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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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木竜

とにかく長身の女だった。


俺の周りで大柄な女と言えばミレイユが思い浮かぶが、それでも俺と同じ程度の身長だ。

が、俺に指を突き付けたままズカズカとこちらに歩いてくる女は180センチ以上、マックスとほぼ同じ背丈を有していた。

エメラルドを想わせる鮮やかな緑色の長髪は頭の後、と言うよりも頭頂部近くで適当に束ねられ、そのまま歩く勢いに合わせて毛先は振り回されている。

細身の体はミルクチョコレートのような褐色の肌に、しなやかで引き締まった筋肉。

20代前半くらいか、それなりに整った顔立ちにはやはり純緑の瞳と、よほど楽しくて仕方がないのかつり上がったままの口角。


着ているものは髪や瞳と同じ光沢のある緑色のコロモだが、それもかなり大胆に着崩されている。

胸、と言うよりも大胸筋と言った方が正しい部分にはやや暗い緑色のサラシが巻かれているが、逞しく割れた腹筋はそのまま剥き出しになっていた。

当然コロモの裾も適当にさばかれており、やはり長く、そして鍛え抜かれた脚を隠そうという意思もないらしい。

しかも、裸足だった。


「水の大精霊、オレ様と闘え!」


「……あぁ?」


「……」


「……はあぁ…………」


そして多分だが、そこそこの……バカだった。

3メートルほど前で立ち止まって腰に左手を当て、俺を指差したまま大きいのか平坦なのかよくわからない胸を張り。

ムーの反応を見て臨戦の姿勢を解いていたその俺に対しての第一声が、これである。


せめて名乗れ、そして理由を説明しろ。

憮然とする俺と唖然とするアリスの前で何かに耐えきれなくなったのか、ムーが深い、深い溜息をつく。


水殿みずどの、アリス、……紹介する。

こやつはヒエン。

父上を守護せし、当代の……木竜もくりゅうじゃ」


「さぁ勝負しろ、大精霊!!」


「「……」」


「最近は侵入者もないし、その辺の魔物じゃ弱いし、ジジィに会いに来る森人エルフも来ないしな!

暇だったんだ!!」


「……わかった、とりあえず帰るのじゃ、ヒエン」


「そしたら、カイランで城1つと4万人の軍勢をぶっ飛ばした水の大精霊が来るって聞いてな!

もう楽しみで、楽しみで!!

昨日はあんまり眠れなかったくらいだぜ!!!

そういうわけでオレ様と闘え、大精霊!!!!」


「聞けい、ヒエン!」


「ジジィからも許可は貰ってるしな!

あんまり派手にやりすぎるな、って言われたけど!!」


「ヒエン、いい加減にせよ!!」


「あ……、でも、死なない程度で頼む!

オレ様もまだ、色々とやりたいこととかあるから!!

悪いけど、後で回復魔法はよろしくな!!!

オレ様、魔法とか苦手なんだ!!!!」


「聞かぬか、この阿呆あほうが!!!」


「……あれ、ババァこんな所で何してんだ?」


一遍いっぺん死ぬか、このわっぱぁあ!!!?」


ヒエン。

どこかで聞いた名前だと思ったら、カミラギノクチの森猫亭をムーに薦めた人物の名前だったはずだ。

守護役の霊竜が各ノクチの宿屋の格付けをやっているのだから、確かによほど暇だったのだろう。

……それにしても。


外見年齢10歳程度のシズイは250年近く生きているらしいが、だとしたらヒエンは何歳くらいなのだろうか。

そして、霊竜と上位精霊筆頭は基本的に相性が悪いのだろうか。

ヒエンの言う「ババァ」とは、ムーのことなのだろうか。


……そうらしいな。


「……」


「あの……、…………」


一方的に俺に話しかける自由すぎる木竜と、一方的に木竜に無視されていたと思ったら人格が変わるほどキレた上位精霊筆頭と、それを無言で眺める俺と、2人を止めようして諦めるアリス。


「んー……、でもババァはそんなに強くなかったじゃん?

それにオレ様は今、大精霊と闘いに来たんだからな!

わりいババァ、せっかくだけど、また今度な!!

気持ちだけ貰っとくよ!!!

ありがとう、ババァ!!!!」


「水殿、アリス、わらわから少し離れておれ!!

こやつはここで土に還してから、あらためて紹介させてもらう!!!」


後腐れのないとても朗らかな笑顔で自身に謝ったヒエンに、本気の殺意を向け始めたムー。

正直このまま見ていても面白そうなのだが、俺としても後から腐った土を紹介されても困る。


まぁ、道中はほとんどアリスが戦っていてそれほど疲れているわけでもないし、適当に相手をしてやればいいだろうし、死にさえしなければ【完全解癒リザレクション】で元通りにできるし……。


何より、どのような形であれ霊竜の1人と個人的に親しくなっておくことに損はない。


「まぁわかったから、とりあえず2人とも……落ち着けよ」


「「!!」」


「話は聞いてやるから、……な?」


「……」


そこそこの量の魔力を凍気に変えて前方へ放射すると、体表に薄く霜をまとったムーとヒエンが大きく体を震わせる。

物理的に2人の頭を冷やしながら苦笑する俺の隣で、アリスは黙したまま、ただオロオロとしていた。





「……確かに、父上からご許可は出ておる。

ただし水殿が断るならば当然無理強いはせぬ、とのことじゃ……」


「当然断らねーよな、大精霊!」


「水殿……、こやつを憐れと思うなら、断わってやってはくれまいか?」


「……ムー、アリスの守護を任せても?」


「ああ、もちろんだ!!」


「お前が妾の分の返事をするなぁあ!!」


確認のためフォーリアルのもとへ戻ったムーが、足元の芝生を媒介に肩を落としながら再度実体化したのは、その10分後のことだった。

どんよりとした萌黄色の瞳に俺が苦笑を返すと、ヒエンが威勢よく返事をする。


「……シムカ」


それに対してまたムーがえる中、俺は水の上位精霊筆頭を呼び出した。


「……御前ごぜんに、ソーマ様」


「……へぇ?」


「……」


空気中に水滴、そのまま普段通りの跪礼きれい姿勢で俺の前に出現したシムカの姿を見てヒエンはまた面白そうに、ムーはうって変わって感情の読めない無表情でその姿に視線を向ける。

周囲の森の深い緑や、足元の芝生の明るい黄緑色。

透明な体表にそれらを移り込ませるシムカはしかし、その2人からの視線を完全に無視していた。


「これから、俺とヒエンで模擬戦を行う。

ムーと2人で、アリスの守護をしろ」


「……御意ぎょいに」


「ソ、ソーマ……」


「よい、アリス。

本気でないとは言え、仮にも大精霊と霊竜が闘うのじゃ。

口惜しいが妾だけよりは、シムカと2人がかりの方がよい」


「……でしょうね。

お久しぶりです、ムー、ヒエン。

……変わらずお元気そうで、何よりです」


「……ふむ」


「おーっす!

アンタも相変わらずだな!!」


水と木、2属性の上位精霊筆頭による守護。

世界戦争くらいでしかお目にかかれないようなそれを、ごく軽く命じた俺に対してアリスからは遠慮がちな声がかかったが、ムーの言う通りこれは最低限の措置だ。

単体で国家を滅ぼすと言われている竜、その中でも最強の1体と俺との闘いは命のやり取りをしない模擬戦の、しかも観戦と言えど人間の身ではあまりに危険すぎる。


「もちろん気をつけるし、余波が行かないようにもするから。

ちゃんと守られてろよ?」


「……わかった。

あなたも、気をつけて」


顔見知りだったらしく短く挨拶を交わすシムカたち3人を横目に、俺はアリスの頭をポフポフと叩いた。

その俺の背から、笑みを含んだヒエンの声がかけられる。


「……じゃあ始めようか、大精霊!」


「いいぞ、木竜?」


俺とヒエンは半径300メートル近い、【煉解ヒドラ】で焼け野原となっていた円形の芝生地の中央へ。

アリスとシムカ、そしてムーはその端の森に退避する。


シムカが分厚い氷の壁を展開するのを知覚しながら、俺とヒエンは10メートルほど離れた場所で向かい合い。

純緑と漆黒、お互いの瞳を睨みながら、歩みを止めた。


「ルールはどうする?」


「動けなくなった方が負けで!」


「わかった、……来い」


俺の返事にニカッと笑ったヒエンはその場でこぶしを掲げ、ファイティングポーズをとる。


「よっしゃ、行くぜ!!」


俺が【氷鎧凍装コキュートス】を展開し終わった瞬間、その姿は緑色の残像となり。

一気に距離を詰め。

俺の目の前で。

かすんだ。


「……!!!?」


次の瞬間、俺は天を仰いでいた。

少し曇りだした、鉛色の空。

上体を起こしつつ【水覚アイズ】で確認し、どうやら自分が最初に立っていた場所から100メートル以上も吹き飛ばされたらしいと把握する。

知覚はできたが全く反応できず、ヒエンの右フックを顔面に食らったのだ。


その方向から走ってくる、長身の女。


「……ぉぉおおるぅぁああああ!!!!」


走る勢いそのままに叩きつけられる、褐色の右の拳。


「!!」


とっさに顔をずらすが、左胸に被弾。

地面にめり込むように再度仰向けに叩きつけられた俺の視界が、氷を通して同じ褐色に染まる。

マウントポジションをとったヒエンが俺の顔面に突き下ろした、左拳だ。


「らぁああああ……!!!!」


続けて右拳。

返す動作で、また左拳。

そして右拳。


「ぅららららららら……!!!!」


顎、右目、左鎖骨、右胸、鼻、額、顎、首、顎……。

それこそ竜のような咆哮と共に連打されるヒエンの拳は、俺の顔面を中心とした上半身の全体に、でたらめに降り注ぐ。

その一発ごとに土の地面にめり込んでいく、俺の体。


しかし、【氷鎧凍装コキュートス】で全ての衝撃すらも通していない俺に募るのはダメージではなく、好き勝手されている苛立ちだ。


だいたい、この威力は普通に1発が【氷撃砲カノン】以上、人間なら即死するレベルではないのか?

生きてさえいればいい、ということなら、俺も手段は選ばないぞ?


「いい……」


「ぅおっっ!?」


下段突きの腕を俺が右手で掴み、その体の水分を掌握。

つまり、【青殺与奪ペイルリーパー】の前段階に入ろうとすると、何か危機感を覚えたのか慌ててヒエンが俺の手を振り払ってのけ反る。


そのまま、【氷霰弾ショットガン】を多重発動!


「加減に……」


「ちっ、い、……、くそっっ!」


俺とヒエンの間、わずか1メートルほどの空間に吹き荒れる【氷弾バレット】の嵐。

最大で瞬間500発もの氷で弾幕を張り、両腕で顔を守るヒエンを無理矢理に後退させていく。


「しろ!」


「ぐ、う……、……げぇっっ!!!?」


さらに後方100メートルから発射した【氷撃砲カノン】。

時速1100キロに到達した1.5キロの砲弾が、鍛え抜かれているとはいえ防具も何も着けていない無防備な腹部に直撃し、衝撃に耐えられず破裂する!

透明な破片で体をくの字に折り曲げたヒエンは体内の空気を吐き出しつつ、大きく後方へ跳び退いた。

さらに牽制の【氷撃砲カノン】を数発撃ち込みながら、俺はゆっくりとその場で立ち上がる。


少しくらい遊びに付き合ってやろうかとも思っていたが、ヒエンの感覚が極端すぎる。

長引かせると疲れそうだし、さっさと終わらせよう。


一方で、並の魔物なら一瞬で挽肉に変わるほどの氷の弾丸を至近距離で受け、対戦車砲に等しい【氷撃砲カノン】が片手の指の数ほど直撃したはずのヒエンは、動揺した顔はしているもののその体に目立った傷はない。

暴れたせいでさらに大胆になってしまっているコロモにすら、傷1つ付いてはいなかった。

おそらくは俺と同じで、たいしたダメージもないのだろう。


だが、それも当然だ。

あれは人間ではなく、やはり竜なのだから。





人の姿になれる。

竜の姿になれば空を飛べる。

複雑な魔法は使えない。

ブレスを吐ける。

高純度のミスリル以上の武器でなければ、体に傷は付かない。


おそらくは今日もウォルでにぎやかに過ごしているであろう、火竜サラスナと水竜シズイによる霊竜のスペックの自己申告。

俺自身が大精霊となり、あまりに非常識な能力を使いこなしているために今まで何となくスルーしてきたが、冷静に考えればその内容はあまりに常軌を逸している。


シズイの場合で言えば、普段の人型の場合は140センチほどのやや生意気な少女の姿だが、本来の「体長」は10メートル近い、4階建てのビルに匹敵する青竜だ。

しかも250トン近いはずのその体で、平然と空を飛ぶ。

簡単な水属性魔導や、霊術ならば使える (魔方陣を描くのは下手だが)し、さらに口から小型の【氷艦砲シーカノン】のような氷弾や、雪崩なだれのような雪を吐く。

そして体の強度は、低純度のミスリル合金に相当。


戦時中にリーカンで聞かされた申告内容を言い換えればこうなるわけだが、文面だけを見れば地球の物理、化学、生物学者の全員が発狂するような内容だろう。

特に問題なのは、姿が変わるという部分だ。


100歩譲って、身長が変わるのはこの際もういい。

が、さらに信じ難いことに、こいつら霊竜は。


自分の体重を、自由にコントロールできるのだ。


シズイならば30キロ半ばから、250トン前後まで。

それぞれの最小と最大の場合の姿に合わせた体重を、霊竜は姿に関係なくコントロールすることができる。


だからこそ、あれほどの巨体を有しながら。

そして質量保存の法則を地面のどこかに置き去りにして、竜は飛べるのだ。





「やっぱり強いなあ、大精霊!

オレ様の一撃を受けて形が変わらなかったの、アンタが初めてだよ!!

すげーな、その氷!!!」


「……お前もな」


そしてそれは目の前の木竜、ヒエンについても同じことだ。

そもそも、人間が人間に殴られて100メートルも飛ぶなどあり得ない。

1トンの乗用車や5トン近いトラックにはねられても、20メートルがいいところだろう。

おそらくヒエンは攻撃のタイミングに合わせて体重を元のそれに増加、つまりは土属性魔導【重撃ヘイトー】と同じ原理で殴りつけてきたのだ。

同様に、【氷霰弾ショットガン】と【氷撃砲カノン】の直撃を食らって傷1つないのも納得できる。


あれは。

よほど興奮しているのか、背中越しに先程まではなかった長く太い、エメラルドのような鱗で覆われた尻尾を揺らめかせ、ファイティングポーズをとって体重を前にかけ始めたあの女は、人間の姿をした超金属の塊なのだ。

土台、氷程度でどうこうできる硬度ではない。


……だが。


「ヒエン……」


「何だよ、大精霊!?」


「死ぬなよ?」


「……は?

がっっっっ……!!!?」


突如、破裂する地面!

爆発のように芝生と土、小石が巻き上げられるその光景を眺めながら、俺は唇をつり上げた。


ゴッッッッ!!!!!!!!


俺から見て左。

その方向へ冒頭の俺と同じく、地面と水平に吹き飛ばされていくヒエンと、赤茶色の土が剥き出しになったクレーターができる瞬間が、俺の眼前でスローモーションのように展開していく。


おそらくは既に失神しているであろうヒエンの真横の地面に命中したのは、直径1メートル、長さ2メートル、重量約1.5トン……、実に【氷撃砲カノン】の1千倍の重量という巨大砲弾。

すなわち、クロタンテを落とした【氷艦砲シーカノン】が上空800メートルから着弾した、その爆心地で、俺は小さく苦笑する。

音速を超えたため破壊のコンマ数秒後に吹き荒れる轟音と衝撃波で、自身とアリスたちの前に張った氷の壁が激しく揺れていた。


土の塊と、土くれと、土煙。

激しく飛び散った芝生の黄緑色や、衝撃で砕けた【氷艦砲シーカノン】の破片が全て落ち切ってから、俺は【氷鎧凍装コキュートス】と氷の壁を解除する。


むせ返るような草の青い匂いと、雨のような土の匂い。

冷たい戦艦主砲の一撃は、たった1発でまたもや地形を大きく歪めていた。





「はぁ、……やりすぎ」


「仮にも霊竜なのですから、あの程度では死なないでしょう。

……多分、ですが」


「一応は、生きているようじゃな。

……本当に、回復魔法が必要そうじゃが」


「……いやアリス、俺も同じようなことはされたんだからな?」


呆れたようなアリスの瞳と、呆れたようなシムカの瞳と、呆れたようなムーの瞳。

それは俺からクレーターと芝生へと視線を移し、その先の森林へと続いていく。


「あの程度で、あなたが死ぬはずがない」


「その通りです」


「『魔王』と呼ばれる理由が身にしみてわかったわ、水殿」


そのはるか、はるか先。

俺から見て左側の森林、その50メートルほど奥で数本の大木をへし折ってようやく止まり、完全に白目をむいて血泡を吹くヒエンを知覚しながら……。


「これで、多少はあの阿呆が治ってくれていればいいのじゃがな」


結果としておそらく、誰のためにもならなかった闘いは。

4人の溜息と、虫の息になった1人と共に、その幕を閉じた。

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