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クール・エール  作者: 砂押 司
第2部 カイラン南北戦争

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ショート・エール 企む月光

おや、このタイトルは……?

それでは短編2部、スタートです!

「アリスさん、ちょっとよろしいですか?

お聞きしたいことがあるのですわー」


話の発端は今朝、ウォルにサーヴェラたちが来て2週間がたった今日のことだ。


「アリスさん、最近で旦那様に抱かれたのはいつですか?」


「!!!?」


朝食の片づけをしているときに、いきなりミレイユからそんなことを言われたのが始まりだった。


「……いきなり、何?」


「聞いているのは、わたくしの方ですわー」


「……そんな質問に、答える必要はない」


「ふふふ、わたくしも必要のないことをするのは好きではありませんわー。

聞く必要があるから、わざわざ聞いているのです」


朝一番から最低の質問をしてきた、この魔人ダークス

紆余曲折を経て私たちと行動を共にすることになったミレイユは、意外なことにウォルの生活風景にしっかり溶け込んでいた。


ミレイユはウォルの中では子供たちに勉強を教える「先生」という役割の他に、日々の食事作りを指導する「料理長」という肩書も持っている。

王都で暴れまわり、チョーカの回収部隊を素手で引きちぎり、あのソーマが最大級の警戒をしている高位魔導士。

子供たちに勉強を教えることをかってでたときも、最初は全員が懐疑的だったのだけれど、100年以上を生きているというだけあって彼女の話は面白い上に多岐にわたり、何よりわかりやすかった。

ソーマ自身も何度か立ち会った末、ミレイユの指導力を認めざるを得なかったくらいだ。

彼との契約通り【吸魔血成ヴァンピング】も彼以外からは絶対にしなかったし、むしろミレイユは子供たちから絶大な信頼を寄せられる存在になっていた。


それに、もう1つの肩書の方に関して言えば……、私はミレイユに頭が上がらない立場でもある。

今までごまかし通してきた「料理をしたことがない」という事実がついにソーマに露見してしまった今、私にとってもミレイユは「先生」だった。

彼はこのことに関して何も言ってこないけれど、大人としても恋人としても「作れない」というのはいくらなんでもダメだろう。

自分が森人エルフに生まれたことを呪った、はじめての瞬間でもあった。


「どういうこと?」


そんなわけで、私がミレイユと会話をする機会は結構多い。

その上で評すれば、ミレイユの内面は、ソーマとよく似ている気がする。

……嫌そうな顔をするので、彼にはそう言わないようにしているけれど。


極端な価値観。

強さからの余裕。

幾重にも重なる思慮深さ。

目的のために手段を選ばない狂気。

それらと共存する、他人には理解されづらい優しさ。


私自身は、ミレイユのことが決して嫌いではない。

そして、ミレイユはソーマと同じで意味のないことはしないし、無意味な嘘もつかない。

そのミレイユが必要だと言うのなら、この嫌がらせとしか思えない質問にも何か意味があるのだろう。


実際、その通りだった。


「旦那様は随分お疲れになっているようです。

最近の味は雑味が混ざっていますし、少しドロドロとしていますわー。

まぁそれでも充分に美味しいのが、旦那様の凄さなのですけれど」


「……そうなの?」


血の味を基準に話されても、正直よくわからない。

ちなみにミレイユが魔人ダークスであることやソーマの血を吸うことは、村人全員が知っている事実でもある。

集会所で皆で夕食をとるとき、2日おきにミレイユが彼の左手に牙を立てて舌で舐めまわしている光景を見ても、子供たちはもう驚かなくなっていた。

堂々と血を吸わせているソーマいわく、そういう生き物もいるということを受け入れるべき、だそうだ。


だけど今問題なのは、ソーマが疲れている、という部分だ。

少なくとも彼からそういう言葉が出るのを、私は聞いていない。


「ついでに言えば、アリスさんもかなりお疲れのようですが?」


「……そんなことはない」


「その、人間が疲れていることや弱っていることをとりあえず否定するのは、なんなんでしょうね?

いつも顔を合わせているからこそ、微かな変化に気づかないこともあるものですわー」


……そう言われると、否定しきれない部分はある。

私もソーマもまだ17歳で、成人しているとはいえまだ若いのも事実だ。

サーヴェラたちを連れてきた以上はきちんと育てる責任があるし、今はまだ、日々やるべき仕事にずっと追われていた。

特に彼は黙って1日中働いて、余った時間で村の端から端まで見て回っている。


上に立つ人間が誰よりも優秀で勤勉なら、下の人間は何も言わなくても全力で頑張ってくれる。


彼が私に教えてくれたその言葉通り、ウォルの住民たちは小さな子供に至るまで率先して勉学と労働に励んでいた。

その甲斐もあって、村の整備は当初考えていた以上のハイペースで進んでいる。

住民たちがそんな強固な結束を保ち、精鋭騎士のような勤勉さを見せているのは。

他ならぬ、彼への敬意と畏怖。

そして、1人で戦争に勝ってしまうほどの存在が自分たちを守ってくれている、という安心感からだろう。


彼はそれらの信奉に加えて、4万人を手にかけたその悪名も1人で背負っている。

本来なら私が共に背負うべきその重圧は、きっと私が想像できないほどのものだろう。


それを彼は私にも漏らすことはないし。

私に背負わせることもない。

それは正直、とても申し訳なくて。


そして、悔しいことでもある。


……そう考えると、ミレイユの言う通りかもしれない。

私が彼のことを全てわかっているかと言われると……。


だけど。


「それと、私がソーマに……その、それが何の関係があるの?」


一応ミレイユの質問に答えるなら、私がソーマに抱かれたのは、アーネル王とソーマが謁見する前の日の夕方、青猫亭でエレニアにからかわれた日が最後だ。

もう、1ヶ月半くらい前ということになる。

その日の夜にミレイユと戦い、その翌々日からはリーカン、カイラン大荒野、プロンとずっと戦場を移動していたわけで、それからはそんなことをできる状況ではなかった。

ウォルに来てからも、2人とも連日体力の限界まで村を造成していたし、なによりウォルの子供たちの中には性奴だった子もいる。

あの子たちの心が充分に癒えるまでは、彼も私もウォルの中でそんなことをするつもりにはなれなかった。


だけど、それがなんだというのか?


「別に、直接関係があるわけではありませんわー。

旦那さまが本心を晒しやすそうなタイミングがそれであるだけで、別にお酒を飲むことでもただ食事をすることでも構いません。

ただいずれにせよ、それにはアリスさんがお付き合いされる必要があるはずですわー」


旦那様の至高の一雫をいただいている魔人ダークスとして言わせていただきますが、とさらにミレイユは続ける。


「大精霊である旦那様ですが、あの方はまだ若い人間です。

疲れることも、弱ることも、苦しむことも、悩むこともあるはずですわー。

そして、それを受け止めて旦那様を癒すことのできるのは、残念ながらアリスさんだけです。

ですからわたくしも、わざわざアリスさんにこのお話をしたのですわー」


そしてさらに、ミレイユはチクリと付け足した。


「そもそも、旦那様にしてもアリスさんにしても、自分たちだけで無理をしすぎですわー。

わたくしも子供たちから多少は信頼されていますし、シズイちゃんもサラスナ君もセリアースたちもいますから防備の心配もいりません。

今のウォルを確実に落とすなら数万の軍勢を組織する必要がありますし、旦那様とアリスさんが不在でも今のチョーカくらいなら余裕で滅ぼせますわー。

エレニアさんたちもいるのですから、何日かお2人はウォルのことを忘れてゆっくりしてくればいいのです。

このままさらに住民が増えたら、間違いなく倒れてしまいますよ?

旦那様のことですから回復魔法で乗り切ろうとするかもしれませんが、心の疲れを癒すことはできないのはアリスさんもご存じですよね?」


「……申し訳ない」


そうとしか言えなかった。


ソーマは強い。

私はその彼の強さを信じきり、そして甘えすぎていた。

でもミレイユの言う通り、彼も私と同じ人間なのだ。

疲れることも、弱ることも、苦しむことも、悩むこともあるはずだ。


そして彼は、絶対に自分からはそれを言わない。


「ええ、わたくしの至高の一雫の味を守るために、きちんとしていただきたいですわー」


「……ありがとう」


最後に付け加えられたミレイユのセリフは、落ち込んだ私を慰めるためのものだった。


「いいお話ですぅ」


ここから、事態は急変した。


ブランカ=ラブ=フーリー。

『ホワイトクロー』のメンバーで、ソーマや私と同じ17歳のBクラス冒険者。

枯れ草色の金髪をポニーテールにまとめ、30センチはある長く白い毛で覆われた耳とずば抜けた聴覚を持つ獣人ビースト

そして……ある部分において、一夫多妻制の社会を是とする獣人ビーストの中でも、非常に開放的な性格の持ち主。

彼が謁見に行っていた間、王都の冒険者ギルドでエレニアと一緒に私が彼との……その、色々なことを口走ってしまうまで挑発し。


「わたしにも一晩、ソーマさんを貸してほしいですぅ」


「絶対ダメ!!」


今と同じことを本人がいる前で私に耳打ちしてきた、その清純そうな顔に似合わない猥褻物わいせつぶつだ。


「でも、一緒に慰めてあげた方がソーマさんもよろこぶと思いますぅ。

ソーマさんも、いつもいつもアリスばっかりじゃ飽きると思い……」


「飽きない!!」


「ふふふ、それはわかりませんわー」


「ミレイユ、味方して!!」


その長い耳で、私とミレイユの会話を聞いていたのだろう。

「跳んで」きて自分もソーマを癒すと言いだしたブランカの申し出を、私は全力で拒絶する。

同じ間延びした喋り方をするミレイユも面白そうに赤い瞳を細めるばかりで、さっきまでの真剣な空気はどこかに行ってしまっていた。

……こういう悪ふざけが結構好きなのも、ソーマと同じだ。


「でも、毎日同じ味付けばかりの料理が一品だけじゃ絶対に飽きると思いますぅ。

……野菜を切って塩をかけただけの料理、とかぁ」


「肉だったらなんでもいい獣人ビーストが、森人エルフの食文化を馬鹿にしないで!!」


「わたしが馬鹿にしているのは、ソーマさんに飽きられてるかもしれない塩味しおあじアリスですぅ」


「ブランカ!!」


「わたくしは旦那様の血があれば何もいりませんわー」


「ミレイユ、黙ってて!!」


この2人と同時に話していると、本当に頭がおかしくなりそうになる。

どこまでが本気かわからないブランカの笑みと、半分くらいは本気かもしれないミレイユの笑み。

不毛な言い争いは、私が叫ぶことに疲れるまで続けられた。





「たまには積極的に、男性にサプライズをしかけるのがポイントですぅ。

淑女しゅくじょたるもの、ときに男性を野獣のようにたけらせてそれを全て受け止めてあげるのも、たしなみのうちですぅ」


ソーマを借りることをようやく諦めたブランカがそう言ったとき、私は肩で息をしていた。

そもそも彼が聞いたら「耳を斬り取る」くらいのことをやりかねないことを、このバカウサギはわかっていないのだろうか?

あるいは私も、ブランカを6回殺せるくらいの魔力と手数はあるのだけれど?


だけど、ブランカの言葉に一抹の不安と興味がわいたのも、また正直なところだった。


「ふふふ、確かに受動的なアリスさんには、できなさそうですわー」


「かっ……」


「「勝手に決めないで、ですかぁ?」」


ミレイユも悪ノリを始めた今、私にできることはこの場を早く切り上げることくらいだ。

この話題を打ち切るべきなのだけれど……、野獣のようなソーマ?


ギルドでブランカにからかわれてつい口走ってしまったけれど、彼は決して淡白でも暴力的でもない。

彼との情交の中で、私が痛みや苦しみを感じることは一瞬しかなかった。

彼の愛撫は、氷をゆっくり融かしていくように丁寧で、優しい。

……そして、容赦がない。


ダメ。

いや。

やめて。

許して。


そういった上辺だけの言葉をどれだけ並べても、彼は絶対にやめてくれない。


指が。

掌が。

唇が。

舌が。


彼のそれが、私の体でふれていない部分なんて、もうほとんどない。

苦しくなる寸前まで、痛くなる寸前まで、彼は徹底的に私を融かす。


だけど、彼はその一線を絶対に越えることはないし、私が本当に嫌がることは絶対にしようとしない。

だから、私も安心して彼に身を委ねているし、完全に理性を融かされる瞬間も……決して嫌いではない。

それに彼は、そうなる私を楽しんでいるふしがある。


……でも、そういう意味では確かに私から何かをしてあげることは、あまりなかったかもしれない」


「ほら、やっぱりぃ。

混ぜてくれるなら、色々とレクチャーしますぅ」


「そういうのを受動的というのですわー」


……え?


「後半から、漏れていましたぁ」


「アリスさん、子供たちの教育によろしくないので少しは押さえてくださいね?」


「……ぅぁ……」


……ぁぁぁああああああ!!!?


「あぁ、時間がもったいないので、いちいちうずくまらなくていいですぅ」


「そうですわー。

まぁ普段がどんな感じかわかりましたので、ここはどういう風に旦那様に喜んでいただくかを考えましょう」


「それなら王都のあのお店にぃ……」


「アリスさんなら、それこそ……」


「むしろ、こんな感じの方がぁ……」


「旦那様がお休みをとることを了承するには……」


ニヤニヤと笑いながら作戦会議を進める黒と白の魔女は、私が倒れたり逃げたりしないように左右から肩をしっかり押さえこんでいる。

筋力で勝るブランカと、大柄な上に鎧を引きちぎる膂力を誇るミレイユから逃げる術は、私にはない。


……それでも、この場所からいなくなりたい。


私は生まれてはじめて。

自分の意思で気絶した。

















その日の昼、私とソーマは王都に転移していた。


「休み……、別にいらないが?」


「旦那様、大きな戦いが終わった後にアーネルの王城や冒険者ギルドに挨拶にも行かないのは、あまり得策ではありません。

ウォルの印象を良くしておくのも、旦那様の務めだと思いますわー」


「……なるほど」


「それに、アリスさんも少しお疲れみたいですぅ。

これからもっと忙しくなるわけですし、2人で何日かゆっくりしてくればいいと思いますぅ」


「……そうか」


理で説いて、そこにアリスさんのことを少し混ぜれば、旦那様は簡単に説得できます。

そう笑ったミレイユの言葉通り意外と短い時間で、彼は私と一緒に今日から明日までの休みを取ることを了承した。

明後日の正午にシズイにリーカンまで迎えに来てもらうことにして、私と彼はまずアーネルに向かった。


王城への挨拶に行った彼と別れているうちに、私はブランカから教えられた店に向かい買い物を済ませる。

彼と一緒にギルドへ行った後は、そのままラルクスに転移した。


緊張するエバやテレジア、シムカとベテルも呼び出してカティを飲んだ後は、久しぶりの猫足亭に入る。

彼を見てもバッハとメリンダの調子が変わらないことに、彼は少しホッとしているようだった。


「ソーマ、……こ、公衆浴場に行かない?」


「……いいな」


彼と過ごしたラルクスで、彼に抱かれたあの日と同じ行動をなぞる。

だけど。


「手を……つないでもいい?」


あの日と違うのは、そう言った私に、黙って差し出された彼の左手の温度を。

最初から、右手でしっかりと感じられることだ。


「おや、魔王様のお帰りだねぇ?」


「……ああ、よきにはからえ」


帰ってきた私たちを見て笑ったメリンダの軽口に、ソーマも苦笑いで返す。


「いい度胸……」


「客商売なめんじゃないよ、アリスちゃん?

……それに、あたしに言わせりゃあんたの方がいい度胸だと思うけどねぇ」


「残念ながらそれほど大したことはないんだな、これが」


「……ソーマ、なんの話?」


「度『胸』の話」


私の首の下あたりに悪戯っぽく視線を走らせた彼に、私は鋭く視線を返し、彼は首をすくめる。

……その、たいしたことのない度「胸」が好きなくせに!


でも、彼がここまで険のない表情をしているのは本当に久しぶりかもしれない。

やっぱり、彼も疲れてたんだろう。


爆笑しているメリンダから笑顔でメニューを受け取る彼は、いつもより子供っぽく見えた。





食事が終わった後、部屋のミニテーブルに向かい合って座った私たちは、ネクタの赤い果実酒を水で割って飲みながらとりとめのない話をした。


今後、ウォルに作っていきたい設備。

植えていきたい野菜や植物、ハーブ。

行商で持ってきてもらいたい品物。

明後日帰るときのお土産は何にするか。


グリッドの美味しい食べ方は、シチューか塩焼きか。

ニワトリの唐揚げの作り方。

今飲んでいる果実酒の作り方。

ネクタ大陸の、私が住んでいた町の話。


ゆっくりとお酒を飲みながら、なんでもない話をする。

確かに最近、私と彼は戦争の話とウォルの話しかしていなかったし、今も会話の前半はそうだった。


たまには、こういう時間も必要だ。

私が小さい頃に読んでいた本の内容、魔導士の物語のあらすじを、笑いながら聞いている彼を見ていて、そう思う。

私も、自分の体が少し軽くなっているような気がしていた。





やがてお酒が尽きて、同じように私たちの会話も止まった。

うかがうような視線を向けてきた後、ソーマは無言で右手を、私の左耳にゆっくりと差し伸ばしてくる。

普段は【精霊化】させて黒い手袋で覆っている彼の右手も、こういうときは元の人間のそれに戻している。

世界中で私だけがふれることのできる彼の右手の指が、多分もう赤くなっている私の耳に届きそうになった瞬間。


私は、イスから立ち上がった。

そのまま数歩下がった私を、彼は腕を伸ばしたままキョトンとした表情で眺めている。


……今日は駄目なのか?


そう言いたげな彼の黒い瞳をまっすぐ見た後、私はバトルドレスのボタンを上からゆっくりと外し始めた。

明るい部屋の中、彼が凝視しているの中での脱衣は死ぬほど恥ずかしい。


「……っ!?」


やがて、バトルドレスを足元に落とした私の姿を見て、ソーマが小さく声を出した。

あまりの恥ずかしさに視線を合わせられないけれど、視界の端には目と口を丸く開けて硬直している彼の表情が映り込んでいる。

普段の鋭い瞳やつり上がった口元とは真逆の、完全に間の抜けた彼の顔がどんどん赤くなっていくのをみとめて、私は小さく笑みを浮かべていた。





一般的に下着といえば、それは服の下に着る肌着のことを指す。

男性用の場合は下腹部と太ももの上までを覆うパンツ。

女性用の場合はそれよりも小さなショーツと、胸の部分の生地が分厚くなったタンクトップだ。

単純に服を汚さないためだけの肌着なので、色を染めたものがあるくらいで (ソーマはパンツも黒だ)デザインは基本的に全て同じものだ。


一方で、一般的ではない下着というのも、実は存在している。

王族や高位魔導士など都市の有力者や富裕層に関係する一部の女性、そして高級娼婦が着ることのある、デザイン性の高い下着だ。

通常の肌着とは違い絹や風布かざぬの水綿すいめんなどの超高級素材を使い、驚くほど薄く、そして小さく作られている。

鮮やかな色味の他、レースと呼ばれる特殊な織り方まで駆使して飾り立てられたそれは、まるで芸術品のようにも見えるくらいだ。


だけど、そういった下着はまぎれもない実用品だ。

そういったものを身にまとう女性たちからすれば、それは意中の男性をかしずかせるための鎧であり剣でもある。

実際、これらの下着の値段は、本物の金属装備よりもはるかに高い。

女性が夜の戦場に持ち込む、魔装備のようなものだろう。


勝負下着ランジェリー」。


それは、勇者も魔王も殺すことのできる、美しくもみだらなつるぎだ。





私が身につけているのは、ブランカから教えられた専門店で買ったこの高級下着だ。

ソーマからは私たちの部屋に保管している報奨金を自由に使っていいとは言われていたけれど、まさかこんなものを買うために持ち出すことになるなんて思ってもみなかった。

まぁでも、当の彼のために買ったようなものなのだから、少しくらいはいいだろう。


これがいい買い物だったことは、彼の反応からも明らかだ。


私の両胸をそれぞれ覆っているのは丸みのある三角、としか形容できない形の、深い緑色の布だ。

いや、覆う、という表現は適切ではないかもしれない。

胸全体に対して、布面積は全く足りていないのだから。

アーネルはエリオ産、最上級の水綿で織りあげられた生地は深い光沢を放ち、胸の頂点から下半分を軽く支えているような状態だ。

布、と呼べる部分はそれだけで、胸の上半分を含めるそれ以外の部分の肌は全て、どことなく熱をもったような部屋の空気に晒されている。

細い布、というよりも紐というべきパーツで固定された胸の布の周りは、黒いレースで丁寧に縁取りがされていた。


下のショーツも同じ色合いにレースが施された揃いのデザインのものだけれど、使われている布の総量は上の片胸分くらいしかない気がする。

ギリギリの布で本当に必要な部分だけしか隠していないショーツは横が紐になっていて、一瞬履き方がわからなかった。

だけど、このショーツの凄まじいところはそれだけではない。

私は足元のバトルドレスから足を抜いてそのまま後ろを向き、公衆浴場で念入りに磨いてもらった体をソーマに見せつけた。


彼が短く息を吸い込んだ、そんな微かな声を立てる。

彼の視線が私のお尻に突き刺さっているのが、見るまでもなく感じ取ることができていた。

そう、このショーツにはお尻を覆う生地が全くない。

前を覆う逆三角形の布の頂点からは、やはり紐としか呼べない極細の布地が伸びており、後ろを隠しているのはその部分だけだった。


タイミングを見計らって後ろを振り返ると、慌てて視線を上に上げる彼と目が合った。

顔を真っ赤にして盛大に目を泳がせるソーマは、……可愛い。

カイラン大陸のおそらく全人類が、その形容詞はない!と叫ぶだろう感情を胸に抱きつつ、私は彼の目の前に立った。

座ったまま見上げてくる彼を立ちあがらせて、……そのまま正面からベッドに突き飛ばす。


仰向けに倒れ、起き上がろうとした彼の両肩を押さえつけてそれを阻止し、服を着たままの彼のお腹の上にまたがった。

そのまま顔を近づけ、真っ赤になった彼の耳元に口を寄せる。


「アリス……?」


うろたえたソーマの声に顔がニヤけるのを必死で我慢しながら、ちょっと古いですけど、と言いつつもミレイユから教えられた。

彼を野獣に変えるための呪文を、詠唱した。





「ソーマ、私を……メチャクチャにして?」





その瞬間、彼は無言で体勢を入れ替え、私をベッドに組み伏せた。

恐いくらいに真剣な瞳は血走り、いつもの余裕や冷静さは全くない。

そのまま、無言で私にキスをして。


私は、ソーマにメチャクチャにされた。





「クス……、口ほどにもない」


「……くそ」


それからいくらもしないうちに、全裸のソーマは私の隣でうつぶせになっていた。

起き上がりつつ私がそううそぶくと、彼は苦笑いしながら目を閉じる。


野獣になったソーマは、いつもの繊細さとは正反対の荒々しく自分勝手な動きで、いつもの6分の1くらいの時間で全てを終わってしまっていた。

正直物足りないものの、いつもとは逆の立場のセリフの応酬に私は笑いが止まらない。


彼が好きな私の瞳の色に合わせて選んだこの下着の破壊力は想像以上だったらしく、彼は完全に理性を失った状態で私に覆いかぶさってきた。

脱がせる余裕すらなかったらしく、下や横にずらされた状態で最後までされたその下着の位置を、タオルで身だしなみを整えつつ、私は手早く直しておく。

彼のことだから、次はもっと趣向を凝らしてくるはずだ。


「どうしたんだ、これ?」


息を整えた彼が気だるそうに体を起こしたのは、それから数分後のことだ。

そのまま私の後ろに座り、下着の肩紐を指でスッとなぞる。


「買った。

こういうのは、好きじゃなかった?」


「いや、……最高。

よく似合ってる……は、この場合褒め言葉でいいんだよな?」


「……多分」


後ろに体重をかけて彼にもたれかかると、私のお腹に彼の両腕が回された。


「でも、なんで急に?」


私の髪に鼻をうずめて、彼は面白そうに聞いてくる。


「あなたが、楽しんでくれればいいなと思って」


首に当たる彼の吐息を心地よく感じながら、私は彼の腕に両手を重ねた。


「皆からも言われたけれど、あなたは色々なものを1人で背負いすぎ。

あなたは強いから、私も皆もその強さを頼って……。

あなたは、それに全部応えてくれる」


彼と指を絡め合いながら、私は言葉を紡ぐ。


「だけど、疲れたときや苦しいときはそう言ってほしい。

少なくとも、私には」


細くて長い彼の指を、私は自分の指で確かめた。


「そしてもっとわがままに、自分のしたいことをしてほしい」


無言のままの彼に、私は本心からそう告げる。

彼が何をしているときが楽しくて幸せなのか、私にはいまだによくわからない。

彼自身が、よくわかっていないふしもある。


だから、もし私の体を好きにすること。

そんなことで彼が幸せを感じられるなら、本当に何をしてくれてもいい。


私は心の底から、そう思っている。


「私は、あなたにも幸せになってほしい」


私も、あなたを愛しているのだから。


「……そっか。

ありがとう、アリス」


しばらくの無言の後、ソーマはそう言って、私を背後から抱き締めた。

私の左頬にふれる彼の右頬は、いつもよりも温度が高い。


「……うん」


私があげられるものは、私くらいしかないけれど。


私は今、とても幸せだった。





ここから、事態は急変した。


「じゃあ、さっそく言いたいことがあるんだけどな……」


しばらくそのままの姿勢で黙り込んでいたソーマは、顔を上げて漆黒の瞳を私の方へ向けてきた。


「なに?」


笑顔で応える私に、彼は無表情で脱ぎ捨てた自分の服のポケットから小さな包みを取り出す。

なんだろう、あれは?


「お前、ミレイユとブランカに何か言ったの?」


……え?


「これな、今日出てくる前にあの2人からニヤニヤしながら渡されたんだ。

アリスが俺に何かプレゼントしてくれるはずだから、それを受け取ったら2人で見てくれ、って」


「!?」


あの2人が私の知らない所で何かをしていた。

そのことに衝撃を受けている私にも見えるように、彼は丁寧に包みを開けた。

中身は黒と白の小瓶で、……包みの裏に文字が書いてある。


『ああは言いましたが、アリスさんだけが旦那様の全てを味わっていることには、また別の感慨もありますので。

旦那様がどのようにお乱れになったのか、帰ってきたら是非教えて下さい。

(黒い小瓶の中身は、ラルクス産の媚薬です) ミレイユ』


『この手紙を見た後、ソーマさんがどんな「おしおき」をしたのか詳しく教えてください。

どうしても貸してくれないなら、それくらいはアリスも譲歩すべきかと。

(白い小瓶の中身は、サリガシア産の精力剤です) ブランカ』


「……」


普段の口調とは違う、2人の事務的な文章は。


「……」


小さな頃絵本で見た、悪い魔女の哄笑の挿絵を。


「……」


私に、思い出させていた。


「……」


「……アリス、どういうことだ?」


部屋の気温が、一気に下がる。

私の幸せが、終わりを迎えた瞬間だった。


「……王都のギルドで同じようなことがあったとき、どんな内容でも不用意に情報は漏らすなって。

俺、お前に言ったよな?」


溜息すらつかずに、背後のソーマは氷のような声で質問してきた。


「それを踏まえてアリス、これは……何?」


知らない、あの2人の悪戯でしょ、私を疑うの?


これが模範回答だ。

だけど私の喉から出たのは、自白に等しい一言だった。


「し、知ラナい……」


……失敗した!

自分でもわかるくらい、声が裏返った!


何の証拠もないんだからこれはあの2人の悪質、いや邪悪な悪戯で。

私は無関係だって、ごまかし通せたはずなのに!

横から私の顔を覗き込んだ彼の闇色の瞳は剣呑に細められ、……やがて唇をつり上げた、あの獲物を追いつめて嬲り殺すときの。


魔王の表情になる。


まずい、何か言い訳を……。


「そうか、じゃあいい。

せっかくだから、……厚意に甘えようか?」


「ソ、ソーマ、待っんむっっ!?」


そう言ってソーマは、媚薬だと書いてあった方の黒い小瓶の中身を口に含んで、そのまま私の唇を奪う。

舌で唇を割って流し込まれた液体は、凄まじく甘かった。

続けて彼は、白い小瓶の中身を自分で飲み干し、手紙と空き瓶を床に投げ捨てる。


「あの2人に、今日のことを教えてやらないといけないのか」


そのまま、私にも見えるように前に伸ばした彼の両手が、指先から透明になっていく……!


すなわち【精霊化】。

右手どころか、最後にはその指1本だけで容易く私の理性を融解させた、あの【悪魔の腕】が。

「悪魔の両腕」となって顕現した、瞬間だった。


「じゃあ、アリスには記憶をなくしてもらう、しかないよな?」


薬の影響で全身が熱く、むず痒くなりだした私の右耳にあたたかい右手が添えられ、あたたかい左手は下着をまくりあげて、汗ばんできた左胸をふわりと包む。

この後に襲いかかってくるはずの、あの発狂しそうな微振動の破壊力を知っている私は必死で彼の腕を掴んで離そうとするけれど、彼の拘束はピクリとも動かない。

私には、わかる。


ソーマは、……本気だ!


「アリスさん、今日はとても楽しかったですよ?

……本当にありがとう。

大丈夫、俺はいつまでも、あなたのことを忘れないから……」


「ま、待っ!ゃめ!!ソーマ!!!ごめんなさい!!!!」


穏やかな顔で笑うソーマの敬語は、既に過去形になっている。

その黒い瞳には、一切の光がなかった。


「ダメ!いや!!やめて!!!ゆるして!!!!」


だから今、半分泣きながら必死に叫ぶ私の言葉は、彼にはもう届かない。


「いってらっしゃい」


その言葉を最後に。





ソーマは、私をメチャクチャに…………~~~~っっっっ!!!!

















ぼんやりと部屋の輪郭が視界に入ってきて、私は外で太陽が出ていることを知った。

視界がドロドロに揺れているのは、昨日のお酒が残っているからだろうか。

そのまま全身で、ソーマの体温とシーツの感覚を感じて。





私は悶絶した。





薬で敏感になりすぎた皮膚感覚と、昨日晒すことになったさらなる痴態の記憶の数々に、私の心身はいきなり泡立ってしまう。

はじめてあの悪魔の手を使ったとき、彼はまだ手加減をしていたのだ……!

あくまでも優しかったとはいえ、悪魔のように容赦がなかった……!

あんなの、あんなの……!


あんなのに耐えられる人は、いない!!

どうして本気で抵抗しなかった、私!?

ソーマを驚かせるなんて、やるべきじゃなかった!

心臓を止められそうになったのは、私の方だ!!!


涙目になりながら体を無理矢理起こし、無言で頭を抱える。

多分、彼はその気になれば全身を【精霊化】できるのではないだろうか?

その上で、アレもできる……と?

つまり……、その……。


「ぅぅぅ……」


いっそのこと、本当に記憶を失ってしまいたかった。


次からは、アレは絶対に拒否しないといけない。

少なくとも、2回までで許してもらおう。


そうしないと多分、私はいずれ人としてやってはいけないことをやってしまう気がする。


昨日のあの言動が、それこそ淑女のものだと思えるほどのことを。

その淑女の鎧たる、途中で剥ぎ取られた勝負下着ランジェリーはグチャグチャに丸まった状態でミニテーブルの足元に転がっていた。

……あれの洗濯は、さすがに自分でやろう。


暗澹たる気持ちで溜息をつく私の隣で、悪魔が小さく寝返りをうつ。


……可愛い。


遊び疲れた子供のように幸せそうな表情ぐっすりと眠り続ける、彼。

ああは言いながらも、私の様子を見ながら絶対に酷いことはしなかった優しい悪魔に。


そんな想いを抱いてしまう自分に。

私は苦笑いしてしまう。


これはまた夕方前まで起きられないコースだろうけれど、……彼がのんびり眠れるならそれでもいいか。

彼の腕の中に戻った私は、あたたかい彼の頬を撫で。

混じり合う体温の中で、ゆっくりと意識を手放した。


ソーマ。

起きたら2人でご飯を食べて、また笑いながら話をしよう。

















……ミレイユとブランカに、どういう罰を与えるのかを!

逆接の接続詞を「が」から「けど」に変えて、より淡々とした感じにするとアリスの語りになります。

とはいえ、最近は「!」が入ることも多くなってきましたね(笑)


尚、この世界では16歳からが成人として認められていますので、今更ですが17歳の2人が飲酒することは合法です。

冒険者は多少アウトローな存在でもありますので、あまり店側も気にしてはいませんが。

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