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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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アリスの母

「俺たちのために色々と迷惑をかけて、申し訳なかった」


「……」


「……区議会から、初めて見る書類が届い……、届きましたよ。

もういいから、さっさと通って下さい」


翌々日の朝、ロビーの床を媒介にして現れたムーと共に、俺とアリスは再度カミラギへとつながる門へと向かった。

ヤズナズと共に立っていたモローにアリスと並んで深く頭を下げると、門番からは皮肉と諦観の混じった声が返される。


「……」


顔を上げる俺とアリスの背後、その書類を作らされる原因だったはずのムーは我関せずと、無言で都市壁を見上げていた。

門の先の濃く深い緑色の景色からは、湿度の高いあたたかい風が流れてくる。

そちらに足を向けた俺とアリスに、木製マネキンのようなムーの視線が交差した。


「では水殿みずどのわらわはここで失礼する。

中のことは、カンナルコ家の娘の方が詳しかろう」


「ああ、色々と世話になった」


「ありがとうございました、ムー様」


俺が返礼し、アリスが頭を下げる。


「それでは、カミノザにて」


先に門の中に足を踏み入れながら、ムーの姿はその緑色の中に溶け込んでいった。





緑、緑、緑。

門を越えた先には、うっそうと茂る密林のような光景が広がっていた。

赤茶色のやわらかい土に残った雨の匂いと、呼吸の度に体の髄から浄化されるような濃い緑色の香り。

そこに混じる極彩色の花や見たことのない果物から漂う甘い空気と、それらが土に埋もれて腐る微かな酸性の臭い。

高低無数の植物が溢れ大小無数の生命が複雑に入り混じった大森林が、ただどこまでも続いている。


またアリスの言っていた通り、地区の中はノクチよりも湿度が高く、暑い。

都市壁をはるかに超える、30メートル以上の巨木が立ち並ぶ森の中に太陽の光は強く差し込みはしないものの、まるで日本の梅雨時期のようなじっとりとした空気が満ちている。

俺の能力で周囲の気温調整をしているから大丈夫なものの、生身であればおそらく数分で不快な汗にまみれていたはずだ。


「……」


「……」


その門から続く、森を割ってほぼ直線に伸びる土の道を歩く俺とアリスの間には、しかし会話がなかった。

これは昨夜の件が若干後を引いていることもあったし、お互いにアリスの両親に会うということでひどく緊張しているという部分も大きい。

片や2年ぶりに帰宅するが、それに際して区議会に多大なる迷惑をかける羽目になった家出娘。

片やその家出娘の『恋人』にして、おそらくその多大なる迷惑の諸悪の根源である「人間」兼「水の大精霊」。

お互いにそれぞれの前の地面だけを見つめたまま、やわらかい土が剥き出しになった林道を踏みしめていく。


「もうすぐ居住区だから、そろそろ他の森人エルフに会うかもしれない。

私の家は、まだここから15分くらいかかるから」


「わかった」


そのまま10分ほど歩いた後、左隣を歩いていたアリスが何かを振り払うように。

俺より少しだけ前に出た。


ノクチと同様、カミラギに建つ森人エルフたちの住居も日本風の木造建築だった。

森がいきなり終わり、急激に土の道と視界が広がった先に広がるのは、完全な碁盤の目に整備された茶色と緑色の町。

道を挟んで並ぶその家々にはやはり屋根瓦こそないものの、引き戸に障子、庭の菜園に面した縁側を設けているものまである。

道と敷地を区切る背の低い生垣いけがき竹垣たけがき、屋根の先に造りつけられた竹製の雨樋あまどいなどが、俺の心中にまたざわめきを生んでいた。


そして、そこに住み、あるいは出歩く森人エルフたちの服装。

ほぼ全員が、浴衣姿に下駄履きだった。


「ネクタ特有の衣服で、コロモという。

履いているのはアシダといって、木でできたサンダルみたいなもの。

地区内では、だいたい皆あの格好をしている」


「……そうか」


絞りや蝋染めのような技法で鮮やかな紋様がかたどられた、赤、黒、青、緑など色とりどりの濃い原色の浴衣。

それに俺が目を奪われているのを察し、アリスが小さな声で説明をしてくれる。

確かに、こんな環境の中で薄くはない生地のマントを羽織り、密封性の高いブーツを履いていればすぐに体がまいってしまうだろう。

通気性と吸汗性に優れ、軽く涼しい浴衣も、雨の日でも裸足でつっかけられる木製の高下駄も、ノクチの町屋と同じ合理性の結果だと自分に言い聞かせる。

それでもネクタ、アリスの故郷に、俺の心の中では無条件の親しみがわき上がりつつあった。


……しかし。


「……?」


「人間?」


「あれが、区議会から通知のあった……」


「……」


疑念、動転、奇異、……嫌悪。

見かけ、すれ違い、見かけられ、……あるいは俺を睨みつける森人エルフたちの視線に込められた感情は、概ねこのようなものだった。


「「……」」


「……」


続けてその視線は、理由を問うように俺の半歩前を歩くアリスに向けられるのだが、当の本人はその全てを無視。

特に急ぐでもなく、しかし足を止めようともしないアリスの顔は、ただ前だけに固定されている。

その無表情が特に変わることもなく、硬質なエメラルドの視線が動くこともなかった結果、周囲で顔を見合わせたり声をひそめる森人エルフたちに止められたり話しかけられたりすることもなく。


やがてアリスと俺は、やや奥まった所にある1軒の家の前に到着した。


「……ただいま」


「お帰りなさい、……アリスちゃん」


その戸口に淡い水色のコロモ姿で立つのはアリスそっくり、……いや、もはや「アリス (青)」とでも言うべきほど、アリスに似た森人エルフの女性だった。

アリスと同じ瑠璃色がかった銀髪は肩辺りで切り揃えられ、木製のバレッタで頭の後ろにまとめている。

背丈、肩幅などがアリスのそれよりも勝ってはいるものの、それはもうほとんど誤差と言っても差し支えない範囲で、いずれにせよ華奢であることに変わりはなかった。

白い肌に、上品な笑みを浮かべる人形のような顔もアリスに瓜二つで、静かな海の深淵を想わせるやや暗い青色の瞳だけがかろうじて見分けられるポイントだろうか。


「はじめまして、ソーマです。

この度は大変にご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありませんでした」


「……こちらこそはじめまして、ソーマ……君。

アリスの母の、アリア=カンナルコです。

その件は、主人が戻ってからお話ししましょう」


水の大精霊を、どう扱うべきか?

アリアがそんな当惑を瞳に浮かべる前に、俺はアーネル王にすら使わなかった敬語で挨拶して深々と頭を下げ、自身の立場の方が低いことを明確に示す。

腰を折った後にかけられるのは、アリスよりもやわらかく、そして穏やかな声。


彼女が、アリスの母親だった。

















「お母さん……、勝手に家を出て、心配をかけて……、本当にごめんなさい……!」


とりあえず見ているだけで暑苦しいから着替えてらっしゃい、とそれぞれアリアに別室に通され、アリスの父親のものだという黒いコロモに着替えて部屋を出た俺が居間で見たのは、同じく緑色のコロモに着替えたアリスがアリアの前で床に手をついている姿だった。

俺は一緒に頭を下げるつもりだったのだが、どうやらアリスなりに先にけじめをつけておきたかったらしい。

やむを得ずその場で足を止め、……視線を斜め右の方にそらす。


「……もういいわよ、アリスちゃん。

お手紙でもたくさん謝ってたし、何が悪いかわかってきちんと反省もできてるみたいだし……。

それに、こうして元気に帰ってきてくれたんだから」


そのアリスを抱き起こし、母の最後の言葉に無言で震えるアリスをしっかりと抱擁するアリア。

上品で穏やかな笑みと……涙を浮かべたまま愛娘を優しく抱きしめるその母親の姿を視線の端で捉えたまま、俺はじっとその場で立ち尽くしていた。


数分に渡る母娘おやこの再会を終え、やがてアリスの肩に手を置いたままその瞳を覗き込むアリア。


「……で、お母さんとしてはそろそろ自慢のパートナーさんを紹介してほしいんだけどな……、『魔王の恋人』さん?」


「……あぅ」


「ぶっっ!?」


その唇が悪戯っぽく歪んで娘を二つ名で呼んだ瞬間、アリスは意味を測れない呻きを漏らし、俺はその場で空気を噴いた。


「……どこから見てたの、ソーマ?」


「……まぁ、勝手に家を出て、あたりから……」


「……!?」


「うっふふー、早く紹介してね、アリスちゃん?」


コロモの袖で目の周りを拭った後に振り返ったアリスに正直に返答する中、アリアは目と顔を赤くする娘の肩を軽く揺すって俺に笑いかける。

現在18歳のアリスは、アリアが20歳のときの娘らしい。

つまりアリアは38歳、不惑の一歩手前という年齢のはずなのだが、正直アリスの双子の姉だと言われたら信じてしまいそうなその外見と所作に、俺も曖昧な笑みを返すしかない。


「彼はソーマで……、人間で……、水属性の魔導士。

私と同い年で、職業は冒険者で、ウォルっていう自治領の領主。

それで……、水の大精霊……で、二つ名が『魔王』で……」


「アリスちゃんの『恋人』なの?」


「……そぅ」


たどたどしいアリスの紹介だが、実際のところ俺のプロフィールはほぼこの通りだ。

……しかし、こうして客観的に経歴を見ると、何が何だか自分でもわからないな。


あと、母親に目を覗き込まれて顔を真っ赤にしながら、俺と恋人だ、とムスッと認めるアリスが可愛い。

すごく、可愛い。


「娘さんには、いつも大変お世話になっております」


「いえいえ、こちらこそ……。

コロモ、やっぱり主人のでは大きかったかしら?」


「袖だけまとめれば支障はありませんので、後で帯をもう1本いただければ助かります」


「あら、失礼しました」


アリスの紹介を受け、あらためて深く腰を折った俺のコロモ姿を見て、アリアが首を傾げる。

着方はわかる、ということで着替えの手伝いは固辞したこのコロモなのだが、どうやらアリスの父親はかなりがっしりした体格らしく、俺の両手は完全に袖の中に隠れてしまっていた。

たすきでまとめてしまえば問題ないだろうと帯を所望すると、アリアがニコニコと頷く。

顔立ちが同じでもどちらかと言えばクールなアリスがあまりしない表情なので、俺としては非常に新鮮だった。


「ふ、普段はもっと偉そうでぶっきらぼうで意地悪で強引!

あんな爽やかそうな笑顔もしないし、あんな丁寧な言葉遣いもしない!」


「……はて、何のことやら?」


「ソーマ!!」


しかし、アリスからすれば敬語で喋る俺の方が新鮮だったらしい。

事実を述べて俺をおとしめようとするアリスに「爽やかな笑み」を返してやると、両手を握ったアリスがさらに顔を赤くしながら叫ぶ。

ただ、これは別に猫を被っているわけではなく、TPOに応じた振舞いをしているだけだ。

一応、これでも元社会人という経歴もあるわけだし……。


「ふふ、本当に仲良くしてもらってるのね、アリスちゃん?

人間でも大精霊様でも、アリスちゃんの選んだ人ならお母さんは応援するからね?」


「……うぅ」


背後からアリスの口を押さえながら、アリアは穏やかに笑う。

アリアの慈愛に満ちた青い瞳と、その前で盛大に照れているアリスの緑色の瞳を見て、俺もごく自然に微笑んでいた。





「本だらけだな」


アリアが昼食の材料の買い物に出た後 (手伝いの申し出は丁重に辞された)、俺とアリスは、アリスの自室で旅の荷物の整理をしていた。

水や食料の大部分、テントなども必要ない俺とアリスの旅の荷物は他の冒険者のそれに比べれば随分と少ないが、それでも手荷物で収まるような量ではない。

カンナルコ家へのお土産を取り出し、空になった霊墨イリスのボトルを仕分け、2人分の汚れ物をまとめて洗濯したりする中。

俺は恋人が生まれ育った部屋を、興味深く見回していた。


尚、帰宅した時点でアリスには家出前に使っていた自室が、俺には客間が用意されていたので、とりあえず泊めてもらえる程度には受け入れられているらしい。

最悪は敷居を跨がせてもらえないことすら覚悟していた俺にとって、少なくともアリアの肯定的な態度は良い意味で意外なものだった。

一方で、仕事に出ているマックス、アリスの父親は昼食のときに帰宅するそうなので、こちらとの対面まではあと2、3時間といったところだろうか。


ちなみにアリスの姉のマリアはすでに嫁いでおり、現在は夫と一緒にカンテンで暮らしているとのことだった。

こちらに会うにはあらためて出区申請が必要なため、今は後回しになっている。


「ネクタの中で手に入れる分には、本はそんなに高くないから。

これくらいなら、普通」


60度ほどの熱い水球の中で乱舞する数枚の下着越しに俺が端的な感想を漏らすと、お土産の包みを直している部屋の主から回答が返される。

しかしながら実際のところ、6畳ほどのアリスの部屋を見て俺が連想したのは「書斎」という単語だった。

落ち着いた色の木の床の上には直接ベッドや衣装箪笥、書物机とイスなど、やはり木製の家具が並べられているのだが、最も目を引くのは壁の内1面の半分を占める、床から天井までぴったりと造りつけられている本棚だ。

カラフルな背表紙の大版の童話をはじめ、白や赤やピンクの装丁が施された恋愛小説の数々。

その下には、家出の前に勉強していたのか世界各地の紀行文や魔物の生態図鑑、近接戦闘の教本など、ざっと100冊近い本が並んでいる。


「皆が元気そうで……よかった」


まだ幼い、コロモ姿のアリスがこれらの本をめくっている様子を想像してほっこりした気分になっていた俺の隣で、荷物を片づける手を止めたアリスは静かにそんな言葉を漏らした。


「……皆は、お前が元気なことを喜んでくれているみたいだしな。

素敵な、家族じゃないか」


「……うん」


努めて軽く、それでも真剣に言った俺の言葉に、アリスもしっかりと頷く。


「俺も、お母さんの方には一応歓迎してもらえているらしいし」


「お母さんは……ああいう感じの人だから。

2年前も、最後は味方になってくれたし」


しかし続く俺の分析には、曖昧な表情を返してきた。

どうやらアリアも、森人エルフとしてはアリス同様にかなり前衛的な考えの持ち主らしい。


「お父さんの方は違う、と?」


「……かもしれない。

あなたへの反応も全然予想ができないし……。

正直、すごく気が重い」


「……」


俺がそれを無言で受け止めた結果、部屋の空気も一気に重くなっていた。

黙ったままで俺とアリスは目を合わせ……、そしてお互いに視線をそらす。


実の娘が、会うのが気が重い。

そう断言する相手に、娘の恋人として挨拶する。


戦争や戦後交渉とは違ったストレスに、俺は胃のあたりに感じたことのない種類の重みを感じ始めていた。

乾かした下着をとり分ける途中で止まった俺の手に、しかしあたたかいアリスの手がふれる。


「……まぁ、話してわかってもらうしかない、よな」


「わかってもらえなかったから、私は家出を……」


「おい」


その温度で、あらためて腹をくくった俺をアリスは茶化す。

そして苦い顔になった俺と目を合わせて、声を出して笑う。

釣られて、俺も笑うしかない。


そうだ、話してわかってもらうしかない。

アリスの父親にも、森人エルフにも、フォーリアルにも。


アリスと笑顔を交換しながら、俺はそれを確かめた。

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