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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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アリスの父

「……ただいま」


岩のような、森人エルフ


アリスの父にしてアリアの夫、マックス=カンナルコを見た第一印象はこの一言に集約された。

俺が借りたコロモが俺の腕が隠れてしまうほどの大きさだったことから、それなりに横幅のある体型だということは予想していたのだが、実際は身長も高い。

180センチは超えているだろう。

赤と黒で染め分けられたコロモに包まれた、普通の大人の2人分近い肩幅を持つその体には分厚い筋肉が満ちており、比較できそうな人物がアーネル王国騎士隊第1隊の隊長、先のカイラン南北戦争で指揮をとっていたナンキ将軍くらいしか思い当たらない。

アリスからは作家兼印刷工房勤務だと聞いてはいたが、ネクタにおける文芸業はそんなにハードな戦場なのだろうか。


「お、おかえりなさい。

あ、あの……、お父さん、勝手をして……、本当にごめんなさい……!」


「……」


アリアとは対照的に、まるで炎のような朱色の髪は短く刈り込まれており、その下の顔は森人エルフらしく端整ながらもやはりどこかいわおを想わせる。

母のときと同じく玄関前で床に手をついたアリスを黙って見る瞳は、その娘と同じ緑色。

しかし、それはアリスの深い森の大樹の葉の色というよりは、たまに浮かべる硬質なエメラルドの、それもゴツゴツとした巨大な原石をイメージさせる非常に濃い緑色だ。

ただ、唇を真一文字に結んだその無表情は、俺の恋人がよくするそれでもあった。


「立ちなさい、アリス」


「……はい」


「……」


アリスより数歩下がって立ったままの俺を無視し、山の奥にどっしりと構える苔むした大岩のような、低いマックスの声がアリスに降り注ぐ。

そして。


パン!!


体に比例して大きいその掌で、立ち上がった娘の左頬を張り飛ばした。


「!!」


「……」


「……」


……音の割に手加減はしていたようだし、【治癒リカバー】を使えば跡も残らないだろうと、俺は敢えて静観した。

衝撃でよろけそうになったアリスと、その娘を黙って両手で抱き寄せるマックスを、俺は静かに見つめ、見届ける。


「……父さんも、母さんも、マリアも、皆も……どれくらい心配したか……」


「……うん」


「本当に、……無事でよかった」


「……う……ぅ……」


自身の胸よりも下にあるアリスの頭と肩が、頬の痛みからのものではない嗚咽と共に小刻みに震える。

その小さな頭に分厚い掌を乗せたマックスの言葉も、どこか痛みに満ちたものであることに、俺は少しだけ口角を動かした。





「お初にお目にかかります。

娘さんのパートナーの、ソーマです」


洗面所へ向かったアリスとすれ違った後、アシダを脱いで玄関に上がったマックスに俺は深々と頭を下げた。


「君が『魔王』で、……水の大精霊、……か」


「はい。

今回は私の入区に際して色々とご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」


「妻は出ているのか?」


「……昼食の買い物だと。

こちらのコロモも、アリアさんからお借りしています」


「それは別に構わない」


「ありがとうございます……」


「……」


俺の謝罪の部分にマックスがふれなかったことに、お互いふれないまま。

無表情で感情の読めないマックスの緑色の視線と、アリアとのときとは違って笑みのない、それでも真剣な表情の俺の視線が激突する。


「……」


「……」


余談だが、俺とアリスはあと数ヶ月で出会って1年になる。

ラルクスにいたかなり早い段階から2人部屋に泊まるようになっていたし、今日までずっと一緒に暮らしてきた。


「……」


「……」


そして、恋人というものはそうしていると自然に、お互いの間の沈黙が苦痛ではなくなっていくという現象が起こる。

親しさを極めると、部屋の中でお互いに会話がない無言のままでも、それを安らぎの時間として受け取ることができるようになるのだ。


「……」


「……」


その対極にあるのが、今の俺とマックスの状態だと思う。

まったく親しくない、あるいは一方にその意思が見受けられないために、会話が続かない。


「……」


「……」


互いに表情を硬直させたまま、言葉を交わさずに向かい合う俺とマックス。

ストレスフルな沈黙は、お互いの精神力をゆっくり削っていく。


「……」


「……」


「……何してるのお父さん、それにソーマ君?」


数分後にその均衡を破ったのは、野菜などが入った編籠あみかごを下げて戻ってきたアリアだった。


「……おかえり、母さん」


「いえ……、特に何も」


本当に何もしていなかったのだから、そう答えるしかない。

支度したくするから待っててねー、と笑顔で台所に入っていくアリアに続いて居間に入っていったマックスを見送った後。


俺は深く、深く溜息を吐き出していた。

















現世で誕生した銃というテクノロジーが帯剣する甲冑騎士や日本の侍を絶滅させたように、魔法があるこの世界では絶滅どころか発達すらしなかったものがある。

それは科学技術だ。

あるいは、物事を科学的に探究する姿勢、と言い換えてもいい。

電球、火薬、冷蔵庫、エンジン、医療知識……。

魔法によってこれらが必要な事態を解決できるこの世界では、必然的にこれらが存在していなかった。


マッチやライターも、その1つだ。


火属性低位霊術【発火ファイン】、俗に言う日用魔法の筆頭でもある手軽な着火手段が存在するこの世界では、別の手段で手軽さを追求するという発想が見事に失われていた。

そして、森人エルフは火属性の精霊と契約ができず、同属性の霊術の成功率も極端に低い。

このため、地区内にパン屋やレストランなどはない。


さらに、高温多湿かつ食獣・・植物が跋扈するネクタ大陸では大型哺乳類や食肉鳥類の飼育が難しいため、畜産を行っていない。

加えて言っておくと、ネクタの大森林に棲息する動物はトーラという小さな毒ネズミ、タイロンという小さな毒ガエル、ダルという小さな毒ヘビ。

あとは緑竜りょくりゅうの、わずか4種類だけだ。

よって、生肉の調達手段も存在しない。


そして魚を含め、わざわざ出区申請のいる地区外に出てまでそれらの食材を調達しようという意思も、森人エルフにはなかった。


とどめとしてアリアが、帰ってきたばかりの娘とその恋人にそんなことはさせられない、と昼食作りにおける俺とアリスの手伝いの申し出を頑として拒否し。

カンナルコ家の家計における火属性の霊墨イリスの占める割合から、発動を試みるのは毎食1回までと自身で決めている【発火ファイン】が不発に終わった結果。


「「いただきます」」


カンナルコ家でのその日の昼食は、「その全てが生野菜」という状況を呈していた。

テーブルの上には切り分けられた大量の各種野菜と果物の他に、やはりタンパク源として大量の3種類の豆が素材のまま並んだ、小規模な八百屋のような光景が広がっている。


「やっぱり、ネクタは野菜が美味しいですね」


「うん、お母さんの味は久しぶり」


「あら、よかったわー。

多めに用意したから、たくさん食べてね」


「……」


俺は、正面に座るマックスとその隣に座るアリアの反応をそれとなく気にしながら。

アリスは、隣に座る俺の反応をあからさまに気にしながら。

アリアは、向かいの俺とアリスの反応に笑みを浮かべながら。

マックスは、泰然と。


各自それぞれにパリパリ、シャクシャク、コリコリ、ザクザクと色々な咀嚼音を響かせている。

尚、事前にアリスからはアリアの料理に関する腕前を聞いて不安になってはいたのだが、料理自体が生野菜と生の豆、塩と酢と植物油だけで構成されているため、別に不味いということはなかった。

……まぁ、不味くなる要素がない、とも言えるが。


そしてここだけの話、この状況を「お母さんの味」とアリスが称したのを見て……。

俺は、恋人の高くはない料理スキルの原因を思い知った気がした。

アリアも満面の笑顔でその言葉を純粋に受け取っていることと、閉鎖的故にあまりに特殊なネクタの食環境を合わせて考えるに、もはやその根源は種族的なものだと言える。

アリスが肉料理が好きなのは、絶対にこの反動に違いない。


しかし、そうは思いながらも。

アーネルやウォルでは見かけることもなかった野菜や果物の、新しい味と新しい食感を。

そして、初となるカンナルコ家での食事を。

俺が純粋に喜び、楽しんでいるのも、また事実だった。





食後、冷たいサンティとエルダロン産のビスケットをつまみながら、俺たち4人はようやく本題に入っていた。

ちなみに、エルダロン皇国との交易を行うカミカサノクチからもたらされたというそのビスケットは、俺が日本で食べていたものと比べても何の遜色もないハイレベルなものだった。

何かの政策なのかノクチでの交換レートも異常に安いらしく、砂糖や卵もしっかり使った上質のそれは、カミカサ地区を中心に最近の流行の品なのだそうだ。


「……まず、カミラギ地区の区議会への謝罪は、必要ない。

アリスとソーマ君の入区は、あくまでもムー様のお言葉を聞いた上で各区議が独自で判断したものだ。

それに対して君たちから感謝や謝罪をすれば、区議たちのメンツが潰れてしまうだけだろう」


そのビスケットを数枚まとめて噛み砕きサンティで流し込んだマックスは、静かに話を続ける。


「その席ではムー様から、2人はカミノザに入らなければならない、というお話もされている。

だから申請を出せば、カミラギの区長の承認はすぐに下りるだろう。

あと1人の承認だが、カンテンへ行きなさい。

今のアリスとソーマ君ならどんな『あかし』でも見せられるだろうし、そのままマリアにも顔を見せてくるといい」


「すみません、『証』とは?」


「強さと人格を確かめるために、区議会から出される試練のことよ。

この魔物を10匹倒してきなさいとか、この植物を10キロ獲ってきなさいとか。

……カミノザの魔物は、とても強いらしいから」


メンツと中立性の間で揺れる区議や区長の苦悩と、それをもたらした俺に何かの感情を表すこともなく、マックスはさらにビスケットを放りこんだ。

……意外に甘党、なのだろうか。

よくわからない単語を聞き返した俺へは、ビスケットを咀嚼する夫に代わってアリアがのんびりと、最後の部分はやや心配そうに説明してくれる。


森人エルフにとってカミノザに入るっていうことは、フォーリアル様とお会いして上位精霊との契約を許していただく、っていうことなの。

最後に挑戦した人は3年前くらいで、……カンバラの人だったかしら?」


「カンバラの、カンゴーリ家の息子だったはずだ。

……失敗したようだがな」


「……そうね」


「失敗?」


「言ったでしょ、アリスちゃん。

カミノザの魔物はとても強いらしいから、……帰ってこれないこともあるのよ」


「……」


沈痛そうな表情を浮かべるアリアの正面で、アリスも黙りこむ。

マックスが静かにサンティのカップを置く、コトリという音だけがテーブルの上に響いた。

ただ、カンナルコ家の3人には悪いが、俺はその点を心配はしていない。

俺とアリスの組み合わせなら、緑竜どころか木竜にでも勝てるだろうからだ。

魔物など余裕である。


「……とりあえず母さんとアリスは、今からソーマ君とアリスの分の出区申請を出してきなさい。

ソーマ君が直接区役所に行くのは、あまり皆がいい顔をしないだろうから」


ただ、その後のマックスの発言には俺も黙りこむことになる。


「父さんは、ソーマ君と少し話があるから」


「……」


俺の余裕は、一気に失われていた。

















「あの子の手紙には、君が『魔王』で『水の大精霊』であることの他に、チェスが強いということも書いてあった」


「そう……ですか、……内容は知りませんでしたので」


ネクタでは3日に1度は降るという雨が降りだした中、木の骨組みに油を塗った分厚い紙を貼った傘、紫色と白のそれをそれぞれ差した母娘が区役所に出かけた後。

カンナルコ家の庭に面した縁側のテーブルで、マックスと俺はチェス盤を挟んで向かい合っていた。

アリアが丹精込めて世話をしているのであろう野菜や花、苗木の数々に彩られた庭が、あたたかい水の粒を受けて様々な雨音を立てている。

よく使いこまれているらしく、しっとりとした光沢を放つ白木のポーンがマックスの太い指につままれて2マス前進し、遊戯ゲームは始まった。


「あの子とも、したことはあるかね?」


俺が黒い、やはり穏やかな艶のある木製のポーンを同じく前に出したのを見届け、マックスが別のポーンをまた前に、次は1マスだけ進ませる。


「ええ、何度か」


そのポーンの正面のポーンを同じだけ動かし、俺は頷いた。


「弱かっただろう」


白のビショップが、やはり磨きこまれた茶色の盤面を斜めに進んだ。


「残念ながら、そうですね」


そのビショップを牽制する餌にしようと、俺は黒のポーンを進ませた。

確かに、アリスはチェスが弱い。

極端な話キングの駒だけが残っていれば勝ちになるチェスにおいて、アリスはポーンに至るまでできる限り自陣に犠牲が出ないように立ち回ろうとするからだ。

まぁ、微笑ましいと言えば、微笑ましいが。


「あの子は、甘すぎる」


しかしマックスはそれを一言で斬り捨て、俺が差し出したポーンをビショップではなく、ポーンで排除した。


「優しい、とも言えると思いますが」


すかさず、その白いポーンを同じくポーンで討ち取り、俺から見て左側の陣地を大きく広げにかかる。


「結果、自分が危険な目にあっても?」


馬の頭をかたどった白のナイトが、その陣地に加わった。

内包している激しい感情を悟らせない、やはり岩のようなマックスの静かさと威圧感を、俺は正面から受け止める。


「……」


そのアリスと同じ、しかしそれとは違う色の瞳を見つめてから。

俺は無言で、ルークの正面のポーンを大きく前進させた。


「君は、アリスの夢を知っているか?」


ノータイムで、白の陣地の奥のルークが1マスだけ横にずれる。


「この世界から戦争をなくす、ことだと」


狙われている自陣のナイトを逃がすでもなく、その隣のビショップを前に出した俺はそう即答した。


「君はそれを聞いて、どう思った?」


数手先まで読んでこの前線が泥沼になると看破したマックスは、あまり動いていなかった逆側の陣の展開を始める。


「……とても綺麗な夢だと、思いました」


しかし俺はそれには付き合わず、ポーンを前に出して前線にさらなる圧迫をかけ始めた。


「この娘は何を言っているのだろう、とは思わなかったかね?」


やむを得ず白のクイーンを少しだけ動かし、防御を厚くするマックス。


「私の目的も同じようなものでしたから……、それに……」


応じるように静かに。


「……」


「実現できないことでは、ないでしょう」


しかし一気に最前線に割り込んだ俺のクイーンを見て、マックスの目が少しだけ見開かれた。

白の陣の右前線が、ポーンとルークの支持を受けたクイーンによって次々と破壊されていく未来が見えたからだろう。


「……それは、あの子がやるべきことなのか?」


強引に俺の本陣を攻撃するために、温存していた白のもう1つのビショップが前に出る。


「……」


その射線をポーンを1マス動かすだけで封じた俺の指のあたりに視線を落としながら、マックスは手を止めた。


「あの子は、……もしかしたら君も誤解しているのかもしれないが……。

私は、アリスのやろうとしていることがどうでもいいことだと思っているわけではない。

今のあの子が、その夢のために強くなろうとしていることも知っている。

そんなあの子をおそらく君が今まで何度も守ってくれたのだろうということも、わかっているつもりだ」


その視線、巨大なエメラルドの原石を想わせる緑色の光が、俺の黒い瞳に注がれる。


「きっと、これからもそうすることがあの子にとって……幸せなのだろうということも、わかっている」


力強く泰然と、しかし水の中で揺らめくように。


「それでも、心配してしまうのが親なのだよ。

あの子のやろうとしていることは偉大で、気高くて、とても優しいことだ。

そんな森人エルフにはあり得ない夢を持つに至ったアリスのことを、私は森人エルフであれど誇りに思っている」


真一文字だった口元には、微かな笑みが浮かんでいた。


「だが、私はあの子の親になる程度には、あの子よりも長く生きている。

だからあの子の夢の大きさや素晴らしさがわかると同時に、それがどれだけ困難で危険なことかも理解できてしまうのだ。

あの子が傷つかず、あの子が涙せず、あの子が自分の弱さ故に絶望しないことを願うことは、親として間違っているだろうか」


少しだけ、苦い笑みも。

そして、それはすぐに消える。

あらためて背を伸ばしたマックスは、まるで行く手を阻む巨大な岩のようだった。


「君の存在があの子を強くし、そしてあの子の夢を叶える力になっていることをわかった上で、聞かせてくれ。

君は、あの子を強くし、共にその夢を歩む結果に責任をとれるのかね?」


問いの意味はわかる。

父親のいない俺ではあるが、マックスの気持ちもわかる。


そして、自分のアリスに対する想いも。

俺は、多分正確に理解できていると思う。


だから俺はすぐに、あっさりと答えた。





「ええ、命を懸けていますから」





「……」


ふざけたものも、気負ったものもない。

ふざけていないし気負っていないのだから当たり前なのだが、しかしごく自然に。

そして真剣に、アリスのために「命を懸ける」。


そう言った俺の瞳を見つめて、マックスは絶句した。


「アリスのその夢に、そしてそんな夢を真剣に叶えようとしているアリスと出会ったからこそ。

……俺は、今の俺なんです。

だから俺は自分の全力と全存在を捧げて、アリスを守ります」


親の前で娘の名前を呼び捨てにしたり、俺という一人称を使うことは決して褒められたことではない。

が、できるだけ自然に、そして本心を伝えようとした結果、俺の口調は先程までとは随分と変わっていた。

そのせいというわけでもないだろうが、俺を正面から見下ろすマックス。

その存在は変わらず大きいものだったが、今の俺はそれを前ほどは感じなくなっている。


「ですから、もしアリスが傷つき、涙し、絶望するときは。

いずれにせよ、俺は死んでいるでしょう」


俺は背筋を伸ばし、そんなマックスの、アリスの父親の瞳をまっすぐに見て語る。


「ですが、俺はアリスが夢を叶えるまで死ぬつもりはありません。

魔物だろうが、竜だろうが、国家だろうが、大精霊だろうが、負けるつもりもありません」


俺の決意を。


「先代アイザンの跡を継ぎし、当代の水の大精霊ソーマとして」


俺の心を。


「約束します」


誓うために。





「……」


「……」


「……いいなー、アリスちゃん。

お母さんもお父さんにそんな、すっっっっごい告白をされてみたかったなー」


「「!!!?」」


無言のまま互いの瞳を見つめ合っていた俺とマックスに、そんな声が庭からかけられ俺は右に、マックスは左に、その首を弾かれたように庭へ向けた。

いつの間にか雨も止んでいたのか、そこでは閉じた紫色の傘を片手に、もう片手に編籠を下げたアリアが口をとがらせながら笑っている。


……集中しすぎていて、【水覚アイズ】が途切れていたか?

同じく閉じられた白い傘を庭の地面に投げ出し、アリアの水色のコロモにしがみついて後ろに隠れている緑色のコロモを発見してしまい、俺は急激な暑さ、……いや熱さを感じ始めていた!!


「いいなー、アリスちゃん。

羨ましいなー」


中学生のようなノリで繰り返すアリアの横から、それとほぼ同じ造形のアリスの真っ赤になった顔が少しのぞき……。


「「……!」」


呆然とした俺の黒い瞳と、色々な感情が混ざりすぎてわけのわからない光を浮かべたアリスの緑色の瞳が。

合ってしまった瞬間に、慌ててお互いにそらす。


爆発する、という比喩を聞いたことがあるが、実際、俺もアリスも顔が爆発しそうだった。


「……そろそろ、ご飯の支度をしないとね。

お父さん、たまの休みくらい手伝ってくれるわよね?」


「……ああ」


そんな中アリスを振りほどきながら、硬直したマックスを見下ろして笑うアリアの穏やかな青い瞳。


「ソーマ君とアリスちゃんはそのチェス盤を片づけてから、ゆぅっっくり……台所に来てねー」


「……は、い」


「……うぅ」


アリスの傘を拾い、憮然としたマックスを引きずっていくアリアが縁側の角を回り。

そこには、いまだイスから立ち上がれない俺と、庭に立ったまま胸の前で手を重ねてモジモジとしているアリスだけが残された。


「いつから、いたの?」


「……あ、『あの子が、自分の弱さ故に絶望しないことを願うことは、……親として、間違っているだろうか』……くらいから」


……メインの部分はほぼ全部聞かれて、しかも細部まで覚えてるんじゃねぇか!!


「ソウデスカ」


妙な声になりながら、テーブルに左手で頬杖をつく。

信じられないほど、自分の顔が熱い。

絶対に、俺も顔が赤い。

縁側に上がってアリスが傍らに立ったのがわかるが、そっちを向けない。


ふわりと、甘い香り。

森の中にいるような清々しい香りと、あたたかい雨の香りと、仄かに花のような甘い香り。

しゃらりと顔にかかる瑠璃色がかった銀色、月光のような細い髪。

耳にかかる熱っぽい空気と、……小さくもやわらかい感触。


「……ソーマ」


俺を横から抱き包むかたちとなったアリスが、小さく震える声で俺の名前を呼ぶ。


「ありがとう」


コロモに包まれた細く白い腕に、言葉と共に力が込められる。


「愛してる」


そのまま、いつぞや戦場で俺が贈ったのと同じ言葉と……頬へのキスを返され。





俺は、自分の血液が蒸発するのを感じた!

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