アフター・エール 風鳴る日 前編
皆様、待っていてくれてありがとうございます。
遅くなって、申し訳ありませんでした。
「……では次、『スピリッツ』よりフランドリスについての報告をしてくれたまえ」
特に苦労するでもなく産まれたときから人化できるレベルの魔力を持ち合わせ、特に誰かと争うこともなく霊竜の名を拝したアタシでも、流石に人族の世界の中で暮らしたことがあったわけじゃない。
当時2歳だったフリーダの守役となってからの日々は、この『風竜』ハイアをもってしても驚きと戸惑い、気付きと学びに満ちた19年だった。
その中で、「集団」と「組織」が似ているようで全くの別物なのだと理解したのはいつ頃だっただろうか。
人化できる個体を擁するとはいえ、それでも「群れ」から大きく逸脱するレベルの生活をしたことがなかった竜族の中の1匹にとって、その事実はそれなりに衝撃的だったのは今でも忘れていない。
「じゃあ、オレ……ごめん、サーヴェラ=ウォルから報告するよ」
いや、より正確に言うなら、忘れていないと実感させられるのは、この毎月の皇前会議でその「組織」というものの最高峰を見せつけられるからだ。
エルダロン皇国中央都ウィンダムの西2区、皇邸ピエモーン。
大戦で瓦礫となった皇塔アイクロンに替わってフリーダの居館となったこの建物、その大広間で毎月初日に行われるこの会議は、大戦後にフリーダ本人の勅で導入されたものだ。
参加するのは、議長でもある現皇、フリーダ=ウェイブ=トレイダ=シスワ=エルダロン。
その守役のアタシ。
皇国騎士団長のリコに、皇付魔導士長のカラフェン。
東西南北の1から12区の政務を統括する4人の文官長。
そして、フリシオンたち3人の公爵を筆頭とした全23名の貴族家当主たち。
それだけの人間が集まって論じるのは、もちろんエルダロンの現状と未来についてだ。
意図や経緯、実状や背景があったとはいえ、結果として亡国となる寸前までの戦禍を招いたフリーダの独裁。
その集中した権限を分割し、現在と未来に向けた皇の判断を検証し、必要があればストップをかけるための場。
その監権の強力さたるや、「この会議で皇以外30名の意見が一致したとき、皇はそれに従わなければならない」という前代未聞の一節が皇国法に書き加えられたくらいだ。
くり返しになるけれど、この自身のこれからの権限とこれまでの権威を大きく削ぐ組織を作ったのは、フリーダ本人だ。
すなわち、これがフリーダの贖罪。
それでも、これから皇を担うという覚悟。
その意志が明確に伝わっているからか、あるいは単に過ちを犯して尚『声姫』の優秀さは認められているからか、フリーダの覚悟に反して、これまでの50と数回の皇前会議は基本的に皇の意向を追認する形が重ねられてきた。
流石にフランドリスの放棄やその後のウォルへの部隊の駐留要請には様々な反対意見も出たが、最終的には出席者の全員が納得の上での判断に至っていることは間違いがない。
まさしく、この大陸で最高だと言っていい組織。
その全員からの、視線。
その集中を受け止めながら立ち上がった黒衣に金髪の、出自は貴族や文官どころか市民ですらない元奴隷だったという青年の瞳には、だけど一切の緊張がない。
「……とは言っても、前と同じで渡しておいた事前資料にある通りなんだけど。
特に修正や補足はないから、内容について疑義があるなら答えるよ?」
カイラン大陸、アーネル王国内自治領ウォル所属。
エルダロン皇国フランドリス公爵領駐留部隊『スピリッツ』。
総隊長、『翔陽』サーヴェラ=ウォル。
「「……」」
その二つ名の通り太陽の色を持つ『魔王の弟』の朗らかな視線の先は、エルダロン最高よりもさらに高みにある。
フリーダの後ろで無言に加わりながら、人族ではないアタシですらもそれを理解させられていた。
集団と組織の差。
それは、「目的」の有無だ。
集団とは共通の目的がない物の集いや群れに過ぎず、その反対が組織となる。
もちろん、ここでいう「目的」には生存や繁殖といった原始的な本能は含まれない。
それはただの前提であり、組織の目的とはもっと高次のものだ。
例えば、営利。
例えば、繁栄。
それらを共通の目的として確立できた集団が、組織。
したがって、その組織が優秀であるかどうかは、ひとえに「目的を達成する能力」の高さで評価される……らしい。
「これをボクが見る限りでは、文句の付けようもないね。
……同じことを、先月も言った気がするけれど」
それに則るのならば、フリーダの溜息を聞くまでもなく、やっぱり『スピリッツ』は最高の組織であるらしい。
目的への共通認識、目標達成のための能力の最大化、役割分担と統制、構成員内での情報の共有化、組織を維持するための施策の実施、組織外の存在との共存……。
挙げるだけなら簡単な、だけど実行するとなると組織そのものが崩壊しかねないほど難しい……。
そういったものを『スピリッツ』のメンバー、通称『兄弟姉妹』たちは、おそらく世界最高の水準でクリアできていた。
……いや、兄弟姉妹だからこそ、か。
『魔王領』に拾われ、ソーマの強さとアリスの優しさ、ミレイユの賢さで育まれたかつての子供たち。
彼ら彼女らは文字通り同じ鍋からスープを飲んだ間柄で、『魔王』の血を分け合った存在だ。
そこには恋人や主従の関係程度では超えられない、絶対的な距離の近さがある。
人と人とで作られる組織においてその近さは、そのまま強さと速さ、固さと易さになる。
「……」
斜め前で疲れた微笑を浮かべるフリーダから、あらためて自分の手元の資料に焦点を合わせた。
ネクタの特産品のはずでかなり高価であるはずの紙を遠慮なく使ったその束の一番上には、現在のフランドリスの地図が記されている。
その全景は全体として、やっぱりというか何というかウォルに酷似していた。
沿岸からの運河を経て整備された内陸の港を中心に、8方向へ敷かれた大通り。
それに並ぶのは各商会の事務所に商店、四大ギルドの出張所に工房、きちんと区分けされた歓楽街。
それら商業エリアを包むように拡がるのは、そこで働く人々の住宅街。
もちろん人口こそ戦前の公爵領の2割にも満たないけれど、戦前には存在しなかった下水網まで整備された新生フランドリスへの移住や新規出店の申請数の増加率は、既にウィンダムの文官たちを過労に追い込み始めている。
下水がある以上、当然ながら上水道も完備されていた。
それを司るグラトゥヌス式水橋網の中心には、新生フランドリスのもう1つの象徴たるエルダ水源塔がある。
こちらもエルダロン本体へ逆輸入すべく文官たちが日々走り回っていたけれど、必要なコストや時間を考えるともはや遷都した方が早いという結論が出てフリーダを撃沈させた代物だ。
本家のウォルポートがたった半年で工事を終わらせられたのは、都市の規模や実は土木工事への適性が高すぎる当代の水の大精霊が強権を振るったからというだけでなく、そもそもそれらに限らずとも何かしらの交換や増設を前提とした上での都市計画が想像されていたからだということに、エルダロンの最高頭脳たちは戦慄していた。
その証明でもないだろうけれど、資料の2枚目には地図の完成形、つまり新生フランドリスの最終的な想定が示されている。
そこには商業区と住宅街を包むように拡がる農地と、その全体を囲むさらに数倍もの面積の大森林が描かれていた。
農地と森の規模だけが半分以下の、より洗練されたウォル。
それとエルダロン本体を繋ぐエルダ大運河の完成をもって、フランドリスの創造は終結となっていた。
「まぁ、事前に計画と設計については何度も説明を受けてるからね。
オレたちはそれを基準に動いてるだけだから……」
サーヴェラが謙遜する通り、この設計図の作者は『スピリッツ』自身じゃない。
『魔王』と『最愛』、そして『賢者』。
比喩じゃなく異世界で生きていた者に、比喩じゃなく全ての植物を知る者に、比喩じゃなく数十万人の知見を継ぐ者。
アタシを通してフリーダから示された条件や制限を踏まえて、彼らの上役3人が、つまりは大精霊3柱がその知識と経験を活かし想像力を練りに練った、世界最先端の都市計画だ。
「……サー兄、リオ兄から追加報告。
とりあえず計画にあった通りの建物は造り終わったから、工程を早めて隊の半分は大運河予定地の測量に回すって。
……ホロ兄からも。
第1期の孤児100名分の生活および初期教育の準備は概ね終了、再来月で予定していた引き取りの前倒しについて、その場で相談を。
ミス姉から、そういうのは生産計画が変わるんだから先に言いなさい。
ホロ兄、ミスティの決める生産計画に余力があるのは把握している。
ミス姉、もちろんあるけど、そういう問題じゃないでしょう。
いつも言っているけどあなたは……って、喧嘩はそっちで直接やってくれるかな!」
だからといって、それを実現できる者に大した能力がないなんて本当に信じるバカは、この場には誰もいない。
騎士並みの体力と冒険者並みの技術、文官並みの頭脳と決戦級並みの魔力。
それらを兼ね備えた上で、専門の訓練と血族の連帯を持つ存在たちが普通であるはずがない。
第6小隊隊長、『伝真』オーサ=ウォル。
サーヴェラの隣から、ただでさえ異常な進行速度の都市計画のさらなる加速を告げた風属性魔導士が吼えた相手は、だけどこの場にいない。
第3小隊隊長の『緑領』ミスティー=ウォルと、その実の弟でもある第4小隊隊長『慮燎』ホロー=ウォルがいるのは、ここからだと100キロはあるはずのフランドリスのどこかだ。
つまりは、最大で半径60キロ内の全てと音声をやり取りできる『声姫』でさえ不可能な魔法を、この成人したばかりの少女は実現させているということになる。
風属性高位【意友伝人】は、範囲内全域に有効な【音届】や【声吸】と違って直線での、点と点との間での音声のやり取りに特化してウォルで開発された魔導だ。
術者が作成したそれぞれ専用の陣形布を媒介することも条件にして、任意の相手との間だけでの会話を可能にする。
参考にしたのは、ソーマが住んでいた世界にあった会話のための道具であるらしい。
数十キロ離れた相手とリアルタイムで話し合えるこの霊術による通信網の存在こそ、『スピリッツ』の組織としての速さの要だ。
とはいえ、流石に直線で30キロ以上の通信はオーサ個人では不可能らしく、今回の場合であればウィンダムとフランドリスの間に第5小隊から数人を配置し、中継基地にしているらしい。
「やっぱりフリーダ様は頭おかしい! あ、褒め言葉ですよ!」というのが、初対面の日の昼食会で嬉々として【意友伝人】の説明を終えたオーサの結びだった。
ただ、そのフリーダ本人の言としては、少なくとも120人分の霊字の羅列を完璧に記憶し、それによる補助を前提にしてもたった数人がかりで『声姫』を超えてしまえる事実の方が悪い意味で頭がおかしいらしい。
ついでに言えば、『スピリッツ』にはオーサと同じ【意友伝人】の使い手が少なくとも数人はいるわけで、その人材の厚さにはフリシオンやケイドたちも閉口していた。
そう、『スピリッツ』の隊員は、121人の全員が普通じゃなく優秀なのだ。
1柱の上位精霊は都市を滅ぼす力を持つと畏れられているけれど、それが組織となると逆に都市を造れてしまうのだ。
強く、速く、固く、易い。
だからこそわずか3ヶ月で、広大な大地に楔を打ち、海や川の形を変え、街を築き、農地や森を拡げてしまえるのだ。
かつて、カイラン大陸にウォルという絶対の壁、今や世界の中心たる『精霊都市』という事実上の独立国家を、そしてこの世界に新たな理を創り上げた大精霊たち。
フランドリスに根を下ろした兄弟姉妹たちは、間違いなくその薫陶を受けていた。
「オーサ、うるさい。
各隊からの追加報告があるなら、必要な部分だけを伝えて。
オレたちが早く動ければ、その分オレたちみたいな子供を1人でも多く、1日でも早く助けられるんだ。
ミスティーが言ったような、そういう少しの無理でどうにかできるレベルのことについてなら後にして」
「……はーい」
すなわち、それは『最愛』の優しさも。
少し手を伸ばせば助けられるなら、少し手を伸ばして助けるべき。
『氷』のソーマを『魔王』へと変えたアリス=カンナルコの気高い志は、十姉弟を筆頭とする子供たちの魂に確かに根付いている。
アタシたちはおそらく、その芽から葉と茎が伸び、花が咲き実を結ぶ瞬間を目の当たりにしているのだろう。
「……まったく、本当に見事なものだよ」
その彩りは本当に眩しく、瑞々(みずみず)しい。
……眺める側の、目を痛めかねないほどに。
「サーヴェラ=ウォル。
君、王様になることに興味はないかい?
今なら3食昼寝にカティと、部屋付きメイドが5人。
ちょっと口は悪いけどそこそこかわいい世界最強……いや、人間最強に、そこそこ口うるさい『風竜』もおまけについてくるよ?」
「……かわいい人間最強に手が届くのは魅力的なんだけど、遠慮しておくよ。
まだまだ、オレにはそんな能力はないからね」
笑いを噛み殺しながらのフリーダの勧誘を、サーヴェラは苦笑しながら断った。
「おやおや、今回もフられちゃったね、ハー君?」
「アンタねぇ……」
エルダロン側の席から溢れる溜息の嵐は、クツクツと響くフリーダの笑い声にかき消される。
このやり取りは、前回に続いて2度目。
色々なことを窘めようと開いた口は、だけど口元だけで嗤っている白い横顔に止められてしまう。
フリシオンやリコたちが何も言わないのは、そんなかわいそうな人間最強の瞳を正面から見ていられないからだ。
文字通り、エルダロンのために身も心も砕いてきた現皇。
それを批判するような余力がこの国にないことなんて、この皇前会議の、特に中枢を担うメンバーは5年前から思い知っている。
同時に、そんな国の先頭に立ち、その民と世界の矢面に立ち続けてきた皇を労り、休ませる余力がなかったことも。
熱意や善意、覚悟や無償の愛。
そんなもので全てを解決できるなら、世界はこんなにも残酷であるはずがない。
「……もっと早く、『魔王』殿に頭を下げるべきだったね」
5年もの間、そんな世界に立ち向かい続けたフリーダは。
民からの憎悪に耳を貫かれながらも、その民の幸せのために戦い続けたフリーダは。
それでも得られなかった未来への希望を、サーヴェラたちの来訪によってどうにか予感程度はできるようになったフリーダは。
ようやく、そんな光と熱を見つけたフリーダの心は。
「やれやれ、皆の言う通りいよいよ『声姫』の名は返上して、『忘れ子』のままに忘れられるべき……なのかな」
ついに、限界を迎えてしまったのだ。
「フリーダ様、前回も言ったけど、少し休んだ方がいい。
……フリーダ様がこれまで守ってきて、これからも守りたいもののためにも」
「……そんな暇はないんだよ、サーヴェラ=ウォル。
今もこの国では、こうしてくだらない言葉遊びをしている間に何人かの命が失われているんだから。
1人でも多く、1日でも早く。
君たちがそうしようとしているように、ボクは君たち以上に無理をして動かなきゃいけないんだよ」
分厚く冷たい、鉛色の雲。
それに満たされたような部屋の中で静かに投げかけられたサーヴェラの声に、さらに静かなフリーダの声が返された。
金色と、赤色。
目指すものは同じであるはずの2人の瞳の間には、だけどそれぞれ、深い皺が寄っている。
「時間を無駄にしてすまなかったね、次……!?」
それが消えると同時、2人の、いや大広間にいる全員の瞳が西側を向く。
「レム!?」
『声姫』の驚きをかき消すほどの、風の轟き。
広間の木窓を粉砕して飛び込んできたのは『風竜』たるアタシの主人にして、世界最強の風の魔導士であるフリーダの契約者。
【やあ、久しいね】
すなわち当代の風の大精霊、レム様だった。




