ショート・エール カーニバル 後編
「……な、何でしょう!?」
「はぁ、はぁ……、……船長は……どこだ?」
「お、お待ちください!」
翌日、俺は朝からカミラギノクチを走り回っていた。
修繕された防波壁、その内側の桟橋に停泊する大型帆船の人間を片っ端から捕まえながら、ザザをはじめとした船長たちの居場所を聞き出し、そちらへ走る。
照りつける太陽とぬるい海の上で、『魔王』の代名詞ともなっている黒い上下とマントは見た目暑苦しいことこの上ないが、もはやいちいち身分証明をしなくてもいいという点では役に立ってくれていた。
全力で駆け寄ってくる俺に怯える船員たちには申し訳ないが、何しろ時間がなさすぎる。
商会の人間に渡りを付ける作業は、できれば午前中までには終わらせたいのだ。
昨夜、祭の趣旨を把握した段階で出店する屋台の内容をすぐに決め、他種族である俺の参加も含めて政治的な部分はフォーリアルに丸投げすることにした後。
俺とアリス、マックスとアリアはほぼ徹夜でそれに必要な物資を書き出し、夜明けと共に行動を開始していた。
ちなみにここにいないアリスは、そのフォーリアルと共にカミラギの区議会を訪れている。
普段はウォルで暮らしているために意識することはないが、ネクタ大陸において木の大精霊の契約者という称号はある意味で『魔王』すらも超越する。
全ての森人が信奉する最古の大精霊に認められ、ましてやその右手の杖はフォーリアル自身。
アリスはあれで、森人の中ではぶっちぎりの有名人かつ権力者だったりするのだ。
本人は若干渋っていたが、そもそも他種族が祭に参加できるかどうか自体が不透明である以上、多少強引でもそこははっきりさせておかなければならない。
おそらくは今頃、戦後すぐに商人ギルドを訪れた『黒衣の虐殺者』よろしくの超VIP待遇を受けながら、アリスとフォーリアルは区議会をねじ伏せているはずだった。
一方で、マックスとアリアは地区内の市を梯子して回っている。
これにはノクチと買い物を分担する必要があるということと同時に、俺が地区内で買い物ができないという理由もあった。
ネクタの地区内では、貨幣が使えないからだ。
金貨を筆頭としたこの世界の貨幣は、価値のある金属をそのまま鋳造したいわゆる本位貨幣であり、流石に紙幣のような信用貨幣ではない。
とはいえ、それ故に価値の尺度として、保蔵手段として、そして共通の交換手段としてはより確実な機能を持っているとも言えた。
銅貨、銀貨、金貨、ミスリル貨、オリハルコン貨。
大小合わせておよそ100円から500万円まで、10種類の金属硬貨の価値と機能は全世界で共通だ。
……このネクタ大陸を、除いては。
木の大精霊の加護のもと、2千年前の創世の時代から1度も物質的に困ることがなかった森人たちは、信じ難いことに今日でも物々交換だけで経済活動を成り立たせている。
野菜、果物、塩、油、服、本、杖、家……。
深い森と雨の匂いのする土に囲まれた日本の古都のような地区内では、これら全ての財が物々交換の繰り返しだけで手に入った。
必然的に、森人同士で極端な貧富の差も存在していない。
リンゴ10個を、キャベツ2個に。
キャベツ2個を、塩500グラムに。
塩500グラムを、油300グラムに。
油300グラムを、コロモ1着に……。
まるで昔話を実践するが如く、毎日地区内の数ヶ所で開かれている市では目利きの視線と交渉の言葉が縦横無尽に飛び交っている。
そこに貨幣、すなわち価値尺度を統一するものが介在しない以上、その全てがそのときの都合と相場次第だ。
リンゴ1個が塩50グラムになる日もあれば、塩50グラムでリンゴが3つ手に入る日もある。
あるいは、リンゴを100個積み上げても何とも交換できない日もあり得るのだ。
森人以外の全ての人間からすればあまりに曖昧で不安定なその経済体系を、しかし森人たちは唯一の手段として信じきっていた。
そして、ここにこの排他的で閉鎖的な社会の秩序を確立させる、大きな要素が生まれる。
つまりは、「信用」だ。
物品の価値が決まっていないということは、裏を返せばタダ同然で譲ることもさんざん足元を見ることもできる、ということだ。
持つ者と持たざる者、交換する当事者同士が納得すれば別にどんな内容の取引をしても構わない。
それこそリンゴ1個を家を交換したとしても、別に法的な問題は起こらないのだ。
また逆に、家1軒を提示されようが何とも交換しない、というのも自由である。
そして全てが当事者間の交渉で決まる以上、そこには当然のごとく感情。
より正確に言えば、人間関係の良し悪しが直結する。
親族や友人、職場の関係者、想いを寄せる相手……。
身内や好く思える、あるいは今後思われなければならない相手に、あまりに非常識な取引は持ちかけられない。
また、それは相手からしても同じことである。
一方で、評判の悪い相手や何らかの理由で敵対している相手、もしくは犯罪者……。
このまま無関係、あるいは敵対関係のままでも困らない相手からは、ギリギリまで搾り取っても構わない。
どころか、取引自体を拒否した方が後の為になる場合すらある。
よって、森人は間違っても罪を犯さない。
悪い噂を立てられるような、愚かな行動はしない。
大勢から嫌われるような、強気な生き方はしない。
それをやってしまえば、待っているのは取引で大損をし続けるか、応じてすらもらえない村八分だ。
相手からしても下手に応じれば次は自分がその対象になるかもしれない以上、それは徹底的なものになる。
だから、ネクタの中で森人は絶対に和を乱さない。
貨幣のように感情の絡まない媒介がなかったために。森人の社会においては自身に向けられる感情がそのまま信用に。
本人の価値に、なってしまったのだ。
翻って、今やカイラン大陸ではアーネル国王とチョーカ皇帝以上の権力を誇り、もちろん水の大精霊でもある俺ではあるが……。
しかし、ネクタ大陸においてはその立場は非常に微妙なものだ。
大部分の森人からすればフォーリアル以外の大精霊は割とどうでもいい存在らしく、『魔王』として恐れられることも、あまり数の多くない水の精霊と契約した森人たち以外から、英雄視や神聖視されることもない。
視力の到底及ばないノクチ沖合2キロメートルでの『海王』戦以外で大精霊としての力を大々的に奮う機会もなかったために、森人からは単純に「自称大精霊で人間の合法侵入者」として扱われていた。
よって、市での取引は7割から拒否、アリスと道を歩いていても隣にいる俺は高確率で無視されるのが現状である。
まぁ……不愉快は不愉快なのだが、森人からすれば俺は「フォーリアル様との個人的な親交だけをコネにあらゆる決まり事を曲げさせた不届者」でしかない。
社長との付き合いを理由にいきなり会社に来て我がもの顔で振舞う、別の会社の社長……みたいなものだろうか。
そう考えると、確かに面白くはないだろう。
フォーリアルの契約者であるアリスの夫ということで見逃されているだけで、本来ならばもっと直接的な攻撃を受けてもおかしくない。
実際、ネクタの森人は数百年前、無断で地区内に侵入した獣人を殺害した上に、サリガシア全体に対して100年に渡る経済制裁まで科しているのだ。
もちろん、森人が定めたこのルールにはおおいに問題がある。
が、間違っていようが非効率だろうが、千年以上も続くルールはもはや「在り方」であり「生き方」だ。
少しずつしか変えられないし、すぐに変えるには痛みを伴う、それこそ数万人を屠るレベルの大きなショックが必要になる。
そして、フォーリアルも俺も、ネクタに対して現状でそれを望んではいなかった。
……またそういう意味でも、俺はアリスとの結婚を認めてくれたマックスとアリアに深い感謝と、そして敬意を抱いていた。
和を乱す以外の何物でもない、娘の他種族との結婚。
場合によってはカンナルコ家全体が非難されたかもしれないそれを、あの2人はまだアリスがフォーリアルと契約する前から許し、祝福してくれたのだ。
親としての凄みと、そしてその愛に。
俺は、後から気付かされた。
だからこそ、俺はあの2人の期待には応えたいし、喜ばせてやりたい。
「何事ですか、ソーマ様!?」
「はぁ、……頼みが……、はぁ、あって、な……」
親孝行というやつを、したかったのだ。
翌日。
カミラギからカミノザへ入る門、あの注連縄のある門の前の広場で、日没と同時に祭はスタートした。
数百もの篝、月光石による青白く優しい光に照らされた下では、老若男女を問わず木の仮面で目元を隠した森人たちがぞくぞくと集まってくる。
額から鼻までを覆い、原色に近い塗料であえて意味のない霊字を刻んだそれは、自身が木の精霊の紛者であることを表すためのものだ。
そしてその視線は、数十近く並んでいる縁日の屋台に吸い寄せられていく。
水で冷やした果物、塩や香酢に付けた野菜、各種の酒、果汁を水で割ったジュース。
木を削って作られた日用品や工芸品、ネクタらしく本やコロモ、アシダの屋台も並んでいる。
ときに数人の男たちが酒を貰いに行ったついでに野菜の塩漬けを器に盛ってもらい、子供なのであろう小さな仮面が真剣にジュースを選ぶ。
友人グループなのか、母親らしき数人が連れだってコロモの帯を選んでいる横で、広場に設けられた150近いテーブルの中心では早々に区議らしき老人たちの宴会が始まる。
尚、屋台で出されている食べ物や品物はその全てが無料だ。
現世なら一気に商品がなくなってしまうであろう性善説を信じきったシステムではあるが、しかし森人たちはそんな恥知らずなことをしない。
全員が必要最小限のものしか持っていかない中で、テーブルは色とりどりのコロモと仮面でどんどん埋まっていく。
できるだけ、祭りに参加する全員、地区の全員に屋台の品物が行き渡るように、皆が分を弁える。
それは縁日、その屋台を開く者の多くが「この日を境に縁を一新する」、つまりは新しい人間関係を築くことを望んでいる森人たちだからだ。
新しく商売を始める者、結婚で他の地区から入区してきた者、職場を移った者、……何らかの理由で爪弾きにされていた者。
これまでの人間関係。
信用と実績。
自身の価値。
閉鎖された世界の中でそれが破綻し、失墜し。
そして定着してしまえば、その回復は容易ではない。
故に、屋台の中で仮面をかぶっている者たちは、この祭での「振舞い」を通してこれからの2年間の姿勢を地区の皆に示す。
凝った品物、手のかかった商品であればあるほど、参加者はその心意気を感じ取る。
だからこそ、振舞われる側も必要以上の品物を取り過ぎないようにする。
たとえ形だけでも、ここにいるのは森人ではなく精霊たち。
普段の人間関係は忘れ、これまでの2年間のわだかまりも過去の失敗も過ちも、仮面と共に封じ込める。
縁日で、すなわち縁を一新する日に振舞われた食べ物と飲み物で、それらを飲み下す。
そして、また新しい人間関係と共に2年間を暮らす。
それこそが、この『木鳴祭』の意味だった。
「随分と手の込んだ、屋台……ですね」
「……別に敬語でなくてもいいぞ?」
「モローよ、ケイイをわすれるな」
「ヤズナズ、……私たちもやりづらいから」
そんな中、最も規模が大きく、しかしまだ誰も訪れていない俺たちの屋台を最初に訪れたのは、意外なことにカミラギノクチで門番を務めるモローだった。
近くの木のどれかを媒介にしたらしく樹皮で体表を包まれた契約精霊のヤズナズを伴って、緑と紫でペイントされた仮面の奥、腕を組んだまま左から右へと視線を走らせる。
同じく仮面を着けた俺や、ヤズナズをなだめるアリスを通り過ぎた苔色の瞳は、屋台の中で仮面を着けた店員たちの耳の形を確認して、明らかに呆れや諦めの色を浮かべていた。
が、今回に限ってはそれも仕方がないだろう。
「「「「……」」」」
通常の屋台のゆうに5倍の幅を取っている俺たちの屋台の中には、実に8名がひしめいていた。
俺、アリス、マックス、アリア。
そして、ジーク、シャキーラ、ゴア、イクス……。
カミラギノクチの食堂や酒場に勤務している4人の、「人間」。
「……俺はただの門番ですから書類が来れば通しますけど、……少しは自重して下さいね?」
「……はい」
ノクチに住む人間の、一時的な入区。
この暴挙をわずか半日で区議会に認めさせたアリスに、モローはひどく疲れたような笑みを浮かべる。
最初の出会いが出会いだったため、俺たちとしても今更かしこまられるよりはこちらの方が楽だ。
……ムーからの扱いが、あまりに不憫だったしな。
そのモローは、小さく頭を下げるアリスから再度屋台の中へと顔を向けた後。
その瞳には、多分に好奇心の混ざり込んだ光を浮かべていた。
「焼きそば、お好み焼き、イカ焼き、焼きトウモロコシ。
……どれにする?」
熱い鉄板越しに話しかける俺は、その表情を見逃さない。
木鳴祭。
この祭の名目が「普段の人間関係からの解放」と「新しい人間関係の構築」にあると教えられた俺は、縁日にカミラギノクチの人間を関わらせることを思いついていた。
2年に1度しかない祭。
閉鎖的な日常をリセットする、非日常。
その意義を説いた俺に、アリスも義両親も、そしてフォーリアルもすぐに賛同してくれた。
遠足に行くバスの中で、必死に考えた300円分のお菓子を友達と交換し合う。
修学旅行で、呼び出した同級生に告白をする。
せっかくの旅先だからと、料理の追加オプションでアワビの陶板焼きを注文する。
無地の包装なら絶対に買わないような内容と値段のお土産用のお菓子を、どっさりとまとめ買いする。
あるいは運動会、文化祭、お正月、結婚式……。
人間は「ハレの日」、すなわち非日常になると、極端に普段の判断力や価値感が変質し、極めて大胆になるという欠陥を備えている。
普段スーパーで買い物をするときは数円単位で気にするのに、服や家具、時計や貴金属、車や家。
そういった大きな金額の買い物をするときは途端に強気になってしまうのも、これが理由だ。
非日常であることの、興奮。
それが普段なら働いているはずの冷静さを、ことごとく「せっかくだから」という感情で上書きしてしまうのである。
そして、それは森人であっても同じことだ。
「じゃあ…………、焼きそば……」
「焼きそば1丁!」
「……は、はい、……焼きそば1丁!」
「ジークさん、よろしくお願いしますね?」
「は、はい!」
それぞれの料理の簡単な説明を終えた後、迷いながらもモローから注文された初オーダーを俺が指示すると、焼きそばを担当するジークとその助手に着いたアリアが早速動き始めた。
鉄板、正確には船の装甲板を剥がして借りてきたものの上に塩漬けにされたボアの脂身を落とすと、ジウウゥゥーーと甘く重たい香りの煙が立ち昇る。
続けて殻を向いた小エビと刻んだ葉野菜がその上に散らされると、蒸発する水で鉄板の音はさらに激しくなった。
カッシャカッシャと両手に持った巨大なフォークで小エビと野菜を炒めた後、事前に茹でておいた麺がそこに投入される。
「……」
ブチブチと泡立つ脂をまといながら照り輝き、部分的に黄色く焦げていく麺に、モローの視線は釘づけになる。
ジャワワァァーーーー!!!!
「「……」」
仕上げに、果物と香味野菜を炒めてピューレ状にした後に塩と香辛料、酢を加えた簡易ソース。
それが鉄板に落とされると、屋台の内外には暴力的なまでの甘酸っぱい香りが爆発する。
「「「……」」」
甘く、酸っぱく、香ばしく、脂っぽい香り。
糖分のカラメル反応で茶色く輝く焼きそばが木の皿に盛られ、果物の酢漬けを細切りを添えて。
「……どうぞ」
「……あ、ああ」
ジークが、その香りと音、ビジュアルに圧倒されたモローに恐る恐る手渡す段には。
「「「「……」」」」
周囲には、多くの仮面が集まっていた。
安定して火属性魔法を使えない森人は、当然ながら火を使った料理を得意としていない。
いつ消えるかわからない火で野菜を焼くかスープを作るのが関の山で、ある程度の火力と茹で時間の必要な麺料理などまずやらない。
どころか、ノクチに出ない森人はカップ麺で初めて麺の現物を見たというケースがほとんどだ。
しかし目の前には。
それで満たされていたはずの日常を焼き焦がす、脂とソースの残り香。
「……こっちにも、貰えるか?」
ちなみに脳内の神経の位置の関係上、人間の五感の中で最も記憶に影響を与えるのは嗅覚だ。
「お好み焼き……って、どんな料理なの?」
視覚よりも聴覚よりも。
これまで見聞してきた全ての情報よりも、この香りは非日常の興奮で箍が緩んだ脳髄に強い印象を焼きつけ……。
「モローさん、1口だけくれないか?」
この香りと共に、ハレの日の鮮烈な記憶を呼び起こす。
「イカヤキ、2つ!」
深く清々しい森の香りと、土から漂う雨の香り。
その全てを上書きして、髪やコロモにまでまとわりつく脂とソースの香りが。
徐々に、祭の会場を支配し始めていた。
「焼きそば5、お好み4、イカ4、コーン5!」
細かく刻んだ葉野菜と水で少しだけ緩めた小麦粉、航路が短縮されたことで大量に入ってくるようになった卵をさっくりと混ぜてやはり塩漬けの脂を引いた鉄板に丸く落とし、ひっくり返した香ばしい面にソースとマヨネーズを塗る。
鉄板の上、湾内で獲れるイカやタコのぶつ切りの上から小麦粉の生地と卵を割り落とし、上から別の鉄板で押し潰しながら焼く。
トウモロコシの表面にバターをたっぷりと塗り、鉄板の端、温度の低いところでじっくりと焼き上げて、最後に強火のところで軽く焦げ目をつける。
「はーい、焼きそば5丁ー」
「お好み4、承知しました!」
祭の開始から3時間が経つ頃には、俺たちの屋台はほぼフル回転の態勢に入っていた。
カッシャカッシャと麺が舞う隣で鉄板に落ちたマヨネーズがジュバジュバと蒸発し、圧力でキュウキュウと音を立てるイカ焼きの横から甘いバターの香りが漂っている。
カップ麺製造と同じく屋台内の気温は限界まで下げているものの、8人全員が汗だくだ。
「シャキーラ、イカの具はあとどれくらいある!?」
「トウモロコシ5……、イクス、バターの追加を」
もちろん、祭に来ている森人の全員が並んでいるわけではない。
特にある程度年配の森人たちは離れた席に座ったまま、口元を苦々しげに歪めて遠巻きにこちらを眺めている。
屋台内にトウモロコシを転がし続けているアリスと、そしてその傍らに立てかけられたフォーリアルがいるために、表立って悪意を向けてこないだけだ。
「ソーマ様、麺のストックがあと10しかありません!」
「鍋に足せ、すぐ茹でるから!」
「卵も、もうなくなるんだが……」
「お父さん、裏から持ってきて」
が、その数倍の人数、若い世代の森人や子供たちが、焼きそばをすすり、お好み焼きにかぶり付いているのもまた眼前の事実である。
付随して、果物や飲み物を扱う屋台の中も忙しそうに動き続けている。
「焼きトウモロコシ、あと20で終わりでーーーーす!!」
「暑い……!」
今回、俺はあえてアイスクリームやかき氷、キンキンに冷やしたドリンクバーなどの「俺にしかできない内容の屋台」を避けた。
それは果物や飲み物などの他の屋台にダメージを与えないためでもあるし、何より本来の意図に照らし合わせて無意味だからだ。
焼きそば、お好み焼き、イカ焼き、焼きトウモロコシ。
ソース、マヨネーズ、卵、魚介、バター……。
これらは全て、カミラギノクチなら手に入る材料と技術で作れる料理だ。
ここに並んでくれた森人たちがまたどうしても食べたくなれば、ノクチの、「人間」が営む食堂に入れば味わうことができる。
「大精霊、とりあえず全部1つずつ!
……へぇ、『海の男』に『青い皿』に、『アーネル食堂』に……『海鳴亭』か!!
流石、ノクチでも指折りのメンツを揃えてきたな!!!」
「この忙しいときにお前か、ヒエン!?」
そびえる都市壁をくぐり、商人に声をかけて銀貨を用意すればいいだけだ。
2年後のこの祭を待つよりは、おそらくはるかに簡単だろう。
「大精霊、焼きそばもう1つ!」
「売り切れだ!」
祭の開始から、およそ6時間。
前日にノクチとカミラギを走り回ってかき集めたそれぞれ約300食分の材料の全てを使い切って、俺たちの屋台は閉店した。
「「……」」
子供や若い森人たちを中心に、仮面をかぶった参加者がピークの3分の1ほどまで減った広場で、俺たち8人はテーブルに崩れ落ちていた。
誰かが持ってきてくれた飲み物を口に含みながら、脂とソースの匂いしかしない自分たちの髪をかき上げる。
「美味かったぜ!
長いことノクチの飯と屋台を見てきたけど、ぶっちぎりで1位更新だ!!」
「……帰るぞ、ヒエン」
何故か同じテーブルで豪快に笑うヒエンと、その様子を見て苛立ちを募らせているムーに言葉を返す余裕もなく、鉄板からの熱で火照った顔と腕を冷ます。
熱された脂の前に長時間立っていたため、ほとんど何も食べていないのにお腹は空いていない。
早く冷たいシャワーを浴びて眠ってしまいたかったが、全員がしばらくイスから立ち上がることすらできなそうだった。
「ふぉふぉ、良き祭であったのう、水殿。
アリスも、マックスも、アリアも、……そしてジーク、イクス、シャキーラ、ゴア、お前さんたちもじゃ。
ご苦労じゃった」
「「……!」」
「まぁな」
「……ありがとう」
が、それは充足感あふれる疲労でもある。
俺とアリスの席の間、テーブルに立てかけられた杖。
他の森人たちにも気を遣ってか、祭りの最中は一言も発しなかったフォーリアルからの労いの言葉に、全員が反応した。
「知らぬ味も楽しみも、ノクチで交われば手に入る……か。
初めの内は森人たちの世間知らずに混乱もするじゃろうが、……ノクチの人間たちよ、そのときはどうか寛大に接してやっておくれ」
「……は、い」
大きく、慈しみ深く、優しく、大きい。
静かで軽やかな木の大精霊の声に、ジークたちはかしこまりながらも素直に頷く。
「ヒエン、森人たちに迷惑をかけない程度にするのじゃぞ。
……ムーや、お前さんも少しヒエンと楽しんでおいで。
今日は実に、良き縁の日じゃ。
このような日は、本当に幾年ぶりか……」
主の上機嫌を受けてかヒエンも笑みを深くし、ムーも怒気を治めていた。
契約する大精霊、信奉する神からの手放しの称賛に、アリスとマックス、アリアも静かに目を伏せる。
いつしか涼しく、清々しい風が、周囲の熱っぽい空気を穏やかに薙いでいた。
「……そういえば大精霊、ちゃんと宿は取ってるのか?」
「……?」
その空気を、空気の読めない木竜がぶち壊す。
妻の実家に泊まっているのに、何故別で宿を取らねばならないのか。
意味がわからずに俺と人間4人が胡乱気な目を向ける横で、アリスの耳が真っ赤に染まる。
あら、とアリアが口を押さえて微笑む横で、マックスのこめかみに青筋が浮いていた。
「……祭なのじゃろう。
妾でも知っておるぞ?」
「「……?」」
「「……」」
人間と森人できっちり反応が分かれる中、ムーが実に「植物」らしく。
「この祭りの後は、森人どもがよく交尾をしておる。
十月後にはたくさんの赤子が産まれる……、……これはそういう繁殖期の祭りなのじゃろう?」
生物学的な発言をした。
木鳴祭……。
こなり……。
子生……か?
……。
……まぁ、日本でも祭の側面としては決して珍しいものではないし、「新しい縁を築く」というお題目も……そういう解釈はできる。
若い森人からどんどんと人数が減っていったのは、つまりはそういうことなのだろう。
……しかし、俺は理解の返事をすることができない。
「「……」」
「「……」」
アリスかアリアに確かめたいものの、首を傾げるムーを見つめて硬直している俺の横顔に突き刺さっているマックスの視線が、それを許さない。
暑さではない、汗が流れる。
笑いを噛み殺すヒエン、下を向くアリスとノクチの4人を余所に。
「まぁ、マリアちゃんも10回前のお祭りで生まれたしね」
「「ぶっっっっ!?」」
アリアが何でもないように、さらに爆弾を放り込む。
肺の空気を失いながらも、全員がマックスの顔を見ることができない。
見ては、いけない。
「マリアちゃんのところと、初孫はどっちが……」
「そろそろ帰ろうか、『皆』」
「そ……うですね、『全員』で……帰りましょう」
さらに言葉を続けようとしたアリアを遮って、視界の端で無表情のマックスが立ち上がった。
すかさず俺も同意し、ケタケタと笑っているヒエンを視線で威嚇する。
ポカンとしているムーを無視して立ち上がると、慌てたようにノクチの4人が。
続けて、耳、をとうに通り越して顔全体が真っ赤になったアリスも立ち上がった。
「ノクチまでは、オレ様とババァが行ってやるよ。
……なぁ、大精霊?」
「……頼んだ」
「……?」
唐突な散開に不思議そうなムーを引きずりつつ、ヒエンが先に歩きだす。
俺に頭を下げ、礼を返した4人がその後を追っていくと、その場には3人の森人と1人の人間が残された。
「……」
無言で歩きだしたマックスの後を、アリア、続けて俺とアリスがついていく。
「……」
「……」
目を、合わせられない。
お互いに視界の端で、無理矢理な仏頂面だけを交換する。
誰か、教えてほしい。
この場合の正解は、何なのか?
義理の息子として、今後の縁を守るための正しい振舞いは何なのか!?
そんな心中の叫びを聞きつけたわけでもないだろうが、歩を遅くした青いコロモの背が徐々に大きくなり、俺の隣に並ぶ。
「アリスちゃん、連れて行っちゃってもいいわよ?」
片手を添えたその唇は、ロクでもないことを俺に囁いた。
「……」
聞こえていたのか、前方を歩く巨大な巌から殺気が放射される。
「……死にたくないので、やめておきます」
「お母さんの、馬鹿……!」
生気のない苦笑いと羞恥に満ちた涙声の後には、悪戯っぽい含み笑いが続いていた。




