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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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ショート・エール 癒されるもの 前編

暴力、及び性暴力の表現がありますのでご注意ください。

「あ、あの……、その、……ア、アンゼリカさんは……。

ぅお、お付き合いされている方とか……いらっしゃるんでしょうか!?」


ソーマ様とアリス様がネクタ大陸から戻られて、ある日のこと。


ダイヤ……さん、だったと思う。

モーリス隊長の部下であるその若い騎士の必死な表情を、私は今浮かべている笑顔をできるだけ崩さないようにしながら、注意深く観察していた。

折り入ってお話がありまして、ということで居住区とは反対側。

ここ、小エルベ湖の東岸まで天気が良くてどうのこうの、最近は魔物も盗賊もいなくなって訓練ばかりでどうのこうのと、あたりさわりのない世間話をしながら一緒に歩いてきた段階で、実際のところ予想はついていたものの……。


やはり、いざその瞬間になると、心の中に冷たいものが湧き上がってしまう。


黒に近い、短い茶髪に軽く焼けた肌とそばかす、私のそれより少し青に近い紫色の瞳。

ダイヤ=…………、家名は忘れてしまった。

確か……私の2つ年上で、リーカン町長の四男坊。

アーネル王国騎士団、リーカン騎士隊内のウォル分隊、隊員。

火属性の中位魔導士かつ剣術の腕もそれなりで、馬の扱いが上手。

モーリス隊長いわく、同年代の中ではなかなか優秀。


住民への応対は、ソーマ様には強い憧れを、アリス様には若干の苦手意識を。

私たち班長や子供たちへの態度も口調と同じく丁寧そのものだけど、先生のことだけははっきりと苦手。

……多分、童貞。


「も、もし、そういう方がいらっしゃらないのであれば、……じ、自分と…………こ、交サイしてイタだけないカト!」


追記して、もしかしたら異性に交際を申し込むのもこれが初めてなのかもしれない。

裏返ってしまった声と、それを悔やんで強く結ばれた唇。

緊張で握られた手が、小刻みに震えている。


……演技では、ない。

だとすれば、今私が彼から向けられているのは純粋な好意なのだろう。


「……」


「……」


言い訳するわけじゃないけれど私たちウォルの住民、特に性奴の経験者は、会話の相手の表情や様子から必ずこうしてその心理を推察してしまう。

あの明るいロザリアにしても、住民以外に向ける笑顔の奥では常にそんな思考が渦巻いているはずだ。

まだ班に配属されていない小さな子供たちでも、自覚をしていないだけで同じような癖が付いてしまっている子は多い。


でも、それは責められることじゃない。


ご主人様の嗜好。

ご主人様の希望。

ご主人様の趣味。

ご主人様の都合。


ご主人様の思考。

ご主人様の機嫌。

ご主人様の視線。

ご主人様の本心。


そういったものを読み違えれば、たとえ非がなくても地面に手をついて嘔吐しながら謝る羽目になるのが、性奴という立場だからだ。


面白半分で指を折られ。

気分次第で食事がなしになり。

退屈しのぎに凌辱され。

苛々するという理由で蹴飛ばされる。


鎖をつながれた家畜のような格好で。

家畜すら口にしないようなものを食べさせられ。

笑顔で、「ありがとうございました」と言わされる。


そんな日々が延々と続けば嫌でも身についてしまう、むしろ自己防衛に必須とも言える本能だ。

ついでに言っておくと、性奴だった私たちほどではないにしろ、採掘集落にいたサーヴェラたちも同じようなことはできる。


「……あの、アンゼリカ……さん?」


だから、私たちは。

騎士や商人や冒険者、ウォルの中で私たちに近づいてくるそういった人たちの笑顔を、かなり正確に見分けることができる。


ソーマ様の好き嫌い。

アリス様の趣味嗜好。

ウォルにいる上位精霊の数や性格。

森林工房の中。


干し肉のレシピ。

石鹸の作り方。

ソーマ様が各商会をどう見ているか。

10人の班長の序列と力関係。


食べ物やお菓子を手に、私たちを懐柔し何らかの情報や利益を引き出そうとする。

そんな下心を見分けることが、できてしまう。


そして……。

そうではない感情も、もちろん見分けられる。

そこに込められた真心と純粋な想いを、区別することはできる。


だけど。


「申し訳ありません」


今更それを信じ、理解できるかはまた別の問題だ。

少なくとも、私はできない。


ましてや、王国の騎士なんかと添い遂げられるわけがない。

価値観以前に人生観が違いすぎる。


ダイヤにしてもそうだ。

私が元性奴で、前科ありの殺人未遂犯だと知っているのだろうか?

私がどれだけ穢されていて、どれだけ王国の人間に白い目を向けられてきたか知っているのだろうか?


「あなたの気持ちには、応えられません」


男というものの醜さを、私は全身に刻みつけられてしまった。

この世界の奴隷に対する無関心を、私は嫌というほど知ってしまった。


怖い。

汚い。

ずるい。

おぞましい。

けがらわしい。


「他に、好きな人がいるんです。

……申し訳ありません」


だから、私が男の人を。

そして王国民を好きになることは、絶対にない。


「……そう、ですか。

…………わかりました、……忘れてください」


困りつつも感謝し、心から申し訳なく思っている……ように見える笑顔。

それを浮かべて頭を下げた私に軽く頭を下げ返したダイヤは背中を丸め、やがて湖岸に沿ってトボトボと歩いていった。





その、水面みなも

透明で、清らかで、綺麗で、……冷たい。

仄かに青く反射するそこに映る自分の姿を見て、私は小さく溜息をつく。


男の人、王国民。

実際はそれに関係なく、私が誰かを好きになることはもう絶対にないだろう。


……ソーマ様には、もうアリス様がいらっしゃるのだから。

















私が奴隷になったのは、奴隷商館の記録によれば2歳のときだったらしい。


生まれはアーネル王国南西部、『竜の巣』の南の山林の中にあった、ママーロというごく小さな集落。

だけど、私はその景色を全く覚えていない。

そこで産まれたということ自体を知ったのも私が8歳のとき、台帳を見ながら商館の担当者と私のオーナーとなる大旦那様が交渉している場で立たされていたときだった。

そのママーロも、もうない。

13年前にチョーカ軍の奇襲を受けた際に、私を含む3名の幼児だけを残してその集落の全てが焼き払われてしまったからだ。

私は「アンゼリカ」という自身の名前以外は実の両親の顔も名前も、あったかどうかを別として家名すらも知らなかった。


以後、もうすぐ16年目を迎える私の人生は、その大半を他人の所有物として重ねてきた。

とはいえ、その全ての期間が悲惨な性奴生活だったわけではない。

事実、私は2歳から8歳までは王都で、子供のいなかったイルフォース夫妻の養女として普通に暮らしていた。

今の私の家名のイルフォースは、そのときに与えられたものだ。


残念ながら、今となってはその全てをはっきりと思い出す事もできなくなってしまったが、イルフォース家での生活は充分に幸せと言っていいものだったと思う。

お父様もお母様も……、私を実の娘として充分に可愛がってくれたし、虐げることなどなく愛してくれた。

断片的に残る記憶は、そのほとんどが2人の笑顔で占められている。

ソーマ様に救われるまでの私の人生で、この6年間が唯一の安らかな日々だったと言っても過言ではない。

ウォルで暮らし、命属性の高位魔導士となれた今でも私が未だイルフォースの名前を捨てる気になれないのが、その証拠だろう。


だけどその日々は、2人が外出先で暴漢に襲われ殺されたことであっけなく終わってしまった。

食いつめた冒険者が酒に酔っての路上強盗……だったらしい。

その犯人もすぐに捕まえられて斬首刑に処されたらしいけれども、だけど私はもうその頃には奴隷商館に逆戻りしていた。

後見人もいない8歳の小娘、しかも奴隷上がりの扱いなんてそれが妥当だったらしい。

誰がどういう意図でどういう手続きをしたのかもわからないまま、2人の葬儀にも立ち会えないままに。

私はまた、イルフォースの名前以外の全てを奪われた。





3ヶ月後、私はエリオで2番目に大きい染物工房の大旦那様、そのお屋敷の小間使いとして買われることになった。

炊事、掃除、洗濯、炊事、掃除、洗濯、炊事、掃除、洗濯……。

毎日夜明け前から深夜まで水に浸かり、ときに染物が終わった後の汚れた水の片付けも手伝わされていた私の両手は、2週間もしない内にまるで厚紙のようにガサガサに荒れてしまった。


お屋敷にいた8歳、6歳、5歳の男孫3兄弟の子守も私の仕事だった。

ウォルの子たちとは違い、わがまま放題に育った孫たちの相手の負担は成長につれて正比例し、他の仕事の増加も相まって私の睡眠時間はどんどんと短くなっていった。

勤めていた4年間の最後の方は毎日倒れそうになっていたことだけを、今もしっかりと覚えている。


それでも。

一応は3食と屋根付きの場所で寝ることができ、無意味な暴力を振るわれなかっただけ、この頃の私はまだ幸せだったのだと思う。

あのまま暮らしていれば本当に倒れていたのだろうだけれど、それでも「死にたい」とか「殺したい」などという冷たい感情は湧かなかったはずだ。

だから、そういう意味ではまだあの頃の私にはのぞみがあったのだと思う。

……あくまでも、仮定の話でしかないけれど。


12歳になったある日、お屋敷にあった家宝の魔具まぐが粉々になって出てきたせきを問われて、私は再度商館に売り払われた。

もちろん私は身に覚えがない。

おそらくは、悪戯盛りだった3兄弟の誰かの仕業だったのだろう。

だけどそれを証明することも、潔白を示す事も、何の後ろ盾もない当時の私にはできるはずもなかった。


結局、必死に弁解し最後は泣いて謝り続けた私は、それまで勤めた分の給金を全て帳消しにされた挙句。

損壊と窃盗の罪で、犯罪奴隷に落とされた。

そして。


アブカル=コブ。


その男に買われた日から、真の地獄が始まった。





それからの2年あまりのことは、どれだけ忘れたくても忘れることができない。

当時Cクラス冒険者だったアブカルは私を奴隷として、性奴として使い尽くした。

多分、私が送った日々の内の半日分くらいだけを聞くだけで、相手はその日の食欲を失うだろう。

女の人なら、あわせて深刻な男性不信に陥ると思う。

これは、決して誇張ではない。


それだけのことを私はアブカルにされたし、させられた。





買われた当日。

アブカルに純潔を奪われた日に、私は舌を噛んで死のうとして失敗した。

あのときほど、回復魔法の存在を憎んだことはない。

次の週にはアブカルを刺し殺そうとして、逆に両手足の腱を斬られてそのまま凌辱された。

その次の週にはアブカルの食事に毒を盛ろうとして失敗し、逆にその食事を口にねじ込まれて丸1日のたうち回った後、ようやく解毒魔法をかけられた。

それ以後、私の両手には鉄の枷が嵌められ、その間を繋ぐ鎖はソーマ様が外してくださるまで1度も解かれることがなかった。


アブカルがパーティーを組むときは、私はパーティー全員の共有物になった。

魔物を釣る餌として森の中で木に繋がれたこともあるし、逆に魔物がいないか確かめるために川に放り込まれたこともある。

町では彼らの酒代を稼ぐために裏通りで売春をさせられ、任務で他のパーティーと合同になるときは銀貨数枚で貸し出されることすらあった。

始末が面倒だという理由で【止月ヘルメス】を使われていなければ、私は心が壊れるほどに堕胎を繰り返す羽目になっていただろう。


他にも、思いつく限りのありとあらゆる、……ありとあらゆる凌辱を受け。

そして、魔法で回復させられた。


そんな日々が、2年続いた。


信じられないことに、その間1度も私が助けられることはなかった。

冒険者も、騎士も、魔導士も、ギルドの職員も、宿屋の主人も、お店の店員も。

ボロ布のような汚い服をまとい、家畜のように鎖に繋がれた私が犯罪奴隷だとわかると、一様に口を閉じた。


アブカルが窘められることはあっても、それで何かの罪に問われることは。

そして私が救われることは、ついぞなかった。





それが、私だった。

それが、奴隷だった。


それが、世界だった。


嫌だった。

痛かった。

辛かった。

苦しかった。

狂いそうだった。


助けてほしかった。

やめてほしかった。


死にたかった。


殺したかった。


だけど、アブカルは。

そして、この世界は。


私に、そのどれも許しはしなかった。

















それが2年続いた、あの日。

カイラン南北戦争、その13度目の大規模衝突が近いという噂を聞いたアブカルとパーティーメンバーは、傭兵として帝国側、クロタンテ砦に陣取っていた。


美しい白銀色のミスリル、それで造られた甲冑や剣、槍、弓、盾。

名のあるらしい幾人もの魔導士や、磨き上げられた軍馬。


銀剣ぎんけん』、『ぎん新星しんせい』、『三人刺さんにんざし』、『爆円ばくえん』、『水羽みずばね』……。


無数の二つ名が飛び交う帝国騎士隊のクロタンテ隊、国境の最前線に配置されたその部隊が精強そのものであることは、剣にも魔法にも疎い私が一目でわかるくらいだった。

一方で収容人数の関係から砦の外に野営していた冒険者たちも、同様にかなりの腕と勇名を持った者ばかりだったらしい。

肩身が狭くなりそうだと悟ったアブカルたちは野営地の端も端、本当に陣地の外縁部ギリギリにテントを張って、面白くなさそうに唾を吐いていた。


……こんなときにアブカルの癇癪がどこに向かうかなんて、もういちいち説明するまでもないと思う。

陣地の外縁、必然的にガラの悪い、ほとんど犯罪者予備軍と言ってもいいような傭兵たちがたむろしているその場所で、私は「1回・銀貨1枚」で貸し出されることになった。





正直、もうその頃の私はまともな人生というものを完全に諦めていた。


成人して。

仕事に就いて。

恋人ができて。

結婚して。

子供を産んで。

母親として育てて。


そんな、おそらくは世界中の女の子がごく普通に想像できる未来を、私はもう想像することができなくなっていた。

どれだけ頑張って夢見ようとしても、無理だった。

そもそも、こんな家畜以下の生活に2年も耐えられたことが既に奇跡なのだ。

このまま行けば、私は16歳を迎える前に確実に死ぬだろう。


いや……むしろ、1日でも早く死んでしまいたかった。


すっかり艶がなくなってしまった金髪を掴んで私を立たせ口から唾を飛ばしながら何かわめいているアブカルに、周りの男たちからは嘲笑と共に次々に銀貨が投げつけられる。

青臭く生臭い、やせ細った私の裸にも、それは地面に跳ねた雨か小石のように当たっていた。


だけど、別に痛くも冷たくもない。


霞む瞳でぼんやりと眺める地面には、私の両手を繋ぐ鉄の鎖が小さくとぐろを巻いている。

すっかり錆つき赤茶色になった枷は、もうすっかり私の体の一部になってしまっていた。


これから私は、投げつけられた銀貨の数だけ穢される。

痛みしか感じないその暴力に何とか快楽を見い出し、終わった後は笑顔で「ありがとうございました」と言わなければならない。


多分、明日も。


明後日も。





……体をだませ。

……心を殺せ。


もう諦めて。

受け入れろ。


嫌だとしても。

痛いとしても。

辛いとしても。

苦しいとしても。

狂いそうだとしても。


助けてほしいとしても。

やめてほしいとしても。


死にたいとしても。


殺したいとしても。


世界は、私を救わない。


狂え、狂え。

狂え、狂え。


体も心も狂わせて。

この無慈悲な、残酷な世界で。


笑え。





そう無理矢理に笑みを浮かべ、視線を鎖から。

穢らわしい、世界に向けた。

その瞬間だった。


世界が、消し飛んだ。

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