アフター・エール ミーティング 前編
『精霊都市』ウォルポート。
にーちゃんやねーちゃん、先生いわく、規模としてはまだまだアーネルのラルポートやチョーカのビスタ、エルダロンのフランドリスやサリガシアのヴァルニラには及ばないけど、顔見知りの外交官や商人、冒険者たちいわく、その重要性においてはもうそれらを超えているらしい港湾都市。
その中心地に近い大通りを歩くオレの視界の端では、2年前に整備されたグラトゥヌス式水道橋の下、それに合わせて再度舗装した片側2車線の車道をひっきりなしに馬車や荷車が通過していく。
だけど、土埃が舞わない代わりに大きくなるはずの蹄鉄や車輪が地面を叩く音は、あまり気にならない。
鉄柵を隔ててこれも車道の両端に整備し直された歩道、そこを歩く人間たちの声とそれを呼び込もうとする露店商たちの声の数の方がずっと大きいからだ。
人間、獣人、間獣人、森人、たまに姿を見せる上位精霊……。
にーちゃんに付いてアーネルの王都とラルポート、チョーカのカカとビスタくらいにしか行ったことがないオレだけど、それでも確かに、量でも種類でもここよりたくさんの人間がいる道を見たことはない。
その背を追い越しながら、もしくはすれ違いながらオレの足は通りの角を左に曲がって、その先の突き当たりを右へ。
「……」
途端、オレの五感が感知する情報は一気に少なくなる。
黄色っぽいカイランの大地を【創構】で舗装した黄色い地面と、その上に並んでいる木造の建物の茶色い壁。
2年前の大工事では上水道を建設すると同時に石のパイプを張り巡らせた下水道も整備してあるから、ほとんど人が通らないこういう裏通りでも風には匂いがない。
もちろん、他の都市みたいにゴミが積まれて、それに孤児が群がる貧民窟が広がっていることもない。
当たり前だ。
ねーちゃんや、にーちゃんや、先生や、そしてオレたち『兄弟姉妹』がそれを許すはずがない。
表通りの活気や喧噪とは真反対の、綺麗で穏やかな時間。
何かに怯えたり恨んだりするわけでもない、静かな空気。
これこそがねーちゃんの想像してた未来で……にーちゃんが創造した、現在なんだから。
……だけど、こうも思う。
守れるとして、想像できるとして、オレにこれを創ることができるんだろうかと。
ねーちゃんとにーちゃんはすごい。
ねーちゃんの優しさに助けられてただけの頃の、にーちゃんの強さに口を開けてただけの12のガキの頃からは少しマシになったとは思うけれど、それでもあの2人に対して思うのは未だにそんなことばかりだ。
実際に自分が20歳に、2人がオレたちを救ってくれた齢をもう3つも超えた今だからこそ当時のねーちゃんの覚悟の、にーちゃんの行動のすごさがよくわかる。
2人は間違いなく、この世界を変えた英雄だ。
「実は、俺が死んだ場合はお前を次の水の大精霊にするつもりだった」。
去年のいつ頃か、珍しくにーちゃんとサシで酒を飲むことになった日に明かされたその言葉。
これを聞いたとき、オレは心の底から「よかった」と思った。
それは、にーちゃんがオレのことをそこまで買ってくれていたことにでも、ねーちゃんやシムカたち上位精霊がそれを認めてくれたことにでも、にーちゃんが死なずに帰って来てくれたことにでもない。
水の大精霊という立場に、ならずに済んだことにだ。
もちろん、オレや『十姉弟』はガキじゃなくなったとは思う。
実際に、その告白をされる3年前の段階で既にウォルの運営はオレたちに任されていた。
一番年下のオレの成人から徐々に進められていた運営権限と実務の移管はもう完全に終わっていて、その証拠とばかりににーちゃんは定例会に出なくなっている。
出たとしても、基本的には何も発言しない。
オレたち『十姉弟』だけでの議論と議決、その執行と反省に至るまでノータッチだ。
これは領主代行兼ウォル学校長として参加している先生も生産部統括として参加しているねーちゃんも同じで、オレたちがよっぽどヤバい間違いをしない限りはあの笑顔と無表情で全部を聞いているだけだ。
オレたちだけで取り返せるようなミスなら指摘はされないし、それを解決するときも本当に取り返しがつかなくなるギリギリまでは一切力を貸してくれない。
正直、最初の頃は何度も吐きそうになったし、実際に失敗したときは不安と自己嫌悪で眠れないこともあった。
……というか、今でも半年に1、2回はそういう日がある。
何かを変える強さと、それを使う覚悟。
誰かを守るために必要な、想像する力。
にーちゃんが教えてくれた、オレたちが憧れた強さは、確かに何かを変えることも誰かを守ることもできる力だった。
だけど、それには変えることの重みと苦み、守れなかった場合の怖さと痛さが伴う。
オレたち『十姉弟』はこの4年間でそれを徹底的に思い知らされて、だけどそれがあったからこそ、この重みと苦みを覚悟するっていうことが、怖さと痛さを想像するっていうことが「大人になる」っていうことなんだと学べたんだと思う。
ウォルの長、『十姉弟』。
オレたちはそう呼ばれても恥ずかしくない大人であろうと、そう努力し続けようと思える程度には成長していた。
……だけど、そんな風に腹をくくれていた当時のオレでも、水の大精霊の名前は重すぎて怖すぎた。
客観的に見て、当時の、そして今のオレは『十姉弟』としてウォルの皆を守れているとは思う。
渇かず、飢えず、凍えないことを約束する代わりに、裏切らず、怠けず、強くなることを約束させる……。
にーちゃんが宣言した日から変わらないウォルの根本の契約を、最古参の住人として、何より村長として弟妹たちと守れている自負はある。
強さにしても、兄弟姉妹全員の中でなら間違いなくトップクラスだ。
でも、そんな大人になれたからこそ、『魔王』に、『霊央』に求められる力と心の強さが想像できてしまう。
自分の小ささを、弱さを。
変えられるもの、守れるものがどれくらいなのかを理解できてしまう。
オレがこの世界に同じものを創造できないことが、想像できてしまう。
そして、同時にわからなくなる。
じゃあ、オレが創りたいものは……何なのかを。
「あっ、サー兄、お疲れ様!」
「……おう、お疲れ」
思考に沈んでいても勝手に辿りつける程度の回数はくぐった、霊廟の大扉。
つまりは領主館裏口の受付係として小さく頭を下げてきたのは、少し前に学校を卒業したばかりのオーサだ。
「ついさっき先生が入って、皆もう揃ってるよ?」
「げっ」
ウォルに来たばかりの頃はなかなかの問題児だったこの妹も、入館手続きの手際を見る限り今はしっかりと大人をやれているらしい。
いまいち実感の湧かない自分の年齢をそんなオーサの悪戯っぽい横顔で再確認しながら、オレは頭の中を置き去りにしようと歩調を速める。
小さく息を吐き、ゆっくりと吸う。
ウォル領主館、地下会議室。
やっぱり2年前に増築したこの場所が霊廟と隣り合っている理由は、にーちゃんいわく「死した者たちに恥じない選択をするため」らしい。
ホズミじーちゃんから始まり、今はライズとエンキドゥとの名前で終わっているオリハルコンのプレート。
小走りになりながらもしっかりとそれに目を向けた後、オレは会議室へと繋がる最後の扉を開けた。
盗聴対策の分厚い壁の先、流れ出してくるのは水と木と花、紙とインクにカティ……そして、人の匂い。
「ごめん、ギリギリだったね」
円卓で待っていたのはねーちゃんに先生、オレ以外の『十姉弟』全員というウォルの中枢メンバーだ。
その全員からの視線を受け取りながら、オレはアンゼリカの左の自分の席に座る。
「遅刻じゃないからいいけどね……何かトラブル?」
「いや、そういうわけでもないよ」
「そう、ならいいけど……」
鞄から出した書類の上に、さらに追加の分の書類を滑らせてくるアンゼリカ。
紫色の瞳はオレから先生に移って、赤い瞳が縦に動いたのを確認してから小さく瞬きをする。
「……では、始めます」
無音の咳払いの後、宣言されたのは月に1回のウォル定例会の開催。
それを告げたアンゼリカの視線は、ねーちゃんと先生の間の無人の背もたれからすぐに手元の書類へと向かった。
「まず各部門の事前報告の内容の確認から。
疑義はありますか?」
4年前、ウォル運営実務がオレたちに引き継がれることになったとき、そのまとめ役はごく自然とアンゼリカになった。
『十姉弟の長姉』こと『兄弟姉妹』の筆頭、アンゼリカ=イルフォース。
「……では、最初の議題。
シバ商会の詐欺容疑についてです」
オレたち10人の中でも一番有名なその名前は、今や世界2位の回復魔導士として以上に、23歳の若さでウォルポートを取り仕切る辣腕町長としての方が有名だ。
たかが小娘、たかが元性奴。
そんな軽い気持ちで交渉に臨む大の男たちを待っているのは、にーちゃんの冷たさと先生の賢さ、そしてねーちゃんの正しさを等しく受け継いだ完璧な微笑み。
その全てをウォルの未来のために捧げると公言している夜明け色の瞳は、ウォルの敵となり得るものには一切の甘さを見せない。
「私の意向としては、支店長以下全員を尋問しようと思います。
証拠隠滅のおそれもあるので、今週中をメドに港湾部で一斉拘束と差し押さえを。
……できる?」
実際、落ち着いた声とは裏腹に紫色の瞳の温度は酷く下がっていて、隣に座るオレは軽い寒気まで感じている。
「尋問する」。
容疑に対する取り調べであるはずのその言葉も、『係命』の名も持つアンゼリカが行うとなると意味合いが大きく変わってくる。
命属性高位魔導【迷心探答】。
それは、にーちゃんがアンゼリカの犯罪歴を消すときに使ったというトリック、飲む瞬間に熱湯の温度を下げただけのそれとは違って、正真正銘、本当に嘘を見破る魔法だ。
嘘をつく際のわずかな緊張や迷い、視線や声の変化。
そういうものを命の上位精霊クヴァンの力も借りて感知する……らしい、アンゼリカのオリジナル魔導【迷心探答】は、完全な記憶喪失にでもならない限り回避する手段がない。
何度となく完成までの練習相手……いや実験台にされて、一生どころか来世でもアンゼリカに逆らえなくなったオレが言うんだから、本当だ。
だけど、その甲斐もあって「嘘を見破る」。
司法権を持つアンゼリカがこの力を手に入れたということは、犯罪者にとってある意味で拷問よりも残酷な事実になった。
『係命』、命を係ぐ者。
世界に先駆けて自陣片が廃止され犯罪が容易になったはずのウォルポートがずっと穏やかで静かなままなのは、光と闇の両方を見通すアンゼリカの瞳があるからだ。
それでも、残念ながら今のウォルポートは昔みたいに犯罪がゼロなわけじゃない。
もちろん他の都市に比べれば圧倒的に少ないらしいけど、何をどう勘違いしてるのか、にーちゃんの目を盗めると思ってるらしいバカはいつも一定の数がいる。
もしくは、にーちゃんの恐さを、あの強さと覚悟を知らない大人が増えたっていうことなのかもしれない。
そして、今のウォルポートで強さと覚悟を持ってるのは、にーちゃんだけじゃないってことも。
「……わかった、3日後に着手する」
アンゼリカから1つ飛ばした席の上で、太い首が縦に動いた。
『重天』、ヨーキ=ウォル。
警備に取締、設備の修繕。
そういう、あらゆる意味でのウォルポートの保守を担当する港湾部の長。
土属性の中でも重力操作を極め、オレたちの中でも対人戦闘に特化した『ウォルの門番』。
180センチを軽く越えるその体は、全部が分厚い筋肉に覆われている。
元騎士のモーリスのおっちゃんから言わせてもオレたち『兄弟姉妹』の身体能力は異常らしいけど、港湾部はその中でもさらに体格と戦闘技術に優れたやつだけが配属される花形だ。
後ろ暗いところがない市民には安堵を、心当たりがある犯罪者には恐怖を。
それをもたらす冥い青色の制服に身を包んだヨーキに、ガリガリだった昔の面影はない。
変わらないのは、年寄りみたいな静かな灰色の目だけだ。
「いや、だからいつも言ってるけど、勝手に決めんなっつーの」
それが、やっぱり静かに閉じられる。
そうさせた苛立ち混じりの声の発生源は、さっき飛ばしたアンゼリカとヨーキの間から。
ネル=ウォル。
ウォルポートだけじゃなく、ウォル全体の人事、物流、財務を管理する管理部の長。
家禽班や領主館の窓口業務を経て「集合体を効率的に管理する」才能を開花させた……、……アンゼリカを含む『十姉弟』全員が頭の上がらない人物。
誰が言い出したんだったか、その二つ名は『百腕』だ。
「商会1つ押さえるんだから、精霊持ちが5人に港湾部が50人は必要でしょうよ。
それをどこから持ってくると思ってんのよ?
全員の3日後のシフトをわかった上で、その口を開いてんでしょうね?」
「……」
そして、ネルはヨーキの1人目の奥さんでもある。
肩で一直線に切った茶色の髪と、分厚いガラスレンズが入った眼鏡越しの黒い瞳。
今は不機嫌そうな、だけど本当は優しいその顔立ちは、確かに坊主のニルドにも受け継がれている。
「……『ネルに捕まって気の毒ね』って顔してるけどあんたもだからね、アン?
シバ商会は届け出があるだけで23人が所属してるけど、本当に何かやってるなら当然それ以上の数になるし、被害者や証人の数もさらに増えることになるのよ?
それ全員を尋問するとして、どれくらい時間と魔力がかかるかわかってんの?
終わらなかった分を次の日に回せるほど、ウォルポート町長様のスケジュールに余裕はないのよ?」
「そ、そうね……」
「じゃあ、それを踏まえてどうすんのよ?」
「「……」」
優しかった……と、思う。
そのはずなんだけど、あのアンゼリカが無言にさせられる向こう側のネルの唇からは、さらに容赦なく拳が放たれようとしていた。
「まーまーネルちゃん、それをどーにかするための定例会なんだから」
それを止めたのはヨーキの向こう、ニシシと笑みを含んだ声。
ニヤニヤとした表情を浮かべているのは、『鬼火の一番弟子』を自称する『緋色』ことロザリア=ウォル。
初代食事班班長を経て、今は日に軽く1万食以上を消費するウォルの住民たちの胃袋をやっぱり満足させ続ける、調理部の長。
同時に、4大陸のほとんどの料理が味わえるカイラン最高級のレストラン『緋緋色金』で帝室や王族の連中まで満足させる、『料理の上位精霊』。
「それに、ヨー君のことが心配なのはわかるけど、心配しすぎだって。
精霊持ち5人とか、どこかの主要都市を陥落させるんじゃないんだから。
ヨー君以外に1人いれば、お釣りが出まくるよ。
……ホント、ネルちゃんは無駄に頭いいのに、ヨー君のこととなると計算できなくなるよねー」
「な、ちょっと、ロー!」
そして、ネルと同じくヨーキの奥さん。
子供は準校でお嬢と同じ班の、あのマグナだ。
何を考えてるのかわからないあのフワフワした自由さと周囲をかき回す言動は、確実にこの母親のせいだと思う。
そんなロザリアの赤い目は、無邪気に獲物を嬲ろうとする仔猫のように細い。
「アンのことも、働き過ぎが心配ならそのままそう言えばいーじゃん。
まったく、素直じゃないなー」
「そう……ネル、ありがとね」
「……!」
その瞳に引きずられるように、ネルの顔も赤くなる。
「ネルちゃんはさー、もっとベッドの上のときと同じように素なーぉーーっー!?」
「ロー!!!!」
……今は、ロザリアの目よりも赤いかもな。
耳をそんな色にして席から乗り出したネルは、ほとんど殴りかかる勢いでロザリアの顎にアイアンクローを決めた。
土属性中位【被鉄】で薄い金属をまとった文字通りの鉄の指先は、容赦なく妹の顎関節にめり込んでいる。
激痛に呻くことすらできないロザリアが必死にそれを叩く音が、地下会議室でベチベチと反響していた。
「「……」」
オレたち全員が疲れたように、先生が楽しそうに笑う中、ねーちゃんだけがきまり悪そうに視線を泳がせている。
これはにーちゃんもなんだけど、どうも2人はオレたちのこういう話題には反応を返しづらいらしい。
最年少のオレでももう20歳なのに、やっぱり2人から見てオレたちはまだまだ子供なんだろうか。
自分の前にあるネルの頭を「まぁまぁ」と撫でているヨーキを眺めながら、オレの頭の中にはまだ53人しかいなかった頃のウォルの光景が広がる。
……そこから、8年。
オレたちが兄弟姉妹として暮らしてきた時間はそれなりに長く感じるけれど、にーちゃんたちからするとそうでもないのかもしれない。
「ネルちゃん、痛いよー……。
そんなに怒ることないじゃない?」
「「怒るよ!」」
……本当に、そうでもないのかもしれない。
両手で顔を押さえるロザリアに全員で呆れながら、オレは小さく溜息をついた。
「じゃあ、そっちは片付いたとして、次の議題なんだけどよー」
「ふふふ」
「……」
そんなオレの感慨が伝わったわけでもないだろうけれど、確かにあの頃からあまり変化のない掠れ声が、自身の左手側で繰り広げられていた家庭内騒動を完全に過去形にする。
面白がっている先生と、頑張って無表情になろうとしているねーちゃんの瞳と共に、全員の視線はロザリアの右の席へ。
ガラ=ホライ。
ヤギはもちろんのこと、ニワトリにフラク、グリッドにボア、デーン。
去年からはサリガシア原産のコーソンにジャロ、シルバといったウォルで育てる家畜に関する一切を引き受ける畜産部の長。
動物相手であるために困難を極める日々の需給管理はもちろん、それらの品質を向上させるべく年単位での気が遠くなるような研究作業にも地道に取り組んで今の兄弟姉妹たちの健康を作った『角呂』……、……別名『肉の番人』。
「住民1人あたりの肉の消費量、やっぱり増えすぎなんだよな。
余裕はあったしニワトリの改良が上手くいってるから切らしまではしないけど、このままのペースで使うなら来年の生産計画を組み直さないとダメになるぞ?
あと、バターとチーズは結構ギリギリだから、最悪は買わなきゃだな」
「「……」」
決して切迫しているわけではない牧歌的な、だけど有無を言わせない口調。
そんなガラの言葉が、会議室の中の空気を少しだけ緊張させる。
「肉の消費量の増大」は、今のウォルが直面している「変化」の一面でしかないことを全員が理解しているからだ。
「獣人の人数、増えたからね。
林産部も、最近はひたすら家を建て続けてるよ」
「農産部としても、豆やトウモロコシの増産は最優先でやってるんだけど……」
ガラの右に座っていた『双緑』こと、林産部の長であるニア=バーク。
そして、そのニアの妻であるランティア、同じく『双緑』の名を持つ農産部の長も言葉を添えたことで、10人の視線が中空で交差する。
4年前の戦乱でエルダロンを追われた獣人たちと、泥沼化しているサリガシアから難民として流れてくる獣人たち。
それを大量に受け入れた結果、今のウォルは急激な人口の増加と人種バランスの激変に直面していた。
同じことはアーネルの各地でも起きていて、特に規模の小さな町や村では少なくない混乱が発生しつつあるらしい。
ずっと覇を競ってきた獣人たちの場合、所属する家によってはオレたち人間の知らない種族間の因縁があることもトラブルの遠因だ。
「スピカもね、準校で獣人のお友達同士のケンカが増えたって言ってて……」
「出身の家がどこかを確認しながら、クラス分けや班分けは気をつけてるんですけどね……」
ニルドと同じ5歳生の娘、スピカの母親としての立場でも難しい顔をしたランティアに、準備学校長を務めるタニヤも渋い顔を返す。
自称『鬼火の愛弟子』こと『炎刃』、タニヤ=ウォル。
先生と一緒に教育部を率いる身としては、やっぱり忸怩たる想いがあるんだろう。
一番手っ取り早い解決方法は同じ組や班に因縁のある家同士の獣人を入れないことだけど、ウォルに入ってくる獣人の絶対数が多い以上はどうしようもない。
「感情のままにケンカしてくれれば、まだわかりやすいんだけどね。
いいのか悪いのか獣人は感情を殺すのに慣れてるから、表面上は当たり障りないようで実際は憎しみ合ってたり軽蔑し合ってるパターンが一番大変だよ。
ある程度のトラブルになって表沙汰にならないと、こっちでも把握できないし」
タニヤとオレの間に座るルーイーも、いつになく疲れた表情を浮かべている。
ウォルでの生活全般をサポートする生活部を取り仕切る、『氷陣』ルーイー=ウォル。
住民の一番身近にいてどんな相談でも聞いてくれる「テキトーなおねーさん」にも、笑い飛ばせないことはさすがにある。
恨みと、そこから湧き上がる憎しみ、蔑み。
むしろ、その感情を誰よりも理解できているのは元奴隷や採掘集落民だったオレたちだ。
オレにしたところで、チョーカのラメルと挨拶を交わして何も思わなくなったのはつい最近だし、その感情を「忘れろ」なんて簡単には言えない。
言えるはずが、ない。
だけど、同時にオレはウォルの村長でもある。
ウォルの弟妹たちを守るのが今のオレの使命だし、そんなものとは関係なくウォルを守りたいとも思っている。
「とりあえず、村全体でやるイベントをもっと増やそうか。
獣人同士もだけど、他種族の中で獣人に対する悪い印象ができ始めてるのはよくないよ。
にーちゃんにも頼んで、かなり大掛かりなことをやった方がいい。
今後も獣人が増えるなら、今の内に流れを変えとかないと」
なら、そのためにはウォルを変えていかなきゃいけない。
オレたちも、変わらなきゃいけない。
「にーちゃんの予定を確認してからになるけど、とりあえず1回目は来月最初の休日を第一候補にしよう。
教育部と生活部は、獣人の子たちがどんな遊びをしてたかや、祭りや特別なイベントで食べてたものをまとめてくれ。
それを元にしてできるだけインパクトの強い、「これがウォルなんだ」っていうような企画を考えるよ。
管理部はそこから予算を立てて、各生産部と調理部に。
……ないとは思いたいけど、揉め事対策に港湾部からも人を出してくれ。
怪我人が出たときのために、アンゼリカもその日は村の方で。
当日は各部とも臨時作業扱いになるから、シフト調整よろしくな」
「「了解」」
タニヤ、ルーイー、ネル、ガラ、ニア、ランティア、ロザリア、ヨーキ、アンゼリカ。
オレの提案に、全員が揃って返事をしてくれる。
「「……」」
先生とねーちゃんは、静かな笑顔のまま何も言わない。
無言の賛成と信頼に頷いた後、オレたちは次の議題にとりかかろうとする。
……ここで暮らす限り、渇かず、飢えず、凍えないことを約束する。
だから裏切らず、怠けず、そして強くなることを約束しろ……。
にーちゃんの言葉の通り、オレたちは8年間渇かず、飢えず、凍えなかった。
そして、オレたちは裏切らず、怠けず……強くなった。
守りたいものを、ウォルの弟妹たちを守れるくらいには。
……ただ、ふっと不安にはなる。
今のウォルの不安定化の予兆は、サリガシアやエルダロンの不安定さから来ているものだ。
オレたちが大騒ぎしている獣人の難民たちの数は、実際のところそのほんの一部でしかない。
プロンが数十あった採掘集落の1つでしかなかったように、渇いて、飢えて、凍えている人たちは多分まだたくさんいるのだ。
なら、オレが知らないその人たちは……。
……いや、そもそもサリガシアやエルダロンそのものは大丈夫なんだろうか?
「いや、『大丈夫』とは言い難いな」
「「!?」」
熱中して話し込み、考え込んでいる内に、声に出してしまっていたのだろうか。
背後のドアが開けられていたことに、オレはその返事で初めて気がついた。
「悪い、少し中断させるぞ。
俺から、お前たちに命令することがある」
「「……」」
ただ、そんな驚きも席に歩きながらのにーちゃんの一言がさらに上書きしていく。
ウォルの運営をオレたちに任せてからは本当に何の指示も指図もすることがなかったにーちゃんが、定例会を中断させて命令する。
いったい何事なのかと、10人の視線は無言のまま上座に集中した。
ここまでの議事録を渡す先生と、それを読み始めた横顔を見るねーちゃん。
表情からして、2人は内容を知っているみたいだけれど……。
「「……」」
誰も声を出さない会議室で、黒い手袋がメモをめくる音だけが大きく響く。
確か、ここ最近は『風竜』ハイアとの会談が続いていたはずだ。
なら、やっぱりエルダロン絡みか……。
「……いいんじゃないか?
俺もこの日は空けておくから、このまま進めてくれていい。
シバの方は、特に言うことはないな」
1分ほどで視線を上げたにーちゃんは、小さく頷いてからメモをテーブルに置く。
黒い瞳はオレたちを見渡した後、少しだけ硬い表情と共に閉じられた。
「ハイアを通して、現エルダロン皇フリーダより正式な要請があった」
再び開いた目の奥は、相変わらず底が見えない。
「港湾都市フランドリスの運営と防衛を、ウォルに頼みたいらしい。
……つまり、執政官と駐留軍の派遣要請だ」
「「……」」
やっぱり、全員が無言のままだった。
フランドリスと言えば、エルダロンを代表する……というか唯一の港湾都市だ。
そんな命綱の管理を、外国に依頼する……。
あまりに常識外れの内容に、そしてそんな決断をした『声姫』の思考を、数瞬の間誰も理解できなかったからだ。
「エルダロンは、国力も人材もまだまだ回復できていない。
フリーダは確かに世界最強の魔導士だが、それでも『真王派』からの攻撃を全部自分で防げるわけじゃない」
だけど、にーちゃんが続ける言葉で全員が理解する。
そんな常識外れの決断をしなきゃならないくらいにエルダロン皇国が……いや、『声姫』が追い詰められているんだってことを。
「期間は半年後の出発から……無期限。
正直に見立てを話すなら、十年単位の話になるだろうと思っている。
仮に『真王派』の方を何とかできたとしても、エルダロンで人が育つには時間がかかるからな。
……ただ、現状のフランドリスは今も散発的に襲撃を受けている完全な戦場だし、停戦協定を結ぼうにもそれを申し込む相手が誰なのかさえハッキリしない状況だ。
運営というよりは実質的には再建しなきゃならないし、駐留する人間には命のやり取りをしてもらうことになるだろう。
だから、ある程度はまとまった数と相応の強さが必要になるし、中心にはその全員が命を預けられるだけのリーダーが、ここにいる『十姉弟』の誰かが必要になる。
必ずウォルに帰って来られるとは……、……約束できないが」
にーちゃんの声は、揺れずに続く。
重みと苦み、怖さと痛さ。
「それでも、受けようと思う。
エルダロンを安定させるためには、確かに最適な方法だからな」
それを覚悟した、強い声。
ねーちゃんも先生も、そしてオレたち10人も何も言わない。
「同時にだが、俺もサリガシアに渡る。
大陸側から『真王派』を牽制しつつ、エレニアたち『獣王派』と協力して全力をもって内戦の鎮圧に当たる」
もっと苦しいこと。
もっと痛いこと。
もっと辛いこと。
もっと不幸なこと。
もっと残酷で、理不尽なこと。
「エルダロンとサリガシアをこのまま放置しておけば数十万単位で人間が死に、それ以上に不幸と狂気が連鎖することになるだろう。
が、逆に言えば……今ならそれを止められる」
にーちゃんは、そんな世界を変えることを。
そこに住む人たちを守ることを、決意したんだから。
「だから、頼む。
お前たちの、力を貸してくれ」
オレたち、ウォルの兄弟姉妹と共に。
「「……」」
テーブルに両手を突いて頭を下げたにーちゃんに、全員が、あのアンゼリカでさえすぐに言葉を返せなかった。
喜びと、嬉しさ。
守られるだけの子供ではなく、共に誰かを守る大人として認められた感慨。
怖さと、恐ろしさ。
守られるだけの子供ではなく、共に誰かを守る大人として認められた不安。
同じ事実から湧き出す、だけど正反対に変化する予感の大渦の中で、オレたち『十姉弟』は必死で息をしようとする。
……そうか、これが。
『霊央』の名を背負うにーちゃんが。
あの日、プロンで「絶対に助ける」と約束したねーちゃんが。
オレたちに全てを教えてくれる先生が。
子供を守ろうとする大人たちが。
求められていた、強さなんだ。
踏み越えてきた、覚悟なんだ。
嬉しい。
怖い。
嬉しい。
怖い……。
……だけど、だけどね。
「にーちゃん、駐留軍の長にはオレがなるよ。
誰を連れて行くか選ぶのも、オレに全部を任せてほしい。
もちろん、その後のことの責任も全部!」
「……」
立ち上がったオレに、今度はにーちゃんが無言になった。
アンゼリカたちと同じ、完全に虚を突かれた素の表情を浮かべる『霊央』の左右では、それでも緑と赤の瞳が小さく微笑んでいる。
……まー、ねーちゃんと先生は、オレ自身よりも早くわかっていたのかもしれない。
「勘違いしないでよ?
オレは行ってみたいんだ、ウォルの外の世界に。
それで、助けてやりたいんだ。
オレみたいに弱くて諦めるしかできなかった、誰かを」
それは明るい昼間に空を見上げて、あらためて中心にある太陽の光に気づいたような感覚だった。
その輝きと熱の強さに、笑ってしまうような感動だった。
オレが自分の創りたいものを即答できなかったのは、それが「幸せなウォル」じゃなかったからだ。
眩しいものを見たように目を細めるねーちゃん、その緑色の視線を受け止めた後、オレはもう土で汚れても骨が曲がってもいない、でかくなった自分の両手を見つめる。
少し手を伸ばせば助けられるなら、少し手を伸ばして助けるべき。
「……そうか、サーヴェラ」
そんな言葉を指先に重ねてから、オレの焦点はやっぱりアンゼリカたちより早く立ち直ったにーちゃんの黒い瞳に移動した。
「わかった、任せる」
「……うん、任せてよ!」
立ち上がって、確かに頷く。
オレは、にーちゃんほどは大きくもないし、強くもない。
怖くないわけじゃないし、不安がないわけでもない。
だけど、もう覚悟はできている。
そう、それでもあの頃よりは強くなれたオレが創りたいのは。
守りたいのは。
残酷じゃない、理不尽じゃない。
皆が、幸せになれる世界なんだ。
以前ご紹介したラチム先生の『「お前には才能がない」と告げられて追放された少女、"怪物"と評される才能の持ち主だった』ですが、この度の第8回ネット小説大賞にて書籍化されることが決定いたしました。
この場を借りてですが、あらためておめでとうございます。
とても元気に、前向きになれる作品ですので、興味のある方は私のブックマークか活動報告から是非ご覧になってみてください。
……だから、「面白い」って言ったでしょ(笑)




