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クール・エール  作者: 砂押 司
第2部 カイラン南北戦争

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34/179

氷と炎

収容された生存者のうち大半は、頑強なミスリルの鎧によって生を拾ったチョーカ兵がほとんどだった。

次いで傭兵や民兵が50名ほど。

娼婦、及び奴隷は軽装だったために死亡率が高く、たまたまキャンプ地の周辺にいた10名足らずだけが一命を取り留めていた。


その中で、俺たちが引き取ることにした奴隷は6人だ。

アンゼリカが最年長で14歳、次が12歳のロザリア、その下に10歳から8歳の男女が2人ずつ続く。

俺たちはこのままプロンへ移動するため、彼女たちとは一旦ここで別れることになる。


クロタンテ自体が完全に破壊されてしまったため、ウォリア高地をそのまま占領することは攻略隊にはできない。

というか、戦略的に考えてメリットがない。

山岳戦はチョーカ兵に有利な上、アーネル軍にとってもわざわざリーカンから離れてまで、不毛の大荒野で兵站を維持することは無駄でしかないからだ。

兵数の利を活かしたいであろうアーネル軍の意向も考えると、全軍同士での激突はやはりカイラン大荒野で行われると見て間違いないだろう。


このためこの攻略戦で得られた戦利品は、俺が個人で敵国の重要拠点を破壊し尽くしたという事実と、土と血の海に埋まっていた死者の装備品のみだ。

バラバラに吹き飛んだ死体からの回収は攻略隊、特に若い騎士の精神に深刻なダメージを与えたようだったが、その甲斐もあって約2千名分のミスリル装備と高位のものを含む魔装備の回収ができたと、モーリスから報告を受けている。

これにより俺たち、そして俺たちから『ホワイトクロー』に支払われる報酬も、それなりの金額になることが確定した。


子供たちのことはリーカンへ帰還するモーリスに頼んでおく。

俺たちの所有物という段階で奴隷としての扱いは免れるだろうし、何も言わなくても衣食住の世話くらいはしてくれるだろう。

が、あくまでもきちんと区別しておくため戦利報酬の一部を前借するかたちで、俺たちが引き取りに行くまでにかかるであろう、リーカンでの当座の生活費は支払っておく。

ついでにプロンへ移動する俺たちの装備として、攻略隊から3台の馬車と12頭の馬、使わなかったために大量に余った糧食や霊墨イリス、薬、毛布などの一部を払い下げさせた。


「戦争を終わらせた後に、迎えにくる。

それまでは、モーリス隊長の言うことを聞いて、皆と待っていて。

ロザリアと一緒に、下の子の面倒をきちんと見ること」


「わかっています。

あの……、ありがとうございました」


「礼を言うのは……、まだ早いと思うがな。

まぁ、また後でその話はしよう。

……じゃあ任せたぞ、モーリス隊長?」


「わかっております、ソーマ殿!」


救護の後に支給された毛布にくるまり、虚ろな表情で下を向いている子供たちの中で、アンゼリカだけがアリスの言葉に返事をし、俺に頭を下げる。

少し強い光を宿した紫色の瞳に、もう涙は浮かんでいなかった。

















クロタンテのあったウォリア高地を越えると、一旦標高は下がり、またカイラン大荒野と同じような景色が広がりだす。

大きく違うのは、前方に切り立った山脈が連なる光景が広がっていることと、少しずつではあるが緑が増えてきていることだ。

俺とアリス、エレニアとブランカ、アネモネとネイリングで分乗した3台の馬車が1時間も走らないうちに、また緩やかに標高が上がっていく。

1台の馬車に対して、ばんえい競馬に使うような大型の馬を4頭もつないでいるので、山道を登っていくルートであっても今のところ大きな問題は起きていない。

アリスから馬車の操車方法を教えてもらいながら、馬がバテすぎない程度のスピードで目的地である集落、プロンを目指す。


山なのに等高線がないというこの世界の地図は、山越えにおいてはあまり当てにならない。

アリスの記憶と馬車移動の機動力だけが頼りだが、プロンまでは2日くらいで着けるだろうと俺たちは踏んでいた。

無限に水を生み出せる俺と、牧草を量産できるアリスがいるため、馬を飢えさせることもない。

さらに馬の疲労を【完全解癒リザレクション】の連発で無理矢理回復させつつ、3台の馬車は驚異的なペースで山道を走リ続けていた。

ネイリングがダウンしているのは、相変わらずだったが。


「それで、アンゼリカたちは最終的にどうするつもりなんだ?」


「アーネルで、ううん、ラルクスで引き取ってくれる人を探そうと思う」


適当な休憩と操車の交代をはさみながら、この間に俺とアリスはアンゼリカたちの処遇について話し合っていた。


「それは、奴隷としてか、それとも市民としてか?」


「市民として」


「できるのか?」


「……」


手綱を握ったまま黙り込んだアリスの後ろ姿を、俺は静かに見つめる。

1度奴隷に堕ちた人間はその身分から脱出、つまり自分の身分を買い戻そうとも、常に元奴隷というレッテルがつきまとう。

解放された奴隷に対して、法の上では差別も区別も禁止はされているものの、人間とはそう簡単に割り切れる生き物ではない。

何より、あの子供たちは心身に奴隷という生き方を刻みこまれてしまっている。

全員が積極的に、そして幸せな人生を送れるかと言われれば、かなり難しいと言わざるを得ないのが現実だった。


「プロンの住民は、どこに移すつもりだったんだ?」


「……」


「アリス、お前は、助けた人間にどういう人生を歩んでもらいたい?」


「……もちろん、幸せになってほしい」


「それは、人間としてか、家畜としてか、愛玩動物としてか?」


「人間としてに、決まっている」


冷淡な単語に、おそらくずっと聞こえていたのであろうブランカの耳と表情がピクリと動く。

が、そこに含まれた俺の意を正確に理解できているアリスは、あくまでも冷静に返答した。


俺は、一方的に養い続けるつもりはない、と釘を刺したのだ。


対価もなく一方的に養われ、庇護者の優しさだけに縋る生き方。

それは人間ではなく、もはやペットの生き方だ。

何かを生産できれば家畜に格上げされるが、それでも俺はそれを人間の生き方と呼ぶつもりはない。

守ってくれていた者がいなくなった瞬間に潰える、そんな薄氷のような幸せがどれだけ不確かなものかは……。

誰よりも俺自身が、よく知っていた。


誰からも守られなくとも、自分の守りたいものを守り通せる存在。

弱者であることに溺れず、たとえ弱くとも強者を目指して血を流す存在。

それが人間としての生き方に求められるものだと、俺は思っている。


アリスが納得できるレベルと、俺が妥協できるレベル。

対外的な意味と、本当の意味。

これらを総合して、猫足亭でチェスをしていたときから考えていたアイデアを。

青猫亭でアリスの決意を確認し、アンゼリカの瞳に光が戻ったことでほぼ固まった1手を。

俺はアリスに投げかける。





「新しい村を作ろうと思うんだが、どう思う?」





「村を、作る?」


思わずアリスが振り返ってしまったため、俺たちの馬車は大きく揺れた。


「そう、どこかに村でも作って、最初だけ援助……というか投資をする。

その後は自活してもらって、投資分はきっちり返してもらう。

この案を、どう思う?」


「どこに作るつもり?」


すぐに落ち着いたアリスの背中に、そして『ホワイトクロー』の面々にも聞こえるように俺は自分の案を話す。

とはいえ、本当の理由は話さない方がいいだろう。


「カイラン大荒野だな。

戦利報酬の2割、これをどういう形で貰うかはアーネルとは決めていない。

チョーカを敗戦させれば、防衛拠点のクロタンテがなくなった以上、多分大荒野はアーネルの戦利地になるだろう。

その2割を貰う」


「あんな所に人は住めない」


「水源だけなんとかすればいいんだろ?

地下に水脈は走っていたし、湖や川を作ればいいだけだから簡単だ。

森や畑はお前が作ればいい」


「……家畜や日用道具は?」


「通常報酬の大金貨を充ててアーネルから買う。

あれだけ派手に暴れたんだから、取引の拒否や値段をふっかけられるようなこともないだろう。

ついでに当面の食料も、アーネル軍の補給部隊から買い取ればいいか」


村を作る。

この世界でなくとも国策規模の事業であるが、水を支配し地形すら変化させられる俺と、あらゆる植物を生み出せるアリスがそれに専念すれば、1か月もせずに形にできるだろう。

俺たちが救出した人間、そしてこれから救出する人間はそこに放りこんで自力で生活してもらい、その村の発展のために尽くしてもらう。

必要以上の対価を搾取するつもりはないが、彼らの人生を助けた対価は、彼らの人生の一部から支払ってもらうべきだと、俺は思う。

ついでに、各国が『スリーピングフォレスト』を過激だが人道的な存在だと、適当に誤解してくれれば言うことはない。


チョーカに勝利し、カイラン大荒野の2割を手に入れ、アーネル軍を相手に互角以上の商取引を行い、湖や森ごと村を作る。

これら全てが実行可能であるという前提のもとで、俺とアリスは細部をどんどん詰めていく。


その話のあまりの規模と、その軽さに、『ホワイトクロー』の4人は完全に顎を外していた。

ネコの手も借りたくなるほど忙しくなるだろうから、やっぱりこいつらを雇っておいて正解だったな。





「前方距離600、戦闘の音、多分5名以下だと思いますぅ!

全員が金属製の装備、ミスリルがふれあう音ですので、チョーカ兵かとぉ。

何かと戦っているみたいですが、そんなに大きい生き物ではないですぅ」


「血のにおいが濃いニャ。

もう、10人以上は死んでるはずニャ」


俺とアリスの開拓計画を遮ったのは、右側の馬車の2人だ。

非常事態がブランカのおっとりとした口調で告げられ、エレニアがそれを補足する中、俺以外の全員が武器を構える。

さらに200メートル進んだ段階で、俺の【水覚アイズ】には最大の懸念事項にして不確定要素の姿が浮かび上がった。

その姿と周りの状況に、俺は一気に警戒レベルを引き上げる。


「前方400メートル、あの魔人ダークスだ」


こんなところで、何をしているのか?

頭の中にはその言葉が浮かんだが、すぐに消す。


あの女を、これからどうやって討ち取るか。

俺たちが考えるべきは、その1点だけだ。


遮蔽物が多い山、しかも森の中にいたため、【氷撃砲カノン】などによる遠距離攻撃は諦めた。

視認した上での近距離線を挑むべく、俺は顔以外に【氷鎧凍装コキュートス】を、『ホワイトクロー』の4人は【軽装ライソー】を発動させ、アリスは【宿魔之召喚サ・ビスカ】の詠唱を完了させている。

さらに俺は領域内に干渉し、上空で大量の水を生成し続ける。


立ち枯れた木々の向こう、50メートル程先に。

赤と銀色と肌色の山と、黒く長い髪を優雅に振ってこちらに微笑みかけるあの女を視認した瞬間。

馬車から『ホワイトクロー』の4人が残像を残して飛び出し、わずか1歩で女の周囲を取り囲む!

全身の筋肉をたわませたまま、【重撃ヘイトー】の詠唱を完了。

女が動き出した瞬間に、破城鎚に等しい攻撃を四方から撃ちこめる態勢をとる。

さらに、揺れる馬車の上からアリスが【宿魔之召喚サ・ビスカ】を発射!

命中した左肩から、ヤドリギの鮮やかな緑色が噴き出すのも一顧だにせず、女は赤い瞳を嬉しそうに歪めて、俺の瞳だけを見つめ続けていた。


俺は無人となった2台の馬車の手綱を凍りつかせて、後ろに引く。

実際に握っている手綱も同じように引き、そのまま女の20メートル手前で馬車を急制動、俺とアリスも馬車から飛び降りた。


アリスが2発目の【宿魔之召喚サ・ビスカ】を詠唱する中、女と俺たち6人を中心にした半径50メートルの空間を囲む形で、上空から高さ10メートル、厚み1メートルを超える氷の壁が何枚も落下!

次々と降り注ぐ壁は完全な円形となってつながり、さらに降り注いだ水が上空20メートルで円形となって氷結。

魔人ダークスごと俺たちを隔離する、まるでコロッセオのような形の氷は、俺の制御の下でさらに厚みを増し続けている。


あの女が【散闇思遠バッティング】、全身を灰に変えて実体化を解いてしまっても、俺は【水覚アイズ】で無数の粒子となったそれを感じ取ることはできる。

問題なのはそれが数千や数万といった数ではなく、おそらくは兆かその上の単位を使わないと表せないほどの数になってしまうこと。

そして、俺が追い切れないスピードで灰は四方八方に散ってしまい、すぐに【水覚アイズ】の領域から出てしまうことだ。

女が帯びている魔力も分割されてしまうため、事実上その後の追跡は不可能となる。


しかし、前回のように、逃がすつもりはない。

世界から切り取ったこの氷の監獄の中で、相手の全ての魔力が尽きるまで攻撃し続け、完全に消し去るしかない。

俺とアリス、『ホワイトクロー』の4人がそれぞれ次の挙動に移ろうとした瞬間。


ほぼ全身をヤドリギに覆われた女は、それでも優雅に、その場で跪く。


シムカのような完璧な跪礼をした女の姿の後ろには、積み上げられたチョーカ兵の死体の山。

首や腕など体の各所がねじ切られているために一見しただけではわからなかったが、【水覚アイズ】で知覚する限りでは軽く20人を超えている。

その前で、武器を掲げたまま困惑した表情の4人の獣人ビーストに囲まれた、ヤドリギに拘束されながらも跪く魔人ダークス

病的に白い肌と黒い髪のコントラストを縛る鮮やかな緑色、その背後でミスリルの美しい銀色と不謹慎な赤色がぶちまけられた光景は、退廃的すぎる絵画のようだった。





「旦那様、お逢いしたかったですわー」


「「……」」





その三日月のような唇から発せられた謎の単語に、俺もアリスも、『ホワイトクロー』の4人も停止する。

いまだに成長を続けるヤドリギには一切注意を払うこともなく、女の赤い瞳は無邪気に、しかし妖艶に俺を見つめ続けていた。


「まずは、このミレイユ。

突然のことで混乱していたとはいえ、王都で許可もなく、その至高の一雫ひとしずくをいただいてしまったことを謝罪いたしますわー」


全員の思考が止まってしまった中、女、自称ミレイユはさらに深く頭を下げる。


「既にご存じかとは思いますが、わたくしたち魔人ダークスは他の種族の血をいただかなければ体を維持することができませんわー。

わたくしも100年以上を生きた身ではありますので、それなりに舌は肥えているつもりだったのですけれど。

ですが、あれほどまで甘美で透き通っていて、心から満足できる美味を味わったことはございませんわー。

……あの雨の中、わたくしの牙が掠めただけのその一雫で。

お恥ずかしい話ですがわたくし、達してしまっておりましたわー」


「「……」」


「……そうか」


女性陣が何も言わないので、俺が無理矢理相槌を打つ。

そうか、くらいしか言えることはなかったが。


「はい。

最初に感じられたのは、まるで幼い子供が流した涙のような。

そして深い海の底に眠るその青く澄んだ、無垢なまでの塩味えんみでしたわー。

ですがその後すぐに、静かな甘みと、そしてそれを打ち消すか打ち消さないかの絶妙なバランスで。

心地よいほろ苦さが追いかけてきましたわー。

甘みと言っても、砂糖や果物のような強すぎるものではありません。

人間が主食にしている麦をかみしめたときのような、ほのかで、それとは気づかないような甘さ……。

押しつけがましくなく、決してくどくもない、あの自然に受け入れざるを得ない甘さですわー。

……ですが、そこまでであれば、ただの一流の血にすぎません。

そこから先の苦みと後味が、旦那様の血を超一流。

至高にして、唯一無二の一雫へと押し上げているのですわー」


渾身の一撃を準備している6人の魔導士に囲まれ、さらにはヤドリギにその魔力を吸い取られ続けながらも。

ミレイユは恍惚とした表情で、俺の血の味の詳細を、まるでソムリエのように語り続けている。

褒められているのだとは思うが、その対象の本人としては単純に気持ちが悪い。

それから、苦みと後味、あたりで喉をゴクリと鳴らしたエレニアは、純粋に頭がどうかしていると思う。


「ですが、残念なことにあの苦みを。

本来であれば不快感を与えるはずのあの味覚をあそこまで優しく、そして必要だと感じさせるような表現を、わたくしの貧弱な語彙で表すことは不可能ですわー。

……いずれにせよ塩味と甘み、ほろ苦さは正三角形のような完璧なバランスをとって、さらに舌をわずかに動かすだけでそれは無限に重なり続けていき、そして最後には、ふっ、と。

そう、まるで最初から何もなかったかのように、完全に消え去ってしまうのですわー……。

あれだけの悦楽と快美で魂まで侵し尽くして尚、最後に残るのは透明すぎる、冷たい水を飲んだあとのような清々しさと、喪失感。

その残酷なまでの潔さが、命を懸けてでも。

また一雫だけでいいから味わってみたいと、嗚呼あぁ、わたくしを狂わせるのですわー……」


「「……」」


いや、こいつは最初から狂ってるんじゃないだろうか。

この場にいるミレイユ以外の全員が、おそらくそう思っていた。


「というわけで、またいただきたいのですわー」


「ふざけるな」


ようやく本題を切り出したミレイユの言葉に対して、俺は即答で拒絶する。


「もちろん、対価はお支払いしますわー」


わかっていたことだが、ミレイユも引き下がらない。


「それでも断るつもりだが?」


だが、ミレイユの口にした対価は、俺の予想をはるかに上回るものだった。


「ふふふ……。

わたくしなりに考えて、旦那様に受け取っていただけそうなものを選んだつもりですわー。

1つは、わたくしの忠誠を。

1つは、この地域に潜む火竜と水竜が今いる正確な場所を。

1つは、現時点でのチョーカ兵の兵站状況を含む、この周囲の正確な地形情報を」


こちらの都合を読みすぎているミレイユの発言に、俺たちは先ほどとは違った理由で言葉を発せない。

さらにミレイユは、チェックとなる1手を放ってきた。





「そして、わたくしを側においていただける限り。

エルダロンのフリーダさんには近付かない、とわたくしの命とこの舌に懸けて、お誓いいたしますわー」





俺たちの周囲の空気が、ミシリと音を立てた。

これは錯覚ではない。

俺が用意したコロッセオの制御が一瞬乱れてしまったためと。

『ホワイトクロー』の4人の【重撃ヘイトー】が暴走し、周囲の物体の質量にまで干渉し始めたからだ。

エレニア、アネモネ、ブランカ、ネイリング。

どちらかと言えば穏やかな表情をしていることの多いエレニアとブランカすら、その瞳には純粋な殺意しか浮かんでいない。


「全員、臨戦態勢を解くな。

アリスも、【宿魔之召喚サ・ビスカ】の解除はしなくていい」


全員の、そして俺自身の冷静さを取り戻させる意味でも、俺は全員に再度、強い声で指示を出す。

俺にしても、ここでフリーダの名前が。

エルダロンとサリガシア、2つの大陸を支配する世界1位の魔導士。

風の大精霊との契約者にして、この世界で唯一俺以上の魔力を誇る『声姫』の名前が出てくるとは思っていなかった。


ミレイユ。

この女は、あまりに危険すぎる。

少なくとも無目的な襲撃者や、ただの変態ではない。


「……随分、俺のことを調べてくれたみたいだな?」


「手に入れたい者のために全力で尽くすのは、当然のことですわー」


「手に入れたい物のために全力を尽くす、の間違いだろ?」


「ふふふ、解釈はお任せしますわー」


適当に言葉をつなぎながら、俺はミレイユをどうするべきか悩む。

この女が俺のことをどこで知ったか、というのは問題ではない。

アーネルで、俺の名前はそれなりに知られてしまっているし、自陣片カード登録すらされているのだ。

謁見の際にランドルフが言っていた騎士と冒険者の被害者、彼らから聞き出したのだろう。

俺がアーネルに加勢するという話も、少なくとも王国騎士団の人間なら知っているはずだ。

そして、フリーダは俺以上に有名な存在だ。


「お前……、リーカンでも何人か襲ったか?」


「質問をしただけで、とりあえずアーネル陣営の人間には大きな怪我はさせていませんわー」


「いつだ?」


「旦那様がリーカンに入られた、次の日ですわー。

先に言っておきますと、クロタンテを破壊するところも見ておりましたわー。

と言いましても、ウォリア高地の端の方、10キロ以上離れたところからですが」


もはや、超弩級のストーカーだ。

ただ、このことを俺は感知できていなかったし、予想もしていなかった。

第一印象で理性のない化け物だと思ってしまっていたが、凄まじいまでの機動力と洞察力だ。

そして、これはプラス評価ではなく、ただ単にミレイユの脅威度を跳ね上げるだけである。


「火竜と水竜のことは、どこで知った?」


「クロタンテの陥落を見た後にこの辺りを飛んでいたら、偶然見つけただけですわー。

霊竜のことを旦那様が知らないはずはないと思いましたので、闘うにしろ避けるにしろ喜んでいただけるかと思いまして。

チョーカ兵の動きは、ふふふ、後ろの方々から教えていただきましたわー。

他にも何組かから聞いておりますし、実際に目でも確かめておりますので情報の確度はお約束いたしますわー」


こいつの「教えてもらい方」からすれば、すでにチョーカ兵が100人以上は死んでいる、ということか。

まったく悪気のない顔で俺の顔を見上げるミレイユの赤い瞳に、俺の視線がぶつかる。


現段階で、ミレイユを仲間にするメリットはほとんどない。

得意気なストーカーには悪いが、こいつの持つ情報は「あれば便利」程度のものだ。

ほぼ不死身であるために何かあったときに瞬殺することができず、拷問や幽閉も無意味。

氷漬けにしても、数十年もつきっきりになるわけにはいかない。

これだけ頭の回転が速いとなると、本当に寝首をかかれる可能性すらある。


が、それらは全て仲間にしない場合のデメリットでもあり、それはもはやリスクと言っていいレベルだ。


ここで断れば、この女は確実にフリーダに付く。

それ以前に水竜と火竜を従え、チョーカに加勢することすら考えられる。

そうなれば、俺も本気でチョーカを滅ぼしにかからなければならなくなるうえ、負けはしなくても辛勝となる可能性が高い。

アーネルが健在、フリーダについては何も手を打っていない中で、それでは意味がない。


解決方法としてはミレイユをここで殺しきることだが。

……正直なところ、その確率は100パーセントではない。

もはや、この女を過小評価するべきではない。

散闇思遠バッティング】によって散った灰を1粒でも見逃せば、この女はまた復活してしまう。

そうなれば、確実にこの世界のパワーバランスを、俺の望まない方向へ変えてしまうだろう。


仲間にすることでデメリットを打ち消す、逆説的にこれをメリットとして受け取るべきだろうか?


どうせ管理ができないのならば、首に鈴をつけて目の届く範囲に置いておく……。

どこまで真実かはわからないが、俺の血に執着しているのであればとりあえずは俺に従うのだろう。

実現する可能性はそれこそ数パーセントだが、本当に主従として親しくなり、情で縛るという手段もなくはない。


どちらかと言えば後ろ向きな、守りの1手でしかない妥協点しか思いつけないことに、俺は舌打ちをしそうになるのを全力で我慢する。


「ソーマ、こいつはアーネルで6人も殺してるニャ。

迷うべきじゃないニャ?」


黙り込んだ俺を見て、エレニアは固い声で促す。


「振りかかる火の粉は払うのが当然ですわー」


ミレイユは、そんなことはなんでもないと受け流す。

そして、俺が心の中でにらんでいた天秤をたたき落とす一言を、その唇から吐き捨てた。


「何より、わたくしがあの日王都にいたのは、わたくしの意思ではありませんわー。

多分、あれは時属性の召喚魔法によるもの……。

ですがわたくしの知る限りで、現在においてもそんな魔法は存在しないはずですわー。

わたくしとしてもその召喚者を見つけられたら、ふふふ……、色々と教えていただくつもりですわー」


空気が熱を持つ。

ミレイユを中心に、凄まじいまでの怒気が魔力と共に放射されたのだ。


が、一瞬でそれは抑えられる。

それを超える桁違いの魔力と凍気が、俺から放射されたことによって。





「お前は、どこから来た?」


決して大きく響いたわけではない、俺のその言葉に。

ミレイユの赤い瞳には、初めて真剣な色が浮かんだ。

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