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クール・エール  作者: 砂押 司
第3部 アリスの家族

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王の航路 中編

まず、竜魚の頭と尻尾は切断した後、適当なブロックに切り分けて【青殺与奪ペイルリーパー】で凍結させ、船の甲板上の片隅に積んでおく。

次に氷棺を90度移動させ、首の断面から皮と肉の間に【白響剣ソー】を突き込み、貫通させる。

そのまま氷棺ごと竜魚を回転させ、かつらきの要領で青くプラスチックのような感触の鱗に覆われた皮をぐ。

裁断した皮は壁紙のように丸めて適当に裁断し、やはり頭と尻尾と同じく凍結して甲板に転がしておく……。


そこまでが終わった段階で、俺の目の前で氷棺に浮かぶ竜魚は完全な肉の塊となっていた。

ピンク色の10メートルほどの楕円柱、その腹を縦に切り開いて内臓が重力に任せて海に落下するのを見送る。

さらに、胴体の最も膨らんだ部分を選んで5メートル分だけを切り分け、残りの肉も海に放り込んだ。

海の中、3メートル前後の他の肉食魚やアザラシっぽい何かがその残骸に群がりだすのを【水覚アイズ】の片隅で認識しながら、俺は目の前に浮かぶ氷棺の一部を水に変えてそれを筋肉に無理矢理浸潤させ、徹底的に血抜きをする。


俺が中空に浮かぶ竜魚を【白響剣ソー】の甲高い金切音かなきりおんと共に分解していく一方で、アリスは皿と調味料の準備にとりかかっていた。

甲板の端に無造作に置かれた、アリスが持ち込んだ1キロほどの土が入った布袋。

その前でアリスが【生長グロー】を発動させると、中からは1本の木が2メートルまで伸び上がり、すぐに50センチほどのササのような形の巨大な葉を茂らせる。

涼しい香りのするその葉をブチブチとむしり取ったアリスはそれを甲板に並べ、甲板の上に即席の大皿を準備した。


続けて、アリスは【腐植ラス】を発動。

葉をむしられた木は瞬時に腐食して土へと還り、袋の上には腐葉土の山ができ上がる。

そのフカフカとした土にはまた1粒の種が落とされ、【生長グロー】を受けて発芽、伸長。

ポーチから取り出した皮袋の中を覗きこみ、次に使う種を探しているアリスの前で、それは高さ1メートルほどまで伸び上がり、枝の各所でレモンのような黄色い果実を丸く実らせていた。


船の上さえも森に変えられそうな恋人の姿に小さく笑みを浮かべながら、俺は眼前で水を赤く汚す5メートルの肉に視線を戻す。

血抜きし、余計な水分を消失させた肉塊を緑の皿の上に乗せ、俺たちのあり得ない調理光景に半笑いになっているバーニー、この船の料理係が持ってきた木のボウルを受け取った。

船の外から適当に海水を持ち上げボウルの上で水だけを消失させるとサラサラと雪のように、白い結晶がボウルの底に降り積もる。

やや粒の大きな、ミネラルたっぷりの天然塩。

これをバーニーと手分けし肉の表面に刷り込んでいると、アリスがこちらへ歩いてくる。


その両手に握られた数種類のハーブからは、ちぎりたて特有の青い香りが漂っていた。

肉の上で開かれるアリスの両手から土の袋の方に目をやると、いつの間にかレモンの木は輪廻の道を踏まされており、その上は小さなハーブ園の様相を呈している。

パセリ、ローズマリー……くらいしか俺はわからなかったが、全部で5、6種類くらいだろうか。

無表情かつ無造作にちぎり取られたミックスハーブが肉に振りかけられると、甲板に漂っていた鉄臭さと生臭さは急激に薄くなっていった。


……意外と、長かったな。


その長かった下準備が終わった段階でペタリと、俺は竜魚の一部だったものに素手で触れた。

今や丁寧に血抜きされ、塩とハーブに彩られたピンク色の肉の中の全ての水分を掌握し、【青殺与奪ペイルリーパー】を発動。

全体の6分の1程度、可食部率40パーセント以下。

それでも5トンを軽く超える肉の塊は、ものの数秒で芯から蒸し上がった。


最後にアリスとバーニーが手分けして、白く変色し湯気を上げている肉の上からレモンの輪切りをばらまいていく。

鳥肉が熱されたような肉と脂の力強い香りと、火が入って穏やかになったハーブの香りに、さらに鮮烈な黄色い香りが重なった。


「じゃあ、食おうか」


竜魚のハーブ蒸し魔王風 ~天然塩とレモンを添えて~


アリスとバーニーが布で手を拭いている光景から周囲に集まっていた50人以上の人間に振り返り、俺は料理の完成を宣言する。

航海初日の少し早目の夕食のメニューは、ワイルドかつワールドクラスな一品となった。





結論から言えば、竜魚の味はグリッドを大味にしたような感じだった。

鳥肉とブリとゼラチン質を足して、3ではなく2で割ったような味、だろうか……。

決して不味くはないのだが、期待していたほどの味ではない。

少なくとも、今後竜魚を倒してまで味わう価値はない。

ハーブとレモンで、かなりポイントを稼いでいる感じだ。


「普通、だな」


「うん、普通」


「他の調理法の方が良かったかな……」


「カラアゲ」


アリスとしても同じ感想らしく、俺と見合わせたその緑色の瞳には軽い落胆が映っている。

唐揚げ、ソーセージ、ハンバーグ……。

意外にも肉料理、それも油と香辛料を多用した味の濃いものが好きなアリスとしても、やはり物足りないのだろう。

後は単純に、ミレイユとロザリアのハイレベルな料理の数々に、俺たちの舌が肥えてしまっただけの話だ。


「唐揚げね……薄味にして、それを甘辛い餡で絡めても旨かっただろうな。

後は、香味野菜と一緒に炒めるとか?」


「うん」


「……太るぞ?」


「太らない!」


軽く頬を膨らませたアリスに苦笑しつつ、俺は自分の皿を置いて立ち上がる。


うん、アリス。

本格中華はまたウォルに帰ったときにでも作ってやるし、無言でニワトリの唐揚げにかぶりついて少しだけニヤけていたお前も、俺は好きだけど。

……肥えるのは、舌だけにしてくれよ?


一方、予期せぬ形で新鮮な肉、それも希少食材と言ってもいいAクラスの魔物の料理にあり付けたことで、他の乗船員たちのテンションは高かった。

確かに竜魚など人生で1度だけ食べられる機会はあっても、食べる機会はまずないだろうし、何気にレモンのような生の果物は高級品だ。

年配の船奴の面々は当然として、船員や冒険者たちも舌鼓を打っている。

何より、事故や遭難に備えてギリギリまで節約するのが基本の船上食において、備蓄を気にせずお腹いっぱい食べられるという点は高ポイントなのだろう。


尚、誤解のないように言っておくが、護衛である俺とアリスにこの船での食事の面倒をみる必要や義務は一切ない。

今回の俺の行動は「サービス」、すなわち「投資」と呼ばれる行動だ。

まぁ、素直に「親切」だと言ってもいいのだが、どちらにしても意図するところと結果は同じである。


善悪論と同じ……というか。

要するに船員と乗員、つまりは商人と冒険者に対する『魔王』と『魔王領』のイメージ良化策の一環で、正直に明かせば他意「しか」ない行動だった。

あるいは、「買収」か「懐柔」と言い換えてもいいが、結局のところこれらの行為の意味するものは「投資」という単語に集約されると思う。


まぁいずれにせよ、俺たちとウォルのこれからを考えて各港湾都市やネクタとの関係を深めていかなければならない中で、この船の船員、乗員たちと親交関係を築いておくことはその第一歩だ。

狭い空間で約20日間も共に生活する中、この機会は最大限に活かさない手はない。

それに初日のこの瞬間なら、普段印象の悪い人間が優しく振舞うと勝手に、しかも実際以上に好印象を抱かれるという、イメージの相対的な差異を利用した詐術もはたらかせることができる。


『魔王』=意外と優しい、『魔王領』=じゃあ、意外といい所?


全員のタンブラーに水を注ぐだけでそんなイメージが捏造されるのならば、むしろこれは費用対効果に優れた格好のプレゼンの場だ。

キューブアイスも放り込みながら、俺は努めて笑顔で会話の輪に入っていった。


……ああ、表情筋が痛いな。

















「しかし、まさか竜魚を倒せる、……いや獲れる人間がいるなんて思いもしませんでしたよ。

本当、珍しいものを食べさせていただきました。

帰ったら、商会長に自慢できますね」


「思ったほど旨くはなかったけどな」


その日の夜、隣のベッドで熟睡するアリスに対してなかなか寝付けなかった俺は、夜風に当たろうと外に出たところで船長のザザから晩酌の誘いを受けた。


ザザ=レビック。

数十人ほどいるイラの孫の内の1人で、『青の歓声号』とその取引の全てを任されている若き責任者だ。

とは言えただのお飾りというわけでは決してなく、その線の細い体にはあの『商売の大精霊』から25歳の若さにして大陸間貿易の全てを任されるだけの風格が宿っている。

壁の一面を隠す本棚と大きな机、地図に海図、吊皿天秤……。

船の奥、やや豪華な造りとなっている船長室の応接テーブルを囲み、笑みを浮かべたザザの正面で俺はタンブラーを傾けた。


「ハハハ、貧乏舌のオレには充分な御馳走でしたけどねぇ。

まったく、オレもこの仕事は長いですが、こんなに安心できる航海は初めてですよ。

……ああ旦那、ほら、もう一杯どうぞ」


操船実務の責任者であるコーザックも途中から加わり、男3人の会話は和やかに進んでいく。

注がれる琥珀色の酒は非常に乱暴な風味で、普段アリスと楽しんでいる果実酒とは違いかなり度数も高かった。


「それにしても……、今まであんな化け物がいる海を何度も往復して、よくこの船は無事だったな。

普通の魔導士が護衛について、あんなのに対処できるのか?」


船の100メートルほど下を王のように悠々と通過した、20メートルくらいの竜魚。

その竜魚とたった今、死闘を繰り広げ始めた30メートルを超えるイカ。

そのはるか下、我関せずと海底を闊歩している体長50メートル以上の岩山のようなカニ。

おそらくはその全てを見渡しているのであろう、全長200メートルほどはありそうな人間型の気色きしょくわるい……クジラ?


ザザとコーザックと会話をしながらも、俺は【水覚アイズ】に映る船の底板の下、あまりに大自然すぎる海の中の光景に、小さく嘆息していた。

もちろん、別にこちらに襲いかかってくるわけではないので放置しておけばいいし、いざ戦っても普通に勝てるのはわかっている。

が、だからと言って枕を高くして眠れるか、平静でいられるかと言われれば、それはまた別の話だ。


この心臓に悪い環境下、自分のタンブラーの中に水を足しながら俺がザザにこぼした言葉は、当然湧き立つ疑問である。

今日の竜魚にしても、俺がいなければこの船は初日で沈んでいたのではないのだろうか?


「……正直に言いまして、今日のは無理だったでしょうね」


対してザザは苦笑いを深め、その疑問にあっさりと否定の言葉を返した。


「私どもの商売は『9の8』、10隻が国を出発してネクタに到着するのが9隻、その9隻がネクタを出て国に帰れるのが8隻、といった具合ですから……。

商会長にしても死にかけた数は両手の指じゃ足りませんし、私にしてもコーザックにしてもそれは同じですよ。

もう少し小さな魔物や海賊くらいなら魔導士の10人もいれば何とかなりますけど、結局はそもそも遭遇しない運と読みですね」


「違いませんねぇ……」


「……」


「ですが、だからこそ儲かります」


ザザの隣に座るコーザックも深く頷いたのを見て、おそらく俺の瞳には少なからず呆れの色が浮かんでいたのだろう。

正面に座っていた若き船長は笑みの質を明るいものに変えて、熱っぽく語りだす。


「恐くないと言えば嘘になりますし、陸にいる妻や息子たちもさぞ心配だろうと思います。

でも、関係を築くのが難しい森人エルフとの交易は、誰でもできるわけではありません。

商会長が父に、父が私に引き継いだネクタとの信頼関係は、私が守るべきものです」


ハイリスク故のハイリターン。

歴史を預かる、自信と誇り。

アルコールの勢いもあり、ザザの顔は使命感に溢れる。


「そんなネクタとの貿易だからこそ、莫大な利益を乗せられます。

紙、霊墨イリス、薬、果物、魔物の素材……。

どれもネクタ以外では手に入りませんし、大切で替えのきかないものです。

一族の歴史と私どもの命の分も合わせて、必ずアーネルのためにも持ち帰らなければなりません。

それが……イラ商会の一員で、この船を任された私の使命です」


「……そうか」


言葉を結んだザザは、タンブラーの酒を一気に飲み干した。

自分の右手のタンブラーの中の液体を揺らしながら、俺は短くそれだけを返す。

共感できるかと言われれば難しいが、理解はできた。

ザザには、そして彼を長年に渡って支えるコーザックには、彼らが誇り、そして信じていることがあるのだ。


……もしかしたら。

俺とアリスのやろうとしていることも、他人からすれば共感できず。

それこそ、狂っているように見えるのかもしれないな。


「とりあえず、俺も自分のやるべきことはやるつもりだ」


ザザに酒を注ぐコーザックを見ながら、俺もタンブラーに口を付ける。

乱暴な風味の酒ではあるが、俺は決して嫌いではなかった。





「ああ、それは『海王かいおう』がいるからですよ」


「……『海王』?」


ネクタで売るものは何か (ザザからは「今回は干し肉、霊墨イリス陣形布シール、薬、衣類、装備品などです」と返された)、交渉相手はどんな森人エルフか、海賊に襲われたことはあるのか……。

カイラン南北戦争で10万人を一撃で倒したというのは本当か、無口だがアリスはどういう性格か、ウォルとはどんなところでどういうものが必要なのか。

互いにある程度打ち解け、それぞれが話題と好奇心の赴くままに質問をし、ちょうど2本目のボトルの封が切られたところで、ザザの口からその単語が出た。

俺がザザから見せられた海図とそこに記された予定航路を見て、どうしてこれほど北に迂回するのか、と質問したときだ。


「カイラン大陸中央部とネクタ大陸の間の海、この辺りに住んでいるという伝説の怪物でさあ。

島のように大きいヘビだとか、タコだとか言われてますけど、オレも見たことはありません。

そいつがいるせいで、こんなに無駄な航路を取らなければいけないんですよ」


首を傾げていた俺が海図をテーブルに置くと、コーザックが年季の入った海図に指を置く。

ちょうどカイラン大陸の真ん中、国境であるウォリア高地とネクタ大陸の北端を結んだ線、その中央あたりのかなり広い範囲の海をグルグルと指でなぞった。

続いてアーネルポートからカミラギノクチまで、その範囲の海を避ける形で北東から南へ、つまり上向きの大きな曲線を描いて指は滑っていく。

目測で行けば、直線の場合の2倍近い距離だろうか。


「私どもも見たことがあるわけではありませんが、実際にこの海域を通った船のほとんどは港に着けません。

一応、商人ギルドの本部からSクラスの討伐案件として依頼が上がっていますけど、結局は正体も含めて不明なんですよね……」


コーザックとザザのやや投げやりな説明を受けながら、俺は微妙な苦笑いを浮かべていた。

数十メートル、あるいは数百メートル程度の生物なら、さっきから何度も感知している。

シーサーペント、あるいはクラーケン。

この世界なら、むしろ普通に実在していそうだ。

……いや、間違いなく実在しているだろう。


「旦那なら、倒せますかね?」


「……どうだろうな」


酒の席での軽口としてコーザックが俺の顔を窺い、サイズにもよるな、と俺は返す。

コーザックも言いだしながら本気ではなかったらしく、肩をすくめた俺にザザが苦笑いを返し、結局その話題は終わりとなった。





30分後、部屋に戻った俺は服を脱いで下着姿になった。

シャワー室を作って下着のまま入り、熱い湯で全身を洗う。

ついでに【精霊化】でアルコールも分解し、アリスの眠る隣のベッドにすっきりした体を横たえて、静かに目を閉じた。

領域内を行き交う巨大な魚影は相変わらず気になったが、まぁ2、3日中に慣れるしかないだろう。


しかし……。


アリスも、エレニアたちも。

よく、海を渡る気になったよな……。

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