に覇権をかけた種族間での血みどろの争いを繰り広げていた。


より快適な土地を住まいとするため。

より良い食料を確保するため。

より多くの子孫を育てるため。

より強い、種族となっていくため。


エマ、ディオ、ビー、シィ、ドー、デー……。

当初、およそ750を超えていた各種族は家毎にさらに細かく分かれ、あるいは合わさり、あるいは生まれ、……あるいは滅び。

最初期には各家の縄張り毎に3千近くまで区分されていたサリガシアの大陸は、おおよそ千年をかけて200余りの小国家にまでまとまった。


その群雄割拠の中で勢力を拡大し、他の種族を従えるほどの確固たる地位を築いたのが「王家」だ。


『瞳』のディオ家。

『爪』のエル家。

『牙』のイー家。

『毒』のネイ家。

『翼』のエフ家。

『角』のユーリ家。


千年を超えて尚続く戦乱の中、それぞれが強大な「獣性プライド」を持ち武勇とその権勢で他の種族を圧倒するに至った6家は、強さと繁栄を誇りとする獣人ビーストたちによって尊崇の対象として確立される。

同時に、散発的ながらも小規模だった戦いはそれを境にどんどんと大規模化していった。


1192年、爪牙戦争。

1232年、爪毒戦争。

1245年、角翼戦争。

1289年、東四獣大戦。


1301年、征瞳戦争。

1333年、西三獣大戦。

1398年、五獣大戦。

1447年、征角戦争……。


400年以上をかけて6王家の内2家が滅び、200あった国が44まで減り、実に300以上の種族が絶える。

創世以来、フォーリアルの下で強固な結束を誇っていた森人エルフたちや、同種族で争いながらも決してサリガシアほどの弱肉強食ではなかった人間たち、そしてその間で血と享楽、死と狂乱を振り撒いていた魔人ダークス

そのいずれからしても考えられないであろう戦乱の歴史に、史上初めて一拍が置かれたのは。

……皮肉にも、史上最悪の大乱によってだった。


1483年、『浄火じょうか』による「世界」への宣戦布告。


バン大陸に集めた他の魔人ダークスを、大陸ごと滅ぼし。

当時は4つの国が存在していた、エルダロン大陸の全土を焼き払い。

世界の全てを敵に回し、世界の全てを滅ぼそうとした、そのたった1人の男を討伐するために、世界は、そしてサリガシアは初めて1つになった。


水鏡みかがみ』、『死森ししん』、『白雲しらくも』、『冥王めいおう』、『十翼とよく』……。

数多の英雄と精霊、霊竜や大精霊までが参加した討伐戦の末、『浄火』は討ち滅ぼされる。

大陸2つの焼失と総数1千万以上と伝えられる犠牲の果てに、そのときの世界は守られた。


が、生きる者は往々にして忘れてしまう生き物だ。

スープの熱さも喉を過ぎれば感じられなくなるように、当時を知る人間たちの死後、その熱もまた急激に冷めていった。


1656年、毒翼戦争。

1701年、第二次爪毒戦争。

1734年、第二次西三獣大戦。

1746年、ネクタ禁輸事件。

1797年、征爪戦争。


1855年、第三次西三獣大戦。

1858年、四獣大戦。

1888年、第二次毒翼戦争。

1902年、東三獣大戦。

1943年、征翼戦争……。


大きいものを並べるだけですぐに両手の指が埋まっていくほどの戦いの歴史は、かつての英雄『十翼』の子孫を擁していたエフ家が滅び、王家が現在も残る3家になってもまだ続く。

私たちの曽祖父母や祖父母、両親、兄姉。

そして私たち自身も参加していた戦いの末、精霊暦2030年にサリガシアに存在する種族数は78、国の数も13まで減少していた。


この辺りまで来ればもはや歴史ではなく、つい最近の出来事だ。

ネイリングを除く私たち3人にしてもとっくに初陣を終えていたし、私とエレニアに至っては同じ戦場で敵軍同士として相対したことすらある。

エル家の分家であるシィ家の一員であるエレニアと、イー家に属するデー家の者である私。

直接刃を交えることこそなかったものの、私たちはお互いの友軍をそれぞれに殺し合った仲でもあった。


とはいえ、これは獣人ビーストにとって決して珍しいことではない。

むしろ、当時としては極めて普通のことだ。

ブランカにしても、ノエミアにしても、イングラムにしても、ウルスラにしても、チェインにしても、間違いなく同じような経験をしているはずだった。


……おそらく、人間や森人エルフには永遠に理解してもらえない歴史だろう。

アリスなら難しい顔をして押し黙り、ソーマなら「馬鹿なのか?」と鼻で笑うかもしれない。

正直に告白するならば、私自身……。

……この経緯に一切の疑問も抱かなかったわけではないのも、また事実だ。


が、それでもこれがサリガシアで生きた者の歴史だった。


力のままに弱者を喰らい、強き者の子孫を増やす。

雪と氷の大地を走り、いただきを目指し覇を競う。


その全てが、戦い。


獣人ビーストの歴史。

そして、生き方。


凍える大地の中でひたすらに殺し合う私たちにとって、それでも。

これは、一片の曇りもない誇りだったのだ。





そんな獣人ビーストの歴史を終わらせたのは、『牙』でも『爪』でも『毒』でもなく、『浄火』でもなく。

……たった6歳の少女だった。


「うるさいんだよ、君たち」


6年前、風竜ハイアと共に突如サリガシアに現れた『声姫』は、その一言と共にヴァルニラのネイ家、ベストラのイー家、コトロードのエル家の本宮ほんきゅうを順番に襲撃した。

合わせて38名の王族とその場に居合わせた14名の臣下、計52名の強者がなす術もなく「破裂」するのを見せられ、そして聞かされて。

私たち獣人ビーストは、たった1日でそれまでの歴史と生き方が否定され、その全てが終わったことを知ったのだ。


『服従の日』。


ネイリングの親族の大半が。

私が仕えていたイー家の方々が。

そして、エレニアの両親が。


殺されたその日は、やがてそう名付けられた。

















「……そろそろかニャ」


「……ああ」


「……疲れましたぁ」


チチブを出発して、ほぼ丸1日。

久しぶりに聞いた気がするエレニアの声は、まるで独り言のようにも聞こえた。


同じ標高には鉛色の空しか存在しない私たちの視線の先に、霊山アトロスの巨大な頂。

すなわち、土の大精霊ガエンの「背」がその姿を現し始める。


雪に覆われた、天を突く岩山。


そうとしか表現できない威容を視界に収めながら、しかし私はどこか冷めきった感情を抱いてもいた。





ガエン。


1800年以上前から土の大精霊の座にあるその存在の正体は、アダマンという超大型の魔物らしい。

高さも直径も300メートルをゆうに超える文字通り山そのもののような甲羅を背負い、この大地に君臨した巨神。

創世以前におけるサリガシア大陸の覇者であり、創世と前後して滅び始めた陸上で最大の生物。

その最後の1体と伝えられているのが、ガエンだった。


『最古の大精霊』フォーリアルに次ぐ時間を生きる、『最大の大精霊』。

土属性の精霊としか契約できないこの世界の全ての獣人ビーストにとっての、守護神。

サリガシアの歴史の全てを見つめあるいは関与した、この大陸の真の王。

かつて『十翼』と共に『浄火』を討つ一角となった、偉大なる大精霊。


……が、その唯一無二の大いなる歴史は、私たちにとっては本当に歴史でしかなかった。


全土に残された記録と先達から子孫たちへ口伝される記憶において、ガエンの名前は『浄火』との大戦から150年ほどたった頃を境にピタリと出なくなるからだ。

一個の動物としては考えられないほどの長さを誇りながらも、決して時の流れから逃れることはできない寿命という限界。

老いと、衰え。

以降400年に渡ってこのアトロスで眠り続けるかつての神は、実質的にこの世界から退場していたも同然だった。


「……」


そして、それは『服従の日』でも。

エル家の近臣であったエレニアの両親がエレニアの目の前で弾け飛んだ、その日でも同様のことだった。

たった1日で獣人ビーストの矜持の全てを粉砕した後「じゃあ帰るよ」とフリーダが振り返りもせずに帰った、そのときでも。

3王都を中心に各都市にエルダロン兵が常駐し適当な理由を付けて細かく徴税される、それからの日々においても同じことだった。


……もちろん、ガエンは決して死んだわけではない。

土の上位精霊たちの話を聞けば、ただ眠り続けているだけであることは皆が知っている。

確かに、この世界に存在していることは誰もが理解している。


しかし。


「「「……」」」


ただそれだけの存在を、敬うつもりにはなれない。


願い、祈り、尊び、崇めても。

言葉も、行動も、助けも、救いも与えてくれない存在を、私たちは王だと認めない。


それまでの歴史と自分たちの誇りのため、決して表立てはしないものの。

6年前を境に、私たち獣人ビーストが当代の土の大精霊に抱く忠誠心は、それこそ雪が融けるように崩れ去っていた。

私にしても事実……心中で「様」を付けないことに何の後ろめたさも、そして違和感も覚えていない。


「……無駄に遠いニャ」


「エレニア!」


「流石に失礼ですぅ」


「ニャ……」


そして、それは。

王家に近い者たちからすれば、もっと冷たく冥い感情なのかもしれない。

その無力を思い知り、恨むことしかできない自身の弱さを憎む彼女らの抱く感情は、もっと冷たく乾いているのかもしれない。


霊山アトロス山頂、大霊場だいれいじょう

ガエンの眠るその場所に辿り着いたその瞬間も、私たちには意外なほど何の感慨も湧いていなかった。





「「「……」」」


大きい。


正面からガエンを見た私の感想は、実際のところただそれだけだった。


300メートルを超える高さと直径を持つ、アダマンの巨大な甲羅。

およそ400年に亘って積もった岩と雪に完全に同化したそれは、私たちの眼前に堅牢にそびえながらも……、どこか遺跡のような儚さを漂わせている。

その体躯を支える、城塞のごとくと讃えられた4本の手足も、視界の範囲にはない。

同様にアトロスの頂に埋もれ、黒い岩と白い雪に完全に隠されているらしいそれを、私は敢えて見つける気にもならなかった。


「「「……」」」


50メートルをゆうに超える顔を目の前にしても、それは変わらない。

寝顔と言うよりは、死顔。

山肌のような黒い鱗にはやはり雪が積もり、悲しいまだらに染まっている。

断層のように一直線に走った口とその上に洞窟のように開いた鼻から長く、しかし静かに漏れ出るぬるい風とその周囲だけ積もっていない雪の範囲が、この存在がまだ生きていることを教えてくれていた。


「「「……」」」


6メートルはあろうかという目は、薄く閉じられている。

微かにのぞく下限の月のような瞳には昔話に描かれている太陽のような金色ではなく、膿のように濁り、澱んだ黄色が満ちていた。


そのくすんだ光に視線を合わせても尚、……私たちは何も感じない。


ソーマが戦場に立っていたときに発していたあの圧倒的な威圧感や、アリスの緑色の瞳を覗き込んだときのあの深さ。

そして、ミレイユの笑顔から感じられる異様な底知れなさ。

あるいは、数少ない3王家の生き残りの方々が放つ、怒りと覇気。

おおよそ強者と接したときに感じられる何らかの「恐さ」と言うべきものが、目の前の巨大な瞳からは全く感じられない。


ただ、土や石をうず高く積み上げただけの、大きい山。

死んでいないだけで、生きていない。

もはや、そこに在るだけの存在。


私の……。

そしておそらく私たちの心には失望や落胆ではなく……むしろ憐憫にすら近い想いが滲んでいた。


「……前回のササカ分隊の報告内容から、大きな変化なし。

任務完了……、……帰るかニャ」


「……そうですねぇ」


「……」


平坦なエレニアの声には隠しきれない疲労感、あるいは徒労の色が浮かんでいた。

ブランカの瞳にも、笑顔はない。


獣人ビーストたちにとって、これでもう何度目なのだろうか。


土の大精霊ガエンによる、サリガシアの現状からの解放。

あるいは、フリーダの討滅。

あるいは、それへの助力の嘆願。

あるいは、……それへの助言。


そのどれもが不可能だろうという現状を再確認して、私たちの今日は終了だ。


首や肩、背中に腰。

そこにいきなり重く硬い荷物を背負わされたような不快感と共に、私たちは自分たちの足跡を振り返った。





「「「!!!?」」」


瞬間、世界が変質する。





はねるように振りかえった私たちの周囲は、突如出現した無数の人影に埋め尽くされていた。

黒、白、灰、茶、赤、青、緑、紫、銀、金、……あるいは透明。

光沢を放つ、その内の数名の顔に見覚えがあったことで、私は彼らの正体を理解する。


土の上位精霊。


目の前の300メートルの山、雪に覆われたガエンに視線を向ける200体近いそれは、その全てが鉱物でできた人体を持つガエンの卷属たちだった。


「ニャ!?」


「何ですぅ!?」


「……!?」


同時に、私はこの山頂の周囲を巨大な影が旋回していることに気づく。

……まるで純金のように輝く鱗と、分厚い翼。


土竜つちりゅうヤルググ。


ガエンを中心に上空500メートル近くを円状に旋回し続けるそれは、この霊山を守護する当代の霊竜だった。


「「「……?」」」


何だ?

何だ?

何が起きている?

何が起ころうとしている?


……ザザザッ!!


エレニアを先頭に、私とブランカ。

その場で立ち尽くすしかできない私たちをそのままに、無言の上位精霊たちは一斉に雪の地面に片膝を突き、深くこうべを垂れる。

無音の中、上空から時折響くヤルググの羽音と翼が風を切る悲鳴のような音だけが、小さく聞こえていた。


「「「……」」」


動けないまま、無音の時間が続く。

誰1人、ピクリとも動かない上位精霊たちの跪礼姿勢に、私たち3人は呼吸さえ忘れていた。


……やがて。





バギリ!





何か巨大なものが、割れた音がする。


バギ、バキ、パキキ、ガギ、バギン!!


重たい異音の連続に呆然としながら、私たちはそれがガエンの体に無数の亀裂が走る音なのだとようやく気がついていた。


ーーーーーー!!!!!!


新月のようだった黄色い瞳を今は望月のように見開き、地鳴りのような断末魔の咆哮を上げながら砕け、崩壊していく大精霊。

岩山のようだった甲羅は本物の岩と土砂に変わり、白い雪を汚しながらただ崩れ落ちる。

もうもうと上がる白と黒の土煙は、まるで嵐のように私たちへと迫っていた。


肌で感じられ、肉と骨が軋むほどの轟音。

私は、泡を吹いて失神したブランカを抱き起こしながら、立ち尽くすエレニアの背中越しにその光景を瞳に焼き付けようとし……。

それを諦めて、強く目を閉じてブランカの上に伏せた。

分厚い防寒着の上からバチバチと、頬にビシビシとぶつかる雪や石の礫の痛みに、奥歯をギュッと噛み締めて耐える。


私の前に立ったままのエレニアは、平気なのか?


自身の体でブランカを守りつつ、どうやらいまだ同じ姿勢のままのエレニアのことを案じつつ……。


大精霊の、死。

あれほど軽んじておきながら、それでも世界の核の内の1つが今失われたのだという事実に……私は本能的な不安を感じていた。


……轟音と雪風、嵐と痛みがようやく収まる。


目を薄く開けた私は、しかし周囲の景色の白さに慌ててまた瞳を閉じた。

あの衝撃で、雲が晴れたのか。

マント越しに注ぐ熱と光に、どうやらこの山頂に日の光が差しているらしいと全身で理解する。

ゆっくりとまぶたを動かした私の視界には、小石と土で汚れて尚、白く乱反射し光そのもののように輝く雪の地面が広がっていた。


鉛色の雲ではなく、蒼い空から降る光の柱。

視線を前に戻せば、目を閉じる前と同じ形で佇んだままのエレニア……。





重たい、威圧感。





まるで、……世界の中心がそこに移動したかのようなプレッシャー。


改めてそれを感じ取った私は、いまだこちらを振り向かないエレニアの背を愕然と見上げていた。

フードは外れ、やや長めのショートにしたオレンジ色の髪。

側頭部から突きだす、茶色く大きな三角形の耳。

そこから視線を前に向けると……。


ガエンにではなく。

こちらに向かって跪礼する、上位精霊たち。


重力と圧力。


Aクラスの私でさえ呼吸が難しくなるほどのその威圧感が、エレニアから発される莫大な魔力によるものであることを知って。


「……ニャハハ」


そして、どのような表情なのか朗らかに笑い始めたエレニアの後ろ姿を茫然と見上げて、私は現状の全てを理解した。

すなわち。





「面白いことに、なったニャー」


土の大精霊が、誕生したことを。

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