プロン
「旦那様、心配しましたわー?」
「何かあったのかニャ?」
「いや、馬が疲れていたみたいだから、回復させてただけだ。
悪かったな」
「……」
俺たちの馬車が先に行った2台に合流したのは約15分後だ。
実際は馬がではなく、アリスが回復、つまり平静を取り戻すまでに約10分かかった。
途中で、俺たちが来ないことを不審に思って停車していたミレイユたちに合流し、俺も一旦馬車を止める。
「アリスさん、どうかしましたかぁ?」
「……別に」
地味に勘の鋭いブランカと目を会わせず、アリスは平常を装った調子で答えようとしているが、まだあまり上手くいっていない。
いくらブランカの耳でも、さすがにあの距離であれは聞こえていない、とは思うのだが……。
そんな様子を横目で確認しながら、俺はミレイユがネイリングに膝を貸してやっている様子を見て、小さく安堵の溜息をついていた。
本来ならばミレイユは俺の馬車に乗せておくべきなのだが、俺は今回あえてそれをしなかった。
これはアリスの平常心を奪うためではなく、俺がいない状況を作り出すことで、ミレイユが早々に本性を現すか試すためである。
そのためにわざわざ、俺の血を飲ませた上で、弱っているネイリングがいる馬車を選んで同乗させたのだ。
が、見る限り『ホワイトクロー』の面々とも適当に打ち解けているらしく、ネイリングにも緊張している様子はない。
まぁ、こんなに早くボロを出すほど、こいつは馬鹿ではないだろうとも思ってはいたが。
むしろ、あまりにも警戒心がない『ホワイトクロー』の方に不安を覚える。
お前ら、多分ミレイユに勝てないぞ?
「……じゃあ、行こうか」
無表情の俺の号令を合図に、3台の馬車はまたガタゴトと揺れ出した。
「なんで、この辺の木は全部枯れてるのかニャー?」
アネモネ、ネイリング、ミレイユの乗った馬車が先頭を走り、その後を俺とアリスの馬車と、エレニアとブランカの馬車が並んで走る。
それからまだあまり経たないうちに、エレニアがこちらを向いてそう問いかけてきた。
確かに、周囲の木はほとんどがボロボロに立ち枯れている。
【水覚】によって周囲と地下の水の異常を感じていた俺は、推定で答えを返した。
「多分……、鉱毒だな」
「そう、ミスリル自体は無害でも、それを精錬した後の水は有害。
採集集落の先にある精錬所から流れる水で、このあたりの土地は全てダメになっている。
水も、それを含んだ土で育った草や木も、それを食べる魚や動物も全てが毒。
だから、この辺りには魔物すらいない。
山の中なのに木の精霊も、すごく少ない」
後ろに座っていたアリスの補足を聞き、エレニアの顔が歪む。
魔物どころか動物らしい動物が全く見当たらないのは、そういうことか。
日本の4大公害に代表されるように、酸化金属や水銀などの重金属、硫酸などの劇物は水を通して周囲の土壌を汚染し、その上に生きる全ての生物を毒する。
現世にミスリルなどという超金属は存在しなかったが、それがここまで水を汚染するような物質だとは思っていなかった。
俺は見ることができないが、おそらくこの辺りには水の精霊もあまりいないのではないだろうか。
「こんなところに、住んでるのかニャ……」
「住みたくて、住んでいるわけではない!」
当然の疑問をこぼしたエレニアに、アリスが静かな激情を込めて返した。
俺は、無言で馬車を操る。
「……申し訳ない。
採掘集落の住民は、実質的にはチョーカという国家の奴隷。
ほとんどが老人か子供、都市で働けなくなった身寄りのない人たち。
彼らは、国からミスリルの採掘を義務付けられていて、それと交換で水や食糧を支給されている。
あなたの言ったように、こんなところで人は住めない。
水も食べ物も、まともなものは自力で手に入れられない」
「逃げ……るのも、無理か」
逃げればいい、と俺は言いかけてしまったが、できるわけがない。
完全に詰んでいる。
「そう。
勝手に集落を離れてチョーカの回収部隊に見つかれば、彼らはすぐに殺される。
アーネルに逃げようとしてもここは山の中で、それを抜けてもさらに過酷なカイラン大荒野が広がっている。
だから、彼らは食べるために、生きるために必死で働く。
……そして、……死ぬ」
アリスは目を伏せて黙り込み、エレニアは眉をしかめている。
その後ろで聞いていたのだろうブランカも、悲痛な表情を浮かべていた。
「……こんな所で、人は住めない。
人間として、生きていけるわけがない。
でも、そんなところで生きるしかないのが、プロンのような採掘集落の人々。
だから、私は彼らを助けたい。
私とソーマが作る新しい村で、人間として生きていってもらいたい」
アリスの決意には、俺の策のように裏がない。
だからこそ、その言葉は人の心を動かせる。
「あなたたちにも、力を貸してほしい」
「アリス……もちろんニャ!」
「お手伝いしますぅ」
頭を下げたアリスに、エレニアとブランカが力強く答える。
「少なくとも、カイラン大荒野は汚染されてはいない。
充分な水源さえ確保できれば、ここよりは暮らしやすいだろう。
最初はかなり助けてやらないといけないだろうが……。
最後は、住民たちの頑張り次第だぞ?」
「わかっている。
でも、あの子たちなら大丈夫」
アリスの瞳は前、もうじき着くであろうプロンの方角に向けられている。
その声は、確信に満ちていた。
「久しぶりっ、ねーちゃん!
あいかわらず、おっぱい小せーな!」
「!?」
「「!?」」
「ふふふ」
プロンに着いてすぐ、10歳くらいのひどく痩せた少年が走り寄ってきた。
そして、正面からアリスの胸を両手でさわる。
あまりに自然で敵意のない行動だったため、アリスは硬直のまま受け入れてしまい、俺と『ホワイトクロー』の4人も硬直のままそれを眺めるだけになる。
ミレイユだけが笑みを浮かべていた。
土で汚れた金髪の少年は、アリスに満面の笑顔を見せる。
その爪は真っ黒に変色し、さらに指の何本かは、関節を無視した妙な曲がり方をしていた。
「……サーヴェラ、元気そうでよかった」
「おー、ねーちゃんも元気そうだな!」
一拍おいて、アリスがサーヴェラと呼ばれた少年の手を引きはがしながら、それでも嬉しそうに笑う。
サーヴェラも、本当に嬉しそうだ。
久しぶりの、再会なのだろう。
……それに免じて、今回は厳重注意で済ませてやる。
「サーヴェラ」
「なんだ、にーちゃん?」
「……ソーマ」
「「……」」
「ふふふ」
無言のままサーヴェラの前に立った俺に、アリスは制止の声を、『ホワイトクロー』の4人は何をする気かという視線を、ミレイユはやはり面白そうに笑っている。
アリスが怒っていない以上、いきなり手をあげたりするつもりはない。
ただの厳重注意だ。
「サーヴェラ、女の胸に勝手にさわるな」
「……あー、そうか……。
このにーちゃん、ねーちゃんのカレシなんだな?」
「……そう」
一瞬残念そうな顔をした後、ニヤニヤ笑いだしたサーヴェラの問いに、アリスは耳の先を赤くして肯定の返事をする。
後ろからなまあたたたかい視線が4匹分と、単純に楽しんでいる視線が1体分、俺の背中に突き刺ささったが無視だ。
「ふーん、……わかった!
にーちゃん、もうしない!」
「……そうか、ならいい」
「ちなみに……、もしまたやったら?」
本当にわかってんのか、サーヴェラ?
そんなの、決まっているだろう。
「腕を斬り落とす」
「「「……え?」」」
「ふくっ……」
悪ガキといった感じのサーヴェラがそう言って笑ったのに対し、俺が微笑みながら答えてやると、空気が凍てついた。
俺とミレイユ以外の全員が硬直し、ミレイユは両手で腹を押さえて下を向いている。
ミレイユの笑うポイントが、よくわからない。
「……ねーちゃん、冗談……、だよな?」
「……」
サーヴェラが救いを求めるようにアリスを見るが、アリスは俺の横顔を見た後、深く溜息をついた。
「……サーヴェラ、もう絶対にしちゃダメ」
「……本気かよ」
「本気だが?
逆に、なぜ冗談だと思った?
冗談で腕を斬る趣味はないぞ、俺は?」
必要もなく、そんな猟奇的なことはしない。
人をなんだと思っているのか。
「……」
「……」
「あの、二度と……しません」
「二度まではできる、とも言えるがな」
「……ねーちゃん、こんな奴のどこがいいの?」
「……説明しても、わからないと思う。
この人も、見た目よりは優しいから、多分……大丈夫……」
なぜかアリスが自信をなくしていく中、サーヴェラは無言のまま俺から一歩離れた。
左右の手で自分の腕をさわっているのは、2本あることを確認しているからだろう。
『ホワイトクロー』の面々が苦笑いする中、ミレイユだけはしゃがみ込んで体を震わせている。
ところで、アリス。
見た目よりは優しい、っていうのは、褒めているのか?
プロンの住民は、全部で38名だった。
15歳以下の子供が20名、16歳以上の大人が12名、老人が6名。
サーヴェラがこの中で一番の健康体な時点で、プロンがどういう集落なのか俺や『ホワイトクロー』の面々は理解ができた。
採掘集落は山中に点在しているらしいが、この年齢構成で採掘という危険な作業をやらせていること自体に無理がある。
チョーカからすればおそらくは使い潰して死ぬのが前提で、減ったら補充するくらいの考えなのだろう。
また、予想できていたことだが全員になんらかの障害や、金属の中毒症状が見られた。
脆くなった骨で過酷な作業に従事していたため、ほぼ全員がどこかしらを骨折している。
骨が変なくっつき方をしてしまった子供たちも半数近くおり、サーヴェラの指もこれによるものだろう。
老人たちに至っては、6名中4名が寝たきりの状態になってしまっている。
他、何人かに直接ふれて体内を【水覚】で調べてみても、腎臓や肝臓がかなり痛んでいることがわかった。
飢餓による衰弱もあり、このままではリーカンに戻る前に死者が出る可能性があったため、俺たちは先に全員を回復させることにした。
まぁ、その方が「説得」もしやすいだろうしな。
地面に薄緑色の霊墨を撒きながら、俺は何度も魔法陣の確認をする。
命属性超高位霊術【領内完全回復】。
これはその陣内に存在する全ての対象に【完全解癒】と【完全解毒】を発動させる大規模魔法。
命属性のみならず全霊術の中でも最高位の効果を発揮する、決戦級霊術である。
心臓と脳さえ動いていれば壊滅した小隊すら立て直せる、もはや奇跡のような魔法であるが、その発動条件は非常に厳しい。
1つは、大量の霊墨を使って直径20メートルに及ぶ巨大かつ精緻な魔法陣を描く必要があること。
魔法陣は少しの歪みや模様の過多過小があるだけでも発動しないため、この陣そのものを描くのが非常に大変なのだ。
現に、木板を持った俺が【水覚】で知覚した魔法陣の全体像を把握しながら、全員に指示を出しているものの、7人がかりで10分以上を費やしてまだ一部が完成していない。
もう1つが、使用する魔力の量だ。
おおよそで、20万。
砦に穴を開ける【氷艦砲】1発よりも、はるかに高い魔力が必要なのだ。
このため、世界で発動できる魔導士が30人程度しかいない。
しかし、その効果は絶大だ。
「すげぇ……」
「嘘だ……」
「動く、動くぞ!」
「痛く……ない」
「あぁ、魔導士様」
『ホワイトクロー』の4人が動けない人間を魔法陣の上に移動させて、俺が数百人は殺せるほどの量の魔力を注いだ瞬間。
俺たちが持ち込んだ命属性の霊墨のほぼ全てを使い切って発動させた最高位霊術は、老若男女や傷病大小を問わず、その陣の中の全ての人間を完治させた。
遅れて沸き上がる、住民たちの歓声。
続けて俺は、エレニアたちが集落の家、というよりは掘立小屋だが、から運び出してきた何本もの樽や水がめの中身を何度もすすいでから、中になみなみと水を満たしていく。
食べるものに関しては、アリスの裁量に任せておけばいいだろう。
とりあえず、俺がこの場でやることはここまでだ。
「で、ミレイユ。
水竜と火竜はどこだ?」
崇めてくる人々の輪から外れ、アリスと『ホワイトクロー』の面々がプロンの人々に笑顔で囲まれ、感謝され、あるいは拝まれているのを眺めながら、俺は隣にいるミレイユに声をかけた。
事前にミレイユから、水竜と火竜は子供の姿ですわー、とは聞いている。
俺も、大型爬虫類が子供と遊ぶ光景を三次元では想像できない。
が、俺の視界に入っているのは、どうみても全員がただのボロボロの人間だ。
高い魔力を宿した子供は見当たらない。
「山の中ですわー」
「かなり先か」
「1キロか、2キロくらいかと。
においが、しますので」
ミレイユの白い人差し指が示す方向を見つめるが、俺の【水覚】には何も感知できていない。
残念ながら、感知能力はミレイユの方が上らしいな。
「……サーヴェラ!」
「な、なんだよ、にーちゃん?
別にオレ、なんもしてねーぞ!?」
わかっている。
そもそも、何かしていればもうお前の腕はそこにない。
「見慣れない子供が2人、最近までここにいたはずだ。
その2人は、いつからプロンにいる?」
「んー?
……あー、シズイとサラスナか。
前の兵隊が来た後すぐからだから……、10日前くらいからかな。
いいやつだぞ、あいつら。
すっげぇ力あるし、あいつらのおかげでもう今回の採掘ノルマは、達成できてるからな。
だから、皆もゆっくり休めてるんだ」
住民が全員揃っていたのは、そういうわけか……。
それから、10歳の子供がノルマ達成などという言葉を知っているべきではないと思う。
違和感と不快感が、半端ではない。
「……そうか、わかった。
ミレイユ、ついてこい。
捕獲するぞ」
「わかりましたわー」
「待てよ、にーちゃん。
シズイとサラスナに何する気?」
ミレイユと共に歩きだそうとすると、その前にサーヴェラが立ちふさがった。
その髪の色と同じ金色の瞳に浮かぶのは、仲間を守るリーダーのそれだ。
「……ふん、別に何もしない。
あの2人、というかシズイは俺の身内みたいなものだからな」
腕を斬り落とす、とまで言った相手の前に立ちふさがる。
そんな勇気を見せたサーヴェラに面白みを感じつつ、俺は苦笑交じりに返す。
「あいつら、……多分人間じゃねーぞ?」
「知っている」
ついでに言えば、俺も半分は違う。
ミレイユは、全部が違う。
「無理矢理で、どうにかならないと思うぞ?」
「別に、戦うつもりはない。
連れ戻しに来ただけだ」
むしろ、戦いたくはない。
そして、俺がほしいのはサラスナの方もだがな。
「そうか、あいつら連れて行くのか……」
「いや、お前らも連れて行くつもりだが?」
「?」
「ふふふ」
さっきの【領内完全回復】を見てサーヴェラは、シズイとサラスナを連れて行くことも俺ならできる、と判断したらしい。
貴重な働き手、あるいは仲間を連れて行かれることに、はっきりと顔が曇った。
が、その後の俺の言葉に、サーヴェラはキョトンとしている。
まぁ、これは俺から説明しない方がいいだろう。
「詳しいことは、アリスから聞け。
……サーヴェラ、俺たちが道を用意してやる。
だが、これはあくまでも取引だし、一方的に助けてやるつもりもない。
アリスの話をよく聞いて、これからどう生きるかを自分で考えて、自分で決めろ」
ポカンとした表情のサーヴェラを置いて、俺とミレイユは歩きだす。
「アリス、俺とミレイユで霊竜を捕獲してくる。
住民たちの説得は任せるからな。
エレニアたちは、アリスの指示にしたがって荷造りを手伝ってやってくれ」
「わかった」
「任せるニャ!」
通り過ぎながらアリスに声をかけると、迷いのない返事が返ってきた。
そう、この説得はアリスの方が適任だろう。
なぜなら、裏がないからだ。
俺は圧倒的な力を示し、アリスはこれから優しさを示す。
プロンの人々の魂の奥底にアリスの言葉は刻みつけられ、そして自ら望んで俺たちの村の住人となってくれるだろう。
無色のキングと緑色のクイーンしかいなかった俺の陣営には今、なぜか予期せぬ闖入者が。
すなわち4つの白い碁石と、そして盤面から消えてくれない飛車がいた。
白のキングに謁見した後、俺は黒のルークを撃破。
その地では、6つのポーンが手に入った。
ここ、プロンで手に入る数も合わせれば、その総数は44に増える。
まぁ、これは後でもう少し数を増やし、のんびり育てていけばいいだろう。
そして、この後に作る俺たちのルークを、しっかり支えてもらう。
あとは、俺たちの頭上を勝手に飛び越えていかないように、青と赤、2頭のナイトに手綱をつけておけば。
とりあえずは、俺が必要だと思っていた駒が全て揃う。
本音を言えば、碁石と飛車の扱いに少し困っているものの、まぁこの様子なら邪魔にはならないだろう。
この戦争もこれからいよいよ、佳境を迎えることになる。
尚、俺の陣営にビショップ、つまり僧正の駒はない。
必要だとも、思わない。
この世界には、そもそも神が存在しないか。
あるいは、いてもよっぽど役に立たないらしいからだ。
アリスの説明に瞳を輝かせているプロンの人々を一瞥した後、俺とミレイユは2柱の霊竜のもとへ向かった。




