アフター・エール 泥中異夢 前編
「でいちゅういむ」です。
サリガシア大陸の最南東。
旧『牙』の陣営が誇った大領で、現在は旧『爪』の陣営だったシオ家が実効支配するバルナバ。
その長大な海岸線のほぼ西端に位置するサンカは港城角と呼ばれる城塞都市であり、海戦の機能を有した対『爪』の最前線という意味ではタツミ大城角以上の要衝。
そこに並ぶ建物は土属性しかいない獣人がサリガシア大陸を形作る黒色の土や石から造ったため、当然に黒一色だ。
「当代の水の大精霊、そして『霊央』。
ソーマ=カンナルコだ」
そのはずのサンカの町並みの南西端、海まで数十メートルという場所に唯一そびえる褐色の、つまりは木造の講堂。
つい先月完成したばかりのその中を、俺の声が響き渡った。
ウォルと同じく大量の「鉄の木」で組み上げたこの講堂は、現世の大学や大会議場の映像で見たことのある擂鉢状の構造になっている。
アリスを通してフォーリアルに借りたコクトー以下5人を筆頭に、同じくそれぞれの大精霊たちから借り受けている各属性の上位精霊たちと共に苦労しただけあって、室内にいる300人近い全員に演台からの俺の声は問題なく届いているらしい。
3ヶ月前、テンジンを通して集めたサリガシアの自称を含む家長全員。
『獣王』ソリオン率いる『爪』の陣営が把握している家の数が75だったのに対して、この大会談への参加を希望した家長は84名となった。
増えている分はアネモネのデー家やブランカのラブ家など分裂状態にある家があるためと、『爪』では滅んだという認識でもそれを認めていない、ないしは大戦後の混乱に乗じてサリガシアに戻っていた数家が名乗りを上げたからだ。
そして、俺はその全員に対して無条件に参加を認め、10万以上だろうが10人いるか疑わしかろうが、家の規模に関係なく本人を含む10名までのバルナバ来訪と、3名までの大会談出席を許可するとテンジンを通して返答した。
別に、申告内容の真偽や正当性の判断が困難だったからでも、温情をかけたからでもない。
「このサリガシアで家長を称する、諸君。
まずは俺たちの言葉を信じ、この場に集まってくれたことに感謝する。
事前に伝えていた通り、今日はサリガシアの未来について話し合いをしたい」
これから始める話し合いは、そういうものも含めてここで整理しておくのが目的だからだ。
逆に言えば、この場において現『獣王』を含めたサリガシアの全ては整理される側の存在に過ぎない。
もちろん明言はしていないが、それでも仮にも一族の長を務める身なら想定はできるのだろう。
演台の俺を見下ろす目の9割方からは、頭では現状を理解できている『爪』の陣営に属する家長たちのそれも含めて、大なり小なり負の感情が放たれている。
例外なのは、数年に渡って話し合いを重ねてきたソリオンやエレニアを筆頭とした旧『大獣』の戦支長たちと……、……俺自身も理由がよくわかっていないが、先日の対面以来やけに従順なシオ家のマルチェラくらいか。
「ただ、その前にもう一度だけ確認しておく。
今の俺は、超高位魔導士でも最高位の冒険者でもウォルの領主としてでもなく、五大精霊の代表として、世界会議においてカイランのアーネル王国とチョーカ帝国、ネクタ総合議会とエルダロン皇国から正式にその全権を負託された存在として、ここに立っている。
つまり、今の俺は世界の一角を占める存在なのではない。
このサリガシア以外の、世界の全てとしてお前たちに言葉を発している」
なので、俺は9割の家長たちに釘を刺しておく。
幸か不幸か、善いことなのか悪いことなのか、今更この程度の視線に迷うような弱さは持ち合わせていない。
「あらためて、わかってもらえただろうか?
俺は『霊央』、ソーマ=カンナルコだ」
今の俺は、もうそれを許されていない。
「さて、今日この場で話し合って、そして世界へ宣言してほしいのは、『誰がサリガシアの王なのか』ということだ」
皆を幸せに。
『魔の王』ライズから世界を託された『魔王』として、その世界の柱たる大精霊の央に立つ者として。
「ウォルなら俺、アーネルならフランシス王、チョーカならマール帝、ネクタなら総合議会、エルダロンならフリーダ皇。
それぞれの国と何かを決めたいときに、最終的な相手になるのはその国の長だ。
……が、今のサリガシアではその長が、すなわち王が誰なのかが公に決まっていないように見受けられる」
事実上のこの世界の王としての俺の声は、300近い超高位魔導士たちを見上げながらも酷く淡々としていた。
「これまでは『獣王』ソリオン=エル=エリオットがその座にあると見做してきたが、それを認めていない者も無視できない数が存在している。
どころか、こうして複数の人物がそれぞれを家長だと主張し分裂する家まである始末……。
そこにどれだけの正義や覚悟があろうが、サリガシアの外から見れば『混乱している』としか表現できない状態だ」
何かを守るということは、他の何かを守らないということでもある。
ならば、その「何か」を決めなければならない王は、そんな迷いや弱さを。
人間らしさを、殺せなければならない。
「もちろん、これは本来サリガシアに生きる者が決めていくべきことであり、その外にいる俺たちが軽々しく口を挟んでいい問題でないことはわかっている。
……が、先の浄嵐大戦で『大獣』がもたらした被害と、今に至るまで続く内戦や獣人の難民たちが世界に与えている影響を考えると、これ以上の静観はこの世界の未来に不幸を招く可能性が極めて高いと、俺たちは判断した」
世界を守りたい俺からは透徹した事実の確認でも、守られない側になっているかもしれない本人たちからすれば一方的な侮蔑や断罪にしか感じられないのだろう。
事前に説明していたため当のソリオンやエレニアたちは静かな表情だが、その傘下にある獣人たちや、そして『獣王』派に敵対していたはずの家長たちからも凄まじい殺意が飛んでくる。
誇りを汚されたと感じるからだろうし、俺自身もそうしていないと否定するつもりはないが、ただ、同時に自覚しておいてほしいとも思う。
人間が誇りに頼るのは、大体が自力で解決困難だとわかっている問題に直面したときだということを。
「よって、『霊央』ソーマ=カンナルコより、サリガシアで家長を名乗る、すなわち王となる可能性のある全ての者に命ずる。
速やかに、『サリガシアの王』を決定せよ。
……とはいえ、いきなり1人に絞るのは流石に無理だろうから、4、5人程度の王が並立することは認める。
その王たちが中心となって、サリガシアの混乱とそれがもたらす不幸を1日でも早く解消してほしい」
そして、その一体感はむしろこれから発揮してほしい。
「さて、こうなると問題になるのが、その王の決め方だ。
これ以上に難民が出るような方法は許容できないし、将来のことを考えれば、できる限りお前たちの間で遺恨が残らないようにもしておきたい。
……だから、誰が王なら納得できるのかを話し合え。
その結果をどうしても受け入れられないなら、そこから戦え。
殺し合うしかなくなるにしても、それぞれの真意をきちんと理解し合ってからにしろ」
「「……」」
穏便な提案のようで冷淡な命令でもある俺の言葉は、それまで静かだった講堂の中に小さなざわめきを生んだ。
欲望、困惑、恐怖、覚悟。
俺を睨む瞳の何割かに、明らかに憎悪とは別の感情が混ざり出す。
俺も世界も、サリガシアの現状を無血で変えられるとは思っていない。
ただ、それを理由にこれ以上状況を黙って見続けるつもりもない。
血が流れる、あるいは手ずからその血を噴き出させる覚悟を決めただけだ。
「……さて、それじゃあ、王にふさわしいとはどういうことだろうか?
言い換えれば、王に求められるものは何なのだろうか?」
その決断をとうに終えた者として、俺からの言葉は講義へと変わっていく。
「話を変えるが、お前たちは大人の基準は何だと思っている?
大人にふさわしい、大人と呼ばれるために求められるものは何なのだろうか?」
それは、俺も四捨五入すれば30歳になるという、つい最近になってようやく気づいた基準について。
「産まれてから15年経てば、自動的に大人か?
生殖能力が発達して、子供を作れる状態になれば大人か?
親がいなくなって、自分の力だけで生きなきゃならなくなったら大人か?
その全部が揃っても幼いままの存在がいたら、それは大人か?」
領主に、夫に、父親に、当の大人になってようやくわかった、それについて。
「俺は、想像と創造、この2つの能力があることだと思っている」
納得と怪訝、大別すれば2種類の表情を浮かべる各家の家長たちに、俺はこの日初めて微かな笑顔を向けた。
「1つは、目安として10年後のことを想像できるかどうかだ。
物心ついてから10年という時間の長さとその間の変化を体感したことのない子供には、どう頑張ってもそこから先の10年をイメージするのは無理だ。
だから何が必要で、何に警戒して、そのために自分が何をすればいいのかがわからない。
そんな子供を守る存在である以上、10年後を想像できない存在を大人として扱うわけにはいかない」
視覚と【水覚】で捉えられる表情に納得の割合が増えていくことを確かめつつ、俺は言葉を繋いでいく。
不本意ながら、こういったときの論理構成で手本になるのは、やはりミレイユだ。
「もちろん、頭で考えつくだけじゃ意味がない。
必要なもの、警戒すべきもののために実際に行動できる能力を、俺は創造力と呼んでいる」
一般に創造とは新しいものを創り出すことを指す言葉なので、本来は「実現力」とでも称するべきなのだろうが、想像と対にすることで理解しやすいので、ウォルで説明するときも俺は敢えて「創造力」という言葉を使っている。
まぁ、言葉の存在意義は意図を伝えることにあるので、その目的が達成されるならば問題ないだろう。
「それは武力であり、財力であり、権力であるかもしれない。
理想の夢を物語る言葉がどんなに尊くても、それそのものはただの空気の震えに過ぎない。
そんなもので人の腹は膨れないし、誰かを殴れる重さも固さもない。
想像したものからこの世界に作用する何かを具現化できる、理想を現実にする力。
それがない者を、一人前の存在としては扱えない」
それに、今考えるべき本質はそこではない。
「10年後を想像し、それに必要なものを実際に創造できること。
これが、大人と呼ばれるための最低の基準なのだと思う」
大人として扱われている自分が、この基準を満たしているかどうかだ。
「そう、これはあくまでも最低の基準なんだ。
親なり、村長なり、将軍なり、ギルド長なりをやるなら、それ以上の想像力とそれを実行できる力が求められる。
国や世界を託される王なら、尚更のことだ
……だから、自分が『王』にふさわしいと思う者よ」
そして、それ以上の能力があると示せるかどうかなのだ。
「ここで、自分が百年後に目指すサリガシアと世界を語れ。
そして、それを実現するための力を自分が持っていることを、全員に納得させろ。
その中から、最も優れていると、自身の家も含めてこれからの百年を託してもいいと思える者を最大で5人選べ。
それをサリガシアの王として、この『霊央』が認めよう。
当然、残りの者たちはその王たちのいずれかに従ってもらうことになる。
……それがどうしても認められないということならば、世界を相手に戦う覚悟をしてもらおう」
王どころか神のような立場からの宣告だと自分でも思うが、流石に俺も自分を神だとは思っていない。
まともな知力が百年も保たない以上、人間が想像できるのは百年先が限界なのだろう。
その程度の存在を、俺は神とは呼ばない。
そう呼ばれていいのは、『時の大精霊』マキナくらいだ。
「ちなみに、俺が目指しているのは『これからこの世界で生きていく者たちが、幸せだと笑える世界』だ。
……まぁ、『できるだけ多くの』が頭に付くことは否定しないがな。
実現する力の証明は、こうやってここにお前たちを集められていることで充分だろう?」
最後に付け加えてから、俺は大きく息を吐く。
『水の大精霊』アイザンから。
『魔の王』ライズから。
『世界を見守る者』マキナから。
託されたものに、俺は応えなければならない。
「さぁ、始めようか。
こうしている間にも、世界の時間は流れ……」
「邪魔をする」
サリガシアの、世界の未来を決める大会談の開会を遮ったのは、外で講堂の大扉を守っていたはずのテンジン。
「報せがあった」
それが【散闇思遠】で現れたということは、外でよほどの緊急事態が起きたということだ。
「ベストラが落ちたとのこと。
……『牙の王』ナガラによって」
「「……?」」
実際その内容は、5年近く前に死んだはずの王がかつての自分の王都を陥落させたという、意味不明なものだった。




