アナザー・エール 水の大精霊 後編
本話をもって、『クール・エール』1部が終了となります。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次の生贄が落ちてくるまでの間に、大きな出来事が3つあった。
1つは、レブリミが契約したマモーが、この湖がある国で最高の魔導士、そして世界でも最高の魔導士になったこと。
世界最高なんてどうやって決めるのか知らないけれど、レブリミとマモーはその報告に、わざわざ湖まで挨拶にきてくれた。
でも、レブリミがさんざん自慢して、マモーはひたすら拝んで泣いていたので、わたしは途中からかなり退屈になったけれど。
一緒に聞いていたシムカも、そうですか、よかったですね、と冷たくあしらっていた。
でも2人が帰った後に嬉しそうにしていたのを見て、わたしも他の精霊たちも笑いをこらえるのが大変だった。
わたし自身は、人間と契約するつもりは全然ない。
だけど、レブリミは家族が増えたんだな、と思うと、ちょっと羨ましい部分もあった。
湖にはシムカがいるし、他の精霊たちも、魚たちや、クロムウェルの子孫たちもたくさん住んでいる。
冒険者と話すことはそれ程怖くなくなったし、他の属性の上位精霊が挨拶に来たときには、わたしたちが全然知らない世界の話をたくさん聞くことができた。
だから、わたしは全然寂しくはないし、毎日が本当に楽しかった。
でも、湖の外に出たレブリミも、本当に楽しそうにしているようだった。
「ねー、シムカー?」
「なんでしょう、アイザン様」
「シムカは、人間と契約してたことはないのーーー?」
「ありましたよ」
シムカはずっとわたしのそばにいてくれているけれど、どうだったのかと思って聞いてみると、優しい声で返事が返ってきた。
「とは言いましても、最近で500年以上前の話ですが」
「おー、さすがはシムカば……!!!!」
「……当代様、『ば』何でしょう?」
「ば……、ば……、ば、場数を踏んでるよねーーー!?」
「……お褒めいただき、ありがとうございます」
「いえいえ……」
危なかった。
最近人間と話すようになって、いろんな言葉を新しく知ったわたしのファインプレイだ。
わたしも実際はもうおばあさんのはずだけど、ずっと大精霊になったままのこの姿でいたせいで、どうも子供の感覚から抜けられない。
とはいえ、実際に1600年も生きていて年もとらない精霊が、なんでそんなに気にするのかわからないけれど。
「確かに、場数……、は踏んだ方かも知れませんね。
お隠れになったセイ様にお仕えして以後、4人の魔導士と契約し、世界中を旅しました。
創世の大賢者と会話をしたり、木竜と闘ったり、何もなかった大陸で国を作ったり……。
どの契約者も、それぞれの時代の英雄と呼ばれる人間の1人でしたね」
「おおおーーー」
シムカは懐かしそうに、そして誇らしげに話す。
わたしは素直に感嘆の声を上げた。
シムカは、今も生きている中では最古の水の精霊だ。
他の全属性の精霊を集めても、シムカは上から10番目くらいの長さを生きているらしい。
全ての水の精霊の兄であり姉であり、大精霊のわたしまではいかないまでも、強い。
そのシムカと契約した人間も、きっと強かったのだろう。
「ええ、特に最後に契約した魔導士は……。
あのエンキドゥ様とその契約者……『浄火』と戦った冒険者達の、リーダーを務めた娘でしたから」
「ほぇー、勝ったのーーー?」
「……」
シムカは黙って首を振り、すごく哀しそうに笑った。
それで、わたしも理解する。
「……で、でもさー、そんなに強いなら、その後もシムカと契約したがる人間はいたんでしょーーー?
契約したげなかったのー?」
「ええ、しませんでした」
シムカは小さく微笑んで、寂しそうに付け足した。
「あの娘から、そうお願いされましたので」
そして、大きな出来事の2つ目は、そのレブリミとマモーが、1年も経たずに世界2位に転落したことだった。
これは人間だけの間ではなく、わたしたち精霊の間でも大騒ぎになる大事件だった。
1位に躍り出た存在。
風の大精霊レム、ずっと湖にいたわたしと違って、世界中の空を飛びまわっていた白い渡り鳥。
その、当時最年少だった大精霊自身が、契約した人間だったからだ。
大精霊との契約者、あの『浄火』の再来か、というニュースが世界を飛び回った。
でも、その人間、どこかの国のお姫様は、生まれつき両足がないために歩くどころか1人で立つこともできない。
しかも、たった3歳の子供だったということで、すぐに世界の緊張感はゆるやかなものになった。
世界に衝撃が走ったのは、その3年後。
それまでお城から一歩も出ることがなかったお姫様が、風竜ハイアと共にたった2人で隣の獣人が住む大陸へ突如「飛来」し、わずか1日で獣人の3つの国を服従させたからだ。
風竜を従えていたとはいえ、6歳の歩くこともできない女の子が、全種族の中でも最も戦闘力の高い獣人を、大陸ごと1日で陥落させた。
この事実に、人間も精霊も大パニックに陥った。
ところが、それでも『浄火』の二の舞にはならなかった。
それは、その後お姫様はまたお城にこもり、以後1歩も外に出ることがなかったから。
どんな魔導を使ったのか、その戦いでの死者が各王家の重要人物の約50人だけに限られ、他には軽傷者さえ出さなかったから。
今後、そのお姫様の国と獣人の国は連合となり、2度と他の国や大陸へ侵攻しないことを、共同で宣言したから。
その国の民ですら姿を見たことがなく、それでも2つの大陸をその言葉だけで完全に統治する、歩けない女の子。
『声姫』、フリーダ。
人間と精霊の世界に悲鳴をあげさせた世界最強の風の魔導士は、それ以後は他の国に対して沈黙を保ち続けていた。
3つ目は、あのシムカがキレた、というこの湖とわたしにとっては大きな出来事だった。
近くの町の冒険者の集まりの偉い人に新しく就任した女魔導士が挨拶に来たのだけれど、相変わらず村や町に住む人間には会いたくなかったので、シムカに応対を任せていた。
そうしたら、しばらくしていきなりその近くの水の温度が少し上がった。
なにかあったのかもしれないけど、シムカもいるし大丈夫かー、と思っていたら、そのシムカのいる近くからどんどん温度が上がっていたので、慌ててわたしが必死に冷却を始める羽目になった。
しばらくして戻ってきたシムカに、わたしは精霊になって以来、初めてお説教をした。
「本当に申し訳ございませんでした……」
聞けば、その魔導士が契約していた火の上位精霊が、なにか失礼なことを言ったらしい。
シムカも相当に落ち込んでいたので、わたしもそれ以上深く追及はしなかった。
けど、その精霊がシムカに何を言ったのかは、すごく興味があったのが本当のところだった。
シムカや他の精霊たち、湖の住人たちに囲まれ、わたしはずっと穏やかで満ち足りた日々を送ることができていた。
人間を知り、愛を知れ。
クロムウェルがわたしに遺してくれたものの大きさを完全に理解し、心から感謝できるくらいには、わたしは成長していた。
わたしは、幸せだった。
こんな日々がずっと続いて、クロムウェルと同じように精霊たちから愛される大精霊になって。
そしてクロムウェルと同じように、死ぬときにみんなから哀しんでもらえる、立派な大精霊になりたいと思っていた。
愛を讃ずる。
わたしはクロムウェルがつけてくれた自分の名に恥じない。
精霊たちを愛し、次の大精霊にもその愛を遺せるような、みんなのおかあさんになりたかった。
それからしばらくして、次の生贄が湖に落ちてきた。
「お前が水の大精霊か?」
「イッッッエーーース!わたしが当代の水を司る大精霊、アイザンちゃんだよーーー!」
いつものように明るめに返事をしながらも、わたしは内心で首をかしげていた。
今回の生贄は、……変な子だ。
他の精霊がいないと人間に会いたくないわたしでも、生贄を食べるときだけは1人で会う。
シムカいわく、主君が捧げられた者を食べるところを見るのは不敬、だからだそうだ。
確かにあまりきれいな光景でもないので、わたしも精霊たちに見られたくはない。
生贄に選ばれる人間を誰がどうやって決めているのかは、シムカも知らないらしい。
男の人のときも、女の人のときも、子供のときもあったし、ほとんど死にかけのお年寄りのときもあった。
ただ、さすがに死んでいたのは、前回の女の子が初めてだった。
生贄はいつも縄で縛られた状態で放りこまれてくる。
なので、それをほどいて、溺れないようにして、気絶している場合は起こす、という手順が必要になる。
レブリミを真似て明るい声で話すのは、最期くらいは楽しい方がいーんじゃない?というレブリミの意見を採用したからで、あまり意味はない。
だいたいが、マモーのように気がついてすぐにこちらを拝んできて、会話にならないからだ。
人間が食べてください、と言ってくるので、食べる。
生贄を捧げられるというのは、大精霊のわたしからすれば当然のことで、ただそれだけの行事だった。
だけど、今回の生贄はいくらなんでもおかしい。
黒い髪で黒い瞳の男の子、見たこともない硬そうな服を着ている。
なんだか、……目つきが悪い。
本当に、この子はなんなんだろうか?
「で、あなたが今回の生贄さーん?」
「違う、俺はたまたま舟から落ちてきただけで、お前への生贄ではない。
静かにしていたところ、騒がせて申し訳なかった。
仕事もあるので、これで失礼す」
「いや、絶対嘘でしょ?」
とりあえず聞いてみたもののあまりに平然と答えられたので、思わず口調が普通に戻ってしまっていた。
この子もこの子で、なんだか清々(すがすが)しく笑っている。
はっきり言って、不気味だ。
人間は、大精霊に敬意を払う。
それが普通のはずだ。
なのに、この子にはそれがまったくない。
わたしは、はじめて会うタイプの人間に、ただ困惑しはじめていた。
「お前さぁ、どうしても生贄が必要なの?」
「え、別にー?」
「は?」
シムカを呼ぶべきか迷っていたところに、敬意のかけらもない口調で根本的な質問をされ、わたしは思わず答えてしまう。
この子との会話は、調子が狂う。
「……生贄、別に必要ないのか?」
彼の瞳が、一瞬だけ細められた気がした。
「……うん、別にー?」
「今まで落とされてきた生贄は?」
「食べたよー?」
「……なんで?」
「くれるってゆーから!
返すのも悪いじゃん?」
「帰せよ!!
今まで、帰してくれって言う奴も一人くらいいただろう!?」
「うーん……。
みんな、食べて下さいってお願いしてくるかー、黙ってるかー、死にかけかー、死んじゃってたしー。
ほっといて、湖が汚くなるのもいやだったしねーー」
「350年も、ずっと無意味に人が殺されてたのか……」
「あ、わたしが大精霊になったのは70年前だよー。
その前のことは知」
「どうでもいいわ!!」
……聞かれたことに答えてあげているのに、この態度はないだろう。
でも、この子が生贄になることを望んでいなさそうなのは、わたしも理解できた。
頭を抱えて、うー……と唸っている彼と一緒に、わたしも頭を抱えたい気分だ。
この場合、大精霊としてはどうするべきなんだろう?
「……えーと、大丈夫?」
そのまま動こうとしない彼に、わたしも声をかける。
なんだか困ったように笑いかけてくる彼の顔につられて、わたしも笑ってしまった。
……もういいや、帰ってもらおう。
別に、食べたいわけでもないんだし。
「……えーと、……帰る?」
「……ああ、帰る。
それから、エルベーナにも生贄が必要ないっていう話はするからな」
「うん、そうだね……」
ゆっくり立ち上がりながら、彼は疲れたように肯定の返事をする。
わたしとしても、特に異存はなかった。
でも……、この子は本当に人間なのだろうか。
そう思える程、彼は超然としている。
わたしを見て、話して、この反応はありえない。
「なぁ、俺の前の生贄はどんな奴だったんだ?」
こんな質問もしてくるし。
もう、とにかく早く帰ってもらいたくて、わたしも早く答えてあげることにした。
あれは変な生贄だったから、よく覚えている。
「今から10年前でしょ?
わたしより小さい女の子で、黄色い帽子かぶってたよ。
あなたと同じ黒い髪と黒い目で、今まで見たことない大きな赤いカバンしょってて、桃色の布袋も持ってたよー?」
その瞬間。
彼は、獣に変わった。
焦点が合っていない、黒い瞳。
喉からほとばしる、咆哮。
わたしの首を渾身の力で絞める、2本の腕。
「アイザン様!?」
「あー、平気だから……、何もしないでいーよ?
それよりシムカ、実体化はしないで近くにいて。
この子弱いけど、なんかおかしいから」
異常を感知して、近くに実体化したシムカにそれを解くように指示すると、シムカの姿はすぐに周りの水の中に消える。
【……確かに、そうですね】
【とりあえず様子を見るから、他の子たちは呼ばなくていーからね?】
【かしこまりました、アイザン様】
実体化を解いたため、シムカは【思念会話】だけで話しかけてくる。
わたしも【思念会話】で返した。
わたしもシムカもあまりに異常な事態に面喰ってはいるものの、実際のところ彼は弱い。
ただ、あまりに異様だ。
わたしに加えてシムカを見て、どういう反応をするかわからない。
「……えーと、どうしたの?」
とりあえず声をかけてみると、瞳の焦点がようやく戻ってきた。
「ねー、とりあえず外すよー?」
このままでは会話にならないので、腕を外す。
腕を振ろうと暴れているけど、本当に弱い。
わたしは溜息をついて、1度彼を溺れさせた。
途端に激しくせき込む彼を見て、慌ててやめる。
「あー、ゴメンねーー。
とりあえず落ち着いてくんないかなー?
もうあなたをどうこうする気はないんだしー、とりあえずじっとしてよー。
あと、そんなんじゃわたしは死なないよーー?」
わたしがそう言うと、彼はじっと動かなくなった。
【シムカ、どうしようか?】
【お許しいただければ、私が処分しますが?】
【うーん……】
なんか正直、わたしも面倒くさくなってきたんだよねー……。
【アイザン様は、どうなさりたいのですか?】
【うん……、ちょっとだけ待ってて】
これで、最後にしよう。
わたしはそう決めた。
「……で、いったいぜんたいどうしたのよー?
いきなり、酷いじゃない」
彼はのろのろと、黒い瞳をわたしに向けてくる。
嫌な目だ。
でも、どこかで見たことのある目だ。
「ふん、ホントにさー、」
「10年前……」
なんなのよー?と聞こうとした瞬間に、すごく小さな声が聞こえた。
「10年前、お前はその女の子を殺したのか?」
わたしは、口が渇くという精霊にはありえないはずの錯覚を感じて、喉を鳴らした。
彼の瞳が、わたしのどこかにひっかかる。
わたしは、これと同じ目をどこかで見たことがある。
【アイザン様、何のお話なのですか?】
【前の生贄の子】
前回の生贄に関する内容を知らないシムカから聞かれたので、短く返す。
「殺したのか?」
なんで、そんなことを聞くんだろう?
「……いいえ」
彼の体が小さく震える。
「嘘じゃないわ、だって……」
だけどわたしは、事実を語ることしかできない。
「だって、もう死んでたもの」
彼は黙って、天を仰いだ。
「死体は……食べたわ。
カバンとか服も残ってない。」
10年は人間にとってはそのくらいの時間なんだと、わたしはあらためて思い知った。
だけど、……なんでそんなことを聞くんだろう?
彼は深く溜息をつく。
体のどこかに残っていたのか、小さな泡が口からもれて、彼の目の前ではじけて消えるのが見えた。
「ねぇ、」
「妹だ」
表情も何もない彼の静かな言葉が、わたしを凍てつかせた。
妹。
シムカとレブリミみたいに。
他の精霊たちみたいに、すごく仲のいい関係。
全てをかけて助けたい相手。
家族。
守りたい相手。
愛する相手。
誰にとって?
彼にとって。
違う。
すごく仲のよかった関係。
全てをかけて助けたかった相手。
家族だった相手。
守りたかった相手。
愛していた相手。
誰のせいで?
わたしのせいで!
【……!】
シムカが【思念会話】で何かを言っているけど、理解ができない。
体が動かない。
何も見えない。
何も聞こえない。
からだがうごかない。
なにもみえない。
なにもきこえない。
朦朧とする頭で、彼の、何もない真っ黒な瞳の色を思い出す。
あー、そうか。
わたしはこのいろをみたことがあった。
ふとったおじさんに、にんげんじゃなくされたわたしが。
みずうみにすてられたときの、わたしのめ。
きれいなみずにうつっていた。
生きること、人間でいることを諦めた目。
わたしをそんなめにさせたのは、ふとったおじさん。
彼をそんな瞳にさせたのは、……。
あー……、セーレーも泣けるんだ。
ニンゲンやめても、泣けたんだ。
わたしは、やっちゃいけないことをしたんだ。
わたしは、立っていられなくなった。
【……ザン様、アイザン様!!】
頭の中に、シムカの声が聞こえる。
わたしの顔を覆っているのが、わたしの手だと、今気がついた。
【どうしよう……、シムカ?
わたしは、どうしたら……いいんだろう?】
【……シムカに、お任せください】
朦朧と返す【思念会話】に、シムカは一拍を置き、冷たく告げる。
【……それは、ダメだよ……】
シムカが何をするつもりなのか伝わってきたので、わたしは止めた。
わたしはシムカにも、この湖の誰にもそんなことをさせたくない。
クロムウェルが遺してくれた、わたしの子供たちに、そんなことはさせられない。
わたしは、みんなのおかあさんなんだ。
みんなを守る、おかあさんなんだ。
……わたしが償おう。
……贖おう。
でも……、どうすれば許してもらえる……?
わたしが死ねば、許してもらえる?
わたしが……。
わたしは、ふとったおじさんがしねば、ゆるせただろうか?
……無理だ。
わたしをにんげんじゃなくしたふとったおじさんを、わたしは許せない。
でも、わたしは彼の愛する人を奪った!
人間じゃなくした!
彼から、愛も幸せも奪った!
ごめんなさい、クロムウェル。
わたしを、救ってくれた大精霊。
わたしを、精霊にして、人間と愛を教えてくれた大精霊。
あなたが遺してくれたわたしの名前を、わたしは穢してしまった……。
……救う?
それなら、わたしにもできるだろうか……?
【……シムカ】
必死で考えをまとめて、わたしは大精霊としてシムカに話す。
シムカと話すのは、……これが、最後だ。
だから、大好きなシムカ、ごめんなさい。
最期に、あなたの優しい顔を見ることも、優しい声を聞くこともできなくて。
【……は、はい、アイザン様!】
【当代の大精霊、偉大なるクロムウェルの後を継ぐ、アイザンの名において命じます。
……今から言うことを、必ず実行しなさい】
【……アイザン様、……何を】
【これから……、大精霊としての最後の務めを果たします。
……ごめんねシムカ、でも聞きとげて。
全ての兄弟姉妹のまとめ役の、シムカにしか頼めないの。
みんなに伝えて、絶対に守らせて】
【……かしこまりました、当代様】
ごめんなさい、シムカ。
大好きなあなたに、つらい役目を押し付けてしまうわたしを……、許して。
心の中で最後の言葉を絞り出して、わたしはアイザンとして最期の言葉を遺す。
彼を救い、精霊たちを守るために。
【1つめ、わたしは今から彼に、大精霊の力を譲ります。
次に彼が湖を訪れるまで、みんなは身を隠していなさい。
そして以後、あなた以外の精霊が彼に直接会うことを禁じます】
【……かしこまりました】
彼が精霊たちを傷つけないためには、こうするしかない。
シムカに危険を押し付けてしまうことになるけれど、シムカなら逃げるくらいはできるはずだ。
【2つめ、彼に言伝を遺します。
次に彼がこの湖に来て、話を聞いてくれそうな状態だったら、あなたから伝えなさい。
そして、彼がそれを聞くまでの間に大精霊の力で犯した罪は、全てわたし、アイザンのせいにしなさい】
【……】
【シムカ、お願い】
【……かしこまりました、当代様】
彼が、なにをするかわからない。
……いや、わたしは、彼が何をするか多分わかっている。
その全ては、彼の愛する人を奪ったわたしが背負うべき罪だ。
クロムウェルも、きっとわかってくれる。
【3つめ、言伝を聞かせた後で、それでも彼が大精霊にふさわしくないとあなたが判断した場合は……。
シムカ、どんな手段を使ってでも、彼を殺しなさい。
そしてそれも、わたしの罪としなさい】
【……は】
短く答えたシムカに、わたしは、最後の言葉を遺す。
彼のために。
精霊たちのために。
【でも、彼が次の代の大精霊にふさわしいと、あなたが思えたのならば……。
シムカ、誠心誠意、彼に忠義を尽くしなさい。
他の精霊たちを会わせるかどうかも、あなたが判断して。
そしてできれば……、クロムウェルや、シムカや、レブリミや、湖のみんなが、わたしにそうしてくれたように。
彼を愛して、救ってあげて】
【……御意に、当代様】
言伝の内容を伝え、わたしはシムカを下がらせる。
大精霊の力を得た彼が、どういう行動に出るかわからないからだ。
クロムウェルのときのように、見送られるわけにはいかない。
でも、寂しい、なんか言わない。
わたしは、みんなのおかあさんなのだ。
愛するみんなを守るためなら、わたしは1人で死んでいける。
【……我らが父であり母であり主君、我ら水を司どりし偉大なる、そして愛しき当代の大精霊、アイザン様。
我ら兄弟姉妹一同、これまでお仕えできましたことを、心より御礼申し上げます。
……アイザン様、シムカも、兄弟姉妹も皆幸せでございました。
どうぞ、永遠の流れの中に……。
……失礼いたします】
優しい、優しい、大好きなシムカの声が聞こえなくなってから、わたしは立ち上がった。
贖罪とは、罪を償うことじゃない。
そんなことは、きっと本当はできない。
赦してもらうことなのだ。
全てを奪ってしまったのなら、全てを与え。
穢してしまった心を救うために、全てを遺し。
全てを懸けて相手の幸を祈ることが、贖罪なのだ。
だからこそ、わたしは彼にこう言う。
彼が救われ、みんなを赦してくれるかどうかは、彼が決めることだからだ。
「償うわ」
だけど、そんなことはできないから、あなたにわたしの全てを捧げます。
わたしが与えられた全てのものを、あなたに遺します。
「……どうやって?」
「わたしの力を、全てあなたに捧げます。
あなたはその力を、あなたの好きに使えばいい。
命をもって、償います」
だからどうか、あなたは、あなたを救ってあげて。
「俺はその力で、人を殺すぞ。
あの村を壊し、魔法を壊し、世界を殺すぞ。
それでも、いいのか」
それも、わたしの罪だから。
「あなたの好きに使えばいい」
それで、あなたが救われるなら。
そして、どうか幸せになってください。
クロムウェルが最後にわたしにくれた言葉を心の中で彼に捧げ、わたしは笑う。
揺らいだ彼の黒い瞳を見て。
彼が、まだ人間だったとわかったからだ。
全身に亀裂が走り、そこから体に入ってくる湖の水に、本当に何十年ぶりの冷たさを感じる。
でも、それは心地よい冷たさだった。
永遠の流れの中に……。
もう聞こえないはずのシムカの声が、みんなの声が、クロムウェルの声が。
透明な湖の中で、そっと聞こえた気がした。




