コンフリクト
俺がこの世界に来て、水の大精霊となってからはじめての雨が降り続ける中。
王都アーネルの大通りをこちらに向かって走ってくるのは、灰色の骸骨だった。
だが、あれは不死者ではない。
そもそも、この世界にそのように呼ばれる存在はいない。
命ある者は死ぬ。
死んだ者は、生き返らない。
命属性の魔法にも、死者を蘇生させるものはない。
俺の世界で当たり前だったルールは、この世界でも当たり前のルールだった。
つまり、あの骸骨は生きている。
しかもあれは、この世界では人間と同じカテゴリーに入る、人族なのだ。
魔人。
人間、森人、獣人と同じく人に分類される彼らだが、その特徴は他の3種と大きくかけ離れている。
というよりも同じなのは、その姿が人型で、言葉が通じて、魔法が使えるくらいだ。
他は、なにもかもが違う。
まず、魔人はタンパク質で構成された哺乳類ではない。
その体は灰のような特殊な粉体で構成されており、体を損傷しても魔力さえあれば即座に回復、いや復元してしまう。
内臓があるわけでもないため、急所となる脳や心臓自体がない。
見た目が人型であっても、中身は灰の塊にすぎないのだ。
そのため、いかなる攻撃でもダメージを受けることがない。
寿命は約250年で不老、魔力が尽きない限りは生き続ける。
当然ながら他の3種と子供をもうけることはできず、どうやって生殖していたのかもよくわかっていないらしい。
ただし、魔力が満たされたその外見は例外なく赤い瞳の耽美な美男美女で、かつて多くの他種族が、悦楽の為にすすんでその身を捧げたという。
今、俺たちの目の前で暴れている灰色の骸骨は、魔力が尽きかけている、魔人の死ぬ寸前の姿だ。
周囲の戦士から攻撃を受けるたびに、全身の骨の各所が割れて灰が飛び散る。
が、すぐに魔力によって飛び散った灰が逆転映像のように傷口を埋め、体を復元してしまう。
何百回、何千回、何万回、剣で斬ろうとも。
火で燃やし、水で穿ち、風で斬り裂き、土で埋め、木で貫こうとも。
復元する魔力が尽きない限り、魔人を倒すことは不可能だ。
体の組成がタンパク質を基本にした動物ではないため、アリスの木属性魔導や、おそらくはネイリングも得意とする毒による攻撃も無意味だ。
物理攻撃で体を力学的に破壊し、体を復元する魔力を尽きさせるしかない。
それが、魔人の倒し方だ。
ついでに言っておくと、ゲームのように回復魔法でダメージを受けるようなこともない。
命属性魔導で回復することもないが、いずれにせよ命の精霊の対象外ということである。
……しかし、そんな存在が人族として分類されていることに、この世界の人間は疑問を覚えないのだろうか?
その一応人類な骸骨は、地面になぐり倒した騎士や冒険者を捕まえ、腕に咬みついている。
雨に混じって地面を濡らす血液の量に比例して、魔人の骨格は徐々に太く頑丈になり、その髑髏の眼窩には赤い光が煌々と灯る。
魔人の特殊能力である、【吸魔血成】だ。
彼らは他の生き物の血液を経口摂取することで、その魔力を吸い取り、己の魔力としてしまう。
テレジアが指摘したのと同じで、原理的にはアリスが俺の魔力を得たのと同じ方法だ。
ただし、魔人の【吸魔血成】は相手、いや獲物の魔力の高低にかかわらず発生し、合意の上の行為でもない。
……まぁ、俺の方法にしても、合意が必要かどうなのかは確かめる機会がないのだが。
魔人の【吸魔血成】を阻止せずに放置し続ければ、彼らの魔力は際限なく上がり続け、さらに倒すのが困難になっていく。
救いは、血を吸われた生き物が、その下僕として蘇るようなことはないことだ。
が、大量の血液を吸い取られれば無論、生き物は死ぬ。
魔法なしの近接戦で最強の種族は、エレニアたち獣人だ。
が、制限なしの近接戦で最強の種族は、目の前の骸骨、魔人なのだ。
創世の時代より世界各地で恐怖と混乱、悲劇と絶望をばらまいたこの吸血鬼は、『浄火』の誕生と同時にそのほぼ全ての個体が突如バン大陸に移動。
そのまま『浄火』によって大陸ごと焼き尽くされたため、現存する個体はほぼ存在しないはずである。
が、その人類の天敵である魔人は、確かに550年後の今、王都アーネルで赤と透明の雨を浴び続けていた。
骸骨の足元、赤い水たまりの中に倒れた仲間を見て、何人かの騎士と冒険者が心を折られる。
それらを無視して骸骨が歩き出し、またこちらに向かって走り出した。
その赤く輝く瞳は、まるで鬼火のようだ。
俺は頭上に溜まっていた雨水を全て【氷撃砲】として氷結。
上空200メートルから、氷の砲弾を順次撃ち下ろす。
亜音速の砲撃は数十発を数え、その全てが魔人に命中した。
頭を吹き飛ばし、腕を引きちぎり、胸を貫通し、腹を突き破り、腰を粉砕し、足を縫いとめる。
それでも、魔人は骨の姿に戻り続け、こちらに走ることを止めようとしない。
「雨、戻すぞ」
「任せるニャ、アネモネ、ブランカ!」
「ああ!」
「はいぃ」
次の攻撃のために余計な制御思考を削るべく、俺は雨を止めることを一旦やめる。
短く返事をしたエレニアはすぐに俺の意を理解し、呼応したアネモネと100メートル先まで迫った骸骨に向けて左右から疾走。
元々の筋力に加え土属性魔導【軽装】によって、重力を軽減。
さらに進行方向に向けて重力を発生させ、骸骨に向かって「落下」した2人は、わずか2歩で魔人と接触。
「シャアッ!!」
「ハッ!!」
途中で反回転したエレニアのクローによる裏拳が顔面に、そのままの勢いで両足をそろえたアネモネのドロップキックが胸部に。
今度は逆に土属性魔導【重撃】によって超加重された重力質量と共に、叩きつけられる!
あまりの衝撃に、武器化する際に魔力で強化されているはずのクローと足甲は、一撃で砕け散った。
それぞれが俺の【氷霰弾】と【氷撃砲】を凌駕するほどの攻撃に、魔人はそのまま後ろに吹き飛び、仰向けに地面に転がる。
その頭は消失し、胸部は肋骨が全損、クレーターのようになっていた。
一般人なら、即死だ。
「それでは、いってきますぅぅぅ……」
俺の後ろのブランカが、その場で膝を折って大跳躍。
【軽装】の助けも借りて、俺どころか付近の建物の高さをはるかに超え、高さ30メートルに達する大ジャンプを行う。
そのまま落下しつつ、【重撃】によって加重された槍を、倒れたままの骸骨の腹部に叩きつける!
骸骨の下半身はそのまま爆散し、水天石の槍と地面はその衝撃に耐えきれずに粉々に飛び散った。
ブランカが攻撃から立ちあがるまでに、エレニアとアネモネはその場で再度【創構】を発動、クローと足甲を再構築する。
同じく頭部と胸部の復元を開始していた骸骨に追撃をかけようとするも、急制動、ブランカと共にその場から飛び退く。
俺は放とうとしていた【氷撃砲】を解除し、即座に3人と魔人の間に水の壁を展開。
直後に、骸骨を中心に爆発が起きる!
魔人の背後から追撃に加わろうとしていた騎士が水平に吹き飛び、通り沿いの武器屋の壁に激突、首が曲がってはいけない方向に曲がったのを見て、彼の死体から目を離す。
同じく巻き込まれた軽装の冒険者は、いくつかの燃える肉片となって水天石の地面に転がっていた。
雨と血に濡れた水天石の表面で、雨に消えつつある炎のオレンジ色が乱反射する光景は、周囲から現実感を失わせる。
【爆灼炎】。
魔人が使ったのは、火属性魔導の代表格ともいえる爆発魔導だ。
精霊の力を借りて任意の空間に炎を召喚。
さらに召喚を続けることで炎の増大速度が音速を超え、対象の空間を中心に爆轟を引き起こす。
手榴弾などの爆弾のようにその破片による殺傷能力はないものの、単純な爆風の衝撃と数千度に達する爆炎だけで広範囲を破壊、殺傷する魔導を、骸骨は復元できる自分ごと巻き込んで発動させた。
ただの不死身かと思っていた目前の魔人が、それなりの規模の火属性魔導を行使したことと、自爆という高度な戦術をとったことに俺とエレニアたちの視線は非常に険しいものになる。
これはただの吸血鬼ではなく、まだそれだけの魔力と、そして高い知力がある魔導士だとわかったからだ。
その魔人は髑髏の顔のままで、ニタリと嗤い。
「「「「……?」」」」
その場で全身が崩れ、灰になった。
「後ろだ!」
「後ろですぅ!」
エレニア、アネモネ、ネイリング、アリスがその光景に怪訝な表情をし。
【水覚】と、その聴力で感知した俺とブランカが叫び、全員が振り返る。
パーティーの最後列、ネイリングとアリスを見下ろすかたちで灰が、嗤う骸骨の形に集まっていた。
振り返る動作のまま、ネイリングは水天石の鞭を振りぬく!
当然のように【重撃】で加重されている一撃は、ボゴォッ、という何かがへこんだような鈍い音と共に魔人を吹き飛ばした。
さらに、その胸からは夜でもわかるほど鮮やかな緑色の蔓草が伸び、そのまま骸骨の全身に絡みついていく。
もちろんアリスの、いまや世界8位の木属性魔導士となった、俺のパートナーの魔導だ。
【宿魔之召喚】。
同じ系統の【樹弾之召喚】は着弾と同時に発芽、その実に宿した魔力を糧に急激に成長しながら敵の体内に根を張り巡らせることによって、体内から破壊する魔導だ。
これに対し、今回アリスが魔人に打ち込んだのは、寄生植物であるヤドリギに似た植物の種子だ。
このヤドリギは寄生した宿主の体に根を張った後、魔力を奪って成長、成長する毎に多くの魔力を吸い取るようになり、さらに成長するという悪循環を引き起こす。
成長するにしたがって太く、長く茂る蔓草は宿主を拘束し、そのまま吸い取る魔力が尽きて自分が枯れるまで成長と寄生をやめない。
宿主の魔力が膨大であればあるほど、その拘束と成長も強力になる、非常に性格の悪い魔導である。
さらに、水の壁を解除し、支配領域内の掌握が終わった俺がゆっくりとアリスの隣に並ぶ。
そのままゆっくりと空を見上げた俺につられて、全員が同じく雨の夜空を見上げた。
また雨が降りやんでいたことに、全員が今気づいたようだった。
アリスも、エレニアも、アネモネも、ブランカも、ネイリングも。
そして、【宿魔之召喚】の根を体ごと引きちぎって、ようやく立ちあがった魔人も、その瞳には驚愕の光が映っていた。
時間が、停まっている。
そう錯覚してしまうような光景が、俺たちの視界には広がっていた。
もちろん、時間が停まっているわけではない。
雨が、全て静止しているのだ。
中空で、降り落ちてきたままの崩れた雫の形のままで、俺から半径400メートルの全ての雨がその動きを停止させていたために、まるで時間が停まったかのような錯覚に陥っただけだ。
そして、その全てが凍りつき、鋭い弾丸と化していく。
誰かが、息をのんだ音が聞こえた。
視線を魔人に戻すと、その赤い瞳には、俺がよく知る感情が浮かんでいることがわかる。
すなわち、絶望。
次の瞬間、天に浮かぶ白い弾丸の全てが、魔人へと向かって高速で発射された!
1つ1つは5ミリ程度、【氷撃砲】どころか【氷弾】にも劣る弾丸である。
が、それが秒間3千万発以上という、もはや制御している俺でも把握しきれない量で殺到したとき、それは標的の生存を許さない集中砲火。
すなわち、1秒につき150トンというただの圧力に変わった。
なす術のない魔人に対して、まるで空の全てがすり鉢状に落ちてきたかのように、轟音と共に氷弾は降り注ぐ!
わずか10秒間、推定3億発以上の弾丸で完全に押し潰された魔人を中心に、大通りの水天石の地面はひび割れ、砕け散り、陥没していた。
この光景が、雨によるものだと、どれほどの人が信じられるだろうか。
【集中氷雨】。
それは俺でも創造できない、残酷な自然の猛威だ。
大通りには魔人、だったものが転がっている。
少しばかりの骨の破片と、少量の灰。
水天石と一緒に飛び散った残骸に混じった氷が、キラキラと輝いていた。
降っている雨をそのまま転用したため、水を生成する必要はなかった。
また、普段の射撃ほど細かなコントロールもしていない。
とはいえ、数億という雨粒を1つの流れのように操作するのはかなりの負担だった。
また計1500トン近く、25メートルプール3倍分の氷と水がアリスたちを巻き込むのを防ぐため、同時にその消失もさせなければならなかったため、予想以上に疲れている。
せっかくの雨天なので決行してみたのだが、町の中で個人に使う技ではなかったな。
俺は予想以上の疲労から気が緩み、痛む頭でまたどうでもいいことを考えてしまっていた。
他の5人は、自分たちが今見た光景、俺が引き起こした災害のような攻撃に思考が麻痺し、あれだけの攻撃を受けた生き物が無事なはずはないと決め付けてしまう。
そう、俺たちは油断してしまっていた。
左手の甲に、鋭い痛みが走る。
俺の左手には灰色の牙、だけが突き立っていた。
無言で手を払い、地面を転がりながら復元を開始する骨の顎に向かって、【氷霰弾】を乱射する。
まさか、あの破片だけでも生きていられるとは思っていなかった!
……そして、失策だ。
【吸魔血成】。
むりやり払いのけたために左手の傷は大きくなり、痒み程度の小さな痛みが発生する。
あの一瞬で吸われた血の量自体はかすり傷のようなもので、吸われた魔力も俺からすれば1パーセントもないだろう。
だが、仮にそうだとしても約5万……、これはエレニアやアネモネの全魔力に等しい。
気の緩みから【氷鎧凍装】の発動を怠ったミスを呪う、俺の目の前で、その失策が形になった。
【氷霰弾】で砕かれた顎の破片は、俺の莫大な魔力の一部を吸収したことで一気に全身を復元。
さらに、煌々と灯る赤い瞳の周りから灰でできた筋肉が盛り上がり、その上から病的に白い皮膚が覆っていく。
周囲に散らばった骨の残骸と灰はまるで煙のようにその体に吸い込まれ、夜の空よりも冥い黒髪が背中まで覆うほど長く伸びた。
雨が降る夜の通り、濡れた水天石を舞台に白い裸身を晒した長身の美しい女が、切れ長の目に恍惚とした表情を浮かべ、笑う。
俺の魔力を吸収し完全に復元した魔人が、その赤い瞳を輝かせていた。
女の放つあまりに異常な妖艶さに、全員が動けない。
周囲に集まっていた冒険者と騎士たちも、同じ状況だった。
女は周囲を見回しながら、唇の周りを赤い舌で舐めとり、さらに陶然とした表情を浮かべる。
その赤い瞳は俺の顔を見て、どこか嬉しそうなものになった。
得体のしれない悪寒が背筋を走り、寒気が全身を包む。
降り続ける雨が、あたたかいとさえ感じてしまっていた。
再度、【集中氷雨】を発動。
しかし。
「ふふふ、失礼しますわー」
そんな楽しそうな声と同時に、女の姿は崩れ、また灰になって散る。
一拍おいて殺到した氷弾は、女が立っていた場所、水天石の地面を無意味に砕いただけだった。
【水覚】でも感知できなくなったことで、逃げられたことを悟る。
エレニアから視線を送られたブランカも、後ろで頷いていた。
アリスとアネモネは、無表情を崩さない。
ネイリングだけが、小さく笑っている。
三度降りだした雨の音だけが、静かになった通りの上で響いていた。




