カミノザ
マリアへの宣言通り、その日の参の鐘までに大洞窟を片づけて「証」を示した俺とアリスには、カンテン区長からカミノザ入区の許可が。
続けて翌日にはカミラギの区長からも入区の承認が下り、昨日いっぱいをかけて装備を整えた俺とアリスは翌朝、アリスの両親と共にカンナルコ家を出発した。
流石にコロモにアシダという身軽すぎる格好で片道1週間近いジャングルライフを送るわけにはいかないため、俺とアリスは普段の装備にマント着用、ポーチやリュックの中にはカンテンから帰る途中カミラギノクチで補充した各属性の霊墨や陣形布、食料なども充分に用意している。
さらにアリスはバトルドレスを新調し、今は高位の耐毒の霊字が刻まれた最高レベルの魔装備、漆黒に染められたそれを着込んでいた。
「アリスちゃん、気をつけてね」
「いってきます、お母さん、お父さん」
「ソーマ君、娘を……守ってやってくれ」
「はい、必ず」
カミラギ地区の南西のはずれ、地区の間を区切るように高くそびえる丸太の都市壁に設けられた、小さな門。
上部に、幾何学的な切り方をされた紙の短冊をあしらった蔓製の巨大な縄、すなわち注連縄のようなものを張られているそこで、俺とアリスは、マックスとアリアの見送りを受けた。
肩を抱くアリアの青い瞳、本当に心配そうなそれに強い頷きを返すアリスの横で、マックスが俺に深く頭を下げる。
短く、しかし心からそれに応じた俺は、アリスと共にその門をくぐった。
ここからはネクタ大陸の深奥、カミノザ。
すなわち人が踏み入れぬ神域であり、木の大精霊フォーリアルが君臨する魔の森である。
セルロース主体の強固な細胞壁を持ち、光合成を行う葉緑体と大きな液胞を備える。
細胞からして動物のものより多機能なそれで構成された植物は、決して動物に比べ劣った存在ではない。
むしろその生態、機能、そして多様性を考えれば控えめに言っても怪物と言ってもいいような進化を遂げている。
地球の覇権を握った恐竜にしろ、哺乳類にしろ、人間にしろ、数億年以上を経て植物に頭が上がらないのは、至極当然の話なのだ。
そして、この世界の植物たちはさらにアグレッシブな進化を遂げている。
食獣植物。
すなわち動物が死に、その多くの養分を充分に含んだ大地で育つ植物……、ではなく。
養分を充分に含んだ大地を作るために自ら動物を探して動き回り、殺して回る植物。
木の大精霊フォーリアルの加護の下、多種多様な植物が信じられない規模で密生するネクタ大陸では、そんな恐るべき進化を遂げた植物たちが深く濃い森の中で生まれ、悠々と闊歩していた。
もちろんカミラギ、カンテン、カンバラ、カミカサの4地区は都市壁でその侵入を防ぎ、万が一があればそこに住む森人の魔導士たちがそれらの退治に当たっているため、その姿を見かけることは基本的にない。
しかし、普段は出入りの許されないネクタの深奥、カミノザではそれらが完全に野放しになっている。
毒ネズミのトーラ、毒ガエルのタイロン、毒ヘビのダル。
捕食者たる植物の苛烈さ故に、緑竜と森人を除けばその3種類しか生き残れなかったわずかな小動物と。
それらを貪る植物たちに対処しながら大精霊のもとまで約1週間の道のりを進む、彼らとのサバイバル競争。
「正面からトゥラント8体、30秒後に接触。
右から2、左からも3体、……こっちは俺がやる」
「わかった」
カミノザ。
森人の高位魔導士が4、5名の護衛を連れて挑んでも目的地への到達に成功するのは半分以下、というこの魔境に踏み込んだその翌日。
俺とアリスは、早速その住人たちから熱烈な歓迎を受けていた。
トゥラントは、その食獣植物たちの代表格とも言える、人間大ほどの魔物である。
外見としてはでたらめに手足が生えた角材、あるいは日本の盆に飾るナスやキュウリの牛馬のでき損ないを、木で再現したような感じだろうか。
植物なので当然だが、目や口、と言うより頭部に相当する器官もない。
3本以上の脚、自律移動する植物の「地面にふれている部分」の呼称がそれでいいのかは自信がないが、を動かしながら人間の小走り程度のスピードで森の中を徘徊し、雨と地面から水分と養分を吸収して生長。
熱に反応して動物を追いかけ、蹴るか踏むかの動作でそれを殺傷し、自身が住まう森の糧とする。
まるで俺たちという異物を森林に沈めようとする免疫細胞のように、そのトゥラントが合わせて13体、こちらに接近してきていた。
「大いなる大樹の子、永久なる命の繋ぎ手たちよ……」
契約詠唱を手早く、淀みなく終えて正面にステッキの先端を構えるアリスを横目に、俺は4発の【氷撃砲】を右に向けて発射!
直径80センチほどの球状の胴体から1メートルほどの5本の足を伸ばして転がってきていたトゥラントと、3本足の、子供が適当に作った不細工な馬のような全身を揺すっていたトゥラント。
数十本の幹の間をすり抜けて亜音速に到達した氷の対戦車砲が、そのそれぞれの軸足と胴体を後方へ抉り、吹き飛ばす!
乾いた炸裂音と共に木片とチップが飛び散る中、それぞれのトゥラントは体の半分近くを失って地面に崩れ落ちた。
同時に左手から伸長する幅5センチ、厚さ0.1ミリの透明な刀身。
その輪郭が先端の半円をかたどり、白く細く、甲高い悲鳴を上げる。
まるで半人半馬のように、5本の太い足と屈強な上半身を持った2メートルほどの大型の個体。
8本の脚をクモのように動かして接近する、1メートルほどの個体。
3本足であることを除けば、限りなく人間に近い形をしていた個体。
長さが30メートルを軽く超え、軽いたわみと共に振り払われた【白響剣】は、十数本の木や下草ごと左から接近していたトゥラントたちを下段からまとめて薙いだ。
傍目には、遠距離からの先制攻撃による危な気ない勝利。
しかし脳や内臓、それどころか血液すらも流れていない植物の生死を、動物と同じレベルで語ることに意味はない。
現に200メートルほど先で体の大部分を引きちぎられて尚、25メートル先で全ての脚を刈り取られて尚、トゥラントたちはその全ての断面から既に発芽と再生を始めている。
物理的な破壊で行動不能な状態には追い込んだものの、その程度でトゥラントを、食獣植物を完全に絶命させることはできないのだ。
【水覚】で知覚したその断面に熱湯をまとわせて、再生をきっちり阻害しながら。
俺の胸中には勝利のぬるい安堵よりも、このまま放置していた場合の畏怖。
小さい破片は数週間をかけて腐敗して森の養分となり、大きな部分はその養分を吸収しながら数ヶ月をかけて再生するという植物の恐るべき執念を、背筋を伝う冷たい汗と共に感じていた。
……だが世の中、上には上がいるものだ。
「終わった?」
そう言って俺の顔を振り返る、アリスの黒いブーツが踏んでいるのは8つの腐葉土の山、すなわち集団となって俺たちに襲いかかってきた8体のトゥラントだったもの、だった。
木属性中位魔導【腐植】。
植物を強制的に腐敗、分解してしまう、どちらかと言えば農業や園芸のために使われる生活魔法は、今や世界3位、片手間に都市を落とせるほどのアリスの魔力によって対植物版【青殺与奪】とも呼ぶべき凶悪な攻撃魔法へと昇華していた。
俺が4発の砲撃と長距離斬撃でトゥラント5体を半壊させる間に、アリスはたった1節の詠唱で、決して低くはないトゥラント8体の魔力抵抗を突破しその体細胞へ干渉。
それらを生きたまま腐食させ、一気に土へと還していたのだ。
「……ああ」
それを踏み越えて歩みを進め出したアリスを背に、俺は若干掠れた声を返す。
ネクタ大陸に動物は、緑竜と森人を除けば毒ネズミ、毒ガエル、毒ヘビしかいない。
他は基本的に、全て植物だ。
……つまり、この魔の森において。
アリスは、俺以上に最凶の存在だった。
Bクラス相当、ディオルン。
アリスが【大顎之召喚】で召喚するあの巨大ハエトリグサの奇襲を、土に還し。
Dクラス相当、ゾパーク。
直径1メートルほどの赤い有刺植物でできたボールの突進を、土に還し。
Cクラス相当、グリオン。
犬のような姿をした暗い緑色の有毒植物の包囲を、土に還し。
Bクラス相当、カラミタ。
高さ5メートルほどのショッキングピンクの巨大モウセンゴケの接近を、土に還し。
冒険者ギルドによる買い取りは行っていないが、一応のクラス分けはされている数々の食獣植物。
Dクラスのトゥラントも含め、カミノザを奥へ進むに連れて遭遇率が上がっていくこれらの魔物の全てを、結局アリスはほとんど【腐植】だけで分解し続けていった。
俺は感知と後方の対処に集中しながらたまに援護砲撃をするだけだったので、ほぼアリスの独擅場だったと言っていい。
【樹洞之召喚】によるキャンプを繰り返しながらの『スリーピングフォレスト』の前進は、まさに森の全てを眠らせる勢いだった。
4日目にもなると、食獣植物からの襲撃は1時間に1、2度のペースまで跳ね上がっていた。
そしてその襲撃者の奇怪さ、おぞましさは森の深さに比例するように跳ね上がっていく。
「……ストップ!」
「どうしたの?」
その夕方頃、俺の【水覚】にはそれを象徴するような大量の異物が映り込んでいた。
「……ネズミの群れ……か?」
「トーラ?」
アリスの言う通りその外見はトーラ、このネクタの魔の森で生き残った稀有な毒ネズミのそれに間違いがなかった。
ラグビーボールほどの大きさの体に、長く細い尾。
それが、100匹ほどの群れを形成してこちらに疾走してくるのだ。
「40秒後に群れとぶつかる!
俺が迎撃するから、足止めを頼む」
「……わかった、大いなる……」
遠隔操作での【氷霰弾】の戦列でその数を減らしていくが、とにかく元の数が多い。
そして、命中しているはずなのに……逃げも、止まりもしない?
「力を示せ……【棘柱之召喚】!
…………え!?」
「……!?」
アリスが召喚した緑色の有刺鉄線、無数の鋭い棘を持つ蔓草が50本以上絡まった壁に激突したのは、暗い紫色の波だった。
【氷霰弾】の嵐にその身を晒しながら疾駆してきたのは、結局70匹近いトーラの群れ。
どす黒い血と破れた毛皮、その褐色の傷口や冥い眼窩から覗くのは……小さなマッシュルームのような、白く小さなキノコの群れ。
シクネクロ。
俺たちの前で、自身の体を引きちぎりながらも【棘柱之召喚】を突破しようとしているのはトーラと呼ばれる毒ネズミの群れではなく、彼らに寄生した食獣植物。
その中でも最悪と称される、無慈悲な寄生キノコだった。
確かに、地球でも昆虫に寄生する菌類、冬虫夏草と呼ばれるキノコやカビは多数存在している。
チベットの高山で獲られるガの幼虫に寄生するキノコなどが特に有名で、漢方の生薬や薬膳として珍重されている……のだが。
反面、硬直する俺とアリスの目の前で蠢くネズミたちから指先ほどのキノコが群生している光景は、見ただけで病気を発症しそうな破壊力を有していた。
事前に調べておいたその寄生植物の生態を思い出し、俺とアリスの顔色はさらに悪くなる。
シクネクロの生涯は獲物が触れるなどして子実体、つまりキノコが破裂し、その中からカルシウムの針と共に胞子がまき散らされるところからスタートする。
破裂と同時に飛び散った針で獲物を傷つけ、その傷口に付着した胞子は血流に乗って体内に侵入し、そのまま脳内で発芽。
そのまま脳内全体に菌糸を伸ばして宿主の行動を完全に乗っ取ったシクネクロは、今度はその宿主の養分を吸い取りながら子実体を形成し、さらに多くの獲物を求めて宿主に次なる宿主を探させるのだ。
つまり、俺たちの目の前でもがいているトーラの群れは生きたままキノコに侵され、次の宿主にするべく俺とアリスに近づいてきた、ということである。
「……」
「……大いなる……」
無言のまま立ち上る水の壁と、静かに唱えられる契約の言葉。
途中、【氷霰弾】で散らしてしまったトーラたちの死体ごと、前方500メートルの空間に存在する全てを俺が水の壁で封鎖すると、その中で赤い色をしたガスが哀れなネズミたちに吹きつけられる。
瞬間、トーラの全身が火傷のように赤く爛れだし、紫色の体毛が抜け落ちていった。
数秒も経たず、【棘柱之召喚】に絡め捕られていた全てのトーラが黒い血泡と下痢、そして白い嘔吐物を吐き出しながら、痙攣する間もなく絶命する。
【炎熱之召喚】。
それは人間ですら致死量わずか3グラム、最強にして最悪の毒キノコであるカエンタケに似た真紅のキノコの猛毒を召喚する、必殺の木属性魔導である。
その名の通りまるで赤い炎のようなそのキノコの劇毒は、手でさわるだけでも火傷状の炎症を引き起こし、脱毛や皮膚の剥落を誘発。
経口摂取してしまえば、消化器系統の破壊からその症状は進行し、極めて短い時間で肝臓や腎臓の不全、造血作用の停止に呼吸不全、意識障害とあらゆる致死反応を引き起こす。
処置が間に合ったとしても脳の委縮という致命的な後遺症を引き起こす事も恐ろしいが、それ以前に致死率が高いという点で、全身の壊死を招く【死槍之召喚】と双璧をなす凶悪性だと言えた。
ネズミ程度の大きさの生物となればそれこそ数万匹を即死させられる量の赤いガスは、シクネクロに穢されたトーラたちを刹那の間に破壊する。
透明な水越し、硬質の瞳でその光景を見つめていたアリスの隣で、俺はその中に【発火】の陣形布を、それで包んだ氷の塊と共に投げ込んだ。
バキッッッッ!!!!
水素の燃焼に伴い空間が裂ける音と、轟音となる炎。
壁の内側に緩やかに満たされつつ合った水素と酸素が、トーラとシクネクロと炎熱の猛毒を含む全てと共に一気に燃え上がる光景は、地獄。
まさしく、【煉解】の名にふさわしい。
俺が作り出し続ける爆鳴気を糧に、紅蓮の炎は壁の中の悪夢を全て灰にするまで躍り続けた。
「父上の庭であまり派手に火を焚くでない、水殿」
「……当然の処置だろう」
「……どうも」
数分後、俺たちの目の前の森が完全なモノトーンとなった後。
俺とアリスの背中から、若干不機嫌そうなムーの声がかかった。
傍らの木を媒介に樹皮で全身を包んだ姿の少女に振り返りつつ、動物として当然の反応だ、と俺が返し、アリスは静かに頭を下げる。
「確かに……立場が違えば、嫌悪して当然の光景ではあるじゃろうがの。
ふむ、当事者でなければわからん、というのはなかなか不便なことじゃな」
若干苦いものを含みつつもカラカラと笑う木属性上位精霊筆頭は、これより妾がご案内する、と高らかに宣言した。
「父上が契約を望む森人どもの力を測るのは、妾らを預けるに値する人物か見極めるためじゃそうだが、今回はもう充分、とのことなのでな」
区議会の説得の件と無事にカミノザに入れたことへの再度の礼に対しては飄々とした、比較的どうでもよさそうな答えを返した後。
水をまいてきっちり消火した焼け跡を歩きながら、ムーは自身が登場した理由と、これ以降は魔物と戦う必要がないことを俺たちに告げた。
その小さな首の動きと連動して、絵具をぶちまけるように黒い地面に広がる黄緑色。
まだ少しあたたかい焼け跡に視線だけで発芽を促しながら、ムーの笑みを含んだ瞳はアリスへと向けられた。
「よってカンナルコ家の次女、アリス。
そなたの力は、もう父上に認められた。
後は父上と交わす言葉次第じゃが、そなたには妾の弟妹のいずれかとの契約が許されることじゃろう。
とりあえずは、誇れ」
「……え、…………は、はい!!」
唐突な合格通知、上位精霊との契約が許されるだろうとの言葉を受けて、大樹の葉の色の瞳を大きくするアリス。
俺の左腕を握る指に、興奮のため強い力が入っている。
「おめでとう、アリス」
「う、うん!」
上位精霊が大精霊の言葉を曲げることなどまずあり得ないので、事実なのだろう。
そう判断した俺が笑顔を贈ると、アリスも満面の笑みを浮かべる。
「それから、水殿におかれては……」
「ちょーっと、待っったーー!!」
ムーが、振り返って俺に何かを言おうとしたときだった。
それに重なるような大声と共に30メートルほど前の茂みから、緑色の何かが飛び出してくる。
「……あんの、阿呆が……!」
「「……」」
疲れたような声を出して額に手を当てるムーと、その場で臨戦態勢をとった俺とアリスの視線の先では。
鮮やかな緑色のコロモをまとった長身の女が、右手で俺を指差して。
ニカニカと、凶悪な笑みを口元に浮かべていた。




