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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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ショート・エール 叫ぶ月光

「……ああ、それから2日後に臨時作業を入れる」


それは、ミルスカとサイラがウォルに来てから半月後の定例会でのことだった。

基本的に2週間に1度開かれている、このウォルで最も大事な話し合いも、私とソーマの2人だけだった頃からすれば随分と参加者が増えている。


私の隣には頬杖をついたソーマと、その隣には議事録を書く手を止めたミレイユ。

その近くから順番にロザリア、アンゼリカ、サーヴェラ、ヨーキ、ガラ、ニア、ランティア、ネル、ルーイー、タニヤの10人の班長たち。

ウォルポートができたことでシムカから追加派遣された計20名の上位精霊をまとめる、セリアース。

シズイと交代で出席している、サラスナ。

一番後ろの席には、もうすぐ6ヶ月の雇用期間が満了するイングラムとキスカ。

そして、私の背後の壁に立てかけられたフォーリアル。


7属性の大精霊の内2柱と、上位精霊と火竜。

大精霊の契約者が1人と、それと同じくらい強い魔人ダークス

上位精霊と契約した準決戦級魔導士が3名と、Aクラス相当の戦力保持者が7名。

……本物のAクラス冒険者が2名。


大陸1つを2日で滅ぼせそうな18名が顔を合わせていた会議の終盤に、その座長でありウォルの領主でもあるソーマはおもむろに口を開いた。


「カップ麺の製造を行う。

前に造った在庫がそろそろ乏しくなってきたし、ネクタでもカミラギにはそこそこ浸透してきたようなんでな。

新しい味も含めて、来月分の出荷を月末に前倒しすることにした」


彼の言う通り、ウォルポートの開港以後に正式にネクタへの交易品に加わったカップ麺は、特に私の故郷のカミラギではじわじわと流行の兆しを見せている。

水属性の魔導か霊術で【生湯タンプラ】さえ発動すれば食べられるそのあたたかい麺料理は、火属性魔導が不得意な森人エルフの台所に静かな革命を起こしつつあった。

交換レートが決して低くはないために浸透に時間がかかっているけれど、お父さんやお母さんも含めて熱烈なリピーターも多い。

つい先週、カンテンのお姉ちゃんの所へも1ケース、24個入りを送ったばかりだ。


「数はボア豚骨、フラク坦坦、塩グリッドが各600。

試供品の分も合わせて、ヤギカレーが120だ。

該当日には食事班から10名、その他の班全体から50名を動員する。

ミレイユとロザリア及び他の班長は自分たちを含めて、メンバーの割り当てを決めておけ。

各班、副長への引き継ぎを忘れるなよ。

当日の作業は朝食後すぐ、森林工房でだ」


だけど、実は私はそのカップ麺を造る場面には立ち会ったことがなかった。

彼がカップ麺を開発して前回製造したのは、まだ私が実家でお母さんにしごかれていたときだったからだ。


「私も参加したい」


「「……」」


だから、私のこの言葉は本当に純粋な好奇心からだった。

あれほど機能的で革命的な食べ物がどうやって造られているのかに興味を持つのは、当然のことだろう。

ところが、それを聞いた彼の、ミレイユの、そしてサーヴェラたちの表情が……一様に険しいものに変わる。


「ねーちゃん、結構……大変だよ?」


「この数だと……朝からお昼過ぎくらいまでかかりますし」


「アリスさんには、向いていないと思いますわー……」


「……?」


サーヴェラ、アンゼリカ、そしてミレイユ。

他の子たちも含めて口々に難色を示し始めたことに、私は首を傾げることしかできない。

何か、私が参加するとまずいのだろうか?


「……」


「……まぁ、いいさ。

本人が、参加したいって言うならな」


「……?」


思わず隣のソーマを見上げると、彼は少しの時間の後にそう溜息をついた。

だけど、ミレイユたちの瞳に映る……諦めのような色は何なのだろうか?


「……アリス、やれば……嫌でもわかるから。

じゃあ、10名と……、アリスは50名の方に配置する。

49名の割り当てを明日までに選出、……アンゼリカの方でまとめておけ。

以上、解散」


ソーマの苦笑いは、私にそれ以上の説明をする気がないことを表している。

いつになく不穏な空気の中、その日の定例会はこのまま終了した。

















森林工房。

これは住民以外の来訪者はもちろん、班長でもソーマの許可がないと立入を禁止されているウォルで唯一の施設だ。

ウォル入植以来拡大を続け、フォーリアルの加護もあってさらにその範囲を広げ続ける深い森の中に、それは突然現れる。

高い板壁。

3番湖と4番湖、2つの浴場を合わせたよりもさらに広い範囲を覆っているこの壁は、外部の商人や職人、あるいは冒険者からの視線を完全に遮断するために存在していた。


扉を開けるとそこから先は男女別の更衣室に分かれており、作業員はそこで下着も含めて服を着替える。

主に宿泊班や販水班の子たちが腕に巻いている、ウォルの住民であることを示す青い腕章。

それと同じ濃い青色に染められた肌着と上下、そしてエプロン。

さらにはマスクとバンダナも着けて、全員の全身が青一色に染まる。


異物の混入を防ぎ、したとしても発見しやすくするため。

自身も黒一色から青一色に変わったその発案者の指揮のもと、この秘密の工房で造られる製品はたった1つだけだ。


「食事班は、スープと具材の調理を開始しろ。

残りは、茹槽ゆでそうの周りに」


こうしてこの日、その平坦な地獄は始まった。





食事班の方ではいつもの黒いドレスの上から青いエプロンとマスク、バンダナに身を包んだミレイユと、こちらは青一色になった班長のロザリアの指示のもと、凄まじい量の食材の加工が始まっていた。

木で造られた巨大な作業台の上に並んでいるのは羽をむしられたフラクが数十羽に、皮を剥がれたボアとヤギの半身。

傍らの木箱に積まれている白い山は、ニワトリの卵だ。

ラルポートから取り寄せたハネトの燻製に、海草を干したものの束。

水を張られた鉢の中ではグリッドの群れが押し合い圧し合いし、専門の商店かと思うほどの量と種類の香辛料や調味料の袋がその脇に置かれている。

そして野菜、野菜、野菜……。

数十人が座れるであろう長大な木製の作業台4つの上が、全て食材の山となっていた。

正直ここまで来ると、ただの食べ物に対して圧迫感すら湧いてくる。


子供が数人は入れそうな特注の大鍋の列の中に、10人の子供の手によってそれらの食材はどんどんと放り込まれていく。

……信じられないことに、あれの大半がどうやらスープの材料らしい。

ソーマからカップ麺、もといラーメンの作り方は簡単に聞いていたけれど、実際に見るとその迫力は桁違いだった。


紙に書かれたレシピを確認しながら10ほどの鍋に山のような食材を流し込んでいく青い集団の横で、ミレイユはフラクを次々に斬砕ざんさいしていた。

まるでなたおののような巨大な専用ナイフ、「チュウカボウチョウ」で断ち割られた肉塊は骨や筋を取りながらさらに細かく切断、鈍器のようなナイフの背で叩き潰されて、ミンチに変わっていく。

ちなみに、フラク坦坦1人前に使われる肉はたっぷり100グラム。

今日作る600人前に必要な総量は60キロだから、……人間の大人1人分の重量だ。


「……」


次々にフラクを挽肉に変えていく無言のミレイユからは、トレードマークの笑顔が消えていた。





一方で、私を含む麺担当の50名の作業は単調そのものだった。

私たちの家にあるお風呂、それを縦に引き伸ばしたような巨大な木製のそうに向かい合った私たちの両手に握られているのは、乾麺を茹でるときに使う網鍋あみなべだ。


まず、作業台に積まれたやっぱり山のような乾麺から1食分を、穴の開けられた片手サイズの板を通してきっちり量り取って網鍋に入れる。

それをもう1つ、左右の手に2つを準備できたら茹槽の前に並ぶ。

25人が2列、網鍋を持って向かい合う前では、ソーマが生成した熱湯がグラグラと沸いていた。


「始め!」


その彼のかけ声と共に、50人は網鍋の柄の根元を茹槽の縁に取り付けられた金具に引っかけ、鍋の中の麺をお湯に漬ける。

目の前の2つの鍋の中、徐々にやわらかくしなっていく白い乾麺を見つめながら、時折木の棒でかき回して麺同士がくっつくのを防ぐ。

茹で具合を合わせるために、鍋を上げるのは氷で作りだした手元の砂時計をにらむ彼の合図が出されてからだ。

それまでひたすら、私たちはお湯の中で揺らめく白い麺を見つめ、たまにかき混ぜる。


お父さんがソーマとのチェスを楽しみにしている、と一昨日届いたお母さんからの手紙からに書いてあったこと。

それを彼に読ませると困ったように笑っていたけれど、その日の夜に久しぶりに対局を持ちかけられて思わずニヤついてしまったこと。

その対局で、完膚なきまでにしたい放題されたこと。

その後ベッドの上でも、やっぱり完膚なきまでにしたい放題されたこと。


「……5、4、3、2、1、上げろ!」


白い泡を立てるお湯を見つめながら色々なことを考えていると、やがてソーマの指示が飛ぶ。

すぐに網鍋の柄を両手でつかみ、肩辺りまで腕を上げ、腰の辺りで止めるように……。


バシャッ、フシャッ、フッ!


3回振り下ろす。

そうしてお湯を切った後は、あらかじめ作業台に並べてあるあの円柱形のカップ麺の器に、網鍋の中身を流し込んで行く。

ソーマによって瞬時に乾燥された麺は、見た目だけならまた乾麺のそれに戻っていた。


一方で私たちはそのまま隣の作業台に移り、また麺を量って網鍋へ、その後は茹槽の前へ……。

ひたすら、この繰り返しだ。


「始め!」


この前買った小説の最終巻が、正直いまいちだったこと。

お姉ちゃんからも、ちょくちょく手紙が来るようになったこと。

カミラギのお祭りに合わせて、ソーマとまたネクタに行こうかと思っていること。


「……5、4、3、2、1、上げろ!」


バシャッ、フシャッ、フッ!


ひたすら、ひたすら、この繰り返しだ。


「始め!」


何日か前の昼食のとき、サーヴェラとガラが小声で話していたヤギの丸焼きが頭から離れないこと。

ソーマに耳掃除をしてあげたら、また抱き枕にされたこと。


「……5、4、3、2、1、上げろ!」


バシャッ、フシャッ、フッ!


ひたすら、ひたすら、ひたすら、この繰り返しだ。

そしてだんだん、沸き上がるお湯とその中で踊る乾麺のことしか考えられなくなってくる。


「始め!」


「……5、4、3、2、1、上げろ!」


バシャッ、フシャッ、フッ!


板を使わなくても、手でつかんだだけで1食分の乾麺の重さがわかるようになってくる。


「始め!」


「……5、4、3、2、1、上げろ!」


バシャッ、フシャッ、フッ!


ソーマの声がなくても、茹で時間がわかるようになってくる。


「始め!」


「……5、4、3、2、1、上げろ!」


バシャッ、フシャッ、フッ!


茹でられている乾麺の気持ちが、わかるようになってくる。


視界の端では、鬼のような形相でミレイユが鉄鍋を振っていた。

中で舞う黄色の波濤は、何十食分の炒り卵なんだろうか。


耳の前から首筋へと、ツーっと汗の雫が流れる。

工房の中全体はソーマが涼しく保っているみたいだけれど、それでもお湯の前は暑い。

バンダナとマスクで誰が誰なのかわからないけれど、皆も若干ぼんやりとした瞳をしている。


この空間の中で真実は、そう、お湯の中にしかない。

茹でられている麺たちが上げる歓声と悲鳴が、私の頭の中で反響する。

どうせまた乾かされるのに、わざわざお湯の中で踊らなければならないこの子たちの運命に心が痛む。

だけど私には、どうすることもできない……。


自分の無力さを呪う。

自分の弱さを呪う。


私は…………。


「……アリス!」


「……え?」


そこで、私は正気に戻った。

茹でた麺を器に空けて、次の乾麺を取りに行こうとしたところでソーマに肩をつかまれたのだ。

少し心配そうな黒い瞳の中には、若干焦点が合っていない私の瞳が映っている。


「休憩時間な。

更衣室に飲み物もあるから、涼んでこい」


そうやって差されたソーマの指の先を追うと、ミレイユや食事班を含む全員が工房の外に出ていく青い列が見える。


「……だから言っただろ?

でも、ちゃんと最後まで付き合えよ?」


笑みと呆れ、心配と気遣い。

そんな感情を含んだ彼の声と共に工房を後にしながら、台の上の器を数えて。


私は、この作業がまだ全体の3分の1も終わっていないことを知ってしまった。





休憩時間の度にがぶ飲みする、砂糖と塩、柑橘系の果汁と氷を入れられた冷水。

昼食時間にミルスカが持ってきてくれた、揚げたてのチーズカレーパンの山。


体の中に詰め込んだそれらを全てエネルギーに変えきって、おそらくは四の鐘が鳴る直前頃、ようやくカップ麺の製造は終了した。

乾燥させたスープや具材を器に入れ、小麦粉を水で溶いたものを接着剤として塗ったフタをかぶせて、ソーマがそれも乾燥させる。

3種類を8個ずつ、24個。

それを75ケースと、ヤギカレーだけの5ケース。


80個めのケースがきちんと封印されたとき、ソーマを除く60名は誰からともなく拍手と共に歓声を上げていた。

自分でも理由のわからない感動の涙がにじんでしまったのは、皆には内緒だ。


「ご苦労……。

全員着替えて、水浴びをしろ。

その後、特別報酬を出そう」


ケースを数え終わった彼の声にも、少しだけ疲労の色が浮かんでいる。

特別報酬、という彼の言葉に子供たちがさらに声を高くする中、マスクとバンダナ越しに目が合った私たちは、どちらからともなく苦笑いをしていた。





更衣室に併設されている小型の浴場で、汗とラーメンの匂いを洗い流した後。

元の服に着替えて外に出た私たちを待っていたのは、腰くらいまでの高さの円柱形の氷、……としか言いようのないものの隣に立つ、いつもの黒ずくめのソーマだった。

さらにその傍らに置かれているのは、ミルクが入った壺に……。


「ふふふ、お待たせしましたわー」


ミレイユが持ってきたのは卵、それも大量の黄身だけが入った木製の鉢と、砂糖の袋だ。


「カップ麺の製造方法は、この工房の中だけの秘密だ。

そしてこれはこの重労働に耐え、その秘密を守るお前たちへの報酬だ」


彼のその言葉と共に氷の円柱の上部が浮上し、私はそれがカップ麺のそれと同じ円筒形の器だったのだと理解した。

続けてミレイユがその中にミルクと卵、そして砂糖を流し入れる。

浮かせていたフタを戻した彼が氷の器に手を置くと……。


シャジャジャジャジャジャジャジャ……!


器の中に作りだしたらしい、刃物のような氷が猛スピードで回転を始める。

部分的に凍ったミルクと卵黄、そして溶けきっていない砂糖が刃でかき取られ、粉砕される硬質の音はどんどんと細かく、そして滑らかになっていった。

氷の中にはまるで雲が立ち込めたように、白くやわらかな何かが立ち上がっていく。


「旦那様、こちらを……」


「ああ」


氷の中に注いだ白い液体がほぼ固体となったところで、工房の中に戻っていたミレイユがソーマへまた別の木鉢を渡す。

木ベラで白い塊の上に流し込まれたのは、カティのような色のドロリとした液体。

再度氷の器は密閉され、刃の回転と共に白い雲は茶色のリボンをまとう。


「よし、食おうか」


「ふふふ、お皿とスプーンを配りますわー」


ソーマの声とミレイユの笑みに、子供たちの中の誰かがゴクリと喉を鳴らした。

同じく鳴らしそうなのになったのを、私は気力で我慢する。


子供のときに、本で読んだことがある。

ソーマが氷の大きなスプーンですくい、群がる子供たちが差し出すお皿に盛っているそれは。


マーブル模様のアイスクリームだ。


「お疲れ、アリス」


「うん、2人も」


「ふふふ、ありがとうございます」


ミレイユから受け取ったお皿には、片手のこぶしほどのアイスクリームが盛りつけられた。

早々に食べきっておかわりを貰いに来る子供たちの列から離れ、私は手近の切株に腰かける。

お皿に接した面から、黄色とこげ茶色の合わさった雫をトロリと流すアイスクリーム。

作るのに信じられないほどの手間と魔力が必要なため、カイラン大陸では5軒しか売る店がないはずの超高級甘味が、私の手の中には鎮座していた。

ちなみに、紙の上では知っていてもネクタでこれの実物を見る術はない。


銀色のスプーンをその表面に突き刺すと、お皿の上を滑りながらも切っ先がゆっくりと沈んでいく。

すくい取ったそれは、バターのようにねっとりとした感触を私の右手に伝えていた。

白っぽい黄色をベースに、縞模様のようなこげ茶色の層。

お金を出して食べればこの1さじが銀貨に届いてしまうかもしれない、その味は……冷たい。


「……んぅ」


そして、甘い。

氷を含んだような温度変化と一緒に、私の口の中には濃厚な甘さとほろ苦さが広がっていった。

町のものに比べれば格段に濃いミルクの力強い甘さと、惜しげもなく混ぜ込まれた砂糖の鋭い甘さ。

舌の上で唾液と一緒に溶けていくその味は、口から喉、首から胸、そしてお腹へと沁み渡っていくような錯覚を私に与える。

……もう1口。


この茶色は……、カティの原料の豆をペーストにして伸ばしたものだろうか?

ミルクとも砂糖とも違ったすっきりとした甘さと、そして苦さがいいアクセントになっている。

カティの部分が多いところと少ないところで味が違うのも、何だか得をした気分だ。


「……あ」


そこまで考えたところで、私は自分のお皿が空っぽになっていることに気が付いた。

甘く冷たい溜息を吐きながら、もっとゆっくり味わえばよかった、と久しぶりに子供っぽい悲しみに襲われる。

カラアゲ、ソーセージ、ミソドテ、ホイコーロー……。

ソーマが教えてくれる美味しいものは、いつもこうだ。

そして……。


「アリス?」


「……いる」


「ふふふ」


そんな私を見るソーマが楽しそうに笑って、おかわりを聞いてくるのも。

それに応じる私を見てミレイユが笑っているのも、いつものことだった。

















「始め!」


「……5、4、3、2、1、上げろ!」


バシャッ、フシャッ、フッ!


……。


「始め!」


「……5、4、3、2、1、上げろ!」


バシャッ、フシャッ、フッ!


……。


「始め!」


「……5、4、3、2、1、上げろ!」


バシャッ、フシャッ、フッ!


……その次の日も、私は乾麺を茹で続けていた。

規則的なソーマの声に従って、ひたすら麺を量り、茹で、かき混ぜ、お湯を切り、器に空ける。

麺を量り、茹で、かき混ぜ、お湯を切り、器に空ける。

麺を量り、茹で、かき混ぜ、お湯を切り、器に空ける。


麺を量り、茹で、かき混ぜ、お湯を切り、器に空ける、麺を量り、茹で、かき混ぜ、お湯を切り、器に空ける、麺を量り、茹で、かき混ぜ、お湯を切り、器に空ける、麺を量り、茹で、かき混ぜ、お湯を切り、器に空ける、麺を量り、茹で、かき混ぜ、お湯を切り、器に空ける、麺を量り、茹で、かき混ぜ、お湯を切り、器に空ける、麺を量り茹でかき混ぜお湯を切り器に空ける麺を量り茹でかき混ぜお湯を切り器に空ける……。

ひたすら、ひたすら、ひたすら、ひたすら、ひたすらひたすら、ひたすらひたすらひたすら、ひたすらひたすらひたすらひたすら、ひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすら……。


……ぅ。

……ぅぅ。

……ぅぅう。

……ぅぅうう。


……ぅぅううゎぁぁああああああっっっっ!!!?


「……!!!?」


終わらない作業に悲鳴を上げた私の目の前には、……目を閉じたソーマがいた。

続けてシーツ、ベッド、寝室の壁、天井と滲む視界に入ってきて、私の視線は静かに夢の世界を彷徨っているのであろう彼の寝顔に戻る。


今日は……カップ麺を作り終えた後に。

アイスクリームを食べて。

夕食も食べて。

2人で一緒にお風呂に入って。

お互い疲れていたので晩酌もせずに……ベッドに入った。


…………夢、か。


「……」


今更になって、ミレイユや班長たちが私の作業参加を止めた理由がわかった。

多分、初めて造ったときも何人かが悪夢にうなされたんだろう。

森林工房の中での作業とさっきの夢の内容がまたフラッシュバックしそうになって、私は慌てて他のことを考えようとする。


例えば……、目の前のソーマの寝顔のこととか。


冷静に考えてみれば、今日一番働いていたのは結局のところソーマだ。

茹槽のお湯の維持と入れ替え、氷時計での茹で時間の管理、工房内の気温の操作。

食事班が作っていたスープや具材のお湯も彼が管理していたし、乾燥……というか脱水も彼にしかできない。

もちろん大人数人分の重量の挽肉や卵、野菜を炒め続けていたミレイユも大変だっただろうけれど、やっぱり彼が一番疲れていたはずだ。


でも、彼はそんな弱さを見せない。


誰よりも大変なことを担当して、だけどそれを顔に出さない。

そして、その上で皆をアイスクリームで労うだけの心意気を示す。

だから皆は彼に従い、彼を慕うのだろう。


「……カッコいい、…………うぅ」


思わず口をついてしまった、その形容詞。

それが自分の目の前で眠っている人間に対するものであったこと、そしてその人間が自分の夫であることを瞬時に思い出した私は、何だか恥ずかしくなってシーツの中で悶えてしまう。

だけど、自分の夫が強くて頼りになるということ、そして皆から慕われているということがとても……誇らしい。


「……おやすみ、ソーマ」


その夫の胸の中で、彼の体温を感じながら眠ろう。

そうやって、ニヤけつつも体をすり寄せたときだった。


「……め、……、……ん、……ん、……、……ち、……ろ、…………、……め……」


「……?」


彼が、何か寝言をつぶやいている。

子供のように無邪気にあどけない寝顔で、だけどとても静かに眠ることが多い彼としては、かなり珍しいことだ。

何だか意外な一面を見ることができた気がして、私は笑みを押さえながら彼の口元で耳をそば立てる。

天下の『魔王』様にこんなことをできるのも、私の特権だ。


「始め、5、4、3、2、1、上げろ、……、始め……」


「……」


「始め、5、4、3、2、1、上げろ、……、始め、5、4、3、2、1、上げろ、……、始め……」


「……」


「始め、5、4、3、2、1、上げろ、……、始め、5、4、3、2、1、上げろ、……、始め、5、4、3、2、1、上げろ、……、始め、5、4、3、2、1、上げろ、始め、5、4、3、2、1、上げろ、、始め、5、4、3、2、1、上げろ、始め54321上げろ始め54321上げろ始め54321上げろ始め54321上げろはじめ54321あげろはじめ54321あげろハジメゴヨンサンニイチアゲロ……」


……あなたも、うなされてるんじゃない!!!!


「ソーマ!!」


思わず、シーツを跳ねのけて大きな声を出してしまう。

いや、むしろ私がうなされたのは多分あなたのせいでしょう!?


「ソーマ、起きて!!」


さっきの、私のときめきを返せ!





結局、この数分後。

寝入っていたところを叩き起こされて不機嫌なソーマと、私は初めての夫婦喧嘩をしてしまう羽目になったのだった。

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― 新着の感想 ―
前話でしんみりして浮かんだ涙がwww ここで笑いの涙にww 単純作業って修行に近いトランス状態になりますよねww ああ~~~ そして悪夢で寝言wwwもうお腹痛いwww ソーマ、お前もうなされてるやんけ…
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