アフター・エール ミーティング 後編
フランドリスの船着場に降りたアタシたちは、そこで待機していたリコたちと合流した。
アタシの鞍から鳥甲冑用の車椅子に移ったフリーダは、傍付メイドのキティによって最低限の身だしなみを整えられる。
とはいえ、それは鳥甲冑の表面の埃を落として香油を塗るくらいのことだ。
肌の弱いフリーダが、屋外で素顔を晒すことはない。
それでもこれだけ付き合いも長くなれば、兜の中の表情も何となく伝わってくるようになる。
皇国騎士団長のリコと文官長筆頭のケイド、フランドリス公爵のフリシオンとその領軍を束ねるシンガル。
もちろんアタシやキティも合わせて、ここにいるのは特にフリーダが信頼し、そして戦後の状況下でも変わらずフリーダに忠節を尽くす人間ばかりだ。
その全員の中心で、白銀の鳥は静かに翼を畳んでいる。
ただひたすら消耗の追認と犠牲の決断を下すだけだった最近の政務において、ここまで前向きな話題はどれくらいぶりだろうか。
以前に比べれば極々わずかとはいえ、ここまで穏やかな『声姫』を見るのは何年ぶりだろうか。
リコとシンガルがそれぞれの大隊に再度の索敵と警戒を命じる中で、人の形になったアタシは車椅子を押す。
よく手入れされ軽やかに回る車輪の先には、次々にロープを投げる船の群れと……その中央で一際にぎやかに騒いでいる、巨大な『アイザン』の姿があった。
「では、あらためて着任の挨拶を。
カイラン大陸アーネル王国内自治領ウォルより領主ソーマ=カンナルコの命において、総隊長サーヴェラ=ウォル以下『スピリッツ』121名、現刻をもってフランドリスに着任いたします」
「「……」」
やっぱり、というか【白響弦】の氷の糸を使ってマストから飛び降りてきたのは、黒いマントを翻したサーヴェラ=ウォルだった。
ただし、その金色の瞳はフリーダの周りにいるリコたちを一瞥した後、地面に膝を突いて一分の隙も無いエルダロン式の敬礼を取り直す。
アタシたちが無言になったのは、それがあまりに完璧な所作だったからじゃない。
「…………」
ものすごく、「頑張っている」感じがあったからだ。
言葉も動作も間違ってはいないし、慇懃無礼なわけでもない。
それでも目に映り肌でもわかる、さっき海の上で直接言葉を交わしたフリーダとアタシ以外の面々にすら伝わる強烈すぎる違和感。
天に浮かぶ太陽を無理に地上へ引きずり降ろし四角い容器に押し込めたような、気まずい窮屈さ。
なるほど、『翔陽』とはよく呼んだものだ。
「あぁ頼んだよ、サーヴェラ=ウォル。
……それから、別に無理はしなくていい。
ボクはこれでも『声姫』と呼ばれている女でね、取り繕われていられれば声でわかるんだ。
悪意がないなら、ある程度の不慣れと不敬には目をつぶるよ。
何より、君の王はボクではないのだからね」
「……ごめんね、助かるよ!
いや、もう本当マナーとか敬語とかどうしても合わなくて。
てか、ハイアはオレがこういうのできないって知ってたでしょ?
黙ってないで助けてくれよ。
……あ、それからこっちは契約精霊のエルカね」
「……やっほー」
この青年の本質は、善くも悪くも制限しない方がいいのだろう。
立ち上がりながら苦笑するその姿はとにかく明るく眩しくて、隣で手を振るエルカ、水の少年よりも無邪気に輝く。
ミスリルの鳥甲冑が霞むほどに、その光はまっすぐだ。
ある意味においては、『魔王』のそれとは対極にあるとも思う。
その『魔王』が、自身の『弟』と呼ばれることを許した男。
本来なら不敬を咎めるか下賤を蔑むかするべきリコやフリシオンたちも柔らかい表情にさせてしまっているあたり、なるほど普通じゃない。
いつの間にか人の中心となって、周囲を無条件に明るく照らす。
フリーダさえも逃れられなかったその光と熱は、もはや天性のものなのだろう。
「じゃあ、早速なんだけどとりあえず地盤の改良から始めちゃっていいかな?
この一帯の索敵は、もうそっちの隊が終わらせてくれてるみたいだし。
それに、部隊長も紹介しとかなきゃいけないし……、……ちょうどいいや、これがミスティーね」
そして、その光と熱に慣れ……ついでに言えば、その光と熱を浴びながらも冷たさを残せるあのソーマに、『魔王』に合格点を出されるまで鍛えられた人間たちが、普通であるわけがない。
エルダロン勢で唯一、実際にウォルを目にしているアタシ。
そんなアタシでも絶句するような光景が、サーヴェラを中心に徐々に、普通に展開されていく。
「地盤改良って聞こえたけど、もう始めていいのかしら?」
サーヴェラのすぐ背後、都市壁のような『アイザン』の船体。
落ち着いた女性の声と共に、一切の継ぎ目がなかったはずのそこには正方形の穴が開いた。
3メートル四方の穴の左右には2本の柱が象られ、その上には長短2本の梁のようなものが浮き上がる。
全体としては、ネクタ様式の門……のようなものを彫刻されたよう。
信じられないほど分厚い『アイザン』の木壁を数秒で変化させ船着場、サーヴェラのすぐ隣へ出てきたのは長いこげ茶色の髪を垂らした魔導士。
バトルドレスの上、黒いマントを羽織り直す瞳はやや暗い赤色。
ソーマから事前に渡されている名簿とサーヴェラの紹介によるならば、これが『スピリッツ』第3小隊の小隊長、ミスティー=ウォル。
アリス=カンナルコとウォルの『双緑』夫妻に次ぐ世界4位の木属性魔導士で、二つ名は……確か『緑領』。
「お初にお目にかかります、フリーダ陛下と……エルダロン皇国の皆様方。
ミスティー=ウォルです」
優雅に腰を折りながらの、やっぱり完璧なエルダロン式の女性用敬礼。
サーヴェラと比べて全く不自然さを感じないのは、元々のミスティーの性格によるものなのだろうか。
あるいは、同性の教師としてのミレイユのこだわりか何かか。
「……で、兄さん、もう始めても?
これを終わらせないと、リオンたちの方も動けないし」
「ああ、すぐに取りかかってよ。
……オーサ!」
「そう、じゃあ、センナリ」
フリーダの頷きを確認してから、サーヴェラは『アイザン』へと振り返った。
それとほぼ同時に、ミスティーが作った搬出口から30人ほどの魔導士たちが駆け出してくる。
一方で、木壁から門と同じように浮き上がってくるのは身長2メートルを軽く超える、とても大柄な木の上位精霊。
フォルムからして女性型のそれが、ミスティーの契約するセンナリか。
「センナリ、私の足元を基点に10メートル間隔でお願い」
「ハイよ」
「「!?」」
その足元から吹き出す、緑の波濤。
アタシたちエルダロン勢が思わず体に入れた力を抜いたのは、だけどそれがアタシたちを一顧だにせず散らばり、ミスティーの言った通りピタリと縦横10メートルの間隔に点在していくから。
これは、片手に乗るくらいの緑の……、……いや、蔓草でできたネズミ?
「【緑獣之召喚】で使役した、ウィリオンという食獣植物です。
……この子たちには毒はないので、ご安心ください」
300ほどのウィリオンのネズミが整列し終えるのを見渡した後、ミスティーは少しだけ悪戯っぽく微笑む。
なるほど、『緑領』。
さっきの海戦、決死の覚悟を決めて白兵戦を挑んだ獣人たちを近寄らせすらしなかった有毒植物の軍団長が、この上品そうな少女だったのか……。
「で、これはポタポタという、ただの草の種です」
その『緑領』が近づいてきて、車椅子上のフリーダにも見えるように低い位置で手を開く。
白い掌に乗っているのは、ちょうど人間の目の大きさほどの黒い種。
アタシはもちろん、フリーダやケイドも知らないということはエルダロンの植物じゃないらしい。
「これもネクタの植物ですが、食獣でも食用でもありません。
ただ、ものすごく深く根を張るという特徴があります。
具体的には、軽く100メートル以上は」
そのまま足元に屈んだミスティーは、次の地点へと走って行くウィリオンが居た場所にその種を置いて木属性【生長】を発動。
途端、種の端から生まれた白い根は石畳を貫通し深く深く、深く深く、本当にいつまでも地面へと吸い込まれていく。
周囲に目をやれば、先程出てきた『スピリッツ』の魔導士たちも同じ作業を開始、10メートル間隔でひたすらポタポタを植え付けている。
「ミスティーたち木属性組には、とりあえずフランドリスとその周囲1キロまでこの作業をやってもらうことになってる。
……そうすれば、地面が崩れることはないからね」
サーヴェラの声に一瞬だけ迷いがあったのは、大戦でウィンダム崩壊を経験したフリーダとアタシたちを気遣ってのことだろう。
ミスティーたち木属性魔導士とその契約精霊たち、合わせて約50ほどの人影はどんどんとその背中を小さくしていく。
彼女たちが通り過ぎていった後の大地は……確かに、頼もしい。
耳を劈く、金切り音。
「「!?」」
苦い記憶に浸る間もなかったアタシたち全員の視線が向いた先にいるのは、数十秒前にその改良を終えたばかりのはずの地面に遠慮なく茶色の刃を突き立てる男の魔導士。
「わかってますね!?
この運河から停泊池はフランドリスであたしらが造る最初の建物なんです!
つまりはウォルの小エルベ湖で、他ならない『アイザン』の家でもあるわけです!
第2小隊の名にかけて、1秒1ミリ1グラム、1度1点1カロリーも手を抜くんじゃありませんよ!」
「「アイ、サー!」」
測量し、計算し、線を引き、杭を打つ。
凄まじい速度で、かつ異常な正確さで作業を進める魔導士たちの中心で鳴り響くのは、水属性高位【泥響剣】が大地を切り裂く切削音。
氷じゃなく土の粒を含んだ水を高速回転させるこの剣も、やっぱりウォルで開発された最新の魔導だ。
ケーキでも切るように、石畳もそれを貫くポタポタの根も両断していく泥水の刃。
振り上げられたその刃渡りは、実に15メートル。
「あいつらは第2小隊で、『アイザン』の操船担当だね。
今後のフランドリスとカミカサノクチの間の海運は第2小隊だけでやるんだけど、それがないときは各施設の建設をやるんだ。
で、それの隊長があのリオンで、さっきのミスティーとは夫婦だね。
横にいるごっついのは、契約精霊のプテリー」
リオン=ウォル、二つ名は『廻橋』だったか。
灰色の髪や黒いマントを泥と埃まみれにしながらも、青い瞳はそれを一向に気にする様子はない。
あの超巨大船を自在に操った魔道士たちを束ねる男の目は、今は妻が補強を終えたフランドリスにだけ向いている。
事前にソーマより渡されている計画書にあった、ウォルと同様の停泊地の内陸化。
その図面通りの光景は、このペースで行けるならば数日もせずに目にすることができそうだ。
「あの格好だし、挨拶はまた今度にさせるよ。
じゃあ、『アイザン』に上がろうか。
捕虜をどうするかも、相談したいからね」
サーヴェラの声と同時に、甲板から降りてくるのは長大な渡し板。
それでもフリーダの車椅子が昇るには急角度だけど、そこは押し手のアタシがカバーする。
アタシが知る最大の船の、軽く2倍の高さにある甲板。
広さは4倍以上もあるその大きさに比べれば、輪切りにされた竜魚すらも小さく見える。
……輪切りにされた、竜魚?
その前で腕を組んでいるのは「やっと来たー!!!!」
「「!?」」
ミスティーとよく似た雰囲気を持つ、男の魔導士。
そちらに合わせようとしたアタシたちの焦点に突っ込んできたのは、だけど薄い茶髪に金色の瞳を持つ小柄な少女だった。
「フリーダ様だ、フリーダ様だ、フリーダ様だ!
生姫、生声、生フリーダ様だ!!
あの、とりあえず匂い嗅ぃだぅゎぐっっっっ!??!」
……そして、歯茎はピンク色。
「ジャ、シャー兄、鼻もべる!
顔、剥がれぅ!!」
そのままフリーダに飛びつき、おそらくは鼻を埋めようした少女を止めたのは、頭痛をこらえているような表情のサーヴェラ。
頭の上から回した手の2本指でその鼻を吊り上げるという女性に……というより人間にやってはいけない仕方で部下を制するその瞳には、『魔王』に通じる冷ややかさがある。
「ジェクトに治すよう言っとくよ」
「本当にぁ顔取れる!!!!
わがっ、ぢゃんだ大人じぅじまっがぁ……、……ぅおおおおぉぉぁぁぁぁ」
……」
『魔王の弟』が鼻から指を抜いたのは、少女がようやく前進を諦めたから。
両手で顔を擦りつつ甲板でのたうち回る少女を呆然と見つめるアタシたちの前で、サーヴェラが深く腰を折る。
「……一応、第6小隊隊長のオーサ=ウォルなんだけど……、……風属性でうちの全部の伝令をこなしてるからか、ずっと『声姫』様のファンでね。
頭以外は悪いやつでもないんだけど……申し訳ない」
「ま、まぁ構わないさ……」
未だ転げ回っている本人と上役として謝罪するサーヴェラ、体験したことのない衝撃に戸惑っている『声姫』本人を前にしつつ、アタシは何気なく告げられた事実の方に衝撃を受ける。
「うちの全部の伝令を担当してる」。
これをそのまま受け取るならば、この少女は『スピリッツ』121人、1個中隊を越える人数の間の連絡をたった1人で処理できているということになる。
隣で目を見開いているリコに確かめるまでもなく、この世界で他にそんなことができる存在は風の大精霊の契約者であるフリーダと、その大精霊本人であるレム様くらいだ。
「まだ痛いー……。
あらためまして、『スピリッツ』第6小隊隊長のオーサ=ウォルです。
風属性で二つ名は『伝真』、こっちのが契約精霊のタラちゃんです!
ソーマ様から『声姫』様の魔導のお話を教えてもらってから、ずっとフリーダ様のファンです!!
匂……握手してください!!!!」
「あ、あぁ……」
そのフリーダは、差し出されたオーサの手を反射的に握ってしまっている。
再び制止しようとしたサーヴェラも、フリーダが応じてしまったため動くに動けないのだろう。
同じ理由で、リコたちも何も言うことはできない。
金色の深謝に、アタシたちも揃って目礼を返す。
「あの、このまま聞いてもいいですか!?
2つ以上の空気の振動を同時に拾うときなんですけど……」
「う、うん?」
何より、アタシ個人としては止める必要性をあまり感じていなかった。
フリーダの右手をしっかりと両手で捕獲したまま、超高位同士でしか理解し合えない風属性談義を始めるオーサ。
『翔陽』のそれとは少し違う金色の瞳には、傍目からでもわかるほどの憧れと好意が渦巻いていたからだ。
一切の打算のない尊敬と、心からの親しみ。
「……ボクは、色でイメージして分けていることが多いね。
そのまま番号を振る手もあるけれど、数が多くなってくるとどうしてもそこで遅くなるから」
「なるほど、色!」
「あとは……」
そして、それはフリーダに、特に今のフリーダにとっては決定的に不足していたものでもある。
戸惑いや緊張感は消えて、徐々に増えていく口数。
よく晴れた日の風のように軽やかで、空を舞えるからこその傲然とした自由さ。
アタシはもちろん、自身決戦級の風属性魔導士であるフリシオンすらついていけないレベルの声と声の応酬は、ただひたすらに『アイザン』の上を吹いていく。
その香りは花油の甘い……、……油?
「もうすぐ、昼飯の時間だからね」
アタシの表情の変化に気づいたらしく、フリーダとオーサをそのままにしたサーヴェラが斜め後ろへと視線を向ける。
先にあるのはテーブルほどのサイズがある鉄鍋と、おそらくは輪切りから一口大へと切り分けられた竜魚の肉の山を何かの調味料に漬けて揉み込んでいる5人の魔導士たち。
その奥では、さっき見かけた赤い瞳の魔導士が……人でも殺しそうな目で【固炎】の大きさを調節している。
それに抱きつき何か耳打ちしているのは、細身で女性型の火の上位精霊。
「第4小隊隊長のホローと、契約精霊のペインだね。
元調理部の副部長で『緋緋色金』の竈番を任されてたやつだから、落ち着いたらこっちでも店を出すつもりらしいよ。
ちなみに、ホローとミスティーは本当に血が繋がってる双子の姉弟なんだ」
なるほど、それで二つ名が『慮燎』なわけか。
丁寧に粉を打ってよくはたかれた、竜魚の肉。
それらが鍋の中でガラガラと踊る様子を、ホローはやっぱり睨みつけている。
用事が終わったのか、実体化を解いて消え去るペイン。
「目つきがヤバいのは元々で別に怒ってるわけじゃないし、作るものは全部うまいから大丈夫だよ。
にーちゃんとねーちゃんも『竜魚はカラアゲにした方がいい』って言ってたし、楽しみだな……。
……あ、よかったら一緒に食べていく?」
「……ああ、せっかくだしここにいる7人は甘えさせてもらおうかな。
非公式の場だし、席は君たちと同じもので問題ないよ」
「じゃあオーサ、ホローたちと皆にも言っといて」
「はーい!」
どうやら、フリーダとオーサの会話も区切りがついたらしい。
【音届】なのかどうかはわからないが、確かに数十近い魔導を発動させながら鍋の方へと歩いて行くオーサを見送った後、サーヴェラとアタシたちは『アイザン』の船内を下へ下へと降りていく。
予想はしていたけれどやっぱり広いし、そして深い。
「まさか、船の中に坂があるとはね」
「普段オレたちが使うのは、階段の方が多いけどね。
ここは貨物の輸送路で、トゥラントっていう食獣植物に歩かせるときに階段だと不便なんだよね」
「……それと、この船には継ぎ目がない気がするんだけれど?」
「造ったのはねーちゃんとフォーリアル様だけど、1本の木を限界まで大きく育ててから魔導で変形させたらしいよ。
穴とかも、さっきミスティーがやってたみたいに魔導で空けてる。
継ぎ目があるとどうしてもそこから脆くなるし、獣人と戦いになるかもしれないのに金属の部品は使わない方がいいだろうって、にーちゃんと先生が考えたんだ」
「「……」」
フリーダとサーヴェラの常軌を逸した会話を聞きながら、どれほど歩いただろうか。
窓が一切ないことからも、おそらくアタシたちがいる場所はもう海面より下のはずだ。
……皮膚に感じる、圧迫感。
精神的なものや、ましてや錯覚によるものじゃない。
「この先で、第5小隊のジェクトが捕虜に尋問してる。
ガーランたち第1小隊で抑えてるから大丈夫だとは思うけど、ここから先には敵兵がいるからね」
「あぁ」
これは、魔力だ。
行き止まりに造られた、分厚いドア。
そこから漂ってくるのは、何とも表現できない体に染みこんでくるようなじっとりとした魔力と、巨大な金属の塊が目の前にそびえているような硬質の魔力。
魔導士ではないキティやケイドはもちろん、決戦級魔導士のリコたち、どころか霊竜のアタシでも冷や汗が流れるような、莫大で濃密な魔力の群れ。
自分の身だけではなくその周囲一帯を含めて消し飛ばすことが可能なのだと本能でわかる、圧倒的な力の存在感。
「開けるよ」
「早くしたまえ」
それを前にして自然体なのは、その力を率いる総隊長サーヴェラとドアの向こうも含めた全員を足したよりも大きな魔力を宿すフリーダのみ。
「どうだい、ジェクト?」
「オーサから聞いてるでしょう?
下っ端は本当に何も知りませんね」
開かれたドア、その先に広がっているのは木の天井と木の壁、木の床だけがある空間だった。
そこに転がされている5人の獣人と、それを囲む16人の人間。
サーヴェラの問いに、その中で最も細身の少年が振り返る。
「はじめまして、フリーダ様。
『スピリッツ』第5小隊隊長、『為心』ことジェクト=ウォルです。
先程はオーサが大変に失礼いたしました」
黒いマントと対照的に日焼けしていない肌、髪は青みがかった黒。
丁寧な敬礼の後に上げられた顔の上半分には、黒く染められた布の目隠し。
その中央には1つだけ、白い塗料で巨大な目の意匠が描かれている。
小さく上がるキティの悲鳴。
その視線を追えば、ジェクトの両肩で蠢くもの。
「重ねて失礼いたしました、こちらは左肩からイオンとリュー。
どちらも、僕が契約する命の上位精霊です」
「違うぞ違うぞ、無礼はあの小娘だ」
「そうだそうだ、我とお前に失礼だ」
それは、ジェクトの腕の長さほどの2匹の蛇。
イオンは黒く、リューは白い。
極めて珍しい命の上位精霊の姿に、1人で2人の上位精霊と契約しているというイレギュラー。
さすがのフリーダも、言葉に詰まる。
「お気になさらず、キティ様。
蛇が苦手というのは決して珍しいことではありませんし、そもそも苦手を責めることに意味はありませんので。
……リューとイオンも、それくらいで。
僕が見たいのは、エルダロンの方々が困る顔ではありませんから」
「そうだそうだ、見るならば笑顔だ」
「違うぞ違うぞ、敵兵の苦しむ顔だ」
その風貌と契約精霊のことも相まって、あまりに異質なものを感じさせるジェクト。
「だったら、趣味が悪いなぁ?」
それに泰然と笑いながら歩み寄るのは、やはり同じ小隊長の1人。
この中で最も上背のあるアタシに匹敵する長身、黒いマントから覗くのは分厚い筋肉。
その体つきは、サーヴェラを含め今まで紹介された、いわゆる魔導士然とした小隊長たちとは明らかに種類が違う。
高い魔力だけではない、リコとシンガルというエルダロン最強の騎士たちが無意識に間合いを確認してしまうような、鍛え抜かれた体躯と身のこなし。
「俺たちの強さは、守るための強さのはずだろう?
あまり、ジェクトを唆さないでくれよ。
……と、はじめましてフリーダ陛下。
ハイアは、久しぶりだな」
「ええ、そっちもね」
もう1つ違うのは、小隊長の中で唯一、既にアタシが面識のある人物だということだ。
猛獣のような体とは不釣り合いな、朗らかに笑う茶色の瞳。
『崩鍵』、ガーラン=ウォル。
ウォルポートの『門番』ヨーキを港湾部副部長として支えていた、『兄弟姉妹』の中でも最強クラスの土属性魔導士。
よくよく思い出せば、先の海戦で爆銀を放ったのはこの青年か。
「……とはいえ、『守る』っていうのが口先の綺麗事だけじゃできないことは、俺もよく知ってる。
ほら、あんたで最後だ。
もうわかってるとは思うけど、何をしても無駄だから暴れないでくれ」
「……」
その太い腕は、縄で手足をグルグル巻きにされ猿轡で口まで拘束された獣人、見た目からしてシオ家出身の将校を引きずっている。
最後から2隻目、『アイザン』に体当たりを仕掛けた軍船の指揮官だった男だ。
「あんたが何の魔導を使おうとも、俺たちはそれに割り込んでかき消せる。
こっちの方が魔力が高くて、魔導に詳しくて、上位精霊までいるんだから絶対に無理なのは部下たちのを見てわかってるだろ?
お互い、無意味に疲れるのはやめにしとこうや」
サーヴェラのそれよりくすんだ金髪と、その髪と同じ色の体を持つ契約精霊ブラス。
指揮官を床に押さえつけたガーランを囲むように、3人のやっぱり屈強な青年たちが立ち位置を移動させる。
そこに細い膝を突くのは、ガーランと比べれば文字通り子供にしか見えないジェクト。
指揮官の頭に置いた右手、それに繋がる右腕に絡みついたリューは、左肩でとぐろを巻くイオンとシューシュー笑っている。
「では、手短に終わらせましょう。
実は、先程から『カラアゲが冷めちゃう!』とオーサがうるさいんですよ。
……今回の襲撃を指示したのは?」
「うぅ!!」
「「……!?」」
その笑い声が高くなったのは、指揮官の男がアタシの隣、フランドリス公爵であるフリシオンを睨みつけて身を捩ったから。
「な、何をバカな!」
ジェクトとフリーダ以外、全員の視線が集中してフリシオンは硬直する。
フリーダの大叔母にあたるフリシオンが黒幕?
拘束すべきか?
シンガルは、フランドリス領軍はどう動く?
フランドリス公爵が、『真王派』だったのか?
いや、これは真実か?
フリーダは大丈夫なのか?
虚偽の可能性は?
でも、とりあえ「いえ、そういうのは結構ですので」
「「っ……」」
停止していたアタシたちに息を吐かせたのは、大笑いしている蛇たちとは逆に心底退屈そうな表情を浮かべるジェクトの平坦な声。
イオンの魔力とリューの魔力、そしてジェクト自身の魔力。
それぞれが絡み合って向かうのは、少年の目隠しに描かれた白い単眼。
「心というのですね、結局のところ物なんですよ」
何も視えていないはずのそれは、だけど正確に指揮官の瞳を覗き込んでいる。
「ソーマ様から教えていただいたことそのままの、ただの受け売りですが……動物というのは感じ取った情報を光に変えてから脳に送って、そこから光を体に返してその情報に反応しているんだそうです。
同時に、それに合わせて脳は色々な薬を体に撒くよう指示して、その反応を手助けします。
痛みを感じて傷ついた手を引っ込めたり、その傷の血がしばらくすると止まったり……と言うと少しは想像しやすくなりますか?」
黒い布に、白い塗料。
それこそただの物に過ぎないはずの目が語るのは、アタシも聞いたことのない命の真理の一端だ。
「わかりますか?
僕たちの体や心や命っていうのは、どれだけ美化したところで物の塊なんですよ。
動いて殖えて生きてるだけで、その中身は物と物のやり取りに過ぎないんです。
……だったら、視ようと思えば視えるはずだと思いませんか?」
「……」
そして、そこから帰結されるのは指揮官にとって、ジェクトの敵にとってあまりにも絶望的な仮説。
「命属性超高位【真眼心判】は、術者の感覚を引き上げて他人の心を視ることができるようになる魔導です。
嘘を判定する【迷心探答】の先にある魔導、と言えなくもないですね。
ただ、生まれつき目が見えないくらいの感受性がないと、心が視えるようにはなれないみたいですが。
……さて、質問を変えましょうか」
ジェクトの、色のない眼。
その下にある唇が、優しく微笑む。
「貴方の一番大切な人は、誰ですか?」
「「……」」
あの説明の後に、この質問をする意味。
おそらくは成人を迎えて間もないはずの無明の少年の穏やかな声に、指揮官ばかりかアタシたちも絶句する。
ガーランが小さく溜息をつきサーヴェラが苦笑する中で、続くのは誰にも知り得ないはずのその答え。
「そう、一人娘のルピさんですか。
愛する奥様を亡くされた後に男手1つで育てられた、自慢の娘さんなんですね。
……そう、近々ご結婚の予定が?
とりあえずは、おめでとうございます。
確かに、美しい朱色の瞳にはその青の衣装がよく似合うでしょうね」
「……~~~~!」
目を見開いて言葉のない絶叫を上げる指揮官の反応が、その全てを真実なのだと知らしめる。
【真眼心判】。
この魔導は、それを操るこの少年は、本当に人の心を視ることができるのだ。
「で、今回の襲撃を指示したのは?
……そう、バルナバを治めるマルチェラ=シオ=ケイナス……あぁ、ソーマ様と戦った『黒』のケイナスのご令嬢でしたか。
やれやれ、やはり人の心というものはままならない物ですね」
「違うぞ違うぞ、だからこそ鮮やかで美しいのだ」
「そうだそうだ、だからこそ命は進み続けるのだ」
「「……」」
うなだれる指揮官と笑い続ける蛇たち以外は無言となる中、立ち上がったジェクトが振り返る。
頷いたサーヴェラの背後にいたエルカが、虚空へと消え去った。
ただ、酷く疲れる話。
それでも、この世界にはありふれた話。
「じゃあ、この5人の身柄はそっちに移すよ?
事前の取り決めでも、そういうことになってたはずだし」
「あぁ、そうだね。
……さて、少し遅くなったけれど食事にしようか」
その中でも光を失わないサーヴェラの瞳と、その中でも皇であろうとするフリーダの声。
2人を中心に、アタシたちは歩き始める。
「気の毒なことだが、仕方がないな」
「戦うというのは、そういうものでしょう?」
船の底へ降りてきたときよりも、増えている足音と声。
「ジェッ君、遅いー!
どうせわかるんだから、もっと早く終わらせてよー!!」
「いや、ソーマ様は竜魚は淡泊な味だと言われていた。
……悪鬼風にアレンジするのも面白いか?」
食堂へ向かうにつれて、その数はどんどんと増えていく。
「リオン、まだ髪に泥が」
「おや、すいませんね」
不安はあっても、心細くはない。
「皆、待たせてごめんね!
言った通り、今日の昼食にはフリーダ様たちも参加するから!」
「「よろしくお願いします!!」」
「……あぁ、ありがとう。
こちらこそ、よろしく頼むよ」
それを進む道の上で、もうフリーダは1人ではないのだから。
エルダロンが『スピリッツ』と。
そして、『声姫』が『翔陽』と出逢ったこの日から。
この国と世界は、また大きく変わり始めることになる。
例によってややこしいので『スピリッツ』の隊長たち、『七兄妹』のまとめです。
各小隊は隊長込みで20名、1つの小隊は5つの分隊から構成されています。
6小隊120名にサーヴェラを加えて、121名となります。
総隊長、『翔陽』サーヴェラ=ウォル
20歳、男、水属性、契約精霊エルカ
第1小隊隊長、『崩鍵』ガーラン=ウォル
19歳、男、土属性、契約精霊ブラス
第2小隊隊長、『廻橋』リオン=ウォル
18歳、男、水属性、契約精霊プテリー
第3小隊隊長、『緑領』ミスティー=ウォル
18歳、女、木属性、契約精霊センナリ
第4小隊隊長、『慮燎』ホロー=ウォル
18歳、男、火属性、契約精霊ペイン
第5小隊隊長、『為心』ジェクト=ウォル
16歳、男、命属性、契約精霊イオンとリュー
第6小隊隊長、『伝真』オーサ=ウォル
16歳、女、風属性、契約精霊タラ
7名全員の家名がウォルですが、血縁はミスティーとホローのみ。
また、リオンとミスティーは夫婦です。
……なお、ガーラン、ジェクト、オーサについては過去に少しだけ登場しています。
興味のある方は、探してみてください。




