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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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王の航路 後編

『青の歓声号』の操船技師の1人がその船、『空の精霊号』の後ろ姿を発見したのは4日目の昼前だった。

俺の目には何も見えないが、命属性霊術【視力強化ホークアイ】を使うその若い見張係には6キロメートル先の船影を捉えることができたらしい。


「オレらの前の日に出た船ですけど、こっちが順調でしたからねえ」


「遭遇した魔物から逃げ回ることもなく、全部倒していればこうなる。

……それに慣れつつある自分が、ちょっといや」


俺が甲板の上からマストの上のコーザックを見上げると、よくあることですよ、とのんびりした首肯が返ってくる。

隣で立つアリスも、自嘲気味に笑っていた。


「っ!?」


「……どうした?」


「「……」」


しかし、しばらく進み見張係の顔が強張るとコーザックからは表情が消えた。

それをみとめ、瞳に硬質なものが宿ったアリスはベルトに差すステッキの柄に手をかけ、俺は無音の溜息をつく。

報告を受けたザザも船内から甲板に出て、【視力強化ホークアイ】を発動させた。


イラ商会とは別の商会が保有する3本マスト、全長45メートルの大型帆船『空の精霊号』は、どうやら魔物の群れに襲われているようだった。


ザザの言うところ、こういう場合は助けられそうな場合は助け、助けられなさそうな場合は全力で逃げる。

そんな緊急避難の姿勢が海のルールらしい。

仮に見捨てられたとしても相手を恨まないのが海に出る大前提ですから、と若き船長は小さく笑った。

そして、付け足す。


「ただし助けた場合はきっちり代金を請求するのも、商人のルールですが」


「そして助けられそうな場合は助けるのが、冒険者のルール」


「依頼に応じた報酬をちゃんと貰うのも、ルールだからな。

……報酬は、ちゃんと上積みしてもらうぞ?」


「……彼らから貰う分の2割、でいかがでしょうか?」


ステッキを取り出して舳先へさきに向かったアリスを横目に、俺はザザと手早く交渉を始めた。

最低でも『空の精霊号』に追いつくまで10分はかかるし、数キロ先の目標を精密射撃できる魔導は俺にもアリスにもない。

確かに救助の必要はなくなるであろう、【氷艦砲シーカノン】を使うわけにもいかないしな。


「全速前進、近付けるぞー!」


「半分」


「3割では?」


「半分」


「……4割」


「……」


「では、4割5分で」


「……よし」


コーザックの号令と共に風属性魔導【起風フース】で膨らんだ帆に引っ張られ、『青の歓声号』は海を走る。

交渉がまとまりアリスの背に続く俺に、ザザは苦い笑みを浮かべていた。

とはいえ、俺からすればこれは適正な報酬額だ。

視力強化ホークアイ】で強化した瞳に映る悪夢のような光景を眺めながら、俺はアリスの隣に並んだ。





数キロ先の『空の精霊号』はサランドラとヒューカー、2種類の魔物によって完全に取り囲まれていた。


Dクラス、サランドラ。

人魚にんぎょ』と呼ばれることの方が多い、全長1メートル半ほどの海生かいせい両生類だ。

ただし、その姿は「メルヘン」や「神秘的な美貌」という言葉のはるか彼方、いや対極にあると言っていい。

適切な単語としては「ホラー」、そして「生理的に無理」だろうか。


全体的な姿としては確かに人魚なのだが、その姿はどちらかと言えば上半身がヒト型のイルカに近い。

全身は白くツルツルとした皮膚で覆われており、下半身の形は完全にイルカのそれだった。

ヒト型の上半身には1本の体毛もなく、卵型の顔には黒く感情のない目が2つ。

鼻もそして耳たぶもなく、顔の横には白い鼓膜が剥き出しになっている。


おぞましいのは、その口だった。

顔面を縦に割って開く口が親しみや可愛らしさという感情を全否定しており、白い唇の間からは紫色の太い舌ととがった2列の牙がのぞいている。

それぞれ1メートル近くある長い左右の腕の下、脇腹ではそれぞれ3本のエラが大きく開閉を繰り返していた。

人間と同じ5本の指の先はタコのような吸盤になっており、それで船の上に登り、そして人間を海に引きずり込み、食う。


夢に出てくれば、確実に心の傷となる。

童話や幻想からはかけ離れた、進化の過程で何かがあったとしか思えないような悪意に満ちた姿の魔物が、そこには溢れていた。


とはいえ所詮はDクラスであり、体の構造もあって船上での動きは決して速くはない。

その長い腕と強力な吸盤にさえ気をつければ、たいした敵ではないはずだった。

実際、甲板には10体以上の白い死体が紫色と……そして赤い血に塗れて転がっている。


所詮はDクラスだが、数が半端ではなかった。


現状、目測だけで『空の精霊号』は50を軽く超える人魚の群れに囲まれている。

さらに船体にへばり付き、ゆっくりと登る個体が15ほど。

海面から水死体のような真っ白の、しかし絶対に人間のものではない顔が無数に浮かび長い腕を伸ばしてそれに続こうとしている光景は、控えめに言って悪夢でしかなかった。

全体のフォルムが人間に近い分、その不気味さと嫌悪感は凄まじいものがある。

牙がある、つまりは彼らが肉食でありまたその標的が俺たち人間であるという事実が、それにぬるりと拍車をかけていた。


無論、『空の精霊号』の乗員や護衛の冒険者たちも無防備に海に引きずり込まれたわけではなく、必死で抵抗はしたようだ。

ただ、もう一方の魔物であるヒューカーの存在がそれを無意味なものへと変えていた。


ヒューカー、あるいは『人攫ひとさらい』。

それは翼を広げた大きさが5、6メートルにも及ぶ、巨大猛禽類である。

灰色の羽毛に覆われたその姿はワシのそれであり、1度の飛行の距離は数百キロメートルを超える。

両足の爪で人間や家畜、魔物すらも攫ってしまうのが、その名の由来だ。


海を包囲する人魚に対して『空の精霊号』のその空は、完全に5羽の人攫が制圧していた。

帆に風を送ってこの場から逃げられなかったのは、マストの上にいて狙いやすい操船技師が攫われたからだろう。

おそらくは人魚を目当てに人攫も集まってきたのだろうから、不運としか言いようがなかった。

実際、距離が近づき『青の歓声号』の姿をみとめたその内の2羽がこちらに鋭い視線を向け、……我関せずと1羽は、船上に登った人魚の1体を攫ってその場から離脱していく。

真南に向かった人攫の先【視力強化ホークアイ】でその姿を追った俺たちの瞳には、このDクラスの鳥どもの棲処すみかなのであろう、岩山がそびえる小さな島の影が映っていた。


海の上の食物連鎖に食欲を減退させる中、2隻の船の間が800メートルを切った段階で、俺は周囲の状況知覚を【水覚アイズ】によるものに切り替えた。

……どうやら『空の精霊号』の乗船員は船内に籠城しているようだ。

甲板とつながる出入口を封鎖し、船内の荷物をかき集めてバリケードを築いている。

が、その作業に従事している人間、そして『空の精霊号』に存在する人間の数はわずかに8名だけだった。


……船の規模を考えれば、最低でも50名以上が人魚か人攫の餌になったのか。

海に引きずり込まれるか、空の彼方に連れ去られる。

どっちも嫌だな……。

そんな俺の嫌悪の感情に反応したわけでもないだろうが、『青の歓声号』が近づく側にいる20余りの人魚が、感情のない瞳でこちらを見つめていた。


「海の方は任せても?」


「うん」


俺の短い確認に、アリスも短く承諾を返す。

2隻間の相対距離50メートル。

悪夢のような光景を感情のない瞳で一瞥した後、無表情のままのアリスが口を小さく動かし、素早くかつ淀みなく契約詠唱を終える。

その魔力37万にして世界第3位の『魔王の恋人』、木属性の超高位魔導士が杖を軽く振った瞬間。





その悪夢は真っ赤に染まり、海は紛うことなき地獄へと変貌した。





朱色。


『空の精霊号』から半径50メートルの海は、突如そう形容するしかない色に染まった。

幽鬼のように白い顔で浮かんでいたサランドラの全員が、その赤にふれた瞬間に激しくもがきだす。

まるで本物の地獄、血の池地獄で釜茹でにされる亡者のごとくその動きは必死さを感じさせるものだったが、やがてその白い指先や紫色の舌は激しく痙攣を始め、脱力。

ことごとくが赤い海面にその白い姿を浮かべ、あとは波に揺られるままとなる。


その虐殺の全貌を【水覚アイズ】で確認しながら、俺は隣に立つ恋人の無表情をやや慄然とした表情で見つめていた。


赤獄之召喚サ・ブランド】。


それは、植物を使役する木属性魔導においては極めて珍しい、水中に作用する魔導である。

海水が赤くなったのはアリスが召喚した莫大な数の植物プランクトンの色であり、そのプランクトンが持つニンジンやトマトと同じカロテノイド系統の色素によって海水が赤く、あるいはオレンジ色に染まったように見えるのだ。

現象としては赤潮と呼ばれるものであり。

しかし、それは植物が引き起こす生物の殺傷としては、最も広範囲に作用するものである。


肺を持たない水生生物はエラなどから水中の酸素を取り込んで呼吸を行っているが、最小の植物であるプランクトンの異常発生による地獄の始まりは、その水中の酸素を食い尽すところから始まる。

たとえプランクトン1匹1匹の呼吸量が微々たるものだったとしても、それが水の色を変えるほどの密度で発生した場合、その水域からは瞬時に酸素が失われてしまうのだ。

水に酸素が含まれない以上、いくら水が体内を通過しても呼吸が成立せずその生物は窒息。

エネルギー生成は停止して昏睡状態に陥り、その後数瞬で絶命する。


またこの窒息は、その状況を作りだしたプランクトン自身をも襲う。

その死骸は物理的にエラなどの呼吸器を塞ぎ、さらに死を加速させた。

加えて、この赤いプランクトンたちは猛毒を産生する機能も持つ。

一帯を汚染したその神経性の藻毒によって、周囲の生物はいずれにせよ窒息死の運命をたどることになった。


窒息と、窒息と、窒息。


アリスによる赤い地獄の顕現からわずか60秒で、この海域に潜んでいた76体の人魚は全滅に追い込まれた。





一方。

赤と白、海に凄まじい死臭が漂い出す中、緩慢な動作で船体を登っており【赤獄之召喚サ・ブランド】から逃れられた人魚の1体の。


その右側頭部に、黒い小さな穴が開いた。


逆側の側頭部から激しく飛び散る紫色の血とショッキングピンクの脳漿のうしょう、白い破片となった皮膚と頭蓋骨が飛び散ったことで、何かが頭を貫通したのだということがようやくわかる。


射殺された勢いで大きく頭を左に振った人魚は、しかし両手の吸盤によって赤い海に落ちることはなく、そのままだらりと頭を垂れた。

そこから滴り、かまのような形状の尾の先から体を伝った紫色の血の雫が、死の海に鉄臭い波紋を作る。

さらにその隣にいた人魚も、その上にいた人魚も、船体を挟んで反対側にいた人魚も次々に、あるいは同時に頭を撃ち抜かれ、悪趣味な船の飾りとなり果てていく。

……海に、落下物。

それがやはり頭を正確に破壊された人攫の1羽であることを視認したことで、マストの上から戦況を見つめていた操船技師の1人が深い溜息を漏らしていた。


しかし緩慢な動作で周囲を見回す人魚にも、そしてほぼ無音でそれらの頭が吹き飛ばされていく光景を呆然と眺めている『青の歓声号』の面々にも、その矢弾やだまを、そしてその発射地点を視認することができない。

『空の精霊号』の全周囲で散発する、不可視の狙撃。

その射手しゃしゅが俺であることを確信しているアリスだけが、横目で俺の顔を見上げていた。


俺が撃ち込んでいるのは、ただの【氷弾バレット】だ。

指先ほどのサイズの透明な氷の銃弾を撃ち込む、単純で基本的な射撃魔法。

……ただし。


その発射地点が、俺を中心にした半径800メートルに及ぶ支配領域の全域なだけであり。

その射程距離が、俺を中心にした半径800メートルに及ぶ支配領域の全域なだけである。


要するにそれだけの話にすぎないのだが、杖を構えるわけでもなく詠唱すらもしない俺の不可視かつ無音の全方位からの正確な狙撃は、実質的に感知も回避も不可能なものとなっていた。


結果、アリスの【赤獄之召喚サ・ブランド】による海中制圧が終わる頃には、『空の精霊号』の船体及び甲板にいた19体の人魚と上空にいすわっていた人攫4羽の内1羽は、その全てが頭に透明な弾丸を受けて絶命していた。

続けて海の上に1羽、死体だらけの船の甲板の上に1羽。

片や上空400メートルからほぼ垂直に、片や200メートル彼方からほぼ水平に頭を撃ち抜かれた人攫が落下する。


その横、意外と甲高い鳴き声を上げて、最後に残っていた1羽が南へ逃げ去ろうとした。

判断は正しいが、もう遅い。

逃避行ならぬ逃飛行を始めた人攫の背から、噴水のように赤い血しぶきと肉片、骨の一部が砕け飛び、そのまま滑空して落水。

直下の赤い海面からの狙撃によって、船を囲む100体近い魔物のその最後の1体が『青の歓声号』に乗る観客の安堵と称賛の溜息と共に、狩り尽くされた瞬間だった。





しかし。





「コーザック、ここから離れろ!!

下から、何か大きな生き物が上がってくる!!」


「……全速前進!!」


それを【水覚アイズ】で感知した俺が叫び、アリスの腕をとって甲板の中央まで走った瞬間、その勝利に弛緩した空気は再度硬直した。

竜魚を片手間にほふった俺が、慌てている。

その事実を目にしたコーザックたちの反応は早く、激しい。

コーザックを含む3人の操船技師が速やかに発動した風属性【起突風フートス】の大風を受けて船体がミシミシと大きく軋む中、マストに結わえられたロープを掴んだ俺の腕の中でアリスも体を固くしていた。


船の後方、水死体となった人魚が浮かぶ赤い海が、黒く染まる。

置き去りとなった『空の精霊号』ごとその海面が山のように上昇して、その黒い色が巨大な生物の影なのだと俺以外の全員がようやく理解していた。

そして影の中心に、巨大な穴が開く。


45メートルの大型カラベル船が。

周りの人魚の死体や赤潮ごと、その巨大な口の中に落下していった。


「……ハングラー」


甲板から立ち上がりながら呆然自失の体でつぶやいたザザの口から、そのAクラスの怪魚の名前が漏れ出る。

全長140メートル、最大幅50メートル。

そして口の直径50メートル。

俺が【水覚アイズ】で知覚し『空の精霊号』を一飲にしたのは、通称『船喰ふねくらい』と呼ばれる超巨大魚だった。


陸上競技トラックとほぼ同じ大きさのその魚の形状はフクロウナギ、あるいはペリカンウナギと呼ばれる現世の深海魚に酷似していた。

ほとんどが口だけで構成された60メートルほどの頭が下を向き、その後ろには極端に細く薄い……それでも先日の竜魚の胴体よりもはるかに大きな体と尾が続いて海に潜っていく。

全身を黒く細かい鱗で覆ったその威容は、もはや建築物くらいしか比較できるものがなかった。

丸飲みにした大型帆船を口や胃の筋肉で圧壊させながら、その黒い影はもう1隻の獲物を追い始める。

あまりに巨大で広大なその影が『青の歓声号』の後を追う姿はもはや、まるでアリスが巻き起こした赤潮と同じ、何かの自然現象に巻き込まれたかのような光景だった。


……ドーーーーン!!!!!!!!


海中、船の後方を斜めに守るように展開した80メートル四方の氷壁にその巨大な頭部がぶつかり、衝撃が海水を伝って船体を揺らす。

竜魚のように気絶でもしてくれればよかったのだが、そうはうまくいかなかったようだ。

名前の通りよほど腹を空かせているのか、マストが折れてしまいそうな突風を受けて走る『青の歓声号』の後を船喰は執拗に追ってくる。

海面ギリギリを巨大な物体が移動しているため、船の後には異様な形の大波が起きていた。


悲鳴、怒号、悲鳴。


狂乱する甲板の上で何人かが俺の方をチラチラと見てくるが、俺もすぐには答えを出せない。

これほどまで巨大な生物になると、もはや対生物の戦いとして捉えること自体が難しかった。

どちらかと言えば対建築物、攻城戦の考え方だ。

かと言ってこの至近距離で【氷艦砲シーカノン】は使えない……。


熱……、氷……、砲撃……。


壮絶なシーチェイスのさなか、移動し続ける建築物を船に被害を出さずに即死させる手段を探し、俺の視線は瑠璃がかった銀髪、アリスのつむじをさまよう。


魚……、海……、……水か。


「……ふ」


「……はぁ」


振り向いたアリスの緑色の瞳。

不安と焦燥でいっぱいだったその瞳が、小さく笑いを漏らした俺の顔を見て、安堵と呆れの色に変わっていた。


「コーザック、速度を落とせ!」


「は、はい……、……え!?」


「大丈夫だ、落とせ!

……全員、近くのものに掴まれ!!」


「「……はい!!」」


どうやら俺は、唇をつり上げて嗤っていたらしい。

悲鳴と怒号と疑念と覚悟の中、コーザックたち操船技師は魔導を停止し、全ての乗船員が俺の指示に従ってマストやロープ、甲板の積み荷に抱きつく。


……ドーーーーン!!!!

……………………ベジャァッッッッ!!!!!!!!


衝撃に揺れる、『青の歓声号』の背後。

そこには巨大な氷壁と。


海に開けられた巨大な長方形の穴が、広がっていた。





原理としては、【逆死波サカシナミ】とほぼ同じ考え方だ。

水の生成や操作ではなく、消失。

今回はこれを大規模に、しかも海でやったわけだが、その結果広がる光景は。

海を穿うがつという、まさしく神話のそれであった。


幅80メートル、厚み10メートル。

そして、長さ700メートル。

東京スカイツリー以上、それこそ建築物並みの50万トン以上の氷壁に追突した船喰は。


幅80メートル、縦150メートル。

そして、深さ700メートル。

その氷壁沿いに840万トン、東京ドーム7杯分近い海水が瞬時に消失したことによって生じた空間に、突如投げ出されることとなった。


慣れ親しんだ海ではなく、空気。

海水による浮力を失い、2万トン近いその巨体は生まれて初めて重力にさらされる。

700メートルの自由落下、東京スカイツリーからの投身に等しい衝撃を受け止めたのは、しかし海水ではなく。


やはり、氷の地面だった。


空気中に投げ出された恐怖や、エラ呼吸ができない苦痛を感じる間もなく、船喰はその硬く冷たい地面に激突!

おそらくは生まれて初めて自身の体重を受け止めた結果、当然そんな衝撃に耐えられず、まるで地面に熟れきったトマトを叩きつけたような、そんな水っぽい破裂音を冷たく響かせながら、船喰の体組織は圧壊、爆散する。

その深いひつぎの底に残ったのは、赤黒い水たまりのような死骸だけだ。


本来はあり得ない、海の中での転落死。

身をもって知るは重力と、奈落のくらさ。


棺浪グレイフォール


それは浮力の簒奪さんだつによって現れる、青く冷たい棺なのだ。





「「……」」


背後、海に大きく空いた穴を見て、大きな声を上げた者はいなかった。

竜魚、人魚、人攫、赤潮、狙撃、船喰……。

多くの超常と天変、異様と威容に慣れた乗船員たちですら、その長方形に海がくりぬかれたような光景は脳が理解しきれないものだったのだ。


肉片と、木片。

大波を防ぐため静かに消失させた分の水を戻すと、再び重力のかせから解放された船喰と……『空の精霊号』の破片が浮き上がってくる。

それと同時に、無傷で済んだ『青の歓声号』の上では名前に恥じない歓声が爆発した。


先程までの戦いが嘘だったかのように、海は静けさをとり戻す。


彼方で浮かび続ける破片には、早くも小魚が群がり始めていた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 支配領域がどんどん広がってますし、将来的には対象の360度からウォータージェットもしくは氷を混ぜたアブレシブジェットを乱射するようになるんだろうか。もはや回避も防御も無意味な事になりそ…
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