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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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ショート・エール グロー・アップ 前編

私が冒険者を辞めたのは、およそ1年前のことだ。


アーネルポートでパン屋を営んでいた両親のもとに一人娘として生まれた私は、親不孝な娘だった。

王族の子は王族、商人の子は商人、職人の子は職人、農民の子は農民……。

それが当たり前のルールであり、必然的に自分たちの店である『金色こんじきの雲』を継ぐものだと物心がつく前から娘を手伝わせていた両親に、私は反発した。


まだ暗い内から粉まみれになりながら全身を使って生地をね、夜明けと共に店を開け、弐の鐘が鳴る頃には2度目の仕込み。

狭い店の中にこもる、鉄製のオーブンから放たれる熱と火傷に耐えながら腕がカチカチになるまでパンを焼き続け、自分たちはろくにお昼ごはんも食べずに皆のお昼ごはんを売る。

2階に上がって倒れるように眠りこみ、四の鐘と共に仮眠から飛び起きて3度目の仕込み。

夕方から日没までまた必死にパンを売って、食堂や酒場に届けて、売れ残ったパンを食べながら店の掃除をする。

そこまで働いて、『金色の雲』はようやく家族3人を養っていける程度の儲けだった。


一方で、私は冒険者という職業に強烈に憧れた。

磨き抜かれた装備と、強者の自信にあふれた振舞い。

私たち家族が年に1度、行けるか行けないかというような高級な食堂や酒場で毎夜語られる武勇譚。

高位魔導士、すなわち上位者として向けられる、尊敬と羨望の眼差し。


小さいうちから粉と汗まみれだった私にとって、彼ら彼女らは手が届くところにいるけれど、実際には手が届かない。

そんな英雄たちだった。


14歳のとき。

幸か不幸か風の精霊と契約できたことで、私の憧れはかなり具体的な目標になっていた。

パン屋なんて継ぎたくない。

冒険者になりたい。

あの英雄たちみたいに、私もいい暮らしがしたい。


当然、両親は激しく反対した。

怪我をするかもしれない、魔物と戦うなんてとんでもない、盗賊に襲われるかもしれない。

冷たい森の中や血みどろの戦場で、殺されてしまうかもしれない。

親子の縁を切る、とまで言われた。


だけど、日々使えるようになっていく魔導と大きく伸び出した自分の手足を前に、私は聞く耳を持たなかった。

結局、私は16歳になったその日に家を出た。





王都に出た私は、そこで同じくエリオから出てきたばかりの新米冒険者、パンヒール=マーナスと出会った。

長い金髪でおっとりとした性格、そして弓の使い手。

中位の水属性魔導士でもあった彼女と私は意気投合し、その日の内に『ウィンドアロー』というパーティーを結成した。


30匹以上のアリオンの群れと戦ったこと。

物見遊山で出かけた「竜の巣」のふもとで死にかけたこと。

初めての護衛任務で、狡猾な商人に報酬をさんざん値切られてしまったこと。

上位精霊と契約するためにエルベーナ、そしてエルベ湖を訪れるも、結局叶わずにパンヒールが号泣したこと。


彼女と出会ってからの3年間はまさしく風か、あるいは矢のように日々が過ぎていった。

たまに喧嘩をしたり、他の数人のメンバーが入ったこともあったけどその間、私はずっとパンヒールと一緒だった。

いつしか2人ともCクラスに上がり、拠点にしていたラルクスやラルポートではそこそこ顔の利く冒険者になり。

子供の頃に憧れていた英雄たちに、私とパンヒールもなれるかもしれないと思い始めていたときに。


私たちは、失敗した。


『フレイム』。

当時、北部森林を根城にしていたその大型盗賊団の討伐に参加した私たちは、他の数パーティーと一緒にアジトの探索を担当していた。

森の中をしらみつぶしに探す中で、幸運にも私たちはそれらしい洞窟を発見し。

そして不運なことに盗賊たちに発見され、捕縛された。


その後のことは、何も覚えていない。


これは凌辱の衝撃がどうこうというわけではなく、救出された後に飲んだ『時戻し』がそのおぞましいだけの記憶の全てを私たちから奪ってくれたからだ。

ただ、盗賊どもに好き勝手に弄ばれ、穢し尽くされたという事実だけは決して消えてはくれなかった。

女冒険者の末路として、これは別に珍しいものではない。

ギルドや町の人間から、白い目で見られたわけでもない。


だけど、私とパンヒールはその日を最後に冒険者として生きることを諦めた。


私は3年ぶりにアーネルポートの『金色の雲』に戻り、1年前に父が亡くなっていたことを知った。

私を責め、それでも生きて帰ってきたことを泣いて感謝する母の前で、私は全身の水分がなくなるまで泣いて謝り続けた。


私は、英雄にはなれない。


そのことを思い知った私は、それからはパン屋として生きることを決意した。

今まで何とか1人で店をもたせてきた母を助けようと、寝る間を惜しんで必死で働いた。

冒険者としては自分の身を、娘としては親さえも守れなかった私は、この店だけは絶対に守りたかった。


……それでも、父がいなくなった分作る量も売る量も減ってしまい。

そして、その分お客さんが減ってしまっていた『金色の雲』を持ち直させることは、できなかった。


職人ギルドへの、1回目の借金の返済ができなくなったのが2ヶ月前。

それを返しきれないまま、2回目の借金の返済ができなくなったのが1ヶ月前。

ギルドの担当者から破産を宣告され、借金の穴埋めのため店の売却と、私と母が奴隷として売り飛ばされることが決まったのが3週間前。

その手続きのため、管轄が商人ギルドに移譲され……。





そして、店ごと私と母を買い取るという客が現れたと通知されたのが2週間前。


あの『商売の大精霊』イラ=レビックが率いる、イラ商会。

その商会を通じて私と母を救った人物の名前を聞いて、私はつくづく自分が英雄にはなれないことを思い知った。


ソーマ=カンナルコ。


『水の大精霊』、『氷』、『魔王』……。

数々の二つ名をその黒衣と共に羽織る、生ける伝説。

Sクラスの魔物だった『海王』を討伐し、魔王領の領主を務め、たった1人でカイラン南北戦争に終止符を打った、この世界で唯一の冒険者ギルドSクラス冒険者。


かつて、アリス=カンナルコと共にたった2人で『フレイム』を滅ぼし、私とパンヒールを救ったその悪名高い英雄によって。

私の家族は、また救われることになった。

















「赤髪に褐色の肌と、白髪に褐色……。

ミルスカ=ヒガシとサイラ=ヒガシ……で間違いないよね?」


アーネルポートから、丸1日。

右手に見えていたカイラン大荒野の黄色い海岸線に突然巨大な河口が口を開け、そこから緩やかに蛇行する運河を少しのぼっていった先。

どんな手段で建設したのか、大地の真ん中に突然現れる長方形の停泊地に着いたイラ商会の船から母の手を引いて降りると、金髪の子供がこちらに駆け寄ってくる。

成人していない、12か3歳くらいの少年だろうか。


「オレはウォル畜産班の班長の、サーヴェラ。

で、こっちはエルカ。

にーちゃん……、ソーマからアンタらの案内を任されてる。

……大丈夫、サイラ?

顔色悪いけど」


「……大丈夫よ」


突如眼前に現れた透明な少年、エルカと呼ばれた水の上位精霊の出現に腰を抜かした母を助け起こし、代わりに返事をしながら、私はサーヴェラと名乗った少年の金色の瞳と、その背後に広がるウォルポートと呼ばれる港の景色を見渡した。

最終的に、その護岸工事には100名以上の土属性魔導士が参加したと言われている「ウォル小運河」の先。

海際ではない場所に存在する、港町。

そこは、発展著しい町に特有の活気と喧騒、熱気と笑顔にあふれ返っていた。


停泊地に泊まっている船は、私たちが乗ってきた『青の翼号』の他に4隻。

いずれも渡し板の上を樽や木箱を担いだ船奴たちが往復しており、乗船員や商人たちが大声で指示を飛ばしている。

大量の樽、少女をモチーフにした美麗な刻印がされたそればかり積んでいるのは、型式からしてチョーカ帝国の船だろうか。

大柄な少年の指揮のもと、魔法で軽量化されたらしいその樽は次々に甲板へ上げられていた。


波1つ立たない停泊地から地面に視線を移すと、不毛で知られた大荒野の黄色い大地の表面は見渡す限りのほぼ全てが緑鮮やかな芝生で覆われている。

それを分割するように無数に走る水路は、奥に見える小さな湖から木で建てられた各建物の側を通り、運河とは別の川に繋がっていた。

小エルベ川、おそらくは排水路としてだけ設計されたのであろうその川さえ、水面はキラキラと透明な輝きを保っている。


「……ああ、あれは浴場だよ。

あの『港湖みなとこ』から湧いた水を4つに分けて、その内2つをああやって壁で囲ってお風呂にしてるんだ。

お湯は上位精霊が沸かしてる。

ウォルの方も、基本的におんなじだからね」


高い木の壁で囲まれ、空へと湯気を立てている一画。

そちらに視線をやって困惑していた私に、サーヴェラはニヤリと笑いながら説明してくれた。


「湖も川も運河も作っちゃうにーちゃんって、やっぱりすげーよな」


「とーだい様なら、とーぜんのことだよ……」


若干呆れたような口調のサーヴェラと、その隣でコクコクと頷いているエルカには悪いけれど、一番おかしいのは風呂焚きのために上位精霊を動員していることだ。

ついでに、未成年に関わらず上位精霊との契約を成しているサーヴェラも、充分異常すぎる。

契約が叶わず泣き伏していたパンヒール、今は故郷のエリオでギルドの職員として暮らしているはずの元相棒の顔を思い浮かべながら、私は呆然自失のていとなっている母の手を強く握った。


「……やっぱりちょっと休む?

あの辺のお店なら、座ってカティも飲めるよ?」


その様子を気遣ったサーヴェラが指差した方には、ネクタ大陸の港町の建物を参考に建てられたという木製の店々が軒を連ねていた。

食堂、酒場、宿屋、服屋、薬屋、食堂、武器屋、理髪店、軽食店、宿屋、酒場、酒場、防具屋、雑貨道具屋……。

イラ商会を筆頭にした6つの商会の事務所と併設された倉庫、そして商人ギルドの出張所。

船を修理する職人、木箱や樽を造る職人たちが出入りしている、各職人ギルドの合同事務所。


いずれも規模は決して大きくないもののざっと30以上、露店を含めれば50以上の店が広がっているその光景は、まるで異国の中堅都市のメインストリートをどこかから抜き出してきたような、そんな錯覚に私を陥れた。


「こんちはー、おばちゃん!

カティ3つ、1つはミルク入りで!」


あちらこちらで交わされる挨拶と、道端や軒先で始まる世間話。

愛想笑いや緊張混じりの苦笑が真剣なものに変質し、各事務所に消えていく商人と職人たち。

ネクタからもたらされたらしい商品の山の前で飛び交う、歓声と悲鳴。


アーネル王国の商人や職人だけでなくチョーカ帝国の人間、さらには獣人ビーストたちもせわしなく歩き回る、異邦の港町。

むしろ異様とも言えるその雰囲気に少しでも慣れようと、私と母はあたたかいカティのカップを手に取りつつもキョロキョロと辺りを見回し続ける。





『魔王』ソーマ。

黒髪こくはつ黒瞳こくとう、黒衣。

その酷薄な笑みと共に恐れられる当代の水の大精霊は、アーネルの社会に大きな変革をもたらしつつあるという意味でも、破壊者であり英雄だった。


その功績の1つ目はもちろん、200年続いていた南北戦争をたった1人で終結させたことだ。

実に4万人と言われるチョーカ兵を虐殺し、同時にアーネル側には1人の犠牲者も出さずに終わらせたという事実は、もちろん計り知れないほどの恐怖と畏怖となって王国中に広がった。

だけど、それ以上に戦地から無事に帰ってきた騎士、特にまだ若かった彼らの家族はその恐怖以上に安堵と感謝の気持ちも抱いたはずだ。


圧倒的な魔力を持つ大精霊が自国の盟軍であり、チョーカとの国境を守護している。

木の大精霊の契約者や霊竜さえも陣取るその場所を越えて、戦争など起きるはずがない。

200年続いていた緊張から解放された、特に王国南部の都市の市民にとって、少なくともソーマはただの虐殺者ではなかった。


2つ目は、アーネル国内の奴隷の待遇が急激に良化しつつあることだろう。

というよりも、今は奴隷の数自体が減ってきている。

ソーマは王都にある国営の奴隷商館に定期的に訪れ、その度に犯罪奴隷以外をごっそりと買っていくらしい。

特に子供の奴隷はかなり高くても買っていくらしいため商館の方も他の客に子供を売らなくなり、結果として今現在のアーネルでそういった奴隷を購入することは至難の業となりつつあった。


供給が過少になれば、必然的にその財の価値は増す。

無限から有限に、普遍から希少に、安価から高価に。

これまでのように無尽蔵に奴隷を購入できなくなった結果、各奴隷のオーナーは限られた財産となった奴隷の扱いを考え直さざるを得なくなっていた。


3つ目は、同様に王国内の治安が大幅に改善されたことだ。

戦後、『フレイム』以外に7つの盗賊団、実に300人を超える盗賊がソーマによって討伐されたというニュースは、酒場や水汲場みずくみば、公衆浴場における『魔王』への陰口を一掃するほどの衝撃と共に王国中に広まった。

並行して各都市への騎士隊の帰還、そして暇を持て余した冒険者による魔物の乱獲が実施された結果、今のアーネル各都市の冒険者ギルドはいずれも閑散とした状態にある。

荷物運びの任務依頼を出したら、Bクラス冒険者が派遣されてきた。

そんな笑い話と共に、アーネルの空気はひたすらのんびりとしたものになりつつあった。


ただ、これは一方で深刻な不景気という負の側面も生みだしていた。

仕事がないために冒険者はアーネルを離れ、その冒険者を目当てにしていた商店の売り上げが下がり、その商店と付き合っていた職人の仕事も減る。

そんな悪循環と連鎖の果てに、今のアーネルでは規模の小さな店の廃業が相次いでいた。

直接の原因ではないにしろ、『金色の雲』が破産したのも決してそれとは無関係ではない。





……そして4つ目が、このウォルポートだ。


入港料を取らない。

交易品に税金も掛けない。


貿易を取り仕切る商会からすれば詐欺か何かと疑うほどのその文言と共に、ウォルポートは開港した。


ウォルポートまではアーネルポートから船で1日かかるが、ウォルポートからは各都市に転移できる。

あくまでもアーネル王国内同士なのだから、そのとき一緒に移動する商品に課税されるいわれもない。


ソーマの語ったこの論理によって、活発になりつつあるネクタとの、そして終戦と共に復活したチョーカとの交易拠点としてラルポート、もしくはアーネルポートを使う意味は完全に消滅した。

リスクでしかない遠洋にいる日数を最も短くでき、これまで都市と王国に納めていたバカ高い入港料と交易税がそのまま浮く。

少なくとも、ネクタとチョーカからの帰り便はウォルポート以外にあり得ない。

それを理解した各商会の代表者は、次々にウォルの領主をもうでることとなった。


水の大精霊と、『魔王の最愛』と呼ばれる木の大精霊の契約者。

その配下である無数の上位精霊と、3柱の霊竜。

そして、その庇護のもと育ち続ける魔王領と、元奴隷の高位魔導士たち。


さとい商人たちは、この社会のパワーバランスが完全に変わったことを明確に理解したのだ。


イラ商会、サンヤ商会、ゴト協同組合、シプス連合……。

世界の半分を滅ぼせるような武力と権能の庇護、そしてそこから湧き出すであろう利益にあずかろうと、国内でも指折りの商会が次々にウォルポートに事務所を開設していく中、商人ギルドと各職人ギルドがそれに引っ張られる。

さらにフリーの商人や職人たちが次々に入植し、そこから派生するであろう仕事を狙って訪れる冒険者たち……。


まさしく乾いた大地から豊かな水が湧き出し、そこから草木が萌えていくような。


そんな確かな成長の予感に対する、投資の循環と連鎖。

どこか混乱と焦慮にも似た、生々しい活気と熱気。


それこそが、ウォルへと続く水路をゆっくりと走る小舟の上。

私の背後で徐々に小さくなりつつある、ウォルポートの現在なのだ。





その港町で、1ヶ月後からパン屋を再開させること。

それがソーマから私たちに課された、『金色の雲』を購入する条件だった。

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