アフター・エール 泥中異夢 中編
倒壊した建物の山と、大量の何かが焼けていた痕跡。
【水覚】の中でそれらに混ざり込む、夥しい数の死体とその一部。
都市全体が叩き潰され、焼き溶かされ、掘り返されたような光景は、現世ならミサイルの雨を降らされたとしか思えない惨状。
明らかに決戦級の、それも多数の高位魔導士が激突した痕跡。
だが、埃や燃え殻、血や腐肉の臭いはない。
地獄の釜の中に降り続く氷の粒が、極地に近い環境を経験したことがない人間や森人なら凍死しかねない気温と共にその一切合切を封じ込めている。
愚行も、悪行も。
そこにあった全てを。
この地を治めていたイー家は、ナガラの死後にそれを主家として仰いでいた近族によって滅ぼされたという。
それを成したワイ家とサラン家もその後に争い、今の住民は勝ち残ったワイ家とそれに仕える数家。
状況から考えると、死体になっているのはその家の者たちなのだろう。
雪以上に白い『真王派』の家長たちの顔色を見るに、それは間違いがないようだ。
実際、バルナバに駆け込んできたのはワイ家の人間だ。
その言を信じるならば、この事態が起こったのは今日の早朝で、やったのは死んだはずのナガラらしい。
……死んだはずの、ナガラ。
さて、これをどう解釈するべきなのだろうか。
「本陣より各位へ、想定は1の2!
転移してきた者から、警戒態勢のまま予定の岩峰陣に入ってけ!」
「『霊央』殿が言われたように、特定の家や勢力を使い捨てにするような真似はこの『画場』と『描戦』が決してさせぬ!
今だけは、我が輩たちが『大獣』であったときのことを思い出してほしい!」
かつての『牙』の王都、ベストラ。
その中心たる本宮ザイテン……だったものを遠目に黙考する俺の背後では、総指揮を預けたルルとポプラの声と【時空間転移】の紫色の光が慌ただしく明滅している。
旧『牙』の陣営を中心とした獣人たちの動揺の大きさから大会談の継続を諦め、そのままベストラ入りを決めた後。
ナガラの復活とベストラの陥落を確認したいと出席者のほぼ全員が同道を申し出る混乱をものの数時間で捌ききり、そのまま陣形の配置や兵站の手配を終わらせた手腕は、流石は歴戦の軍師2人と……。
……いや、旧『大獣』の戦支長たちと言ったところか。
諜報と懐柔を司った八番の元戦支長ルル=フォン=ティティに、思考と参謀を司った九番の元副戦支長ポプラ=ポー=フィリップス。
即席連合軍の本陣を守る三番のソリオンに、支援部隊を一任された七番のシジマ。
全員が現『獣王派』ではあるのにそれに反する家長たちが文句を口に出さないのは、やはり『大獣』の。
かつて俺を殺す寸前まで追い詰めフリーダを討ち取るに至った、史上最大規模の軍団を率いていたという実績があるからだろう。
その十二番の戦支長であり、『毒の王』たる六番のネハンと共に事実上『大獣』の頂点に座していたのが、『牙の王』ナガラ=イー=パイトスだ。
ナガラと俺は、直接の面識はない。
身長282センチ、体重360キロとおそらくは象の獣人であるイー家の中でも並外れた巨躯と、それに見劣りのしない知と威を誇った先代の家長。
無数のピアスで飾り立てられた大きく平らな耳と撫でつけられた灰色の髪、広い額の下には厳かささえも感じさせる黒い瞳。
初代すら超えると称された、歴代でも最強の『牙の王』。
その象徴ともなったのが、『創世』時代の神話の怪物、大獣の12の頭から生まれたという魔装備の1振、『十二牙』。
2メートルに達する総オリハルコン製の大剣を土属性高位魔導【拡構】で相似拡大して放つ一撃は、もはや建築物での殴打に等しい。
他家の英雄たちを、敵軍そのものを、それが籠る城塞を。
そして、あの『声姫』フリーダをも撃破した、文字通り世界最大の物理攻撃の使い手。
……そんなナガラ=イー=パイトス、享年51歳。
殺害されたのは5年前の『浄嵐大戦』の最中、下手人は……今はウォルで幼稚園教育を受けている俺の娘の親友、魔人のチーチャだ。
『強者』にして『狂者』による、あまりに躊躇も容赦もない一撃。
正面から脊柱ごと貫かれたナガラは、【吸魔血成】も相まって一瞬で大判のボロ布と化していた。
テンジンに破砕された『毒の王』ネハン=ネイ=ネステストの姿と共にそれを観せられた当時の俺の脳裏には、祇園精舎から始まるうろ覚えの文字列が流れたものだ。
「……何か、『魔の王』よ?」
「いや……」
そういえば琵琶法師よろしく、あのときのテンジンはまだ目隠しをしていたな。
そんな記憶に引きずられて左隣で腕を組むエレニアの先、ヒエンと何かを話していた相手へと視線を送ると、今は赤色の瞳が疑問の光を返してくる。
首を振った俺は一面に降り積もった雪と、その下のほとんどが黒い土壌と鉱石だけで構成された城塞都市の、実際の気温以上に寒々しいモノクロの現実世界に両目の焦点を戻しながら、白い溜息をついた。
……そう、俺は生前のナガラと面識はないが、その生と死については一方的に知っている……というか実際に観たことがあるのだ。
マキナと共に、MRの中で。
俺がライズに殺されようとしていた瞬間に召喚された、時の大精霊が生きる空間。
熱くも冷たくもない、明るくも暗くもない、広くも狭くもない、近くも遠くもない、あの未だに理解の及ばない11次元の世界。
俺はそこでミカたち『五大英雄』の最期や、魔人たちが歩んできた道を、世界の記録と記憶の一部として追体験している。
実はその後スリプタに戻るまでの間に、フリーダやエレニアを初めとしたあの大戦に関わる主要人物の過去についても、俺はこの目で確認していたのだ。
もちろんマキナの許可を得た上であるし、単なる好奇心からでもない。
当時、ライズと戦った後の自分の生存が確実ではないと判断していた俺にとって、これは大戦後の世界を少しでも安定させるためにどうしても必要なことだった。
実際、フリーダとの約束やサリガシアへの指示、ミレイユへの遺言書の原案はここから来ている。
無断で過去を覗いた当人たちには一生告白できない引け目となってしまったが……やはり、結果としてこの行動は正しかったのだろう。
何を守りたいのか、何を守りたかったのか。
極論すれば、人間の生き方の本質はここにある。
それを知ることができれば、その人間の考え方の大部分は理解することができる。
……まぁ、それが自分のそれと相容れるものであるかどうかは酷薄な別問題だが。
また、このとき同時に、俺は世界そのものについても思いつく限りの知識にアクセスしている。
この惑星全体の地理、起こり得る自然現象、未知の危険な生物、致死性の病原体。
未発見の物質、自陣片で把握されていない高位魔導士、同じく赤字、そして既存の全ての魔導と霊術……。
流石に未来の出来事についてはマキナから視聴制限がかかったが、時間経過がないのをいいことに、俺はひたすらに記録を閲覧し続けた。
この記憶こそが、俺が『霊央』として大戦後の世界をまとめられた原資になっている。
……そして、そんな経験をした俺だからこそ、証明はできないが断言できることがある。
この世界に、死者を蘇らせる方法はない。
史実としても。
現象としても。
物質としても。
魔法としても。
そんな方法はない。
20万年以上『世界を見守る者』ですら、その方法を見つけられていない。
死んだ人間は、生き返らない。
「「……」」
が、だとしたら、あれは何なのだろうか。
「「……」」
俺、エレニア、テンジン、ヒエン。
その後ろで声を失う、258人の獣人たち。
駆け戻ってくる斥候たちの背後にその視線が捉えたのは、黒い城塞からこちらに歩いてくる黒い影。
「……ナガラ陛下」
「馬鹿な……」
「どういうことだ……」
「……まさか」
かつてイー家に仕えていた家や、それを滅ぼしたワイ家やサラン家の家長たちから、呻くような小声が漏れる。
愕然、あるいは呆然とした息の群れ。
「「……」」
一方で、やはり面識のあるエレニアとそれこそ最期の場にいたテンジンは険しい表情。
「……?」
ヒエンは、怪訝そうに首を傾げている。
雪のように冷ややかで、不安を覚える違和感。
身長282センチという巨躯、無数のピアスで飾り立てられた大きく平らな耳、撫でつけられた髪、広い額の下の厳かささえも感じさせる瞳。
右手が掴んでいるのは、確かに『十二牙』。
俺の肉眼でも充分に視認できるようになったそれの容姿は、記憶の中のナガラと相違はない。
全身に重油を被ったような、黒一色である以外は。
むしろ、重油をナガラの形に固めた……が表現としては正しい気がする。
歩いているし、視線も合う。
しかし、言うまでもなく生きている人間はこんな色をしていない。
あるいは、エレニアやケイナス=シオ=ペインのように全身に黒い金属をまとっている……、……いや、そういう質感でもない。
「「……!?」」
さらに、黒一色のナガラの後ろからは、やはり黒一色の2つの影が続いてきた。
……『大槍』サマー=ワイ=ハッセオンと、『赤土』キリ=サラン=マーカス。
前者は『大獣』十二番の副戦支長かつイー家を支える将軍だった男で、後者は同じく五番の戦支長で冒険者ギルドのベストラ支部長だった男。
当然のごとく両者共に故人で、より正確に言うならばどちらも大戦の折に俺が殺した人間だ。
ナガラ、サマー、キリ。
重油でできた3人の登場を目にして、混乱しているのはワイ家とサラン家の現家長だけではない。
俺もヒエンもテンジンも、エレニアもルルもポプラも、ソリオン以下全ての獣人たちも、誰1人としてこの状況を説明することができない。
生き返らないはずの死んだ人間が、目の前にいるのだから。
……いや、落ち着け。
この世界に、死者を蘇らせる方法はない。
マキナですら、その方法を見つけられていない。
少なくとも5年前に俺がそれを確認した時点では……、……!
「……惰弱」
「エレ「わかってるニャ!」」
俺が思考を強引に中止したのは、ナガラが記憶通りの声で記憶通りの一撃を振るったから。
『十二牙』が【拡構】で、俺たちどころかその後ろの本陣を薙ぎ払うサイズへと相似拡大されるのを知覚した瞬間の俺の声は、既に加速していた当代の土の大精霊の返答に上書きされる。
大精霊の権能たる、自属性の魔法の強制解除。
同じく、自属性の物質からのダメージの無効化。
ビルでの撲殺を現実化する『牙の王』の斬撃であっても、それを成すのが土属性魔導でありその剣が鉱物であるオリハルコン製である以上は、エレニアの前には無意味。
かつてテンジンの【万珠車解】を塵に還したように『十二牙』は元のサイズへと戻……らない!!!?
「ニッ……」
それを折り込んでナガラに突撃していたエレニアは、そのまま振り抜かれた城壁のような刃面に触れて水平に弾かれる!
瓦礫に着弾し、それを爆砕、さらにその後ろの家屋を貫通。
「全員伏せろ!」
そこまでを【水覚】の片隅で知覚しながら、俺は全力で眼前に氷山を造成!
それを破砕しながらもわずかに跳ね上がった視界いっぱいのオリハルコンを、そのまま氷山を超高速で再構築することで強引に上空へと持ち上げる。
正面から防ぐのではなく、いなす。
必然、その柄を持つナガラは超重量の予期せぬベクトル変更に引っ張られ、完全な死に体となった。
その隙を静かに待つような惰弱者は、ここにはいない。
「何無」
テンジンは、土属性【穿角弾】でキリの右足を射貫き。
「オラァッッ!!!!」
ヒエンは、一気にその距離を踏み込んで大盾ごとサマーを殴りつけ。
「ニャアッ!」
瓦礫から飛び出してきたエレニアは、瓦礫から【創構】したクローで伸びきったナガラの右腕を切断する。
……が。
「「「!?!?」」」
ほぼ粉砕されたキリの右足の穴は血が出ないどころか数秒で塞がり、大盾を殴りつけたヒエンの拳はそのままサマーの胴体へ飲み込まれ、クローが通り過ぎたナガラの右腕は何事もなかったかのように元のサイズに戻した『十二牙』を握り直している。
飛び退き、一気に距離をとるヒエンとエレニア。
2人の両目には、俺やテンジンと同じで一切の余裕がない。
考えなければならないことが多すぎる。
「エレニア、無事だな?」
「大精霊になってなきゃ、死んでたけどニャー」
まず、ナガラは魔導を使っていない。
くり返しになるが、土の大精霊であるエレニアは土属性の魔法を自動的に強制解除できるからだ。
よって、あの『十二牙』の巨大化は、少なくとも土属性の、同じく水属性の魔法によるものではない。
他の3つの属性で起こせるような現象でもないし……、……今になって気づいたが、そもそもナガラたちからは一切の魔力を感じない。
「ヒエン、右手に異常は?」
「とりあえずは、ねぇな……」
次に、ナガラたちの体には物理攻撃が効いていない。
セオリー通りに考えるなら頭や心臓に核のようなものがある可能性はあるが、それすらもない魔人という存在がある以上、最も厄介なパターンで考えておくべきだ。
ただ、こいつらはその魔人でもない。
魔人の瞳は必ず赤色であるし、破壊すれば白い灰になるからだ。
「……さて、ナガラ=イー=パイトス、サマー=ワイ=ハッセオン、キリ=サラン=マーカスの形をした者たちよ。
お前らは、何だ?」
が、魔人でないとはいえ、【散闇思遠】のような移動手段を持っていない保証などない。
俺は上空および半径5キロを覆う氷のドームの作成を開始しつつ、それを悟らせないために棒立ちしたままの3人に両手を見せつつ声をかける。
意思疎通は可能なのか、本当に復活した死者なのか。
そもそも生物なのか、あるいは何かの現象なのか。
殺すことはできるのか。
誰かに、召喚されたのではないのか。
「一応確認するが、俺が誰かはわかるな?
特にサマーとキリ、お前たちとはこれ以上なく面識があるはずなんだが?」
当代の土の大精霊エレニアに、『木竜』ヒエンに、生物として反則的な強さを誇る魔人のテンジン。
戦況分析に長けたルルとポプラに、情報源かつ証人かつ近接戦最強かつほぼ全員が高位魔導士である約300名の獣人たち。
ナガラたちはあまりに不気味な存在ではあるが、今の俺たちは世界トップクラスの前衛と後衛、武力と知力を備えた軍勢だ。
さらに、雪原という環境は水中、水上に次いで水の大精霊が戦いやすい場所でもある。
可能な限り、ここで事態を収束させたい。
「お前たちは何だ?
どうして、ベストラを滅ぼした?」
「「「……」」」
3人は立ち尽くしたまま、何も答えない。
白目も含めて黒一色の6個の眼球は俺を見ているようだが、ひどく茫洋としている。
多少は感情が反映される魔力も一切感じられないため、本当に反応がわからない。
まるで、覇気のない彫像……、……!?
「右!!!!」
「「!?!?」」
最初に気づけたのは、俺が【水覚】という超常的な知覚手段を持っているから。
威嚇のために放った【氷撃砲】が命中したのは、この期に及んで微動だにしていない3人から50メートルほど右に突如現れた……。
2人目の、黒一色のナガラの足元。
瓦礫の中の大鍋の中。
そこに溜まっていた液体から、いきなりナガラの形となって立ち上がったもの。
それは四散する雪にもそれを成した俺にも目をくれず、ゆっくりと『十二牙』を持ち上げる。
1人目のナガラに視線を戻せば、その右手には未だ握られたままの黒い大剣。
2人のナガラと、2本の『十二牙』。
「総員、遠距離戦用意!
こいつら、復活した死人なんかじゃない!!」
「「……!!!!」」
この世界に、死者を蘇らせる方法はない。
史実としても、現象としても、物質としても、魔法としても、そんな方法はない。
20万年以上『世界を見守る者』ですら、その方法を見つけられていない。
死んだ人間は、生き返らない。
が、それでも死者が蘇ったとしても。
同じ死者が同時に2人存在するのは、明らかにおかしい。
「何かの生物か現象だ、絶対に見失うな!」
ついでに言えば、この生物か現象かは、その明らかなおかしさを理解できていない存在なのだ。
相互理解のための意思疎通は、おそらく意味がない。
動物と植物とがそうであるように、根本的に別のルールで動いている存在。
どちらが善だとか悪だとかではなく、同じ道を歩む必要性がない存在。
「この世界に……」
それを証明するかのように、1人目のナガラと隣のサマーがグニャリと歪み、形を変える。
現れたのは、サーベルを下げた『獣人』の女と、コロモをキッチリと着込んだ小柄な老女。
もちろん、どちらも黒一色。
引き続き、まともな状態の人間には見えない。
「……母上?」
「……ばあちゃん!?」
が、その姿を見たエレニアとヒエンは硬直し。
「ニ゛ャ!」
「がっ!!」
それぞれの攻撃の、直撃を喰らった。




