ショート・エール ボンボン・ショコラ
「……で、一体いつからこの国には『菓子の日』なんてものができたのかしら?」
「今年からだよ」
エルダロン皇国の中心にそびえる皇塔アイクロン。
その最上階、すなわちこの塔と国と大陸の主人であるフリーダの即答に、アタシはずっこけそうになった。
「今年?」
「正確には今日からだね」
例によって皇国中、いや大陸中を飛び回らされて帰ってきたアタシは、苦笑いしているメイドのディアに4つの包みを渡しながらこめかみを引きつらせる。
定位置であるベッドの上から飄々と答える『声姫』の声音は、そのままクツクツという笑いに変わっていた。
日の光を分厚いカーテンで遮断した薄暗い部屋の中、大人3人は寝られそうな巨大なベッドの上。
色素の一切ない雪のような白い肌に、2つに分けて同色のシーツの上を流れる白い髪。
その下で輝く血の色そのものの赤い瞳と、押し殺したような笑い声を響かせ続ける唇。
やはり白一色の豪奢なルームドレスと、左右ともに存在しない膝から下の膨らみ。
力なく椅子に座ったアタシをさらに脱力させながら、世界最強の魔導士はニヤニヤと口元を歪め続ける。
もはやエルダロンでは風物詩となっている、菓子店へ使い走りさせられる風竜。
その光景の諸悪の根源は、心の底から楽しそうに笑っていた。
「いや、これでなかなか『菓子の日』を定着させるのは大変だったんだよ?
半年くらい前にギルドマスターに内容を説明してね、そこからはひたすら地道な広報活動さ」
そして、そう得意気に語り出す。
ちなみにフリーダの言う「ギルド」とは、「冒険者ギルド」ではなくこの中央都ウィンダムに本部を構える「菓子関連総合ギルド」の略称だ。
本来なら「冒険者ギルド」を指すはずのこの略称の定義さえ菓子店寄りになってしまっていることが、この国の政策の偏りを示している。
「そう言えば、『菓子の日』というのがちょうど4ヶ月後にあるらしいね。
何でも、この日は普段お世話になっている人や……それに意中の相手に、感謝の言葉と共にお菓子を渡すらしいよ。
実は『浄火』に滅ぼされる前のエルダロンでやっていた、伝統的なイベントらしくてね……。
……と、こんな感じでね。
ここ数ヶ月は、話す相手話す相手にこの話を吹き込んでいたんだ」
「……あら、そんなに由緒あるものだったのね」
もう1人の部屋付きメイドであるキティから銀製のカップを受け取りながら、フリーダは愉快そうに肩を揺らしていた。
アタシもいつもいつもフリーダの側にいるわけではないので、この少女がずっとそんなことをしていたと知ったのは今日が初めてのことだ。
それに、550年前に灰になった旧エルダロン皇国。
フリーダが王族としてきちんとその歴史を学び、尊重しようとしていることにも少し驚きながら、アタシは目の前の少女への評価を少しだけ上方修正した。
「いや、ボクの創り話だよ?」
そして、すぐに大きく下方修正した。
「ボクとギルドとしては、菓子が売れる口実になるなら何でもいいからね。
適当かつ、それなりに格式のありそうなお話を語った……いや、騙っただけさ。
別に誰かが傷つくわけでもないのだから、構わないだろう?」
構うわよ!
喉元を越えそうになったその罵声を、アタシはやけに苦く感じるカティで流し込んだ。
そうだ、アタシが間違っていた。
このロクでもない笑顔でクソみたいなことを言っている少女は、あの『声姫』なのだ。
「100人の内の1人が言っているなら、それはまだ戯言かもしれないけどね。
1万人の内の100人が言っているなら、それはもう確かな事実になるんだよ。
……いいじゃないか、苦いだけの真実なんて知らなくても。
甘くて曖昧な事実だけを、味わっておけばいいのさ」
その世界最強の魔導士は、それにね、と少しだけ真面目な顔をする。
「言葉なんて、どう取り繕おうと結局はそのままじゃ無色透明なんだからね。
ありがとう、ごめんなさい、よかった、うれしい、愛してる……。
それが中身まで本当にその通りかどうかなんて、言われた方にはわからないだろう?
だから、たかだかお菓子でもそれで言葉が目に見えるようになるなら、きっと意味はあるのさ。
……目に見えて、手でさわれるものしかボクらは信じられないんだから」
「……」
そう結んだフリーダの瞳には、一瞬だけの静かな赤色が宿っていた。
だけど、それはすぐに普段の生意気で不遜たる『声姫』の瞳に戻る。
「というわけで、ハー君。
いつも世話になってるね。
心から感謝するよ」
「……一応、お礼は言ってあげるわ」
ベッドの上からポンと投げ渡された、『ピエール』自慢の高級感のある黒い包み。
自分で買いに行ったのだから、中身が果実酒を使ったボンボン・ショコラ……。
すなわち、アタシの大好物であることは知っている。
ディアには、『アウララ』のカスタードムースケーキ。
キティには、『風の桟橋』のフルーツとナッツのショコラ。
「……彼は……まぁ、来ないだろうね」
恐縮しきりの2人に感謝の言葉とそれぞれの包みを手渡しながら、フリーダは小さなため息をついた。
1つだけ残った白の包みを自分で開き、中から『カルド・カクト』の蒸しケーキを取り出す。
「……ありがとう、レム」
また旅立ち、そしてどこにいるのかわからない自身の契約者の名前を小さく声にして、ケーキをかじる少女。
ショコラが融けていくアタシの口の中には、仄かな甘さと果実酒の酸味。
そして、静かな苦みが広がっていた。




