ショート・エール リーディング
『クール・エール』はR15作品です。
「っっっっ!!!?
……い、いらっしゃいませ」
提示された自陣片、そしていつもの黒ずくめの俺を見て一瞬息をのんだ元騎士の警護は、しかしその表情筋を総動員して笑顔を捏造し、俺たちを迎え入れた。
前を横切る俺に対してもそうだが、いまや世界3位の魔導士となったアリスが通過する瞬間にも、その強張った表情は解けない。
むき出しの警戒心と恐怖心を向けられたアリスも固い顔をしているが、もうこればかりはどうしようもなかった。
せいぜい自分が危険人物なのだと認め、徐々に慣れるしかない。
【死波】を使って以来定着してしまった『魔王』という俺の二つ名に対する反応は、これがデフォルトだ。
そして、俺たちが2週間に1度程度の休暇を取るようになってから順調に増え続けたアリスの魔力は、既に35万に達していた。
元3位のマモーをあっさりと抜いて、登録されている中ではフリーダと俺に次ぐ世界3位に躍り出てしまったアリスには、現在『魔王の恋人』というド直球な二つ名が付けられている。
誰がそう呼びだしたのかは知らないが、結果としてアリスは色々な意味で有名な存在となってしまっていた。
尚この二つ名、事実なので今更否定するつもりはないのだが、万が一俺たちが破局した場合はどうするつもりなのだろうかと思わなくもない。
……まぁ、俺としては考えたくもないことだが。
安全保障の観点から吹聴するつもりのなかった俺とアリスの関係だが、もはやこうなってしまえば隠蔽する意味もない。
逆に俺がアリスを大切にしていることを見せつけた方が、妙なことを考える輩への牽制になるかもしれない。
そう開き直り、王都やラルクスの往来でも腕を組んで歩くようになった俺たちの姿は、いつしか『史上最強のカップル』とも呼ばれるようになっていた。
「い、いらっしゃいませ、ソーマ様、アリス様」
慌てて奥から挨拶に出てきた老店長に返礼しつつ、俺とアリスは店の中を進む。
……とりあえず、マナーよく買い物を済ませてさっさと退散することにしよう。
それが俺たちのためでもあり、この店の人間のためでもあり、おそらくはアーネルのためでもある。
ちなみに、俺たちが今入ったのは王都アーネルの中央大通り沿いに店を構える『知識の連環』という国内最大の書籍専門店。
つまり、本屋だ。
今更だが、この世界には電気がない。
必然、テレビもパソコンも携帯電話もない。
そんな環境の中で人々の娯楽と言えば、ボードゲームやカードゲーム、公衆浴場でのおしゃべりに酒と恋。
そして、本である。
ただし、この世界では本は非常に高価な物なので、読書を趣味とできるのは王族と町の有力者、商人や腕利きの冒険者、後は紙を製造しているネクタ大陸の森人くらいだ。
厚い和紙のような紙に活版で文章が、木版で簡単な絵が印刷されているのだが、6ページしかないようなペラペラの絵本でも金貨1枚、木製の表紙が装丁された小説 (それでも50ページくらいだが)ともなると、金貨10枚くらいからが相場となる。
当然ながらその本を扱う本屋は全ての商店の中でも最高ランクのセキュリティを敷いており、その光景は元の世界の宝石店に近い。
元騎士や元冒険者を警護として何人も雇い、入店の際の自陣片の確認も厳格だ。
そもそも値段が値段だけに、誰もが気軽に利用できる種類の施設ではなかった。
さて、そんな本屋に俺たちが来たのは今日が2人の休暇で、アリスの買い物に付き合うためだ。
基本的に自分のために浪費はしないアリスが唯一財布の紐を緩めるのが、本を買うときだった。
ネクタ大陸の出身であるアリスの実家には、元々相当数の本が置かれていたらしい。
ウォルの運営が一息ついてからは、カティを傾けながら部屋で静かにページをめくるアリスを見る機会も多くなっている。
ちなみに俺の方であるが、元の世界にいたときの趣味はネットサーフィンと電脳辞書のリンク先巡り、そして町や文明を造るシミュレーションゲームだ。
アリスがページをめくる隣でせっせとウォルの地図や名簿、出納帳や事業計画書を作っているのが、最近の俺の日課だった。
港の開発や各種職人の誘致、住民の教育カリキュラムの策定などやることはまだまだ山積しているが、それを考えるのが楽しい。
人生、学んだことの何が役に立つかは本当にわからないものだ。
……脱線したな。
入口を過ぎた後、俺は足を止めてアリスに道を譲った。
1ヶ月に買う本は2冊まで、とマイルールを定めているアリスが本を選ぶ姿は非常に真剣で、後ろから見ているとなかなか興味深い。
中央の台で各5冊ほど平積みされた新刊の表紙をゆっくりとチェックし、少年魔導士を主人公にした冒険小説を手に取ってパラパラとめくり……そのまま戻す。
どうやら、お気に召さなかったらしい。
次は隣の、架空の国家の王宮を舞台にしたサスペンス小説を手に取り……同じ動作を繰り返した。
まぁ、俺が見渡した限り恋愛ものの新刊は出ていないようだから、多分この台のものを買うことはないだろう。
やがて、見立て通りに台から離れたアリスは、壁に3メートルほどの本棚がぎっしりと並べられた店内を迷いなく進み、赤やピンクの文字が躍る棚の前で立ち止まる。
「……」
口元に左手を当て、怜悧なエメラルドのような瞳でその棚の最上段を左端からにらみだした恋人の姿をみとめて、俺はその場を後にした。
興味深いのは興味深いのだが、こうなると長くなるのもまた常だ。
話しかけたところでおざなりな返事しか返ってこないのもデフォルトなので、俺は俺で見て回っていよう。
……1時間くらいで終わってくれるといいのだが。
が、結局俺がアリスと店を出てラルクスに転移できたのは、それから2時間後のことだった。
俺とアリスの定宿となっている猫足亭であるが、現在この宿屋は冒険者ギルドの真向かいに位置することもあって、ラルクスで最も繁盛している店となっている。
この宿屋に泊まって女将特製のサンドイッチを食べれば、冒険者として大成できて精霊と契約できて可愛い恋人もできる。
そんな、あまりに無責任で好都合な噂が冒険者の間で流れているのも、その原因の一端だろう。
当の女将のメリンダと夫のバッハも大概で、噂を否定するどころか、先月からは「水の大精霊様御用達!!」と堂々と看板に書きたしている。
例の2人部屋を俺たちの専用として常に空けておいてくれる、ということで一応許諾したのだが、最初に発見したときにはさすがに顎が外れそうになったものだ。
が、そんなメリンダの豪胆な笑顔とバッハの静かな笑顔が今の俺たちにとって心地よいのも、また事実ではあった。
テレジアですらどこかよそよそしくなってしまった今日この頃、アーネル国内で俺に軽口を叩けるのはもうこの2人しかいない。
何より、やはり思い出の場所ということもあって、俺もアリスも猫足亭には並々ならぬ愛着がある。
王都で用事があっても泊まるのはラルクスの猫足亭、というのが俺たちの定番コースだった。
「お帰りなさい、魔王様、恋人様」
「普通に呼べよ」
「メリンダ、お願いだからやめて……」
「冗談だよ、ソーマ君、アリスちゃん」
「本当に……いい根性だな」
「今になったからこそ、あなたの凄さがわかる」
「前も言ったろ、2人とも。
商売人なめんじゃないよ?」
例によって公衆浴場から戻ってきた俺たちを、例によってメリンダが冷やかした。
笑いながら渡されたメニューを、呆れた表情のアリスが受け取る。
苦笑いする俺にもメニューを渡しながら、メリンダはカラカラと笑っていた。
実際この短いやりとりだけで、俺たちが入店したことによって凍りついた店内の空気を瞬時にとかすのだから、メリンダはたいしたものだと思う。
「とりあえず、メニューのここからここまで。
あと、グリッド炒め」
「果実酒をボトルで、それから野菜塩漬けの盛り合わせも」
「あとは、ウサギの燻製が今日のオススメだね。
軽く炙るだけだから、これも早く出せるよ」
「「じゃあ、それも」」
「はいよ」
最後は声を揃えて注文した俺たちにニマりと笑いかけた後、メリンダは奥へ引っ込んでいく。
バレッタで髪をまとめているアリスの深い森の奥の大樹の葉のような、深い緑色の瞳を何ともなしに眺めていると……。
ふと、その瞳がこちらを向く。
「仲がいいねえ」
無言でやわらかい微笑みを交換する俺たちの中央にボトルとタンブラーを置きながら、メリンダはまた笑った。
バッハの紳士的な笑顔に見送られながら部屋に入った俺たちは、いつも通りネクタの果実酒をチビチビと飲みながら、王都で買ってきた本をそれぞれ読んでいた。
ちなみにラルポートでエレニアたちと飲み明かしたときに知ったのだが、このネクタの果実酒、酒としてはかなり度数が低いものらしい。
水で割らないと飲めないのは、単純に甘すぎるためだ。
これまではいくら飲んでも酔わないので不思議だったのだが、同じネクタ産の蒸留酒やサリガシア産の氷火酒という酒ではきちんと酔ったので、その辺りは気をつけなければならない。
まぁ、幼くなって甘えてくるアリスは可愛かったし、【精霊化】すれば一気にアルコールを抜くこともできるからそれほどデメリットはないのかもしれないが。
そんな、酒というよりはシロップの原液に近い果実酒であるが、俺とアリスにとってはお楽しみの前の食前酒的な位置づけとして、部屋に1本だけ持ち込むのがもはや恒例となっていた。
気分的なものの他にも、食事をある程度消化できるまでの時間潰しとしてちょうどいい量だというのもある。
食べてすぐに激しく動くと (特にアリスの方は)気持ちが悪くなってしまうからだ。
何より、雑談に興じながら2人きりでタンブラーを傾けるその時間もまた、俺たちにとっては楽しいものだった。
ただ、今日に関しては俺たちの間に会話はない。
マントを外し黒の上下だけになった俺はベッドの上で壁にもたれかかりながら、同じくバトルドレスだけになったアリスはイスに座ってテーブルで、ページをめくっている。
分厚い紙をめくるバラリという乾いた音だけが規則的に、俺たちの専用室となった2人部屋の中で響いていた。
本屋で2時間を費やしてアリスが買ったのは、とある恋愛小説の第3巻だ。
アリスが買う本の9割は恋愛小説なので、これは特に驚くべきことでもない。
実の恋人をほっぽらかして紙の上の恋愛に没頭されている現実に何も思わないわけでもないのだが、だからといって何かを言うほど狭量でもないつもりだ。
たとえその内容が、土属性の上位精霊と新米騎士の間で揺れ動く女冒険者を描いた三角関係ものだとしても。
ウォルの俺たちの部屋には、あれの1巻と2巻がある。
興味本位でアリスに借りたこともあるが、1巻の中盤で俺は挫折した。
そもそも生物ですらない上位精霊が、人間を愛することはあっても恋をすることはあり得ない。
騎士見習いとCクラス冒険者なら間違いなく後者の方が収入が多いのだが、その辺りもどうなのだろうか。
余計な部分ばかりが気になって、どうしても集中できなかった。
まぁ、アリスが面白いと思うなら、別に構わないのだが……。
その一方で俺が読んでいるのは、小説ではなくサリガシアで発行された料理のレシピ集である。
アリスとは対照的に、俺が買う本は地図や紀行文、霊術辞典や図鑑などの実用書ばかりだった。
正直、こちらの小説はジャンルに関わらず読んでもあまり面白くないし……。
だいたい、ファンタジーは現実で間に合っている。
自虐する俺の両手の中では根菜のシチューの説明が終わり、続けて魚料理の説明が始まっていた。
……生魚を使った料理は、やはり海魚を使ったマリネしかない……か。
軽い落胆を覚えつつも、文字列と簡単な図解のみによる調理工程が、俺の眼前では展開されていく。
塩焼き、ソテー、水煮、酒蒸、素揚げ、スープ……。
この項目もやはりシチューで締めくくられたところで、本を閉じたアリスがバレッタを外して髪を下ろし。
そして、イスから立ち上がった。
「料理本なんて読んで、面白い?」
「それなりに」
俺の左隣に、サンダルを脱いで裸足になったアリスが座る。
ベッドの上で足を投げ出した俺にもたれかかりながら陶磁器のような白い足を抱えたアリスは、しかし微妙な表情をしていた。
まぁ、俺がアリスの読んでいた小説に興味がないように、アリスも自分が苦手な料理のレシピ集を見ても読む気が起きないのだろう。
だが、料理というのは人間にとって最も身近な科学であり、言ってみれば数式のようなものだ。
決められた材料を、決められた量だけ用意し。
決められた順番で、決められた形に加工し。
決められた時間だけ、決められた温度で処理をする。
先人たちの度重なる苦労と失敗の末に洗練され尽くしたそれはある意味で、完全に証明された数式、定義にも似ている。
1と1を足せば2にしかならないのと同じで、決められた手順をきちんとなぞればその通りにでき上がるように、いや、むしろきちんとしたものしかでき上がらないようになっているのだ。
しかし、料理ができない人間は総じてその数式を否定し、自分の感情を優先する。
1+1=2だと認めない限りは、絶対に何も始まらないのに、だ。
「一緒に読むか?」
「……いい」
俺の申し出に軽く頬を膨らませたアリスも、残念ながらこの点に関しては自分の感情を優先する人間だった。
俺が持っていた本を左手で押さえ、……そのまま俺の口元に軽くキスをする。
相手をして、ということだ。
いや、俺としてもアリスから求められることは純粋に嬉しいし。
上目づかいで見つめてくる緑色の瞳と唇のやわらかさは、それぞれ俺の理性にひびを入れてくれやがるし。
このまま抱きしめて、押し倒したい。
……の、だが。
「これなら、お前にも作れる……と思う」
「……」
そのままアリスの体に左腕を回した俺は、誘いをかわされてぶすっとした表情になった恋人を自分の前に座らせた。
せめてもの抗議と言わんばかりに背中越しに俺に全体重をかけてくるアリスに開いた本を持たせ、そのお腹に両腕を回した俺はアリスの左肩に顎を載せて共にページを覗き込む。
肉料理のその1、ステーキの焼き方だ。
ただし、この世界ではサリガシアの一部にしか生息していない牛を使ったものではなくより一般的なボアを使ったもの、つまりはトンテキである。
「音読して」
「いや」
「音読して」
「いや」
「音読して」
「……うぅ」
声に出して読むことが、学習の第一歩だ。
本を持たされたまま横目にらんでくるアリスの目元にキスを返すと、ようやく抵抗を諦めてくれた。
まぁ、こういうときに俺が絶対に行動を変えないのは、アリスも散々思い知らされていることだろうしな。
ただ同時に、アリスが本気で怒っているわけではないことも俺にはわかっている。
言ってみれば、これは恋人同士のじゃれ合いみたいなものだ。
が、いずれアリスに料理ができるようになってほしいというのもまた、偽らざる俺の本心である。
ステーキとは言え、適当に焼くのと手順や時間を守ってきちんと焼くのでは全くでき栄えが違う。
ウォルに帰った後に火さえ準備してやれば、きっとアリスにもその違いと料理ができる悦びがわかるようになるはずだ。
そのためなら、俺は何も躊躇わない。
不満そうなアリスの声が淡々と流れ出すと同時に、俺は行動を開始した。
「肉は薄い赤色で鮮やかなもの、透明感があってつやのあるものを選ぶ。
適度な弾力があり、良い香りのするものを選ふうぅぅっっ!!!?」
俺が目の前の瑠璃色がかった銀髪をかき分け、その先の白いうなじに鼻を埋めて深くその香りを吸い込むと、アリスは大きな声を上げて首をすくめた。
そのまま前に体を離して振り返り、目を丸くしているアリスを引き寄せて、俺は再度アリスの首筋に顔を密着させる。
深い森の中にいるような、清々しく仄かに甘い心を落ち着かせる香り。
窒素4、酸素1、アリス5くらいの割合で肺に空気を取り込む俺は、脳髄が痺れるような安息感を得ていた。
「ソ、ソーマ、何してるの!?」
「適度な弾力があり、良い香りだということを確かめてる。
色はこれから赤くなるだろうし、透明感もつやもあるから大丈夫」
暴れるアリスが、わかりきったことを聞いてくる。
それを押さえ込む俺は、わかりきった答えを返してやった。
「……馬鹿なの!?」
「大真面目」
「馬鹿……!」
この世界に来てからもうかなりの月日がたち、今では俺もそれなりの筋力を有している。
少なくとも、前に座った状態の恋人を逃がすほどではない。
髪、頭、耳、頬、うなじ、首筋、肩、二の腕、バトルドレスの隙間から背中……。
公衆浴場で使われている石鹸の香りと、森のような清々しい香り、そしてわずかな汗の甘い香り。
「とても良い香りでした。
……じゃ、早く次読んで」
俺がアリスを堪能すること数分後、途中で暴れることを諦めて大人しくなっていたアリスからは大きな溜息が返ってきた。
のろのろと本を拾ってバラバラとページをめくり、疲れたようにその次の文章を読む。
「はぁ……、肉を叩きながら、手で形を整えりゅっ!?」
ペチリ。
アリスの白い太ももに、ふれるようにゆっくりと俺が手を当てた衝撃で、アリスはまた噛んだ。
ペチリ、ペシリ、ペチリ、ペシリ……。
太もも、ドレス越しにお尻、二の腕、ドレス越しにお腹……。
2種類の音を立てながら規則的に俺の手がアリスに当てられる。
「うぅ……、ソーマ……!」
さらにその合間を見ながら、俺はバトルドレスの各部のボタンを順番に外し、やがて大きく広がったその隙間から両手を侵入させた。
「手で、形を整える」
「ふぅっっ……、ふゎあっっっ……、うぅ……、ふわぁっ……!」
肩、最近少しサイズが増した胸、脇腹、お腹……。
しっとりと汗ばみ、熱をもったドレスの中で、俺の両手と10本の指はゆっくりと動き回る。
この本には書いていなかったが、肉を焼く前は常温に戻しておくのが上手にステーキを焼くための鉄則だ。
まぁ、この温度ならむしろ高すぎるくらいだろうが。
じっくり15分はアリスを揉み込んでから、俺はアリスに次を促した。
だらりと俺にもたれかかり、荒く息をしていたアリスは、のろのろと体を起こして本を手に取る。
腕に力が入らないのか、やけに本が重そうだった。
「肉の各部の、筋を切る…………あっ……」
俺がアリスの首と左肩の間を甘噛みした瞬間、アリスはまた本をとり落とした。
その二の腕から手首の方へ、手の甲から5本の指先まで。
そのまま右手の指先に移り、手から腕、肩から首へ。
ついばむようなキスも混ぜながら、左右の腕に唇と歯を当てていく。
アリスの甘い香りとしっとりと桜色になった肌、かすかに感じる塩味を愛でながら俺はアリスの首元、頸動脈がある部分に強く吸いつき、赤いキスマークを残した。
アリスの頭を左腕で支えたまま、そのまま喉、くつろげたドレスの首元を下にずらして鎖骨にも歯を当てる。
最後にアリスの口元に唇を近付けると、顔を起こしたアリスの方から俺の首に両腕を回し、舌を入れられた。
ねっとりと舌を絡ませながらそのまま俺をベッドに引きずり込もうとするアリスの攻勢に耐え、しかし俺は恋人を引きはがす。
俺にもたれかかる元の姿勢に戻されたアリスはぼうっとした表情をしつつも、しかし何も言われなくても自分から本に手を伸ばしていた。
俺も、そんなアリスの頑張りに、丁寧に応える。
「……塩と、香辛料を肉に振り、……まんべんなく、すり込む…………うぁあ……」
指がふれるか、ふれないか。
そんな微妙な刺激を両耳に走らされたことで、アリスは溜息のような嬌声を上げた。
軽くなぞるように、アリスの長い耳に指先を滑らせた俺は、そのまま両手の指先をアリスの全身に走らせていく。
「やっ……あっ……、あぁ……あっっ……、く……あ……、ふぁあ……」
髪、耳から顎のライン、唇、首、肩、二の腕、指、脇腹。
腋の下、鎖骨、胸、お腹、へそ、両足の付け根の鼠けい部、太もも、お尻。
背中を通って、また耳へ、くすぐるように、なぞるように。
じれったさに涙目になるアリスのその涙を、じっとりと汗ばんできたアリスのその花のような甘い香りの汗を。
軽く痙攣しつつ、小さな声を漏らし続けるアリス自身にまぶし、すり込むように。
何度も、何度も、何度も、何度も。
俺の指は、アリスを撫で続けた。
「……あっ、……ソーマぁ、……もう……ぅぅ…………」
俺がそれをやめたのは文字通りアリスが音を上げるまで、時間にして約30分後のことだった。
料理は数式であり、途中式とも言える下ごしらえに手を抜いてはいけない。
材料の確認から始まって、軟らかく食べやすくし、下処理して加工しやすくし、下味をつけて美味しくする。
その全ての手順に意味があり、これを欠いてはならない。
アリスにもそれが伝わっていればいいのだが……。
そして、ここからはその仕上げだ。
クニャクニャになったアリスの体重と、発熱したようなその体温を胸と腕の中で感じつつ、俺は両手を【精霊化】させた。
そのまま後ろから腕をアリスに回し、左手はバトルドレスの隙間から右胸へ、右手はスカートをまくり上げて「下ごしらえ」の間は一切ふれなかった部分を包みこむ。
ちなみに今日の下着は黒の総レース、アリスのコレクションの中では最も過激な部類のものだった。
喜悦に漏れる笑みを噛み殺すことができず、俺はそのまま可愛い恋人を抱きしめる。
粉砕されそうな理性に叱咤激励し、その真っ赤な耳元で唇を開いた。
「読んで、アリス?」
濁った緑色の瞳に涙を浮かべ、上気した体を震わせて浅い呼吸をしていたアリスがその言葉にゆっくりと反応する。
手さぐりで探した本を引き寄せ、次の一文を必死で目で追ったアリスは、しかし。
「……」
そこで、読むのを躊躇った。
「読んで、アリス」
「……ぅぅ……」
「読んで、アリス」
「……に、肉…………」
【精霊化】した俺の両手と、ステーキを作る工程における次の一文。
自分がこれを読み上げることでこれから何をされるのか、正確に理解したアリスは。
躊躇いの後、絞り出すようにその部分を読み上げた。
「……に、肉汁が……表面に……浮かぶ、まで……つ、強い火で……しっかりと、焼…………くぅっっっっ……~~~~!!!!!!!!」
俺の両腕が、痛みに変わる限界の強さで強振動し始めたことで、アリスの体は一気に硬直した。
タンパク質は熱で固く変質するので、この反応は正しい。
まぁ、俺の両腕の温度はきっちり摂氏39度にとどめてあるので、そういう意味では正しくないのかもしれないが。
「~~~~!!!!」
目をぎゅっと閉じて両手で口をふさぎ、それでも声にならない悲鳴を上げているアリスは激しく痙攣している。
たとえ激しい音がしようとも煙が上がろうとも、しっかりと焦げ目がつくまでそのまま焼き続けるのがステーキを焼くコツだ。
表面に肉汁がしっかり浮かぶまでじっくりと焼き、それを待つ。
しっかりと、肉汁が浮かぶまで。
「……、……、……、……、~~~~!!!!!!!!」
やがてアリスは足の先まで反り返らせて硬直し、レシピの内容通りになった。
……そういえば、足の方は「筋切り」をしていなかったな。
そのまま俺が手を離すと、アリスはぐにゃりと崩れ落ちる。
肩を軽く押して仰向けにすると、焦点の怪しい瞳から涙を浮かべて荒く呼吸するアリスの顔は濃い桜色になっていた。
……これ以上レシピを読み上げるのは無理そうなので、ここからは俺が代読しよう。
「ひっくり返し、もう片面を焼く」
そう、ステーキである以上は本来ならば両面を焼かなければならないのだが、……今回は省略する。
既に充分に火は通っているようだし、必要もないだろう。
俺もお腹が空いてきたので、さっさと工程を進めたいしな。
「酒を振って、フランべする」
テーブルに置いていたタンブラーの甘い果実酒を飲み干した俺は、そのままアリスの唇を奪う。
まだ朦朧としているアリスと軽く舌を絡めてから、そのまま上半身を起こした。
「皿に盛り付けて、でき上がり」
ベッドの白いシーツの上に横たわるアリスを見下ろしながら、傍らに座る俺は満足して頷いた。
各部がはだけ、めくれ上がったバトルドレスの隙間から桜色に染まった肌と黒い下着をのぞかせるアリスは、濁りきった緑色の瞳でこちらを見上げている。
湯気が上がりそうなほど上気したその体からは、熱帯に咲く花々のような濃厚な甘い香りを漂わせていた。
我ながら、盛り付けもなかなか上手くいったと思う。
自画自賛して本を閉じ、それをテーブルの上に置いた俺の……。
その服の裾を、アリスの左手が掴んでいた。
そのまま俺を引っ張って自分の上に俺を引き倒したアリスは、さらに両手で俺の首元の生地を掴んで、瞳と瞳が合う位置に俺の顔を移動させた。
徐々に透明感を取り戻していく緑色の瞳には、不満そうな光が浮かんでいる。
服を離し俺の顔を左右から軽く挟む小さな掌は、信じられないほど熱かった。
「ソーマ……!」
「はい」
まぁ、途中からは完全に調子に乗りすぎていたので、お叱りは甘んじて受けるべきだろう。
下からにらむ恋人に体重がかからないようにしながら、俺はアリスの瞳を直視する。
しかし、そうするとその緑色の瞳は困惑したように細められ。
そして、俺の瞳から視線を逸らし。
口を、小さくとがらせて。
「つ、作ったなら……早く、……最後まで食べて」
そう、俺にささやいた。
「……いただきます」
アリスの唇はやわらかく、舌は甘く、口の中は熱い。
完全に理性を焼き焦がされた俺は、ひたすらにアリスを貪った。
与えられ、満たされ、でも……もっともっと欲しい。
そんな想いに突き動かされるまま、俺はアリスを食い散らす。
結局、俺はその夜。
アリスをさらに2回、おかわりした。
ちなみに、後日。
「……どう、ミレイユ?」
「ふふふ、申し分ないですわー」
「やった……!」
何度かの挑戦の後、アリスはボアのステーキを焼くことができるようになった。
「うん、旨いよ、アリス」
「よかった」
見ていたミレイユからも、食べた俺からも、指摘すべき点は特にない。
学習の第一歩たる音読から、学習の最終手段までとった甲斐もあったというものだ。
ミレイユがロザリアに成果を伝えるため席を外した隙に、俺は満面の笑みで喜んでいるアリスに手招きする。
「体で、覚えた甲斐があったな?」
「……!」
その耳元に口を寄せ小声でそう伝えると、アリスは真っ赤になって頬を膨らませた。
……だが。
こちらに戻ってくるミレイユとロザリアの声がだんだん近づいてくる中。
アリスは俺から目をそらしながら、口をとがらせて。
「……今度、オムレツも教えて」
小さな声で、悔しそうに。
そう、俺にささやいた。




