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クール・エール  作者: 砂押 司
第2部 カイラン南北戦争

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ショート・エール 赤は罪より出でて、罰なる証 前編

倒れたルカナが死んでいることに気がついてすぐ。

私は血まみれになった手で、自分の自陣片カードを取りだした。

震える手で、魔力を冷たくて黒い、周囲を包む夜の闇の色のような金属板に流し込む。


ミミカ=エーペリン。


自分の名前が、手についているのと同じ赤字レッドになっていることを確認した瞬間、私は自分の自陣片カードを川に投げ捨てた。

生水ウォプラ】で掌から流れ出した水が赤からロゼ、そして透明に変わるまで、必死で手をこすり続ける。


ルカナの荷物から、血の気を失った彼女の死に顔と同じ白字ホワイト自陣片カードを探して、魔力を流し込んでしまわないように慎重に自分のリュック、その一番底にしまった。

ルカナの服を剥ぎ取り、まだ消えていなかった焚き火にくべる。

手近にあった石で顔を叩き潰したルカナの死体を川に放り込んだとき、燃え上がっていた炎はまた小さく消えそうになっていて。

そして白い灰だけを残して、完全に消えてしまう。


私の未来も、消えてしまった瞬間だった。

















「ルミカさん、起きてください。

面白い話を聞いてきましたよ」


「……へぇ?」


『ストリーム』。

5年前に私が結成した、アーネルの中央部で勢力を拡大しつつある女盗賊団だ。

「アーネルの背骨」と呼ばれる水王山脈、その山中にある私たちのアジトに副団長のガイーユが戻ってきたのは、南北戦争が終わってもうすぐ3ヶ月になろうかという頃だった。


昔の夢から覚めた私に声をかける恋人、普段はぶっきらぼうなガイーユの表情が明るいところを見ると、相当に面白い話らしい。

半年前にはラルクスの近く、北部森林を根城にしていた「フレイム」がいきなり壊滅させられたりと、最近はこの業界でも景気の悪い話が続いている。

南北戦争が終わってやることのなくなった騎士隊や冒険者たちが頻繁に魔物退治に出歩くようになった今、もう山を越えて西側、悪名高い「竜の巣」近くに拠点を移そうかと思っていたくらいだ。


交流のある他の盗賊団との情報交換に向かわせていたガイーユが持ち帰ってきた儲け話は、しかし、それを躊躇わせるくらいの素敵な響きを持っていた。


「アーネルとチョーカの国境に、ウォルっていう新しい村ができたそうなんですが、そこにはリーカンから定期的に行商隊が出ているそうです。

『スティンガー』が襲ってみたらしいんですけど、それが霊墨イリスとか陣形布シールとか酒とか香辛料とか本とか、結構高値のものもあったそうでして。

なんなら一緒にやらないか、と誘われました。

あのドケチどもが言ってくるくらいですから、相当おいしかったみたいですよ?」


「ウォル……、魔王領か……」


町に入れない私たちが情報を得る手段は、さらってきた商隊や冒険者から聞かされるニュースと、各地に存在する似たような盗賊団との情報交換が主だ。

『水の大精霊』『氷』『魔王』『黒衣の虐殺者』。

そんな2つ名で呼ばれるソーマという超高位魔導士が南北戦争に参加し、そのまま国境付近に自治領を作ったという話は私も聞いていた。


いわく、1人で城塞クロタンテを陥落させた。

いわく、1人で10万人のチョーカ兵をなぎ払った。

いわく、アーネル王城に顔パスで入り、竜を乗り回す魔王。


私たちが得られる情報はそのソースが協力的でないことも多いため、だいたいがどこかで脚色されるものになるのが常だ。

それを考えても、このソーマという魔導士が実在すること自体は間違いがない。


が、話半分くらいが関の山ではないだろうかと私は思っていた。


そもそも、水属性魔導はそんなに殺傷能力が高くない。

私も元Aクラス冒険者で、それなりの高位魔導を修めているつもりではあるが、砦を落としたり何万人という人間を一気に殺せるような魔法などあるはずがない。

それこそ歴史に出てくる『浄火』や、エルダロンにいる『声姫』と同じクラスの存在ということになってしまう。

あまりに桁の違う逸話の数々が、逆に嘘くさい。


決戦級を少し超えた程度の魔導士が率いた部隊が大戦功を上げて、その魔導士が領地を与えられた。

この程度の話に、冒険者の間で尾ヒレが付けられたというのが落とし所だろうか。

それに、私たちが襲おうとしているのはその魔王領ではなくて、そこに向かう行商隊キャラバンの方だ。


「護衛は、ついてなかったのかい?」


「Cクラスが10人だったらしいです。

男ばっかりで残念だった……と言ってましたね」


「まぁ、たかだか3、4日の護衛にBクラス以上は出てこないか。

ルートは、カイラン大荒野を一直線に?」


「ですね。

街道も何もないので、騎士隊の巡回もありません」


「そりゃ、あんな所を見て回っても乾いた土しかないだろうからね」


「どう思います?」


「……検討するには値する、かね」


西側に移る前に、まとまった稼ぎを得ておくのも悪くはないか。

すり寄ってきたガイーユの頭をなでながら、私は旅程の検討を始めていた。





馬で山沿いに南下して4日後、私が率いるストリーム本隊22名はカイラン大荒野、リーカンから半日ほどの位置で簡易キャンプを張っていた。

一切の水源がない不毛の大地とはいえ、私1人がいれば水はまかなえる。

何より、26人全員が女のストリームが討伐されることもなく生き残り、他の盗賊団の男どもから手を出されることもなく逆に一目置かれているのは、団員の全員がCクラス以上の魔導士かそれに近い実力の持ち主ばかりだからだ。

全員が何かをやらかして赤字レッドに堕ちてはしまったものの、単純な戦力ならアーネルの騎士小隊くらい簡単に殲滅できる。

ガイーユ率いる別働の偵察隊の心配も、私は全くしていなかった。


「ルミカさん、合図来ました!」


2日後、見張りの当番に立っていたエンジュが声を上げた。

赤、黄、赤。

視力強化ホークアイ】で見上げた空に、ガイーユが撃ち上げた3色の炎弾が踊っている。


「行くよ!」


「「おー!」」


キャンプをそのままに、私たち22騎は炎弾の方向へ馬を進めた。


10分ほど土埃を上げながら進むと、望遠された私の視界には6台の大型馬車からなるキャラバンが、2×3の縦二列になって停まっているのが目に入ってきた。

炎弾を撃った後離脱していたガイーユたち偵察隊の4騎も合流し、26騎でその周りを取り囲んで大きく円を描くように走り続ける。

そこから1騎だけ抜けた私はキャラバンの前で止まり、馬車の上で真っ青な顔になっている商人たちをにらみつけた。


全部で8人……子供もいる?

手前の馬車の荷台に乗っている2人、黒いマントの若い男の膝の上に座っているのは、体格的に子供だろうか。

白いマントを被った子供は、この騒ぎにもかかわらずグーグーと寝ているようだった。


それに、護衛がいない……?

積みこんでいる物資は、ざっと見ただけでもかなりの量だ。

木箱や樽の中身次第だが、ものが何であれこの量ならそれなりの金額になるはずなのだが……。

でも、視線を交わしたガイーユが頷いたところをみると、本当にこのキャラバンにはわずか8名しかいないらしい。


……殺しまでは、しないで済みそうだ。


私が出した合図に従って団員は円の囲みを解き、私の後ろに扇状に展開した。

この状態で全員が魔導を放てば、5属性21発の中位魔導と3属性5発の高位魔導、計26もの魔導の嵐が集中することになる。

騎士隊だろうが、冒険者のパーティーだろうが、同業者だろうが、魔物だろうが。

全てを吹き飛ばしてきた、ストリーム必殺の陣形だ。


「護衛を雇わなかったのが、運の尽きだったね!

馬車から下りて、歩いて帰りな!

そうしたら、手荒なことはやらないよ!」


26騎の魔導士に杖を構えられて、これに従わない馬鹿はいない。

今回の仕事は、スマートに終わってくれそうだ。





「前の商隊を襲ったのも、お前らか?」





「……は?」


が、今回はそれに従わない、馬鹿がいた。


荷台の上で子供に膝を貸していた若い男は、黒いフードの下から感情のない黒い瞳で私を見つめている。

一瞬、護衛の魔導士かとも思ったが、杖どころか防具さえ身につけていない。

マントの下も、その瞳や髪と同じで黒ずくめの、ただの服だ。


「聞いてるんだ、さっさと答えろ」


「ふざけてんのかい?」


「……何が?」


「……」


淡々と聞いてくる男は、膝で寝ていた子供を横にずらして、荷台から飛び降りてきた。

そのまま、キャラバンの先頭に立つ。

両手をポケットに突っこんだまま、扇状に展開する私たちを左から右まで見渡して、ふーん、と目を細める。


「女だけの盗賊団っていうのもあるんだな」


「アンタねぇ、死ぬよ?」


その傲然とした姿には、何の気負いもない。

ただ単に、私たちが女盗賊団だという事実を確認しただけだった。

26本の杖が向けられているという現実には、目もくれずに。


……馬鹿には付き合いきれない。

腰に下げているカトラスを抜いて、斬り伏せようかと思った瞬間だった。


「まぁ、女だけだろうが、子供だけだろうが、……確かに死ぬだろうな」


「……!!!?」


吹き上がる魔力、押し寄せる凍気。


「斉射!!」


全員の杖から、26の魔導が放たれる!

……が、私を含め何人かの魔導は発動しない!?

激しく飛び散る水しぶきと揺らめく視界。

眼前にそびえる巨大な水の壁の中で、静かにこちらを見つめる黒衣の男……!


1つの魔導も貫通させなかった、透明な壁の向こう。

後ろの馬車の上では商人たちが両手で顔や頭を覆ったまま突っ伏し、荷台の上では子供がゴロリと寝返りをうっていた。


黒衣の、水属性超高位魔導士。


「ソーマ……?」


「……知ってて、攻撃してきたのか?

ずいぶん自信過剰なんだな」


後ろの誰かがつぶやいた言葉に。

水の壁を抜けてきた魔王は、この日はじめて感情をあらわにした表情を。

唇をつり上げた、底冷えのする笑顔を見せていた。





「さてと……、そろそろ出てこい、ミレイユ!

それからいい加減に起きろ、シズイ!!」


背後の膨大な量の水を一瞬で消し去ったソーマが、そう声を放った瞬間。

荷台に積まれていた樽の1つの蓋が開き、その中から女が立ち上がった。


「あのー、旦那様……。

わたくし、別に樽の中に入るのが好きなわけではないんですけれど……」


「……は、はいぃいっっ!!!?

おはよーございますっ、ソーマ様!?」


不機嫌そうな女の声と、続けて跳ね起きる、荷台で寝ていた白いマントの子供。

それを振り返ることもなく、ソーマは小さく肩をすくめている。


「別に、樽の中に入るのが好きだとは思っていない。

……もう、2ヶ月近く前の話か?

ブランカも1日詰められて、相当参ってたしな」


「アリスさんがあんなに怖い人だったなんて、知りませんでしたわー。

顔色一つ変えずに、樽の中のブランカさんの上から塩の袋を傾けようとしていたときなんて……」


「……あぁ、あれは結構危なかったな。

俺とエレニアたちで、本気で止めたからな……。

まぁ、からかいたくなる気持ちはわかるが、ほどほどにしておけ。

……後でケアするのが、結構大変なんだ」


「ふふふ、肝に銘じておきますわー」


ミレイユと呼ばれた長身の女は優雅に馬車から降り、苦い顔になったソーマの右側に1歩下がって立つ。

病的に白い皮膚と、黒と言うよりは闇色と言うべき髪は、まっすぐ腰までを覆い隠していた。

深いスリットが入った闇色のドレス、同色のショートブーツとロンググローブに包まれた細く長い手足は扇情的で淫靡なはずなのに、それ以上に根源的な恐怖を感じる。

赤い瞳は無邪気に細められて穏やかな笑顔を浮かべていたが、それでも尚、妖艶な美しさを漂わせていた。


「おはよう、シズイ。

夜更かしするなとは言わんが、少しは気をつけろ」


「だって、ババ抜きって楽しいんです!

ババァなんていらないっていう、ゲームの基本理念が!」


「シズイちゃん、それは違います。

ババ抜きの真髄は、自分が苦手なお姑さんがいきなり家に来ても表面上はにこやかに受け入れる。

そういう複雑な心理に慣れ、一時的な和を生み出せる柔軟な感情と表情を鍛えることにあるのですわー」


「おー、なるほど!」


「……俺が知ってるやつとは、違うゲームなのか?」


一方のソーマの左側に立つシズイと呼ばれた勝気そうな少女は、サファイアのような青いローブをまとっている。

10歳くらいだろうか。

鮮やかな青い髪は肩より少し長いくらいで、一部だけを頭の後ろで小さく束ねていた。

同色の瞳を輝かせながら両手を握ってカードゲームの面白さを語るこの少女に、ミレイユはろくでもないことを教え、ソーマは首をかしげている。


いまだのどかな雑談に興じている3人は、私たちのことを特に気にしていない。


「「……!!」」


にもかかわらず、私たち全員がガタガタと震えだしていた。


あのミレイユと呼ばれた女にしろ、シズイと呼ばれた少女にしろ……。

私たち全員を合わせたよりも、高い魔力をまきちらしている!


その中心に立つソーマに至っては、もはや理解できないほどの深い魔力を発していた。

深い湖をのぞき込んだような、あるいはその中に沈んでいくような。

生存をあきらめざるを得ないような、圧倒的な魔力。


それは深い死の気配を感じさせる、恐怖としか呼べないような冷たい魔力だった。


「ああ……とりあえず、馬から降りろ」


空気の中で窒息しそうな感覚の中、シズイに七並べのルールを理解させることを諦めたソーマは、ふと思い出したように私に命令した。

恐怖で焦点が合わない両目でその黒い瞳を見ようとした私の肌を、何か周りの空気が大きく変形したような感覚が襲う。


ドガァッッッ!!!!


慌ててその方向、私たちの後ろを見ると、爆音と共に巨大な白い壁が空から降り落ち、深々と地面に突き刺さったところだった。

すぐには情報処理できない光景に思考が麻痺する中、怯えて暴れる馬の衝撃で壁がまだ次々に落ちてきていることを認識する。

やがて音がやんだときには、周囲200メートルを完全に囲う形で高さ10メートルほどの円形の白い壁が、私たちとソーマたち、そして6台のキャラバンもその虜囚としていた。

周囲にそびえる壁の、その全てが氷でできていることに気づいた私は。


目の前に立つ男、ソーマに関する逸話がおそらく全て本当だったのだろうと、今更ながら後悔する。


そして、どうやっても私たちがここから逃げられないことを。

おそらく今日という日が、私たちの最後の日になるだろうことを。

周りから流れ込んできた、ひやりとした空気にふれることで、理解した。


「……取引が……したい」


「馬から降りろ、と言ったんだ」


「……わかった」


私の指示で、全員が馬から降りる。

ストリームは、全員が魔導士だ。

だから、全員が理解できてしまう。


何をどうやってもこの男には勝つことができず、それどころか逃げることさえ不可能なことを。


「お前、全部の馬を2列につないでこっちに持ってこい」


「……はい」


おそらくは適当に指差されたのだろうエンジュは、私の許可とるまでもなくソーマの指示通りに動きだした。

震える指で必死に手綱をつなぎ、キャラバンの方へ引いていく。


「うるさいよ?」


3人に近付くにつれて怯えて暴れる馬は、シズイと呼ばれた少女が一喝すると嘘のようにおとなしくなった。

手綱を商人の一人に預けて帰ってきたエンジュは、私の隣に戻った途端にそのまま、ペタンと地面に座り込んでしまう。

その瞳には涙が浮かび、その腰がふれている地面にはゆっくりと失禁の跡が広がっていた。


「じゃあ、ピート。

この馬も連れて、ウォルに向かってくれ。

シズイを護衛に付ける。

それから、……セリアース!」


そんな光景を気にも留めずにソーマがピートと呼んだ男、キャラバンの若い商人の1人は、そこではじめて自分の名前を呼ばれていたことに気づいたらしい。

だいじょぶ?と下からのぞきこんでいるシズイに、慌てて何度も首を縦に振っている。


「は、ソーマ様」


ソーマの声に応じて中空に現れた水滴は、一拍置いて巨大化。

髪の逆立った透明な男の形をとり、跪いた姿勢となる。

水の上位精霊。

私も水属性魔導を操る者として渇望していたその威容、1体で都市を落とし得る偉大なる上位者は、しかし眼前の魔王の前で忠臣のようにかしこまっていた。


「この商隊をウォルまで護衛しろ。

他に、水が必要になったら責任を持って世話をしてやれ。

……シズイ、竜化も許可する。

さすがにないとは思うが、もし同じように盗賊が寄ってくることがあれば殲滅しろ。

アリスに状況を報告した後は、そのまま待機。

夕方になったら、ここまで迎えに来てくれ」


「はーい!」


深く頭を下げる水の上位精霊と、元気に敬礼している竜と呼ばれた少女、そしてそれをさも当然のことのようにサラッと流しているソーマに、ピートたちも私たちも震えあがる。

ソーマが指差した方向に開けられた穴をキャラバンが通過した後には、再び氷の牢獄が完成し……。





その中に残されたのは、寒さではない震えが止まらない私たち26人と。


唇をつり上げた水の大精霊と、艶やかに微笑むその従者。

黒衣の、2人だけだった。

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