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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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ショート・エール ミスリーディング 前編

「おかえり」


「……ただいま。

……今日は遅くなるんじゃなかったの?」


「……ならなかった」


まぁ、正確にはしなかった、だが。

急な予定の変更をセリアースを介して伝えられブーブー言っていたシズイには申し訳なかったが、どうしてもあの場所に長居したくなかったのだ。


そんなわけで予定よりも相当に早く帰宅し、月光石の薄い光が照らすリビングのイスの上から声を発した俺に、白地のコロモ姿のアリスはキョトンとした顔を返していた。


「髪、乾かそうか?」


「お願い」


今は完全な夜、アリスはウォルの女性用共同浴場である4番湖に行っていたらしい。

髪が生乾きなのを【水覚アイズ】で感知してそう提案すると、ドアを閉めたアリスはイスに座る俺の前まで歩いてきて背を向けた。

うっすらと瑠璃色がかった、『至座しざの月光』の2つ名の通りまるで月の光のような銀髪。

風呂上りのため完全に下ろしたままの、俺のリクエストもあって伸ばしている最中のその髪に左手で触れ、適度な水分を残して水気を飛ばす。

そういえばこの世界に来てからタオルで体を拭くことがなくなったな、と今更思いながら、俺の指は絹のようなアリスの髪から離れた。


そして、そのまま。


「……ありが、とっ!?」


振り返ろうとしたアリスを背後から抱き寄せ。


「な、何?」


イスの座面、黒いズボンの俺の脚の間に座らせ。


「……!」


お腹に腕を回して拘束し。


「ソ……」


顔で銀の髪をかき分けながら白いうなじに鼻を密着させ。


「……ーマぁぁぁぁ……!」


空気を、吸い込む。

深い森の中にいるように清々しく、仄かに甘いアリスの香り。

ジタバタするアリスを抱き締めたまま鼻から肺へと送り込まれるその空気には、新鮮なお湯と石鹸の匂いも程良くブレンドされている。


酒、煙草、香水、化粧……。

そんなゴテゴテとしたものとは無縁の心をゆったりとさせる香りは、全身の骨と筋肉の間にピリピリと残っていた俺の疲労感を一瞬で消し去っていた。


「なんで、嗅ぐの!?」


「お前の匂いが好きだから。

いいから、もうちょっと待ってて」


「……うぅ」


目を閉じたまま長い深呼吸を繰り返しながら、俺はその空気を含んだ血が血管を巡り脳細胞の1つ1つに沁み込んでいく様をイメージする。

……落ち着く。

ぼんやりとその4文字を思い浮かべながら、俺は小さく唸っているアリスから顔を離した。


「……変態」


「ふざけるな」


が、涙目の一歩手前の表情で振り返ったアリスの唇が紡いだ4文字には、即答で否定の意を示す。


「誰彼構わず匂いを嗅いでいたら、確かに俺は変態かもしれない。

でも、俺が好きなのはお前だけであって、こんなことをするのもお前だけだ。

夫が妻の匂いを好きなことが、そんなに異常なことか?」


「……え?」


赤字レッドを断罪する、騎士の剣のごとく。

そんなあまりに確信に満ちた俺の主張に、アリスの緑色の瞳が怯む。


……でもアリス、勢いに騙されるな。

これが本当に一般的なことなのかは、正直俺も自信はない。


尚、変態絡みで言うと……、……いや、そんな絡みは本来おかしいのだが。

……どうもアーネルやチョーカの中枢は、俺のことを小児性愛者ロリコンだと思っている……、……節がある。

俺の前で真剣に考え込んでいるアリスが成人女性としては小柄なことや、ウォルに子供が溢れていること。

そして、男はもちろん女でさえ情欲を掻き立てられる外見を誇るミレイユに全く興味がなさそうなことが、その根拠らしい。


たまに登城した際、餐会さんかいで付けられる給仕や、ユーチカやワイトからさり気なく、しかししつこく勧められる縁談。

そういった場で登場する女性の年齢や体格や胸のサイズが回を追うことに小さくなっていくことに、何となく嫌な予感はしていたのだが……。

今日訪れた場所で「そう聞いていた」と面と向かって言われた段階で、それはありがたくない確信に変わった。


が、断じて違う!!!!


俺はアリスが小柄だったから好きになったのではなく、好きになったアリスがたまたま小柄だっただけだ!

別に貧乳にも巨乳にもこだわりはなく、アリスの胸のサイズがそうだっただけだ!

ウォルに子供を集めているのは、俺の戦略でありアリスの意向だ!

ミレイユに興味がないのは、同じ生物とは思えないからだ!


だいたい、俺はアリス以外の女を愛するつもりはない!!


…………しかし、まぁ……結果として。

俺の不興を買わないように、両国で奴隷や身寄りのない子供の扱いが劇的に改善されてきているのも、また事実ではあるのだが。


「……む、……うぅ?」


いずれにせよ間違いなくこの誤解の根源であるその『魔王の最愛』は、いまだに俺の詭弁に頭を悩ませていた。


「俺は、お前が好きなんだ。

お前の瞳が、お前の顔が、お前の匂いが、……お前の心が」


「うぅ……?」


言っていることは倒錯しているかもしれないが、しかし真実だ。

ただ真実が倒錯している時点で、それはそもそも間違いのような気もしてくる。


「……お前の心が」


「……そこだけ言い直さないで」


それでも小さく笑ってくれたアリスに笑みを返し、俺は少し首を倒してアリスの唇に顔を近付けた。


「……ん」


あたたかく、やわらかい。

漏れ出るアリスの声……、普段の怜悧で凛とした声からは想像できないようなその声に本能が軋むのを自覚しながら、俺はアリスと互いの唇をみ合う。

俺が割り入れた舌はすぐに甘い熱の中に迎えられ、交わった舌はやはり普段の佇まいとは真逆の妖しい動きで踊っていた。

粘性の液体と軟体同士がぶつかる熱っぽい音の連続の中で、俺とアリスはそれぞれの舌筋ぜっきんを駆使し続ける。

互いの口腔内を互いに蹂躙しながら、吐息と水音だけの2人の会話がしばらく続いていた。


やがて離れた唇の間に糸のような銀のアーチがかかり、重力に従ってプツリと切れる。


「……ここで、するの?」


「ダメか?」


「……ダメじゃないけど……、んっ……、……あっ」


許可を得られた俺はそのままアリスのコロモ、白地に黒い染料で朝顔のような花が描かれ、数色の緑で蔓や葉の意匠が施されたその右肩をはだけさせた。

再度短いキスを繰り返した後、少しだけ白以外の色が差し始めたその肩口に唇をつける。

高くなったアリスの声と共に、桜色の体温と香りが舌に広がった。

それを感じながら深い紫色の帯の結び目に指を入れると、しっとりし始めたアリスの首から右足までがリビングの空気に晒される。

ほぼ毎夜の経験値からもはや片手の指先の感覚だけでも解くことができるようになった濃い紫色の布帯の両端は、骨格を失ったかのように力なく左右の床に垂れ落ちた。


「ふ……、ん……」


同様に俺に全身の体重を預けたアリスの唇に、帯を緩めた人差指で触れる。

花弁のようなそれを、ゆっくりとなぞっていた俺の指先は……。


「ん、……んっ、…………ふぁむっ」


「!」


しかし突然あたたかい、……いや熱く、そして軟らかいものに包まれた。

まるで食虫植物の餌食になったかのように、俺の左手の人差指と中指はアリスの唇の中に囚われている。


「チュ、ルロ……」


「……」


上から回されたアリスの左手で手首を固定され、さらに唇で挟まれてほとんど動かせなくなった俺の指先は、煮立った密の塊のようなアリスの舌に撫で回され、小突き回される。

さらに舌の腹でやわらかく舐められ、硬くした舌先でチロチロとくすぐられ……。

その動きに心当たりがあって思わず硬直してしまった俺の顔を横目で見て、アリスの緑色の瞳はたのしそうにわらっていた。


……が、もちろんこのまま捕食されるわけにはいかない。

挑発するように俺の右頬を撫でていたアリスの右手を無視して、その脇から黒の長袖に包まれた右腕が反撃の狼煙を上げる。

家の中では人間のそれに戻している俺の掌は、右半分が座面から滝のように流れてしまったコロモ、その上で右半身を剥き出しにしているアリスの裸身によこしまな肌色を添えた。


「……んぅっ、……んっ、うぅんっ!」


どうやら面倒だったらしく、アリスはコロモの下にショーツしか履いていない。

4番湖で着替えたのだから当然だが勝負下着ランジェリーではなくただの肌着の方であるそれは、しかし白ではなく黒だという、ただそれだけのことで異様な淫靡さを醸し出していた。


「ふぅっ、……ん、んーっ!

……んん、……んチュッっ!!」


……ちなみにこれも余談だが、ウォルでは「俺とアリス、ミレイユの3人を除く住人は黒い服を着てはいけない」という暗黙のルールがある。

これは決して俺が言い出したことではなく、サーヴェラやアンゼリカたち初期入植者たちが無意識の内に避けていたのが以後の入植者にも浸透し、既成事実と化したものだ。

黒は『魔王』の色であり、『魔王領』で身に着けていいのは領主とその妻、そして代行だけ。

まぁ服という部分を厳密に考えればミレイユは少し事情が違うものの……、それでもこのルールはいまやウォルポートを訪れる外部の人間にも広く周知されている事実だった。


「ふっ……んっ……、ふプッっ……っっ……、んん、んっ!」


ただ、それこそ今更なのだが……。

実は、俺自身はたまには黒以外の服も着たいと思っていたりする。


が、このことはアリスにも言い出せていない。

というより、誰よりもアリスが「俺=黒」という固定観念に囚われている。

ついこの間の休日もエリオ、水綿すいめん製品の生産で知られるアーネル第2の都市に行ったとき……。

立ち寄った服屋で藍色のローブを手に取った瞬間、ノータイムで「誰にプレゼントするの?」と首を傾げられたのを見て、……俺は無言でローブを棚に戻す事しかできなかった。


そもそもこの黒一色の格好は、俺がラルクスで「魔導士」という響きからのイメージとして買い揃えたものだ。

その後はすぐにアリスとエルベ湖に行き、そしてチョーカに下ったため新調する暇がなかった。

それが南北戦争後の『魔王』、『黒衣の虐殺者』という2つ名で完全に定着してしまい……、……今ではやめるにやめられなくなってしまっているというのが実情だ。


……今になって思えば、一瞥して「悪役」だと切り捨てたテレジアの言葉に……、……あの頃はかなり自暴自棄だったとは言え、もっと真剣に耳を傾けておくべきだったかもしれないとたまに後悔している。

そのテレジアの母親の『紅』のエバもいつも赤いローブを着ているが、たまには他の色の服を着たいと思ったりはしないのだろうか?


「んっ、んっっ、んっ、んっっっっ!!!!

……チュふ、ソ、ソーんむっっ!?」


尚、俺が今現在こんなどうでもいいことに考えを巡らせているのは、自分の理性の崩壊を少しでも先延ばしにするためだ。


割れてはいないものの意外と筋肉質なお腹に佇む、可憐なへそ

体を反らせるとまるで鍵盤のように肋骨が並ぶ、美しい脇腹。

汗で輝き陶磁器のような手触りと美しい白を誇る、芸術的な腋。

そして、決して貧しいのではなく全体のバランスを考えた上で遺伝子という進化の鍵を握る意思なき意思がギリギリの決断を下したのだとしか思えない……確かにどちらかと言えば貧し……、いや、慎ましい胸。


「んっ、んっ……、ぅんっっっ!!」


初回から軽く1年以上、もう数百回も目に焼き付けているにもかかわらず、それらを丁寧かつ念入りに愛でることで得られる幸福は飽きるということを俺の本能に許さない。


美しい。

可愛い。

気持ちいい。

愛おしい。


ただそれらの感情だけに染まりながら沸騰していく脳髄にあえて冷水をかけ続けて、俺は少しでも長くその快感を自覚しようとする。

腕の中のアリスに身を委ねられているその喜びを伝えようと、優しく執拗に手と指を動かし続ける。


……が、それもそろそろ頃合いか。


「……!!」


俺の右手の動きに合わせて目の前で震える、森人エルフ特有の長く尖った耳。

火傷をしそうなほどに赤く染まっていた右のその端に、俺は静かに唇をつける。

……そして。


「……~~~~っっっっ!!!!」


歯を立てて、噛んだ。


快感が痛みに変わる閾値は、もはや俺の顎の咀嚼筋群がミリ単位で覚えている。

エナメル質ですり潰すその圧力は、ドロドロに昂ぶっていたアリスの精神を一撃で破裂させた。


「……っ、……っ、…………~~っっ!」


逆に、俺の左手の2本の指はギュッと目を閉じて無言で痙攣するアリスに遠慮なく噛み締められている。

正直、かなり痛い。

が、今はその激痛も誇らしい。


「……っ、……っ、……、……」


やわらかさの間に置いていた俺の右手には、アリスが感じる快感の総量が疾走する鼓動として伝わってきていた。





「……移動しようか」


「……、……もぅ」


……やがて、俺の人差指と中指が気化熱の冷たさを感じる。

力なく俺の指を唇から解放し、気だるそうにこちらを見上げるアリスは、寝室への移動を提案した俺に全体重を預けたまま頬を膨らませていた。


「ん……」


しかし、そのまま……こぼれた唾液で輝く唇を再度奪うと、体を起こしたアリスのあたたかい……いや、もはや熱いと言うべき両腕が俺の首に回される。

小さくぶつけ合う舌先と、交換する微笑。

同時に香る、深い森の中にいるような清々しい甘さと、……熱帯の花々の蜜のような濃厚な甘酸っぱさ。

言葉にせずとも克明にわかる、肯定の返答。


「「……」」


桜色に染まった肌とまだ透明度を残しつつも濁緑に変わり始めたその瞳を見つめながら、唇を離した俺はアリスの背と膝に両腕を回して立ち上がった。

右腕で支えられた両足を揺らしながら、抱き上げられたアリスは俺の首元に顔を埋める。


……さあ、楽しい夜の始まりだ。


崩壊する理性にそう別れを告げながら、俺が血中の本能と作戦会議を始めようとしたときだった。


「……?」


「……」


アリスが、俺の首元でフンフンと鼻を鳴らしていた。

アリスにしては珍しい行動に視線を落とした、その俺の匂いを確かめるように。


フンフン、スンスン。


少しずつ場所をずらしながら、断続的に空気を吸い込む。

その動きに合わせて髪の間の耳が小さく揺れている光景が、とても可愛らしい。


「「……」」


が、徐々にその色が白さを増していくことに気がついて……。


「……」


「……!」


俺は、その場で硬直した。


まさか?

嘘だろう?

服も洗って、シズイと落ち合う前に2回も「シャワー」をしているんだぞ?

いくら何でもわかるわけが……。


「……ソーマ?」


「……」


俺を見上げる緑色の瞳に澄んだ光が戻っているのを見て、俺の思考と鼓動はそこで完全に停止した。

先程までのやわらかい表情ではない、『最古の大精霊』の契約者としての白い表情が氷結した俺の瞳を見つめる。

そして……。





「誰か女の人に、……抱き着かれた?」


「!!!!」





幸せだった、夜が終わる。


何も言えないまま、脊柱が氷に変わったかのように硬直している俺の瞳には。


「……」


「……」


その氷よりも冷たい、エメラルドの光が反射していた。

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